西宮邸。台東区根岸3-7。1989(平成1)年3月19日
言問通りの鶯谷駅前交差点から1本東の横丁を北に入ると正面に西宮邸の木造洋館が見える。現在は写真手前の駐車場は塀で囲まれ、写真左の日本家屋の住居はマンションに替わったから、写真のような景観からはすっかり変わってしまった。洋館の部分だけが残されている。撮影時には日本家屋との比較で、同じ2階でも軒の高い洋館がずいぶんと大きく見えたものだ。
上の写真は合成してパノラマ写真風にしてみた。つなぎ目はまるで合っていなくて2枚の写真を横に並べただけだが、かつての景観がいくらかはイメージできると思う。
1991(平成3)年6月30日
『東京建築懐古録Ⅱ』(読売新聞社編、読売新聞社、1991年)に「陸奥宗光旧別邸」として載っている。以下、その記事による。
陸奥宗光は明治20年頃に三井家からこの洋館を献上された。階段の手すりの柱に陸奥の家紋であるボタンの花が彫られている。外相も勤めた陸奥はこの別邸に外国人外交官を招いてパーティを開いたという。2階が20畳の大広間である。陸奥が明治30年に亡くなると長谷川武次郎という実業家の手に渡る。現当主の祖父である。
1991(平成3)年6月30日。夏には庭木が茂って建物を隠した。現在は庭木も門もなくなっている。
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あとの2軒ですが、私は普通の住宅だと思います。西宮邸に近いほうの家は塀と庭木のためにほとんど写真も撮れないのですが玄関の造りなどはかなりのものですね。玄関が道路に面したほうの家は住宅でなければ個人医院だったかも、という印象なのですがどうでしょう。