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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




昭和通りの五軒長屋。台東区入谷1-18。1991(平成3)年9月23日

上の写真は昭和通りの金美観通りとの交差点のすぐ南。石積み風の表面にした銅板だかトタンだかを貼った看板建築の長屋だ。昔の航空写真ではもう数軒分あったような感じだ。現在は右端の1軒は取り壊されて四軒長屋に変わったが現存している。入っている店舗は左から、もつ焼と銘酒の加藤(営業中は赤ちょうちんが出る)、住居?、山本産業株式会社、住居?、新栄商事不動産。写真右の横町を入った四軒長屋の後ろには今も古い看板建築が並んでいる。
写真右端に看板建築が写っている。看板は「青木印刷紙器」で、四軒長屋くらいの幅の建物だったようだが、現在は「コスモス入谷ロイヤルフォルム」(2003年3月築、15階建て41戸)というマンションになっている。


明好堂。入谷1-21。1989(平成1)年3月19日

銅板貼り看板建築の明好堂は1枚目写真右の横町を入り150mほど行ったところ。この横町の左右にはわずかだが戦前からの民家や長屋の一部が残っている。写真では明好堂の看板が残っているが廃業していると見える。どんな事業だったのだろう。現在は建て替えられた。

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上:中島洋服店。台東区下谷2-14。1989(平成1)年3月19日
左:民家。下谷2-15。1991(平成3)年9月23日

上の写真は金美観通りの小野照崎神社のすぐ東で右へ行くと昭和通り。その手前に左写真の家が今も健在だ。上の写真は四軒長屋のようで、下見板の長屋というのはあまり見ない。スレート屋根でもあり、戦後すぐに建った長屋かもしれない。
横丁との角の家を中島洋服店としたが、1階は車庫にしているから洋服店は廃業したようだ。横町を入った裏は看板建築の長屋で、1986年の地図では「テーラーニヘイ」。現在は四軒長屋の左3軒が「澤村ビル」という6階建てのビルになっている。
出桁造りの家は健在だが瓦屋根が失われ、1階の木の枠の引戸はアルミサッシのものに替わっている。二階の戸袋は板を貼ったものらしいが、それは変わっていない。最小限の補修で済ませようとしているように感じられる。

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ハヤミズ家具センター。台東区下谷2-7。2008(平成20)年5月7日

ハヤミズ家具センターは1998年6月30日に倒産した。写真はその10年後の状態で、このビルが誰の所有だか、また登記上の名称も判らず、「旧」を付けるのもたいして意味がないように思えるので「ハヤミズ家具センター」で通しておく。
現在は外壁を改修して、下のGoogle地図の3D画像のようにきれいにみえる。使われているかどうかは分からない。
店の入り口は地下鉄入谷駅のある昭和通りに向いていた。その写真を撮っていなかったのが残念だが、上の写真を撮ったときは昭和通り側の部分はすでに取り壊されていたらしい。
1986年というと倒産する12年前、まだ普通に商売をしていた頃だろうか。その年の住宅地図を眺めると、「速水家具センター」を中心に、そのビルの北西に「速水家具ソーコ」(現在は「クレアシティ入谷」―2000年12月築、14階建て39戸)、南西に「速水清心寮」と「速水駐車場」(現在は「ハイホーム入谷」―2001年6月築、12階建て66戸)がある。



左:店内案内板。2008(平成20)年5月7日。右:Google地図の3D表示(2016年)から

現在は1枚目写真の大きな袖看板と店内案内板は取り外されている。
Google古地図の昭和38年航空写真には2枚目写真の6階建てのビルと思われるビルが写っている。今残っている9階建て部分は昭和40・50年代に建て増ししたもののようだ。店内案内板にある10~12階は、北に突き出た部分のようで、マンションに建て替わった部分だ。ハヤミズ家具センターのビルは6階建てのビルが最初にできて、それを核にして昭和通りの方へ、また、北の横町のほうへと増築していったのだろう。

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路地の民家。台東区下谷2-5。左:1991(平成3)年9月23日、右:2008(平成20)年5月7日

金杉通りの根岸3丁目交差点のすぐ南に東への路地がある。途中で北へ曲がって金美館通りの小野照崎神社の前に出る。車が入れない狭い路地だが江戸期からある古道で、この路地そのものが歴史的遺産のようなものだ。この路地の両側に今も古い民家や長屋が5・6軒残っている。
左写真は右奥が金杉通りからの路地の入口。写真の民家は現在は建て替わっている。右写真は左写真手前の空地の奥を撮ったもの。左写真の家の後ろにのこっている民家だ。



左:四軒長屋、下谷2-5。右:二軒長屋、下谷2-11。1991(平成3)年9月23日

左写真の民家は二階前面を増築して今も残っている。四軒長屋の端にあたる。
右写真の右の家、庇の瓦が残っている家には「高島商事株式会社」の表札がかかっている。この家は二軒長屋で、その全景は『ふじ、二軒長屋』ですでに載せた。物干し台のある方も二軒長屋。2006年の写真では建て替えられていた。

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加藤パン店、民家。台東区下谷2-5。2014(平成26)年1月16日

坂本小学校の言問い通りの向かい側の、鶯谷アパートがある裏通り。加藤商店は日本家屋の前面を看板建築にしたものだが、戦後の建築のようだ。1966年の地図では「加藤燃料」で、炭屋だったのかもしれない。ストリートビューを見たら隣の家とともに取り壊されていた。
右写真の民家は加藤商店の横を入ったところにある民家。加藤商店と同時期の建築に思える。



西川流舞踊稽古所。下谷2-4。2014(平成26)年1月16日

取り壊された加藤パン店から言問い通りに出ると、その手前に北へ入る路地がある。写真の家はその路地との角にある。出桁造りなので戦前の建築だろうか。後ろの長屋風の家も戦前築の家のようだ。この路地は当ブログの『木造民家/下谷2丁目』ですでに登場している。その写真の右の家は二軒長屋だが、加藤商店と合わせてだろうか、取り壊された。



三軒長屋。下谷2-5
左:1991(平成1)年7月23日、右:2008(平成20)年5月7日

その路地の奥を覗いた写真。奥に見えているのは三軒長屋で、路地はその長屋の前で左右に通じている。左へ行けば金杉通りへ出、右は加藤パン店の横の路地と通じている。

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台東区立坂本小学校。台東区下谷1-12
上:1989(平成1)年7月23日、左:同年3月19日

朝顔市で有名な入谷鬼子母神(新源寺)に隣接する小学校だが、1996(平成8)に入谷2丁目の大正小学校に統合され、坂本小のほうは廃校になった。坂本小は明治32年に下谷尋常小学校として創立された。現在、校舎は区の施設として児童クラブなどに使われているという。
『日本近代建築総覧』では「区立坂本小学校(旧入谷尋常小学校)、台東区下谷1-12-8、建築年=1926(大正15)年、構造=RC、設計=阪東義三(東京市)、施工=長谷川精次郎、表現派風「東京市教育施設復興図集」による」。早い時期の復興建築だ。
分離派建築博物館表現主義の幻影を巡る』によると、邦楽座(有楽町、1925年)の設計が「片岡松井建築事務所(阪東義三)」で「阪東義三は分離派の面々とは同級生でそのせいか表現派的でもある。……阪東義三の活躍は東京市の営繕課に籍を置いて復興小学校の設計に関与したことが知られている。」とある。
玄関やその右の階段室上部の放物線の造形が表現派風といわれる。校門もそれに含まれるはずだが、いつの間にか造り直されて、門柱が下の写真の円柱になってしまった。『分離派建築博物館』には元の校門を正面から撮った写真が載っている。


旧坂本小学校。2014(平成26)年1月16日

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芹沢看板店。台東区東上野5-19。1991(平成3)年6月30日

写真の看板建築は 東部塗料商会だった看板建築の家の横の路地を入った奥にある。写真左の看板建築にした三軒長屋は現存している。その角の家の看板は「看板/吉澤」と読めるので「芹沢看板店」とした。手前の空き地には今、「ジェイパーク上野アクシス」(2000年9月築、12階建74戸)というマンションが建った。下左の写真は手前の建物を壊して間もない頃だろうか。マンションが建つまでかなりの年数がかかったようだ。上の写真では工事が始まる気配がないからだろう、空地に無断駐車しているようである。
この長屋の所在地は住宅地図から突き止めていたが、この稿を書き始めてそれがマンションの裏に残っている建物だとやっと気が付いた。写真右の青いトタン壁の家は、やはり現在も残っている民家のようだ。


左:1989(平成1)年2月12日、右:2013(平成25)年8月3日

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トミヤ。台東区東上野5-19。2006(平成18)年11月29日

清洲橋通りから台東区立上野小学校とは反対の、西へ入った裏通りとの角にあった出桁造りの商家。たばこ売場があるが、1986年の地図では「トミヤ」で、化粧品などの小間物屋だったようだ。現在は3階建ての住宅に建て替わっている。『 上野 浅草 稲荷町>トミヤ なくなる!』によると、2009年8月に取り壊されている。
トミヤの裏にはきれいに改装された看板建築の三軒長屋があるが、これは健在だ。


洋風二軒店舗。東上野5-19
2008(平成20)年3月2日

1枚目写真のところから左へすぐのところ。前面を看板建築にしたアパート風の建物。1986年の地図では左が「東部塗料商会」、右はしもた屋らしい。1989年に撮った写真では、左が白の塗装、右が無塗装だ。

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羽鳥工業。台東区東上野5-9。1991(平成3)年6月30日

清洲橋通りの古い商店が並ぶ景観で、この家並みは不思議と今も残っている。まとめてビルを建てるために住人の退去を気長に待っているのかと思う。家並みの裏側は駐車場だ。1986年の住宅地図では、左から、どーばん、羽鳥工業、規格工業、しもた屋? タイニイ、しもた屋? 下谷製本会館。



小林商店、四軒長屋。東上野5-9。1989(平成1)年7月23日

1枚目写真の左に両側に歩道のある横丁があり、そこに入ってすぐのところ。写真右の一戸建て住宅のような家が、1986年の住宅地図で「小林商店」となっている。現在は取り壊されて、裏の駐車場や1枚目写真の商店の裏側が覗ける。看板建築にした四軒長屋は残っている。今は2戸が空き家らしく鉄板の塀で閉じられている。



三興商会、三軒長屋。東上野5-8。1989(平成1)年7月23日

2枚目写真の横丁を左へ行ったところ。現在では三興商会のモルタル壁の建物と看板建築にした三軒長屋は取り壊されて駐車場になっている。
2枚目写真と3枚目写真の間の向かい側に下谷税務署があった。現在、この税務署は廃止されて東京上野税務署(池之端1-2)に移行された。Googleマップのストリートビューでは、その跡地は更地になっている。航空写真では税務署だったビルが見られるから、わりと最近取り壊されたのだろう。この土地は今後どうなるのだろう。

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寿湯。台東区東上野5-4
1989(平成1)年7月23日

最近、取り壊された同潤会の上野下アパートの裏の通りにある銭湯。建物はそのままで存在しているが、屋根が改装されて赤っぽい鉄板のようなものになって瓦葺きではなくなったので、屋根が軽くなった分、外観を見た感じも軽くなったような気がする。煙突が今は見当たらない。2005・6年頃の改装らしいのだが、表面中央の唐破風の下の出入り口が、今はその左側に移動し、元の出入り口は窓があるモルタル塀に替わった。
ぼくは戦前の建物とばかり思っていたが、寿湯の創業は昭和27年という。建物も当然そのときものだ。今ではサウナや露天風呂まである人気の銭湯らしい。

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