あるところで、モーツアルトについての発表をしなければならないので、例によって付け焼き刃的な勉強をはじめているのですが、いろいろ読み漁っているうちに、面白いものに遭遇しました。
それはモーツアルト学の権威、海老沢敏氏の「日本のモーツアルト受容」という論文(『進化するモーツアルト』樋口隆一編・著 所収 春秋社刊)に書かれているのですが、おそらく、彼の楽曲の最初の演奏は、1865年9月30日(維新前)に横浜で行われた英国の軍楽隊による歌劇、『魔笛』の序曲だとの事です。
ここまではさもありなんといったところですが、ついで、モーツアルトの曲が広く一般に伝わった経緯に触れた箇所を読んでぶっ飛んでしまいました。
明治政府の音楽教育の柱としての「音楽取調掛」(まるで麻薬取り締まりのような・・「掛」はそのまま)によって『小学唱歌集』が出されるのですが、その第三編に「誠は人の道」(里見義・作詞)としてモーツアルトの曲が採用されているというのです。
その歌詞は以下のようなものです。
まことは人の道ぞかし
つゆなそむきそそのみちに
こころはかみのたまものぞ
露なけがしそそのたまを
要するに、「誠は人の道であるから露ほども背いてはならない、心は神からの賜だから露ほども汚してはならない」という事です。
この歌詞の意味からして、モーツアルトの作った多くのミサ曲か何かから採ったのだろうと最初は思いました。
しかし、ぶっ飛ぶのはここからなのです。
なんとこのメロディ、モーツアルトの晩年の歌劇『魔笛』(K620)に登場するパパゲーノの第二幕のアリアとして作曲されたもので、その曲名は「恋人か女房がいれば」というものなのです。
その歌詞(ほぼ直訳)を以下に掲げてみます。
恋人か女房がいれば
彼女か女房を パパゲーノは欲しいんだ
ああ そんな気立てのいい可愛い娘がいたら
まさにこのうえない幸せよ
そうなりゃ飲み食い みなおいしくて
王様とだって肩を並べられるだろうさ
人生を賢い人間として楽しみ まるで天国にいるようだろう
彼女ひとりか女房ひとり おれの欲しいのはこれだけさ
優しい小鳩がいてくれりゃ まさに幸せそのものよ
ああ 誰も好いてはくれんのか 魅力的な娘たちの誰にも?
どうか誰か この苦境から助けておくれ
さもないと本当に死ぬほどうらむぞ
娘っ子か可愛い女房がひとり パパゲーノは欲しいんだ
ああ やさしい小鳩がいてくれりゃ おれはまったく大喜びさ
誰も俺を愛してくれないなら わが身をこがして死ぬまでよ
それでも女性のくちびるがキスしてくれたら
そうしたら俺はきっとまた元気になるさ
思わず目眩がするような落差ではありませんか。
『魔笛』というオペラは多様性に富んでいて様々な解釈が可能なのですが、上の歌に関する限り、「恋人か女房が欲しい」とズバリ請い願う歌ですし、パパゲーノという人物像自体が、このオペラではエロスや生への謳歌に満ちた側にいるといって良いのです。要するに快楽主義者なのです。
このパパゲーノの快楽追求からモラルの枠がとれて、よりポジティブになると『ドン・ジョバンニ』に至るかも知れません。
それが「誠の人の道」として唱われてしまうのです。
ここに、日本における外来文化のハチャメチャな摂取の様相を見て取る事は易いようにも見えます。
しかし、海老沢氏は公正にも、こうしたちぐはぐな現象は日本に限らず欧米にもあった事であり、むしろ、そうした現象そのものの輸入がこの曲の摂取の仕方なのだと指摘しています。
<photo src="10584626:2193518976:l">
だとすると、こうしたパターンとは一体何なのでしょうか。
多分これは、近代国民国家の形成の時期にあたり、国民の啓蒙のためには各国ともに、なんでもかでも利用したという痕跡なのではないでしょうか。
なんでもかでもといいましたが、歌となるとやはり唱いやすく親しみやすいメロディがふさわしいと思われます。そこで、『魔笛』の中でももっとも唱いやすく親しみやすいこのアリアが登場したのでしょう。
こうした内容と歌詞のちぐはぐさにつては、先頃、1)海外進出へのアジテーションと、2)軍隊内の歩兵の本領と、3)革命への決起を呼びかける歌とが同じメロディで唱われる「歌のリサイクル」という小文にまとめておきましたので参照してみて下さい。
http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20080208
なお、先に見た「誠は人の道」には、さすがに、モーツアルト作曲とは明記されていなかったということです。
ここまで書いて思い出したのですが、何も明治まで遡らなくとも、私自身、中学時代に音楽の時間に似た体験をしています。
詳しくは忘れましたが、それは「夏の海」とか「浜辺」の歌で、原曲はヴェルディのオペラ、『リゴレット』の中のもっとも有名なアリア、「女心の歌」だったのです。
そうです、あの、「風の中の羽根のように いつも変わる女心・・・」という歌なのです。
私は当時、それを知っていました。多分、ラジオで聴いた田谷力三の浅草オペラ時代の歌を知っていたからです。
ですから、音楽の時間にもし指名されたら、「夏の海がなんたら・・」という歌詞ではなく、「女心」の方で唱ってやろうと密かに思っていました。
それが実現しなかったのは、指名されなかったのか、それとも私の日和見のせいだったのか、今となってはもう思い出す事が出来ません。
それはモーツアルト学の権威、海老沢敏氏の「日本のモーツアルト受容」という論文(『進化するモーツアルト』樋口隆一編・著 所収 春秋社刊)に書かれているのですが、おそらく、彼の楽曲の最初の演奏は、1865年9月30日(維新前)に横浜で行われた英国の軍楽隊による歌劇、『魔笛』の序曲だとの事です。
ここまではさもありなんといったところですが、ついで、モーツアルトの曲が広く一般に伝わった経緯に触れた箇所を読んでぶっ飛んでしまいました。
明治政府の音楽教育の柱としての「音楽取調掛」(まるで麻薬取り締まりのような・・「掛」はそのまま)によって『小学唱歌集』が出されるのですが、その第三編に「誠は人の道」(里見義・作詞)としてモーツアルトの曲が採用されているというのです。
その歌詞は以下のようなものです。
まことは人の道ぞかし
つゆなそむきそそのみちに
こころはかみのたまものぞ
露なけがしそそのたまを
要するに、「誠は人の道であるから露ほども背いてはならない、心は神からの賜だから露ほども汚してはならない」という事です。
この歌詞の意味からして、モーツアルトの作った多くのミサ曲か何かから採ったのだろうと最初は思いました。
しかし、ぶっ飛ぶのはここからなのです。
なんとこのメロディ、モーツアルトの晩年の歌劇『魔笛』(K620)に登場するパパゲーノの第二幕のアリアとして作曲されたもので、その曲名は「恋人か女房がいれば」というものなのです。
その歌詞(ほぼ直訳)を以下に掲げてみます。
恋人か女房がいれば
彼女か女房を パパゲーノは欲しいんだ
ああ そんな気立てのいい可愛い娘がいたら
まさにこのうえない幸せよ
そうなりゃ飲み食い みなおいしくて
王様とだって肩を並べられるだろうさ
人生を賢い人間として楽しみ まるで天国にいるようだろう
彼女ひとりか女房ひとり おれの欲しいのはこれだけさ
優しい小鳩がいてくれりゃ まさに幸せそのものよ
ああ 誰も好いてはくれんのか 魅力的な娘たちの誰にも?
どうか誰か この苦境から助けておくれ
さもないと本当に死ぬほどうらむぞ
娘っ子か可愛い女房がひとり パパゲーノは欲しいんだ
ああ やさしい小鳩がいてくれりゃ おれはまったく大喜びさ
誰も俺を愛してくれないなら わが身をこがして死ぬまでよ
それでも女性のくちびるがキスしてくれたら
そうしたら俺はきっとまた元気になるさ
思わず目眩がするような落差ではありませんか。
『魔笛』というオペラは多様性に富んでいて様々な解釈が可能なのですが、上の歌に関する限り、「恋人か女房が欲しい」とズバリ請い願う歌ですし、パパゲーノという人物像自体が、このオペラではエロスや生への謳歌に満ちた側にいるといって良いのです。要するに快楽主義者なのです。
このパパゲーノの快楽追求からモラルの枠がとれて、よりポジティブになると『ドン・ジョバンニ』に至るかも知れません。
それが「誠の人の道」として唱われてしまうのです。
ここに、日本における外来文化のハチャメチャな摂取の様相を見て取る事は易いようにも見えます。
しかし、海老沢氏は公正にも、こうしたちぐはぐな現象は日本に限らず欧米にもあった事であり、むしろ、そうした現象そのものの輸入がこの曲の摂取の仕方なのだと指摘しています。
<photo src="10584626:2193518976:l">
だとすると、こうしたパターンとは一体何なのでしょうか。
多分これは、近代国民国家の形成の時期にあたり、国民の啓蒙のためには各国ともに、なんでもかでも利用したという痕跡なのではないでしょうか。
なんでもかでもといいましたが、歌となるとやはり唱いやすく親しみやすいメロディがふさわしいと思われます。そこで、『魔笛』の中でももっとも唱いやすく親しみやすいこのアリアが登場したのでしょう。
こうした内容と歌詞のちぐはぐさにつては、先頃、1)海外進出へのアジテーションと、2)軍隊内の歩兵の本領と、3)革命への決起を呼びかける歌とが同じメロディで唱われる「歌のリサイクル」という小文にまとめておきましたので参照してみて下さい。
http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20080208
なお、先に見た「誠は人の道」には、さすがに、モーツアルト作曲とは明記されていなかったということです。
ここまで書いて思い出したのですが、何も明治まで遡らなくとも、私自身、中学時代に音楽の時間に似た体験をしています。
詳しくは忘れましたが、それは「夏の海」とか「浜辺」の歌で、原曲はヴェルディのオペラ、『リゴレット』の中のもっとも有名なアリア、「女心の歌」だったのです。
そうです、あの、「風の中の羽根のように いつも変わる女心・・・」という歌なのです。
私は当時、それを知っていました。多分、ラジオで聴いた田谷力三の浅草オペラ時代の歌を知っていたからです。
ですから、音楽の時間にもし指名されたら、「夏の海がなんたら・・」という歌詞ではなく、「女心」の方で唱ってやろうと密かに思っていました。
それが実現しなかったのは、指名されなかったのか、それとも私の日和見のせいだったのか、今となってはもう思い出す事が出来ません。