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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「故郷の廃家」と硫黄島

2008-03-13 13:43:44 | 想い出を掘り起こす
 ここに掲載する写真は私の家の近くにある廃屋のものです。
 かつてはれっきとした人家だったのですが、ご覧のように植物群にすっかり占拠されてしまいました。

     
 
 こんなになる前にこの家の前を何度も通っていたのですが、今となってはかつての面影を思い出すよすがもありません。
 これを見ると、人工的なものがいかにして自然に還ってゆくか、また、かつての文明の痕跡がどうしてジャングルの中から発見されたりするかが分かるように思います。

 

 そして同時に、中学生の折、音楽の時間に唱った「故郷の廃家」という歌を思い出します。
 ただしこの歌、最近全く聴くことがなくなったので調べたところ、昭和30年代から次第に音楽の教科書には載らなくなり、40年代にはすっかり姿を消してしまったとのことでした。
 これを読む若い人達の中には、どんな歌か見当も付かない人もいるのではないでしょうか。

 
 
 まずはこの歌を紹介しましょう。
 ウィリアム・ヘイス(アメリカ・1837-1907)作曲のこの歌は犬童球渓(1879-1943)の以下のような詩によって唱われました。
 
   幾年(いくとせ)ふるさと、来てみれば、
   咲く花鳴く鳥、そよぐ風、
   門辺(かどべ)の小川の、ささやきも、
   なれにし昔に、変らねど、
   あれたる我家(わがいえ)に、
   住む人絶えてなく。

   昔を語るか、そよぐ風、
   昔をうつすか、澄める水、
   朝夕かたみに、手をとりて、
   遊びし友人(ともびと)、いまいずこ、
   さびしき故郷(ふるさと)や、
   さびしき我家(わがいえ)や。

 そのメロディは以下のようなものです。
 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kokyouno.html

 もともと哀愁を帯びた歌ですが、この歌にはさらに、決して忘れてはならない哀しい歴史があるのです。

 今ではすっかり忘れられていて唱われる機会も少ないのことは既に述べましたが、年に一度、東京都の小笠原村が硫黄島で行っている慰霊祭においては必ず唱われるそうです。
 どうしてかというと、硫黄島がアメリカ軍の猛攻にさらされているとき、夕方になって米軍機が引き揚げてゆくと、地下壕に息をひそめていた少年兵たちが夕日を見ながらこの歌を合唱し、それぞれの故郷へと思いを馳せたという事実が伝えられているからです。

 わずか10代半ばで戦争に狩り出されたこれら少年兵たちのほとんどは硫黄島の土と化し、あれほど懐かしんだ故郷へと還ることはありませんでした。

         
          塹壕に残ったものへの米軍の火焔放射攻撃
 
 今、年一回の慰霊祭にあたり、この地に若き春を散らした少年兵たちと同年代の小笠原の中学生たちによって、この歌が合唱されるのだそうです。

 私は、能う限りこの歌を覚えていたいと思っています。

        
            平和に戻った現在の硫黄島

歴史的補足
 1945年2月19日、硫黄島へのアメリカ海兵隊の上陸が開始されました。
 3月17日には米軍が島を制圧し、日本軍の部隊が玉砕しました。
 日本軍は2万933名の守備兵力のうち2万129名までが戦死




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