イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

フロー所得

2009-06-25 16:51:35 | パワーストーン

昨日から当地も突如夏真っ盛りとなり、出先で外道衆(@シンケンジャー)のように水切れしそうになって、コンビニに駆け込んで冷蔵ケースを物色したら、爽健美茶にパワーストーンアクセのオマケが。

 適当に2本買ったところ、布紐のブレスレットはオレンジアベンチュリン、白い革紐のバッグチャームはアメジスト?と思いきやパープルフローライトでした。うーん、このブログ主としては、若干惜しい。カスった程度。

爽健美茶では、数年前にもLAZY SUSANのナチュラルストーンチャームをオマケに付けてたキャンペーンがあって、結構熱くなって買い集めた記憶もあります。プリペイド携帯のストラップに2本ぐらい使って、バッグにも付けました。

アレは馬蹄形とかテントウムシ形の背中とか、ハトのくわえた葉っぱの先に直径2ミリぐらいの石の半球が貼っつけてあるようなデザインものでしたが、今回のキャンペーンのほうが“パワー”ストーンと謳っているだけあって、直径810ミリ近い球形がコロンとついていて、より“石”感があります。

付録のプチリーフレットには、パープルフローライトは「寛大さを授け、人間関係をスムーズにすると言われています。」とありますが、透明な地に、刷いたような薄紫色が条状に入ったこの石は、対人的にどうこうというより、広く“精神活動の浄化・鋭化”と月河は考えています。書籍原典によっては、“記憶力・着想力の宝庫”と、すぐれて知性的な方向のパワーを強調していますね。人間関係の円滑さや、他人の気に入らない点を受け容れるのも、知性の働きのひとつと考えれば納得が行きます。

一方オレンジアベンチュリンは、「素直な気持ちや優しさを呼び戻すと言われています。」グリーンとレッドのアベンチュリンはここ数年でいくつか入手する機会があったので、オレンジに出会えたのはオマケでもラッキーでした。なんだか戦隊メンバーみたいだな。

グリーンなり赤系なり、色がついていて半透明、不透明のことが多いのですが、実はクリスタルと同じ石英の仲間です。精神面の中でも、こちらは知性より感情に強く働きかけますね。素直になる、トゲトゲした気分をしずめおだやかにする、まぁ大雑把に言って“見つめたり身につけたりすると元気になる”石という理解でいいでしょう。

“地”の石英の中に混入した赤鉄鉱や針鉄鉱の微細な粒片が光に反射してきらめく“アベンチュリン効果”がこの石の魅力なんですが、さすがにオマケなので、透かして見てもあまりきらめき感はないかな。オマケはオマケ。でもまぁ欲しかった石だし、夏場の紐ブレスって何本あってもいいものですしね。

フローライトのバッグチャームのほうは、バッグに付けるには、手ごろな持ち手の太さのバッグがない…。紐の長さが“片道”5センチちょいしかなく、しかも結構幅広なため、持ち手の相当華奢なバッグじゃないと通せないんですよ。

皮紐の色がぴったりなので札入れに付けてみようかと思ったら、これがまた付けるところがない。紐を一度ほどいて、分解して何かに改造する必要がありますな。

本当は、紐や鎖を通すためなどに人為的に石に穴をあけるのは個人的にあまり好きじゃないんですよ。でもアクセやチャームに形づくるのは、石を身近にする人間の知恵、大袈裟に言えば、大自然の無限のパワーと共存せんとする叡智のワザとも言える。日本にも古代から勾玉なんていう、装身具兼呪術用具もありました。

そう言えば、やはり数年前、Asahi十六茶でも天然石ストラップやチャームのオマケがついてきたことがあったっけ。お茶系、特に健康茶系は、商品イメージがパワーストーンに近しいのかも。“大地の恵み”つながりですかね。

リーフレットによると、今回の爽健美茶パワーストーンアクセはぜんぶ揃えると6種類あるようです。あと4種類買い回って集めようかな。でもこんなに暑い日が、当地ではそう続くとも思えないし、ペット清涼飲料を冷蔵庫にストックするとカサ張るし。

何か割って飲むかな。

“爽”はともかく、“健”“美”じゃなくなるけど。

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類々は友を呼ぶ

2009-06-24 00:28:45 | 朝ドラマ

先週のNHK『つばさ』のど自慢篇(61520日)はもうひとつでした。『爆笑オンエアバトル』でも、いまだに常連の一部の組がしばしばやるんですけど、本スジではなく“地合い”の温度上昇のために、“歌”を使うっていう方法、いい加減考え直さないかな。

BGMとしてでなく、登場人物が芝居の一環として歌うというのは、「これは、そうでもしないとテンションが上がらない寒いドラマですよ」とわざわざアナウンスしているようで、どうにも白けます。

音楽を生業にしているわけでもなければ、ママさんコーラスのメンバーでもなく、死ぬほどカラオケ好きなわけでもない普通の一般庶民が“声出して人の前で歌を歌う”なんて状況、リアルにそうはありませんからね。

そこにエクスキューズを与えるために“ラジオぽてと協賛のど自慢大会”という枠組みを作ったんでしょうけれど。

しかも、各キャラの皆さん、“日頃歌が得意なわけではない商店街のシロウト庶民が、今日だけ特別にノリノリで、恥ずかしいけど歌っちゃいました”という設定なので、演技的わざとなのか、はたまたナチュラルになのか、朝食や出かけ支度の時間帯に聴くには、全員歌唱力があまりに微妙。騒音一歩手前。

なぜかアフロかつらにサイケつなぎ、“見せエレキ”まで持っての甘玉堂夫妻(中村梅雀さん高畑淳子さん)の『恋人よ』ぐらいは、“劇中的にも気合いの入ったおふざけ”として微苦笑で観られましたが、本来ならもっと歌唱力あるはずの松本明子さんが、一生懸命シロウトっぽく歌う『あなた』はかなりつらいものがありました。

前作『だんだん』での『赤いスイートピー』といい、どうもNHKのこの枠のスタッフとは音楽に関して趣味が合わないようで、“流行ってた記憶はあるけど、リアルタイム当時から好きになれなかった”曲ばかりが特にフィーチャーされる感じ。

先週おもしろかったのは、ソロバン丸山伸子さん(松本さん)・隼人くん(本山葵さん)親子が川越キネマに住むようになった経緯や、丸山の前夫(太川陽介さん)が借金苦からの最後の一発逆転をかけアマゾンの奥地に行くという話をつばさ(多部未華子さん)に語る斎藤興業社長(西城秀樹さん)の隣の、ステージの譜面台?に、どう見ても『ヤY.M.C.A.に見えるモノがずっと掛かっていた場面でしょうかね。体調最悪だった頃に比べると西城さんも体型がだいぶ持ち直しているので、着て見せて歌ってくれるってのは逆にあんまり芸がなさ過ぎるから、「広げたら本物の普通の星条旗だった」なんてオチはつかないかなと思ったら、放置プレイでした。

西城さん(デビュー72年)、太川さん(同76年)、松本さん(同83年)と、各年代の鳴り物入りアイドルの、中年になってからの身過ぎ世過ぎ…じゃなくて、それなりの不撓不屈ぶりを鑑賞するウィークだったかな。

西城さんは今週に入ってからも、「やめろ!…っと言われても、いまでは遅すぎた。」のセリフに合わせて丸山とロナウ二郎(脇知弘さん)があの“フタ開けアクション”をやってくれたり、結構製作側に手厚く遇されていると思います。たぶん西城さんのアイドル時代のファン層、『あこがれ共同隊』や『寺内貫太郎一家』『花吹雪はしご一家』などを食い入るように見ていた層がいちばんいま朝ドラにとって“欲しい”お客様なのでしょう。

今週はつばさ幼なじみ兼彼氏の翔太(小柳友さん)の、川越キネマ下宿が引き起こす騒動メインになる模様。麻子女将(井上和香さん)と父(石橋蓮司さん)の週辺りから興味深いのは、翔太というキャラの“触媒化”ですね。

ヒロインの本命ロマンティック王子さまというより、「コイツに何かあると、新しいドタバタが巻き起こりますよ」という“サイン”みたいなのよ、翔太って。“まじめで不器用で純情で、母親思いで義理堅い”性格自体が、何かあったらとにかく外へ向かってハジける!タイプ揃いの物語世界においては、一種の台風の目になっている。

何かの職業を志して、故郷の初恋の人と別れ、あるいは努力する過程で運命の人と出会い、艱難辛苦、刻苦勉励、波乱万丈の末結局結ばれて家庭を築き、最終話でハッピーエンド…という、“頑張る女性の半生記”式の朝ドラとは90°ぐらい様変わっています。

昼ドラにおけるヒロイン相手役男性の、“女性キャラの強力磁場に翻弄され、善意で状況ややこしくする担当”に近いようでやはり違う。

いずれにせよ視聴者目線に立った場合「ヒロインがあの人と連れ添い幸せになれますように」と、時には涙とともに願いつつ観る必要はまったくないようです。いま風の若者らしからぬ高見山系のモミアゲなど、「王子さまではなくおもしろ方向への、指差しサインキャラですよ」という暗黙の自己申告だったのかも。

朝ドラにおける恋愛要素の、これだけはっきりした“相対化”は、賛否あるでしょうが月河は大歓迎ですね。人生、特に妙齢女性の人生において「ドラマティックなことは“恋愛”と“家族”以外には無い」という、戦後平和期以降舞台の朝ドラで底流をなしてきた世界観はもう通用しないと思う。通用するかもしれないけど、個人的に興味ないし。

家族もおもしろい、彼氏もおもしろい、同性友達もご近所さんも、職場仲間もみんな等距離で“おもしろくてヘンな人”という、『つばさ』の世界、かなり好きです。

そうは言っても短大卒業したばかりの、お年頃可愛い子ちゃんヒロイン。誰かとくっつかなきゃオサマリが悪いという向きは、鈴本スーパー跡取りの俊輔(三浦アキフミさん)か?元ストーカーロッカー・正太郎(ROLLYさん)が野望達成か?はたまたやもめの真瀬ラジぽて社長(宅間孝行さん)と子持ち年の差ゴォォルか?いやいっそ斎藤興業秀樹社長が、加乃子で果たせなかった青春の夢を娘の代でゲットか!……何とでも想像が可能。

ロスタイム大逆転で、つばさにグルメレポーターの才能を見出してもらったロナウ二郎と、なんてことはないかな。

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“マニンゲン”も死語?

2009-06-23 00:25:24 | 夜ドラマ

『刑事一代・平塚八兵衛の昭和事件史』20日(土)の前篇を観たらしい高齢家族がすっかりはまってしまい、「後篇はぜひHDDに最高画質で録画を」とリクエストがあったので予約。

リアルタイム放送じゃないと字幕が消えますが?と念を押したら、「放送も見るけど、途中で寝ちゃうかもしれない(←放送時間~2324)から保険」とのこと。昭和23年(1948年)の帝銀事件となると、さすがに終戦直後だし、当然TVもない時代の、東京からは遠い地方在住、しかもウチの高齢組といえども当時は子供過ぎて、リアル記憶がないようですが、昭和38年(1963年)の吉展ちゃん事件辺りは、「一時は新聞が事件一色だった」という、当時の報道に接しいろいろ思うところはあった模様。

月河本人は、2150頃中途参入。渡辺謙さんが平塚八兵衛さんを演じるという以外何の予備知識もありませんでしたが、取調室に入って、出て行く場面の萩原聖人さんの、片足に全重心をかけて、身体の残りを人生ごと引きずって前に進むような歩き方を見て、これは小原保だ!とすぐにわかりました。

小原役と言えば、月河は79年の土曜ワイド劇場枠での泉谷しげるさんがいまだに忘れられません。リアル小原保が、窃盗で収監されていた前橋刑務所から、当該誘拐事件取調のため平塚さんと向き合っていた昭和40年(1965年)当時32歳だったのに対し、泉谷さんドラマ当時31歳、今作の萩原さんは38歳なのですが、萩原さんのほうがずっと若く見え…と言うより、当時の泉谷さんが反則的に年がいって見えました。当時はゴリゴリの反骨フォークソングの人というイメージで、映画ならともかくお茶の間TVのドラマなどまず出るはずのない人だと月河が勝手に思っていたので、サプライズ感で一層容貌魁偉に見えたのかもしれません。

たぶんリアル小原も、出生や経歴を考えると実年齢より老けて見えるタイプだったような気がする。昭和3040年代初期の32歳と、いまの32歳とでは世間が抱くイメージも違いますし、泉谷さんのアレと比べられてはあまりにアンフェアで、萩原さんに失礼ですね。萩原さんも外見年齢を超越して、コンプレックスと虚勢、怯えと驕り、開き直りと甘ったれ、残忍さと傷つきやすさ、複雑なパーソナリティーを見事に演じられていたと思います。何よりあの、“見えない足枷鉄球を装着されて生まれてきたよう”な歩き格好ひとつで、月河も“前夜から組”の高齢組と同体温でクギ付けにされましたから。

一方主演の渡辺謙さんは、演技うまいとか適役かどうかなんてことをすっ飛ばして、もう貫禄ですな。貫禄の一言。昭和50年、三億円強奪事件が時効を迎える前後のリアル平塚さんならば、ワイドショーのいくつかで月河もお顔を見た記憶がありますが、ルックス的に渡辺さんに近い要素はひとつもありませんでした。何よりあんなに長身(プロフィール184センチ)ではなかった。

ところが、渡辺さんの平塚八兵衛、シーンを重ねるほどに、見れば見るほど平塚さんの雰囲気に近づいてくるんですよね。身長が縮むはずなどないのに、椅子に腰かけて立ち上がるとき、歩いていたのが小走りに変わるとき、同僚なり容疑者なり、人に話しかけようとして顔の向きを変えるとき、演技のセリフの訛り方がうまいとかそういう範疇じゃなく、人としての“地”の部分がものすごく“あぁ、平塚さんてこんな感じの人だったな”という説得力がある。

力のある役者さんが、ホンを読んで読んで読み込んで、役の人物を、「よし、来た…来た…いまだ!」エイッ!と自分に引き寄せるとこういう磁場が生まれるんですね。

小原の勾留取調べ期限最終日、最後の藁一本=声紋鑑定のためにFBIに送る録音テープを机の下で回しつつ、「オレたちも名残惜しいんだよ」「オマエが前橋に帰る前に、少し無駄話でもしようと思ってな」と小原を油断させ、小原に「何だか様子が違うな、この刑事さん(=山本耕史さん演じる草間刑事)が調書取ってねぇし」と訝しがられると、「いや~それもそうだな、じゃオマエ(←草間に)、そこ座って落書きでもしてろや」と笑って流す場面は、“落とした”瞬間の場面よりもぞくぞくしました。脅したりすかしたり、小原の実家母の土下座を迫真の再現したりする“熱く激しい”テクニックより、リアル平塚さんの刑事としての真骨頂はこういう“洒脱で人肌”なところにあったんだろうなという気がする。

役を引き寄せて、掴んで、絶対放さない。小原役の萩原さんにも言えることですが、こういうチカラワザは男の俳優さんならではですね。事件もの警察ものと言っても、最近はクチあたりのいい、“小分け”に盛りつけたようなやわらか志向のドラマが多い中、久しぶりに、いい意味で男っぽさドカ盛り、骨っぽい歯ごたえの作品を観たと思います。

『相棒』なら亀山に相当するのか、吉展ちゃん事件で平塚さんとコンビを組んでとことん歩き回った石崎刑事役の高橋克実さんも素晴らしかったですね。取調べ中、痛み止めを服む描写などもあったので、この人たぶん…と思ったのですが、病床で奥様に腕を支えられて特別表彰状を受け取る最後の場面で「せめても生きている間に間に合ってよかった」と心から思えました。

それなりに減量されたようですがあのおニギリみたいな丸顔で末期癌設定もどうなのかしらと思ったら、大きめサイズの制服をわざと素肌にブカブカに着て、痩せさらばえ感を出した。ロバート・デ=ニーロみたいにいちいち本当に肥ったり痩せたりしなくても、演技で病人になることぐらいじゅうぶん可能なんですよね。

事実に基づいているとは言えもちろんフィクションのドラマですから多少の脚色はあったでしょうが、昭和の事件は、たとえ凶悪でも、残忍でも、“人間の顔”をしていたんだなとつくづく思います。

黙秘を続けていた容疑者が、田舎の母親の話を引き合いに出されて泣きながら“落ち”たりぐらいはまだあるかもしれないけれど、刑事がみずから、落とした凶悪犯に自宅の糠漬けを差し入れたり、死刑囚が刑事に「真人間になって生まれ変わってきます」と言伝てしたりなんてことは、昭和のあの時代だったからこそという気がする。

犯罪者と、犯罪者を追い詰める刑事と、立場は対極でも“人であること”を共有できた。物質的には貧しくとも、ある意味豊穣な時代だったのかもしれません。

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すばらしき世界

2009-06-21 20:27:03 | CM

日頃、気に入って、もしくは気になってレギュラーチェックしているTV番組、特にドラマは99.9999…%録画再生視聴」という習慣が身について20年近くになるわけですが、これでいいのかなぁ?と思うこともあります。

単純に「TV観過ぎだ」とは考えません。いくら月河とても地球で暮らす以上一日は平等に24時間しかありませんし、その間に睡眠も取らなきゃならない、食事作って食べて食べさせて片付けて入浴もして、その上、困ったことに仕事もしなければなりませんから、TVの録画視聴に割ける時間は限られていて、一定以上の時間・タイトル数は、時空が歪みでもしない限り物理的に観られません。

このブログを始めてからは特にPCと向き合う時間も割り込み式に増えて来ましたし、在宅時間の長いウチの高齢組なんかと比べると、全然TVと疎遠な人間です。特に各種スポーツ中継やニュース報道、最近は少ないのかもしれませんがワイドショー的な情報バラエティ番組などは、週に1回か2回、それも片手間に背中で音声だけ聴くのみです。“TV漬けの人”ではまったくない。

これでいいのかなぁと思うのは、選んで観る放送番組が“放送されてそれっきり”の一期一会でなく、もう一度あの場面を見たい、あそこで誰某が言った台詞をもう一度聴きたいと思ったとき何度でもリピートできるのが当たり前の環境だと、“一度っきり”を捉えて反応し記憶する“視聴瞬発力”みたいなものが減衰するんじゃないかという危惧なんです。

先日、TVBros誌上の広告で見かけて気になっていたちょうどその折り、「絶対役に立つから」と知人にすすめられて『ザ・テレビ欄 19751990』(テレビ欄研究会編著、TOブックス刊)という本を入手しました。

表題の16ヶ年分、4月期と10月期の各一週間(改編SPが多くイレギュラーになりがちな第1週を避け、第2週を収録するという細かい配慮もあり)合計224日分の、新聞TV欄番組表を縮刷して時系列で並べ、各ページの柱に1番組だけ解説コメントをつけたのみの、シンプルと言えばシンプルな書物です。

オビで大槻ケンヂさんが「ここにあの頃のすべてがある!/ここ以外のどこにある?」ともろ手を上げて賞賛しておられる通り、この本から読めること、わかってくること、わかったら言わず書かずにいられないことどもは十や二十ではすまないので、後日時間をかけてゆっくり付き合っていくとしまして、ことTVに関して“19751990”で個人的に大きな転機だったと思う年は1984年(=昭和59年)。それもたぶん6月のボーナス期だったと思います。

このとき自宅にビデオデッキがやって来ました。おぉ憧れのビデオ。夢のビデオ。

V社製の、“8時間留守録プログラムセットできる”が売りのVHSで音声はモノラル、それも学生時代に生協で買った14インチのTVにつないだものですから、デジタルハイビジョン放送&デジタル録画が当たり前になったいまからすると笑っちゃうくらいうすらぼやけた画質でしたが、とにかくTVが、放送されている時間帯に在宅して、TVの前に座っていなくても視聴できるものになった”ということは大きな、とてつもなく大きな意味があったと思います。

「とにかく試運転を兼ねて、何か留守録してみよう」と、初めてプログラムセットした“処女作”は、当時当地ローカル日本テレビ系で平日午後400台に再放送していた『太陽にほえろ!』で、本放送ではすでに殉職済みのロッキー(木之元亮さん)たちの活躍を土曜の夜再生して「あぁ(録画)できてる、できてる」と喜んだものです。

しかし、“TVは録画で観るもの”が定着したいま、『ザ・テレビ欄』の、844月期以前の“一度っきり時代”の番組表をめくると、結構鮮明に覚えている番組タイトル、ドラマならキャスト名、場面、台詞、主題歌やOPテーマ曲のメロディがあったりするんですよね。

「いま見逃すと、もう二度と見られない、会えない」という緊張感をもってTVと接し、観たい番組、見たいアイドルや俳優さんのためだけに万障繰り合わせてTVの前に座っていたあの頃には、TVというもの自体にいまはない輝き、有り難味があったと思うんです。これは、もう取り返せない輝きかもしれない。

ビデオ以前の、たとえば1982410日(土)午後900、そうだこの頃はテレ朝系『土曜ワイド劇場』に対抗してTBS系『ザ・サスペンス』って枠もあったんだっけ。『陽のあたる場所 ~野望の階段をかけあがる青年の愛と殺意~』主演沢田研二に夏目雅子・森下愛子・世良公則・北村和夫・平田昭彦・佐々木すみ江・杉田かおる……コレ観たくてダッシュで帰宅したのに、実家父母が『松本清張の風の息・事故か!謀略か!三原山もく星号墜落の謎』主演栗原小巻・根津甚八に関根恵子(現・高橋惠子)、中谷一郎・中野誠也…を観てて、ついついこっちに流れたんだっけ。いまなら何のためらいもなく“片方録画”だけどなぁ。

ひょっとしたら、一方をリビングでHDD録画、もう一方を寝室でVTR録画して、カラダは残業か、ビール飲みに行ってるかも(爆)。

月河個人では846月ですが、TVが“観られるときに、何度でも観ればいい”モノになる前と、なった後。

たぶん個々人で、TVの有り難味、視聴印象の鮮明度、そして視聴時の“反応・記憶瞬発力”。かなり違ってきているのではないでしょうか。

…ところで『太陽にほえろ!』と言えば、最近缶コーヒーBOSS”レインボーマウンテンブレンドCMで、ゴリさん(竜雷太さん)、殿下(小野寺昭さん)、テキサス(勝野洋さん)、ロッキーが勢揃いしていますね。主役?のトミー・リー・ジョーンズは相変わらず“宇宙人”で“新米”のようですが。

でもって、“ボス”=亡き石原裕次郎さんに代わりモノマネの石原ゆうたろうさんがブラインドびろーんしているのが何とも。テキサス勝野さんはまだどうにかブリーチジーンズの上下がサマになってますが、お父さん役やお爺ちゃま役でおなじみになってきた皆さんは、特に頭髪の造作が色、形ともに若干大変だったかもね。

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発光する爬虫類

2009-06-20 16:10:01 | 夜ドラマ

『夜光の階段』最終話(18日)は、なんだか釈然としないと言うか、佐山道夫(藤木直人さん)の土壇場での内面の揺れを説明しようとし過ぎてスカっちゃったような結末になってしまいました。過去3度の『夜光~』ドラマ化と様変わって、今回は佐山が生きて逮捕される結末になるらしいと聞き、これは新機軸かも!と、かなり期待は保ちつつ観たのですがね。

やはりこのドラマ、福地フジ子(夏川結衣さん)が、昔、九州で不倫の子を身ごもり、堕胎手術で子を産めない身体になった上に男にも逃げられて絶望に臥していた病院のベッドに「元気を出して」とお地蔵人形を置いてくれた名も知らぬ優しい保険外交員が、名を変える前の佐山だった…というロマンティックな設定が決定的に余計だったと思う。程なく天拝山で女を殺して逃亡することになる、冷血アモラルな佐山にも、病院看護師たちに「あの患者さん自殺するかも」と噂される見知らぬ傷ついた女性を哀れと思う人間らしさはあった、ということにしたかったのか。

フジ子は改名前の佐山の名を調べ、上京後もずっと消息を追っていたということなのですが、以前にここで昼帯『夏の秘密』『金色の翼』関連でも書いたように、「実は、ドラマ現在時制開始前に、人物同士こんな関わりがあり、現在時制の感情の拠って来たるところはぜんぶその過去からだったのです」が後半で明かされるというのは、大小いろいろなベクトルの一本だけならいいけど、主要人物の情念の根幹をまるっとそれにすると、えらく白ける。

やはり“数字の見込める大物イケメン”藤木さんを主役に持ってきた以上、人としての長所が美貌以外にひとっつもないゴリゴリの悪党にはできないし、若さのピークは過ぎたとは言えまだまだ熟れ頃の美人女優夏川さんを、利用されてヤバくなったら湖底に沈められる色ボケアホ女にもできないという大人の配慮が足を引っ張ったか。

女たちの誇る財力や人脈や地位を利用するだけ利用してのし上がっていくつもりだったのに、メスとして自分のオスの部分を独占したがる女たちに結局振り回され、次々手にかけていくしか逃げ道のなかった愚かな色悪もどき。最後に利用した女が、不幸にして、身を捨てても自分を愛し抜いてくれる聖母だった。愛を信じないことで生き延びてきた佐山は、清らかな水では生きられぬ泥棲爬虫類のように、フジ子の愛で滅びたのです。

86年の辰巳琢郎さん版だったと思いますが、こちらでは、沈めたフジ子が最後の力をふりしぼって佐山の衣服(足首だったか?)を掴み、振り切ろうとしてもつれるうち佐山自身も水底で息絶え、2人つながったまま溺死体として警察が引き上げます。10余年佐山を追って、寸前のところで水上に逃げられ逮捕ならなかった検事と刑事(事務官だったか?)の、「自分も他の女たちのように佐山に殺されると気づいたフジ子が、佐山の身体を掴んで放さなかった。その力は何だったのでしょう?」「…」「愛、でしょうか?」「……そう思いたいね。そうでなければ浮かばれん」という会話がいまも記憶に残っています。捜査・司法の側を含め、誰も勝たなかった。このほうがずっと深い苦味のあるエンドマークです。

愛を信じなかった男が愛で滅びる、という骨子は共通していますが、恐らくは藤木佐山が、溺死体ではなくきれいな顔のまま警察の門に立つラストに持って行くために、若干小細工し過ぎた。ま、キャスティング以前に、過去3作いずれも単発2時間枠でまとめられてきた原作を、根本的な翻案でなく9話の連続ものに引き延ばしたらどういうことになるか、勝敗は最初から決していたような気もしますが。

ラスト1話前に、男と逃げてどこかに消えたか死んだかと思っていた佐山母(柏木由紀子さん)を出してきたのも何だったんでしょうね。男のワルがワルくなる出発点に、ともすれば問題のある母親との確執を置く物語作りも、もういい加減うんざりです。人間、とりわけ男子の幼少時の人格形成や、思春期以降の性嗜好に母親の影響が最も大きいことなど「はいはい、だから?」。……大詰めで佐山のかわいそうな事情や、自分を捨て去った母でも死期が近いと聞けばもてなし安心させてやりたい、人間らしい心を見せようとでもしたのでしょうか。キャラ造形の帳尻合わせとしてもタイミングが遅いし、やり方も強引で稚拙。

松本清張さんの著作歴を調べてみますと、この原作は1969年から70年にかけ、約1年半にわたって週刊新潮に連載されていますね。月河が住んでいたような地方と、東京のど真ん中とでは事情が違うかもしれませんが、昭和4445年当時は、女性の髪を、男性がプロとして切ったり結ったりするというイメージは、芸能ファッション関係者ならいざ知らず、庶民には非常に珍しいものでした。

男に技術や才だけあってカネがなく、女のほうにカネや地位があって、男が女の歓心を買ってカネを引き出し地位を得ていくという図式も、いまならホストクラブならずとも頻々聞く話ですが、女性の地位や学歴が男性に比べ圧倒的に低く高年収の仕事も得にくかった時代に、清張さんはよくこのお話を構想できたなと思います。清張流のマムシのような取材眼で、高度成長期の東京は青山近辺を歩き、そっち方向の時代の萌芽を見出したのか、あるいは江戸爛熟期の文化のひとつ“封建支配階級婦人たちの役者買い・相撲力士買い”あたりにヒントを得た作家的想像力の産物だったのか。

“実は国家試験通ってなかった”という噴飯な事案まで輩出した、記憶に新しいカリスマ美容師ブームのずっと前から、美容室のチーフや店長クラスが男性というのは当たり前になっており、物語の“地合い”を、執筆後40年を経た現代にスライドさせるのもかなり難儀だったかもしれません。“野望のために女に奉仕する”ということに付きまとう“翳”が、現代にしてしまうとどうにも足りないんですな。当たり前になってるんだもの。

ここらは原作通りか、今作限定の付け足しかわかりませんが、佐山は天拝山事件の前は福岡で家具職人見習いをしており(←博多出張時遭遇したタクシー運転手の回顧)、そこを辞めてから佐賀で有田焼の職人になり(入院中のフジ子に名を告げず贈った地蔵人形は佐山の自作)、それも辞めて保険外交に転じたということになっている。もともと手先が器用で、“何かになるなら職人に”と志向する人間だったということなのでしょうが、幾許の美的センスは持ち前のもので、東京に逃れて美容師の道に進む前か後か、“自分に髪を触れられ、褒めそやされて女性が美しくなり喜ぶ”という快感を知り、「これで天下を取れるかも」という手ごたえをつかんだはず。

終わり間際になって生き別れの母親と再会させたりしてる尺があったら、佐山が天拝山時代の、行き当たりばったりの攻撃性から“先を読み打算するワル”に目覚めていく、そのプロセスをドラマ化してほしかった。「あの作品なら、あんなところ、こんなところがおもしろがりどころなのに」と月河が思った箇所と、今作の製作側が「こことここと、こういうところを味わい、萌えてほしい」と狙った箇所が一致しなかったんでしょうね。4月季の夜のドラマでは唯一期待して録画続けていたので、いささか残念な9週間でした。

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