イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

“マニンゲン”も死語?

2009-06-23 00:25:24 | 夜ドラマ

『刑事一代・平塚八兵衛の昭和事件史』20日(土)の前篇を観たらしい高齢家族がすっかりはまってしまい、「後篇はぜひHDDに最高画質で録画を」とリクエストがあったので予約。

リアルタイム放送じゃないと字幕が消えますが?と念を押したら、「放送も見るけど、途中で寝ちゃうかもしれない(←放送時間~2324)から保険」とのこと。昭和23年(1948年)の帝銀事件となると、さすがに終戦直後だし、当然TVもない時代の、東京からは遠い地方在住、しかもウチの高齢組といえども当時は子供過ぎて、リアル記憶がないようですが、昭和38年(1963年)の吉展ちゃん事件辺りは、「一時は新聞が事件一色だった」という、当時の報道に接しいろいろ思うところはあった模様。

月河本人は、2150頃中途参入。渡辺謙さんが平塚八兵衛さんを演じるという以外何の予備知識もありませんでしたが、取調室に入って、出て行く場面の萩原聖人さんの、片足に全重心をかけて、身体の残りを人生ごと引きずって前に進むような歩き方を見て、これは小原保だ!とすぐにわかりました。

小原役と言えば、月河は79年の土曜ワイド劇場枠での泉谷しげるさんがいまだに忘れられません。リアル小原保が、窃盗で収監されていた前橋刑務所から、当該誘拐事件取調のため平塚さんと向き合っていた昭和40年(1965年)当時32歳だったのに対し、泉谷さんドラマ当時31歳、今作の萩原さんは38歳なのですが、萩原さんのほうがずっと若く見え…と言うより、当時の泉谷さんが反則的に年がいって見えました。当時はゴリゴリの反骨フォークソングの人というイメージで、映画ならともかくお茶の間TVのドラマなどまず出るはずのない人だと月河が勝手に思っていたので、サプライズ感で一層容貌魁偉に見えたのかもしれません。

たぶんリアル小原も、出生や経歴を考えると実年齢より老けて見えるタイプだったような気がする。昭和3040年代初期の32歳と、いまの32歳とでは世間が抱くイメージも違いますし、泉谷さんのアレと比べられてはあまりにアンフェアで、萩原さんに失礼ですね。萩原さんも外見年齢を超越して、コンプレックスと虚勢、怯えと驕り、開き直りと甘ったれ、残忍さと傷つきやすさ、複雑なパーソナリティーを見事に演じられていたと思います。何よりあの、“見えない足枷鉄球を装着されて生まれてきたよう”な歩き格好ひとつで、月河も“前夜から組”の高齢組と同体温でクギ付けにされましたから。

一方主演の渡辺謙さんは、演技うまいとか適役かどうかなんてことをすっ飛ばして、もう貫禄ですな。貫禄の一言。昭和50年、三億円強奪事件が時効を迎える前後のリアル平塚さんならば、ワイドショーのいくつかで月河もお顔を見た記憶がありますが、ルックス的に渡辺さんに近い要素はひとつもありませんでした。何よりあんなに長身(プロフィール184センチ)ではなかった。

ところが、渡辺さんの平塚八兵衛、シーンを重ねるほどに、見れば見るほど平塚さんの雰囲気に近づいてくるんですよね。身長が縮むはずなどないのに、椅子に腰かけて立ち上がるとき、歩いていたのが小走りに変わるとき、同僚なり容疑者なり、人に話しかけようとして顔の向きを変えるとき、演技のセリフの訛り方がうまいとかそういう範疇じゃなく、人としての“地”の部分がものすごく“あぁ、平塚さんてこんな感じの人だったな”という説得力がある。

力のある役者さんが、ホンを読んで読んで読み込んで、役の人物を、「よし、来た…来た…いまだ!」エイッ!と自分に引き寄せるとこういう磁場が生まれるんですね。

小原の勾留取調べ期限最終日、最後の藁一本=声紋鑑定のためにFBIに送る録音テープを机の下で回しつつ、「オレたちも名残惜しいんだよ」「オマエが前橋に帰る前に、少し無駄話でもしようと思ってな」と小原を油断させ、小原に「何だか様子が違うな、この刑事さん(=山本耕史さん演じる草間刑事)が調書取ってねぇし」と訝しがられると、「いや~それもそうだな、じゃオマエ(←草間に)、そこ座って落書きでもしてろや」と笑って流す場面は、“落とした”瞬間の場面よりもぞくぞくしました。脅したりすかしたり、小原の実家母の土下座を迫真の再現したりする“熱く激しい”テクニックより、リアル平塚さんの刑事としての真骨頂はこういう“洒脱で人肌”なところにあったんだろうなという気がする。

役を引き寄せて、掴んで、絶対放さない。小原役の萩原さんにも言えることですが、こういうチカラワザは男の俳優さんならではですね。事件もの警察ものと言っても、最近はクチあたりのいい、“小分け”に盛りつけたようなやわらか志向のドラマが多い中、久しぶりに、いい意味で男っぽさドカ盛り、骨っぽい歯ごたえの作品を観たと思います。

『相棒』なら亀山に相当するのか、吉展ちゃん事件で平塚さんとコンビを組んでとことん歩き回った石崎刑事役の高橋克実さんも素晴らしかったですね。取調べ中、痛み止めを服む描写などもあったので、この人たぶん…と思ったのですが、病床で奥様に腕を支えられて特別表彰状を受け取る最後の場面で「せめても生きている間に間に合ってよかった」と心から思えました。

それなりに減量されたようですがあのおニギリみたいな丸顔で末期癌設定もどうなのかしらと思ったら、大きめサイズの制服をわざと素肌にブカブカに着て、痩せさらばえ感を出した。ロバート・デ=ニーロみたいにいちいち本当に肥ったり痩せたりしなくても、演技で病人になることぐらいじゅうぶん可能なんですよね。

事実に基づいているとは言えもちろんフィクションのドラマですから多少の脚色はあったでしょうが、昭和の事件は、たとえ凶悪でも、残忍でも、“人間の顔”をしていたんだなとつくづく思います。

黙秘を続けていた容疑者が、田舎の母親の話を引き合いに出されて泣きながら“落ち”たりぐらいはまだあるかもしれないけれど、刑事がみずから、落とした凶悪犯に自宅の糠漬けを差し入れたり、死刑囚が刑事に「真人間になって生まれ変わってきます」と言伝てしたりなんてことは、昭和のあの時代だったからこそという気がする。

犯罪者と、犯罪者を追い詰める刑事と、立場は対極でも“人であること”を共有できた。物質的には貧しくとも、ある意味豊穣な時代だったのかもしれません。

コメント
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