イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

やっちゃっ棚

2009-06-12 20:55:25 | ミステリ

『夏の秘密』で伊織の部屋の本立てを物色し、ページヒラヒラさせたり、ハードカバーを函から出してみたりする紀保さんを見ていたら、年に一~二度来る“書棚整理熱”に浮かされてきて、んでもってこの熱に任せて動き出すといつもそうなるように、奥から出てきた本に読みふけって整理どころではなくなってしまいました。

そういうとき決まって嵌まってしまうのがパトリシア・ハイスミスの諸作で、読みはじめたら絶対途中でやめられません。初読のあと10年以上も放置していた作品もあるし、二度三度読み返して記憶が比較的新しい作品もありますが、「あぁ、こうだった、この後ああなるんだった」と思い出した時点で「よし、もういいや」とはならない。何度読んでも読むたびに発見があるし、面白い。

先日から『アメリカの友人』(74年作、邦訳92年刊)で書棚整理完全にストップ。棚だけに棚上げ。座布団持ってって。それはどうでもいいのですが、ヴィム・ヴェンダース監督が同じタイトルで77年に映画化していて、確か念願かなって観たのが88年の秋、本書はその4年後に入手して読んだのが初読のはずです。

1921年生まれのハイスミス女史は、90年代に入ってからの日本での翻訳・改訳刊行ラッシュを見届けて、あるいは風のたよりに聞いて、安心したか北叟笑んだかわかりませんが、とにかく見澄ましたように957月に亡くなっています。

死因が白血病だったことを知った上で『アメリカ~』を読み返すと、主人公のひとりである額縁職人ジョナサン・トレヴァニーの心理が一段と興趣深く、かつ神経の或る部分を逆さに掴み上げるようなリアリティをもって伝わってきます。

74年に発表されたこの作品執筆の前ぐらいに、女史もトレヴァニー同様白血病を発症し、あるいは疑いを持たれて精密検査や投薬を受けたのではないでしょうか。

白血病に間違いないという診断は受けたが、いまいま今日明日のうちに死ぬわけではない、しかし概ね6年から8年、長くて12年の余命という宣告。「多くの人にとって、死への道はなだらかな小道だが、自分の死は崖から落ちるようなものになるだろう」、余命を告げられた後、すべてをカミングアウトした上で、相手の女性が諒解してくれて結婚し、息子をもうけたが、「この子が大学へ進み、成人する頃には、自分は間違いなく生きていないだろう」とときどき反芻再確認する乾いた諦めなど、小説家として医師や病院から取材しただけとは思えない、非常に削ぎ落とした現実感がある。

しかし、ハイスミスが凄いと思うのは、この小説が“余命が限られていると悟って道を踏み外していく人間の心理と行動”という、それだけで十分重い、しかもみずからの実体験に根ざしている可能性が高いモチーフを、主体にせず思いっきり客体化しているということです。

この作品の主人公はトレヴァニーひとりではなく、彼を「あの男は先がない、金まわりも不如意だ、ならば危ない仕事(=殺人)を依頼すれば応諾するだろう」と見込んだトム・リプリー(←ご存知、映画『太陽がいっぱい』の主人公ですが、ハイスミス原作の世界観では“あの”事件はきれいに逃げ切り、“あの人”とは別の富豪令嬢と結婚し優雅な生活を送っています)でもある。不労所得で趣味の絵画や庭造りの趣味三昧なトムが、ある会合で紹介されたトレヴァニーから「とかくの噂のある、遊んで暮らしてる男」というニュアンスで話しかけられたことを微量、不快に思い、リーヴズ・マイノットという既知の密売ブローカーから「前科のない男を知らないか」と持ちかけられたときに、彼の名を出すのです。

 しかも、トレヴァニーが高額報酬により釣られやすいように、彼の友人から「本人が告知されている以上に、病気が進行しているらしい」という噂を耳に入れさせ動揺させる。

 これだけならトムは血も涙もない悪党のようですが、トレヴァニーが結局、息子と妻にまとまった金を遺せる誘惑に屈して、素人には難題の列車客室内での、ボディーガードを従えたマフィア幹部殺害を引き受けると、現場にいきなり現れて手を貸しもするのです。トレヴァニーの名をブローカーに教えたのは自分だから、彼が仕事にしくじって返り討ちに遭ったり、露見して警察に拘束されたり、あるいは望みの報酬が約束通り得られないような事態になっては申し訳がないし気の毒だ、という、彼独特の義侠心のあらわれでもある。

 コイツ何考えてるんだ?と思いつつも、読み進むうち読者は自然とトムの視点になって、トレヴァニーがうまいことやりおおせますように、金も手に入れられますように、と願って読み、事態を見守っている自分に気づくのです。

 凡百の作家、作品なら、主体にして終始するモチーフや人物の設定を、ハイスミスは“外から観察すべき客体”として解剖台に引きずり出し、あるときは客体内部、またあるときは高度をもった俯瞰で、複数の角度からつぶさに切り取り標本化していく。多くは犯罪や、法に触れる行為、あるいはアブノーマルな、他人に知られたくない性癖などを主に採り上げた作品でも、ハイスミスの作品がどこか風通しよく、アンハッピーな結末に終わっても一抹の爽快味・痛快感があるのは、“どんな人間も一方的にワルかったり、一方的に可哀想だったり、一方的に謹厳実直だったりするわけではない”という、逆説的な言い方ですが“救い”が含まれているからだと思います。

ハイスミスの作品はむしろよく「救いがない」「底意地が悪い」「カタルシスや、解決した感がなく、後味が苦くエグい」と評されがちですが、たぶんそう評するのは、人間の明朗さや、善意なら報われるという予定調和を、無理しても信じたいまだ若い年代の読者か、あるいは辛酸をなめ尽くして、人間を猜疑し見切りをつけることに疲れ果てた高齢の読者でしょう。

 善意の衣の下に悪意を、悪意と悪意の襞に善意を、自覚が有る無しに関係なくたっぷり抱え持っているのが現実の人間だからこそ、ハイスミスの作品は何度読んでも新鮮で、サプライズとエキサイトに満ちている。『アメリカ~』も、トレヴァニーの拙い嘱託殺人の顛末と彼自身の命運、高額報酬の行方、だいたい記憶しているんだけど、やはりラストまで読まないわけにいかないなぁ。

 さてと、『夏の秘密』も見逃せないのだ。本日第10話。伊織(瀬川亮さん)のDNAサンプルを採取しようと仕掛けた紀保(山田麻衣子さん)の、“ドレスでワイン”お色気作戦見事に失敗の後、思いがけず本音を曝け出し合った2人が翌朝、工場の前で鉢合わせ、おはようの挨拶も言えないバツの悪さもさめやらぬうちに、工場から今度はフキ(小橋めぐみさん)が出てきて、紀保の昨夜の挙動を探り出す素振り…という場面の緊張感がよかったですね。

 紀保と伊織、いままで何度か2人きりの場面はあったものの、“サムシング色っぽい”雰囲気が一貫して希薄で、何か起きるぞこの2人!と思えたことはありませんでしたが、脅しでも一度組み敷いた、跳ね除けて刃物を向けたという以上に、事件への怒りと苛立ちを他人に向けて吐き出したという経験が色っぽさを醸し出したのだと思う。初対面は風呂場で裸でしたが、この一件で心が裸になったのです。だから翌朝、そこはかとなくバツが悪いわけ。

 「昨夜伊織さんとこの人、何かあった」と睨んだフキが間髪入れずに登場したから、余計危うい雰囲気が出せたとも言える。男と女、下種な興味半分で嗅ぎ回ったり想像をたくましくしたり、あるいはやっかんだり悋気したりする人物が近くに誰もいないと、色っぽくなりようがないものですからね。

 昨日の9話で初めて声を出し台詞を発したひきこもり理工学博士・柏木(坂田聡さん)は、大学時代から通算20年近く夕顔荘に居座っているという設定ですが、引きこもってる振りをして廊下で動きがあるたびに引き戸の敷居付近に匍匐し様子を窺っているし、定職もなさげなのに家賃や水道光熱費滞納してる描写もないってことは、誰かに雇われた密偵かな。『金色の翼』の絹子刑事の例もありますしね。某国工作員だったりして。

コメント (2)
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