イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

オヒメサマみたい

2009-06-28 17:45:29 | 昼ドラマ

『夏の秘密』4週=~第20話は、前週よりちょっと引きの弱い週末になってしまいました。殺されたみのりが手を染めていた“ヤバいこと”は、顔を変える整形資金工面のための、薬物横流しだったらしいのですが、どうにかして加賀医師(五代高之さん)からカネを強請り取りたい護(谷田歩さん)が匂わせていたように、この話自体、加賀が自分の横流しを死んだみのりの仕業にするためのウソという可能性も残されていますね。

引きがもうひとつなぁ…と思ったのは20話のラストシーン。浮舟で蔦子(姿晴香さん)が使っていたのと同じガラスペンと青色のインク、みのりが殺害される前、誰かに手紙をしたためていたらしいことを知って「なんだか怖い…」と紀保(山田麻衣子さん)が伊織(瀬川亮さん)の腕に手を載せ、伊織が自分の手を重ねて、みのりの部屋だった6畳間で2人佇んで終わりましたが、そろそろか?そろそろかっ?というボディタッチだったのに、いまいち色気が不足なんだな。

前週末、15話での着衣シャワーと腕ギプス抱擁が色っぽ過ぎた反動ということもありますが、紀保が「無実を明らかにして見せる」と主張してやまない最愛の婚約者龍一(内浦純一さん)との仲は、よしんば彼がきれいさっぱり無罪放免になったとしてももう事件前には戻れないということに、彼女自身潜在的には気がついているのです。どんな悪だくみで、どんな薬物を使って嵌められたにしても、自分以外の女性と行為をして身ごもらせ、そのことを逮捕まで沈黙していたということは、紀保の心に深い喪失感を残したはず。「龍一さんを信じているわ(でも…)」のカッコの中のいわく言い難い心理が、山田さんの紀保にいま少しにじみ出てほしい。山田さんの演技表現の成長と、演出にもうひと頑張り期待しましょう。

その点、フキ役の小橋めぐみさんが、秘めた感情の表現においてやはり一枚ウワテかな。紀保が流れでデザイン製作を頼まれた、神社祭礼の織姫彦星の衣装を伊織とお揃いで披露する場面の、恥じらいの中にも得意げな表情は、華やかに着飾ってほめそやされる機会が乏しいまま青春を終えつつある女性独特の、殺気に近い痛々しさがありました。「私キレイかしら、ドキドキ」感にしても「やったね!」感にしても、慣れてないから表出のコントロールができないのね。しかも、上等の生地でのオーダーメイドを業としている紀保が、有りもの素材で知恵絞ってどうにかこしらえたコスプレだから貧乏臭いわ田舎くさいわ。そんなん着てさえ、照れる伊織と並ぶとテンション上昇ではちきれそうになるフキの痛いこと。

フキにしてみれば、14話で紀保が「結婚を約束している人がいる」と打ち明けてくれたので、伊織を挟んでのライバル関係ではとうになくなってひと安心のはずですが、「あちらは両思いの彼氏がいるのに、私は好きな伊織さんに振り向いてもらえない」と、別角度での対抗意識に油を注がれてしまったわけです。一難去ってまた一難。同年代同性が近くにいると、誰もそんなこと強制も言及もしないのに、何がどうしても“向こうを上回らなければならない対立抗争”の思考回路になってしまう人って、女性にはいるものです。容姿、ファッション、親の職業や家柄、学歴、モテ度。既婚なら夫の地位、年収、夫婦仲、子供の容姿や学校での成績、住居、余暇の旅行先。ひとつ優越してめでたしになると、すぐ次の項目にエントリー。

働き者で堅実しまり屋で、親思い。近隣のおばちゃんたちが「ワタシが男なら迷わず嫁にもらうのに」と惜しんでやまないフキですが、彼女たちの息子世代未婚男子なら伊織ならずとも「ちょっと勘弁」と思うに違いない重さ、もっと言えば、“心に着た貧乏”が、ちらちら覗く瞬間がある。ここらの表現が小橋さん見事だと思うのです。

この週最大の具体的な謎は、加賀医師が語ってくれたみのりの、“顔を変えることへの異常な執着”でしょうね。別人と見まがうレベルまで顔を変えたがるということは、過去を捨て出自を隠したい、あるいは過去にかかわりのあった人物や状況から逃げ去りたいなんらかの事情があったと考えるのが普通でしょうが、それプラス、これまでのストーリーから、吉川みのりという女性は、ジェンダーに関する悩みを何かしら抱えていたような気がしてならないのです。性同一障害というモチーフはここ10数年で頻繁に映画やドラマに採り上げられていますから、いまさらという気もしますが、元はちゃんと資格のある看護師で、薬剤横流しが発覚する前までは加賀医師の診療所で働いていたというみのり、女性の服装やヘアメイクで女性の言葉遣いで、女性としての社会生活はじゅうぶん送って行けはするけど“本当は、心身ともに男性になりたい女の子”だったのでは。

回想シーンで「女モノは作らない」伊織から手作りシルバーリングを贈られて、抱きついて喜んでいたみのり。女性のフキから見て「目の下の泣きボクロのせいか、伊織さんより5つ年下というわりには大人っぽく見えて、どこか人を寄せ付けないような影があった」みのり。何者かに毒物で殺害されるという衝撃的な最期だったにもかかわらず、新潟の実家とは音信不通だったため「(夕顔荘の部屋にあった)遺品などはそっちで処分して」という冷たい返事しか返ってこなかったみのり。

4話で、素性を隠して夕顔荘に越してきた紀保が「同じ鍋の味噌汁は飲めても、見ず知らずの男と同じ風呂の湯はイヤ」とキレたとき、“ホテルじゃないんだから贅沢言うなよ”と憤懣をあらわにした伊織でしたが、翌5話では黙ってシャワーを取り付けてくれました。「考えてみれば、家族でも恋人でもない異性と同じ湯につかって身体を洗うのは、普通の女の子なら幾許の抵抗があって当たり前だ」「みのりは“普通”ではなかったから…」と考え直したから、伊織はあの行動に出たのかもしれない。もしみのりが、伊織とカラダの関係まで持っていたとしたら風呂一緒でひとつも構わないでしょうが、どっこい夕顔荘には“20年選手”の柏木引きこもり博士(坂田聡さん)もいてバリバリ入浴しています。みのりは柏木も含めて平気だったわけです。

紀保との同志関係が結ばれても、伊織は「幸せになってほしいと思っていた」みのりの名誉を思って、その点についてだけは沈黙を守っているのかも。

だいぶ前の記事で、“イオリ”と“ミノリ”、周囲がそこはかとなく恋人関係と思っていただけで、実はなんらかの事情で他人を装わなければならない兄妹だったのでは?と書きました。その可能性もいまだ消えたわけではありませんが、伊織が“自分をオンナとして強要しない”からこそ、みのりはフキやセリ(田野アサミさん)や雄介(橋爪遼さん)から「仲がよさそうで、よく笑い声が聞こえていた」「あの2人、デキてたんじゃない?」「みのりさんのこと好きだったんだろ」とも見られる関係になり得たのかも。

みのりにそういう性向があったとしたら、近隣のおっさんおばちゃんたちはともかく、医師である加賀ぐらいは何か“普通の妙齢女性とは違う”感じを察してもよさそうなので、月河の個人的考え過ぎかもしれませんが、紀保が“みのりさんの過去・人となり”に踏み込もうとするたび伊織がブレーキをかけるのも不思議。

あんまり“謎解き重心”なドラマになってほしくはないのですけれど、タネ蒔かれれば刈り取りたいですしね。

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スピトニーブリアーズ

2009-06-28 00:42:23 | ニュース

どこかの局の深夜番組で『ジャイケルマクソン』ってありましたよね。TV誌の番組表で見かけて思わず笑ったんですが、一度も見たことはないんですけど、まだ存続してるかな。

…どうするんでしょう、番組名。「どうするんでしょう」ってこともないか。そんなこといちいち気にするんなら、『リンカーン』『ノブナガ』なんて“まるごと”じゃないかって話ですしね。『誰でもピカソ』とか『ソクラテスの人事』とか、死んじゃってる人なら抗議の電話もかかってこないだろうってんで使い放題です。『ソロモン流』なんて、ご遺族の許可もらおうにも全地球上に散らばってるでしょうし。

で、このたびめでたく……いやいやっ!めでたくはありません。断じてめでたくはありませんが故人の仲間入りをしてしまいましたKING OF POPS

ジャクソン・ファミリーのボーイソプラノの頃からちらちら知っていますから、まぁ同世代ということになるのでしょうけれど、いまさら言うまでもない図抜けた音楽センスやダンステクニック、PVにおけるセルフプロデュース能力より、晩年は“お騒がせ芸能人の悲喜劇”の生きたサンプルみたいになってしまわれましたね。それも“喜”の要素が肌の色とともにどんどん薄くなって、ガチで笑えない感じになりまさっていました。

最近とみに思うのですが、どうもUSAという国、日本以上に“若さ”、とりわけふにゃふにゃぐちょぐちょの“思春期”を終えて、澄んだ目で“大人”を仰望するような時期の若さを過剰に称揚賛美して、結局そこに殉ぜしめて使い潰すような傾向が、特にショービズ界で顕著な気がします。「○歳の若さで、この完成度」「大人ビッグネーム顔負け」「未完成の中に底知れない可能性」みたいなイメージが好きで好きでたまらない国民なんでしょうね。“天才○○少女”“天才△△少年”はたまた“天才子役”などのカンムリしょって、ローティーンで世に出てきては、脚光浴びた果てに惨めな転帰をたどったケース、俄かに固有名詞ポンポンッとは出てきませんが、ずいぶん見聞した気がする。

くだんのKINGもファンで、実際交流もあったらしいマコーレー・カルキンさんなど、いまどうされているのでしょう。ブリちゃんことブリトニー・スピアーズさんなんかも、出て来たときにはジューシーでつやっつや、夢みるシャンソン人形ならぬポップ人形みたいなルックスだったのに、ずいぶん早い段階で“お騒がせが主力商品”の常連入りしてますね。あの国の場合、フィジカルが早育ち早仕上がりだということも大きいか。

10年ほど前、FMで初めて歌声を耳にしたときジャクソン・ファミリーを思い出した『キラメキ☆MMMBOP』のハンソンの末弟くんなんか、元気かな。ラジオだけでヴィジュアル知らないけど。あの頃ボーイソプラノなら、もう20代中盤にはなっているはずですが。

…………なんか、惨めな転帰をたどってない(少なくとも、そう決まったわけではない)事例まで、たどったみたいな文脈になってるな。

ジャクソン・ファミリーと言えばちょっと前後するデビューのオズモンド・ブラザーズなんてのもありました。“~ブラザーズ”と名乗っていたのは、結局全部で何人いたのか思い出せないきょうだいの、年長の男の子たち限定で、カルピスのCMに出ていたのは彼らプラス末妹のマリーちゃんと、末弟でやはりボーイソプラノのジミーくんでした。お茶の間のマスコット的なポジションだったジミーくんは声変わりする頃を境に見かけなくなりましたが、“ブラザーズ”でいちばん若かったダニーさんはかなり長い間アイドル的人気を保ち、70年代中までは日本の洋楽誌や芸能誌で名前を見かけていたように思います。

最近はFMでも洋楽懐メロ企画ででもなければ聴けなくなりましたが、便りがないのは良い便りってやつで、日本にまで届くほどの赤っ恥スキャンダルや悲報がないというのは結構なことです。ジャクソン一家と様変わって、こちらは白人一家なため、音楽ショービズファミリーに決まってつきまとうリスクを、いくつか免除されたかもしれない。

このほどみまかったKINGに関して言えば、話題の中心だった美容整形手術由来だけではなく、近影が公開されるたびに激化する痩せ方が、普通に病的でしたよね。拒食症というのもUSAこそが世界に伝播させた病です。あの病気の根源には成熟拒否、“時間を止めたい、逆行させたい”という願望と言うか妄想があり、古くはカーペンターズのカレン・カーペンターさんが命を落としたことで知られていますが、自意識の人一倍強い人が多い上、凡人の何百倍・何千万倍も他人の視線を浴びる芸能人に、この病気が好発するのは容易に想像がつきます。KINGも自由になれなかった。

まぁ死因の特定にはなお数週間を要するとのことで、正確には“特定および、どう公表するかの判断”に数週間必要なんじゃないかという気もします。USA地元のニュースをBSで見かけたところでは、各地のアフリカンアメリカンのファン、特にもう若者とは見えない、おっさんおばちゃんのファンまでが悲しんでいるのが印象的でした。アフリカンアメリカンの大統領が誕生した年に、もうひとつの褐色の…いや元・褐色の巨星墜つ。

日本でも『スリラー』のブーム以降、ファンというか信者は多いですからね。ご本人も来日時にはアキバでセレブ買いしてたなんて話も聞いた記憶が。

最近観てないけど、TVモノマネ番組で彼のネタ得意にしてた人、柳沢慎吾さんを筆頭に多いじゃないですか。全国の小中高校、町内会や職域レベルにまで草の根的に広げたらたいへんな人数がやってると思うんで、どうでしょう、どっか広ーい会場に集まって追悼モノマネ大会ってのは。神宮球場とか。よく知らないけどお台場とか。競馬場でもいいし。オーロラヴィジョンに10万人のムーンウォーク。

そう言えば、この訃報がなければ思い出すこともなかったと思いますが、確か95年頃、THE YELLOW MONKEY吉井和哉さんの『オールナイトニッポン』に、“ビバ!マイコー”というネタハガキ募集コーナーがありました。

いまはどうかわかりませんが、当時の吉井さん、彼の音楽やPV、とりわけキャラクターをいたく愛しておられ、オマージュとして?マイコーの架空の奇行や奇声を考えて、あの「♪フォオー!」のハイトーンかけ声とともに披露する、という、確かそんなような主旨のコーナーだったのですが、吉井さんのシャイな偏愛ぶりがラジオで伝わりにくかったのか、はたまたその頃からマイコー自身、ネタにしにくい“硬化”が進行していたのか、いくつかあったハガキコーナーの中で、突出して投稿数が少なく、吉井さんから泣きが入るのを一度ならず聴いたものです。

当時イエモンの曲も吉井さんも結構好きで、いつ以来か思い出せないくらい久しぶりにAMラジオの深夜番組に周波数を合わせるようになっていた月河は、「このコーナーなら頑張って書けばハガキ読まれるんじゃないか」とふと思い、恐らくは同番組のリスナー平均の、軽くダブルスコアな年齢で、深夜のハガキ職人にもうちょっとでなるところだったのですが、実現しないうちに、次に聴いたときにはコーナー終了していましたね。

……本当に思い出さなくてもいい思い出でした。

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