イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

敵の取れた同志

2009-06-13 23:36:37 | ミステリ

パトリシア・ハイスミス『アメリカの友人』について昨日書きました。語り部的役割かつ人物・事物の“測量者”の役目も果たすトム・リプリーに対し、言わば“巻き込まれ悪役”のジョナサン・トレヴァニーが、「俺は病気で先がないのだから」という諦めから、なし崩しに犯罪に手を染め、リプリーに援護されつつ偽装してクチをぬぐっていくうち、最愛だったはずの妻に疑われ、息子とも徐々に壁ができ孤立していく過程もまさに“ハイスミス節(ぶし)”で、こたえられないものがあります。

そもそもの動機は、間もなく永訣しなければならないこの妻子に金を遺したいと願ったからだったはずなのに、嘘偽りと隠し事を重ねるうち、夫として父としての愛がなせる業からどんどん距離が開いていくさまは、逆に小気味いいほどです。

或る局面では、愛している大切に思っている、自分の死後安泰に暮らしてほしいと願っているつもりでいて、トレヴァニー、はなから妻に胸襟開き全幅の信頼をおいてなかっただろうと思えるふしもある。彼にとっては、病を承知で求婚した段階で、妻は自分亡き後も地上に生き残る“あちら側の人”であって、息子をなしても結局孤立する運命だったのです。

ハイスミスの諸作品は、物語冒頭段階では主人公たちはつねに“普通の人”“真っ当な、それゆえに凡庸な人”です。ちょっと特殊な性格やものの見方の癖はあっても、平凡、普通の域を出るものではない。

それが些細なきっかけで、徐々に歯車が狂い出し、他人に知られたくない、吹聴されてはまずい行動を取らざるを得なくなり、知られずにおくために冒さなければならないリスクがどんどん強大になり、ついにはコントロール不能になる。

初めから突出した悪党や知能犯ならば、「“普通”“真っ当”の域に踏み止まるために、真っ当でない言動に出てしまう」という二律背反に引き裂かれることはないでしょう。

“普通”の眼前に横たわる深く果てしない暗黒の深淵。ハイスミスを読む醍醐味はここにあるのです。

さて、こちらも巻き込まれ普通人・善意の人のサスペンス『夏の秘密』。第2週、10話まで進んだところで、気になるのは逮捕された龍一(内浦純一さん)の叔父、正確には叔母の結婚相手という人。龍一は13歳で両親を飛行機事故で亡くし、叔母に引き取られて、その連れ合いである叔父にいたく可愛がられて育ったという回想譚がありました。

この叔父が紀保(山田麻衣子さん)の父である羽村社長(篠田三郎さん)の会社の主任顧問弁護士をつとめている縁で、龍一と紀保も知り合い、結婚を約束する仲になったということですが、目をかけ親代わりともなってきたはずの甥の逮捕収監という苦境にも、この叔父なる人物、一度も画面に顔を見せていません。

近親で事実上の養親では法定代理人は務められませんから、龍一の弁護人はたぶん別の弁護士でしょうが、この叔父の前歴・人となり、あるいはたぶん羽村社長との関係が、龍一の巻き込まれた事件にも何らかの形で影響している可能性は大です。ヒロイン婚約者、その養親ともに弁護士に設定されているからには、弁護士ならでは知り得ない、経験し得ない事情が、重要なファクターとして必ず隠されているはず

この枠の、このクールのドラマにおいては、モノクロの回想シーンであっても“まったくの捏造・妄想”というケースはなかったので、龍一が出張先のホテルで遭遇した、みのり嬢と思われる女性との一夜についても、紀保にみずから打ち明けた内容で(欠落はあっても)嘘はないでしょう。

同じように、伊織(瀬川亮さん)がみのりの遺体の第一発見者となった状況も、嘘や幻想ではないと思います。ただ“和風喫茶浮舟”に集う近隣の中高年者や、不動産屋ジュニア雄介(橋爪遼さん)、工作所次女セリ(田野アサミさん)らの視点から「コレ(←小指)だった」「好きだったんだろ?」「わけありだった」と指摘され噂されたり、水を向けられたりするたびに、伊織が否定も、積極的に肯定もしないのが何とも言えないところ。紀保と対峙した9話で「かけがえのない存在だった」と表現しましたが、思い思われの男女関係ではなく、何らかの事情で他人を装わなければならなかった兄妹という読み方もできる。

非常に特殊かつ秘密な経緯を共有する、年齢の近い異性きょうだいの佇まいというのは、予備知識のない他人から見ると、限りなく異性関係に近い空気感をただよわせるものです。

ここら辺り、07年の『金色の翼』の修子・玻留姉弟の裏返しと見られなくもない。脚本金谷祐子さんとしても、“今度は対極から書きたい”ぐらいの作家的野心はあるでしょう。

浮舟女主人にして元深川芸者の蔦子さん(姿晴香さん)が、紀保の礼儀作法や裁縫の技術などに注目するたびに「お母さまの仕込みが良かったのね」などことさら「お母さん」「お母さん」と引っかかるのも不自然と言えば不自然。彼女には孫になるという紅夏ちゃんの両親も顔を見せないし、海外旅行と偽って事件現場の下町に潜入した紀保の行動に、薄々気づいていなくもない素振りの羽村社長ともども、“親世代”の人々のいきさつが先々判明して影を落としそうです。

過去に起きた事どもは依然不明のままですが、現在を生きる主人公たちの行動や心理の振幅が活発になってきたので、物語に牽引力が増してきました。“年長組”が本格的に味を出してくるには至っていないものの、山田さん、瀬川さんの主役コンビがきっちり活きて輝き始めたのが大きい。

瀬川さんの“まじめで実直だけど、喧嘩になったら怖そう”な、静かな目ヂカラがいいですね。『超星神グランセイザー』で熱血猪突猛進のヒーローを演じていたときから、“邪気なく純朴なだけ”ではない、湿り気やザラつき、引っかかりのある味を持っていました。媒体で初めて顔と名前を見たのは、03年夏刊の『特撮NewType』誌でのグランセイザー放送前インタビューページでしたが、「(グランセイザーで演じる)弓道天馬と自分は似ているところが多い。ボロアパートに住んでるとことか(笑)」と語っておられた記憶が。あれから約6年、メジャー作のキャリアも積まれたことだし、まさかもう夕顔荘みたいな部屋には住んでないと思いますが。

一方、山田さんも、紀保役に求められる、“ふわふわした頼りなさ”と“世間知らずゆえの強引無鉄砲さ”との中間の、実に微妙なところでうまいことバランスを保って演じておられると思います。

この役は本当にデリケートで、前者に寄り過ぎると影が薄く、もしくはイライラさせるキャラになるし、後者に寄り過ぎると直球でウザくなってしまう。でも前者を備えることで妖精的な、よきフィクションとしての非日常感が出せるし、後者を持つことで物語を衝き動かすパワーと、観客の視点を背負う共感性が出てもくる。偏ってはいけないが両方必要という、字ヅラ以上にかなりの難役です。

山田さんの演技を見る限り、技術で役を組み伏せるタイプではないので、彼女の熱意ある読み込みに、ほだされるように役のほうからすり寄って重なってきたのでしょう。役と役者さんとが綱引き合う、こうした磁界の針の振れを見守るのもドラマの楽しみのひとつです。

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