イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

もっとひかりを

2008-09-27 01:00:28 | 昼ドラマ

今日926日をもって『白と黒』の放送が終了したので、安心して、というわけではありませんが、記念の意味もこめて岩本正樹さんのオリジナル・サウンドトラックを←左柱←←に載せることにしました。

劇伴の音楽は例外なく皆そうですが、“劇”本体部分から離れたとき、初めて音楽単体で持つイメージ喚起力が浮き彫りになります。放送番組の音楽なら、放送が終わった時点で一旦音楽が“自由”になれる。劇中のあの場面この場面、あのキャラこの台詞…の記憶とは“別の部屋”で、音楽だけのシングルモルト、ストレートで味わう機会も持てます。

←ここ←←に載せる紹介メモフレーズを、新しいタイトル載せるたびに結構考えます。今作、全曲を通じて“光”と“影”のコントラスト及び諧調だけは通底しているので、この字句だけは必ず入れようと思っていました。

以前の記事でも触れましたが、タイトルチューンでもあるM1『白と黒』の変奏ヴァリエのうち、特に終盤の礼子誘拐に関わる場面で使用されたサスペンスフルなヴァージョンが幾つか未収録になっている点、一抹の残念感は拭えません。やはり“劇中使われた音楽は、断簡零墨でも網羅”が理想ですもんね。

“事件サスペンスもののアルバム”という印象を、僅かでも与えないことに徹した…と善意に捉えることにします。

デスクの上の試験管やプレパラートのミクロコスモスから、空を仰いで見晴らす地平線の彼方まで、空間的な“水平方向の広がり”がこれだけ豊かな音世界なら、欲を言えばいま少し“上下動”の振幅もあってよかったかなと思うものの、この枠で岩本さんが音楽担当されたドラマで、サウンドトラック盤がリリースされている作の中では、表出された情念の総量(全登場人物が個々に披瀝した情念の総和)が際立って少ないタイトルだったので、これで本編にベストマッチングな、着物の半襟のように“出過ぎず隠れ過ぎず”な仕上がりと言っていい。

そもそも本筋に絡んだ人物のアタマ数からして少なめだったし、比較的登場場面の多い重要な脇キャラも、特殊に入り組んだ個人事情を背負って物語に参入して来る人より、どこにもいる平凡で普通の“善意の人率”が高く、全体に絵ヅラも台詞もアクが弱め。こういう、建て込まない“風通しの良さ”もこのドラマの個性であり得がたい魅力のひとつだったと言っておきましょう。岩本さんの本作も、いつもよりさらに闊達、流麗かつ解放感に富んだ後味です。

06年の『美しい罠』が仲秋の夜長の読書のお供向き、昨年の『金色の翼』が汗ばむ陽気の午前~昼間のデイリーワーク向きとしたら、今作はオールシーズン起床時に良し、日中のデスクワークのBGMにも、午後のお茶タイムにも、就眠前にも良し。最近は在宅時間に、一度も聴かない日はないくらいのヘビロテタイトルになりました。

…その“本体”『白と黒』ドラマ最終話については、駆け足ではもったいないので改めて腑分けすることにしますが、とりあえず、聖人(佐藤智仁さん)が章吾(小林且弥さん)に「オレはいままで人の善意を信じないで、人間の裏側ばかり見ようとしてきたが、本当は人間に裏も表もない、善も悪も混ざってひとりの人間だ。それがやっとわかった」と述懐し、刑を終えて桐生家を訪れた礼子(西原亜希さん)に「聖人がこう言ってた、これを伝えるのが元夫だった男からの最後のメッセージと思ってくれ」と告げるくだりだけは蛇足だったように思います。

聖人のこういう人間観の変化は、仕上げられ桐生家に掲げられた自分の肖像を見、さらにはあの森の入口で再会し抱擁したときに、礼子みずからが、氷解するように感じ取らないとね。

章吾の“元夫としてのメッセージ云々”は、会わず言葉を交わさずにあの絵の場所へ礼子を誘導し、発足なった座間味研究所で実験台に向かいながら“今頃礼子はあの絵を眺めて…”と想像しつつ微かに微笑むだけで、必要にして十分でしょう。

……それには座間味のセットが時間的予算的に無理だったか。

それ以外はこのドラマにふさわしい、区々たる説明を避け当事者たちの“世界へ向かう姿勢”の変化だけに叙述を集中させた、いい結び方だったと思います。この件はまた後日。

コメント (2)
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