樋口可南子さん。出先のTVのNHK『スタジオパーク』で久しぶりに動く近影を拝見しました。『篤姫』にも出演されているようなんだけれど、月河が観られる週はいつも樋口さんの出演ない回なんですよね。
実家の母が80年代初頭までルーティンにしていたポーラテレビ小説出身の女優さんで、『こおろぎ橋』は78年か79年の放送だったと思います。冬休みか春休みか、帰省して、朝イチからTVを観られる環境のとき、同じTBSの、鈴木治彦さん司会の朝のワイドショーゲストとして出演、同ドラマの主題歌をサービス的に♪ 生きてゆけ 生きてゆけ 青春たち…とみずから歌っておられたのが記憶にあります。歌はあまり得意じゃないようでしたね。愛嬌愛嬌。
樋口さんと言えば、お名前を聞くたびに“同類項”として浮かんでくるのが和田アキ子さん、最近体調がすぐれないのかお顔を見る機会がありませんが南田洋子さん。
そのココロは“見るたび髪型が同じショートカット”。
女優さんに珍しいと思うのです。今日の『スタパ』では「洋服も着物も好きなので、どちらでも合うスタイルということで自然とこうなった」と言うようなことを答えておられましたが、洋服にも着物にも合うことを目標にするならある程度までのロングがいちばんいいし、襟足が邪魔にならないショートにもいろいろある中ずっとあのスタイルで一貫しているということは、基本的に“頑固”で、“メンドくさがり”な人なんじゃないかと思う。
あと、演技や役柄などで「きれいだなあ」「いい女優さんだなあ」と思うたびに、脳裏をかすめてほぼ帳消しにするのが、“笑ってない時でも鼻孔がフクラんでいる”あの旦那さん。かつ、アノかたと結婚する前段階で「妻子ある人を好きになったのではなく、好きになった人にたまたま妻子があったのです」とレポーター、カメラの前でうそぶいたという事実。
言葉も、根性も立派だと思いますけど、アノ鼻孔をお持ちのかたを念頭に発せられた言葉ですからねぇ。
つくづく、女優さんの結婚、およびその広報というかアナウンスってむずかしいと思うものです。どんなに感動の大作で、胸を打つ演技をされても、ほぼ帳消しですから。
今日は貴重にも音声が聴ける場所での待ち時間となったのですが、武内陶子アナから一問一答のたびに「~するからぁ」「~してぇ」と“ある時代の若者口調”のままなんですね。
かつ、その“ある時代”は、鼻孔ダンナさまのコピーライター、流行リーダーとしての全盛期と思しい。
もう20年近く前、「あの美しい女優さんが、略奪婚するにこと欠いてまさかアノ人をねぇ…」と思った記憶がありますが、いまだにこういう喋り口調だということは、意外に趣味嗜好や品性などがもともと“全共闘崩れ”に親和性高い人だったのかもしれない。言葉をかえれば若々しい(今年満50歳になられるようです)、老けていない、ということでもありますが。
見かけでは人は値札を付けられないものです。末永くお幸せに。
再放送の『その灯は消さない』は41・42話をまとめて視聴。「君と一緒に松本には行けない、別れよう」と川合(大橋吾郎さん)に切り出された律子(吉野真弓さん)。「君は男と女が暮らすことに理想を持ってる、それが俺には苦しい」と言う川合の言葉、どんなに「君のお母さんとは関係ない、それだけは信じてほしい」と言い添えられても、律子には“やはりお母さんに未練があるから?”と聞こえてしまう。川合は嘘はついていないのだけれど、律子にとってはその通りではないのです。
ドア越しに「もう一度チャンスを下さい、あなたの重荷にならないように頑張るから、居るのなら返事をして」と叫ぶ律子、涙をこらえて居留守を使い続ける川合。ベタだなあと思いながら、やっぱりじーんと来てしまいますね。昼帯ドラマで見たかったのはこういう場面だったんだなあと実感します。
智子(坂口良子さん)への断ち切れない思いとは別に、川合はまだ律子が好き、と言うより、“智子とともに18年前凍結しなければ進めたかもしれない、もうひとつの自由な人生”のために、川合は涙している。律子にとって川合が“自分を変えてくれるかもしれない男に必要とされ、愛されていることを実感しながら支える人生”の象徴であるように、川合にとっても律子は、開発して楽しい若い娘というだけではない。何かが足りない、何かが空虚な、いま現在とは違う人生に“飛ぶ”ことの象徴だったのです。
世間的に安泰な結婚という形でまとまるのにはどう見ても適さない2人だったけれど、人が人に惹かれ、求め合うということはこういうことなのだろうと思う。
ここまで来たら、川合と智子が18年前の元サヤにおさまることでも、律子が川合の心を智子から奪い返すことでもない、“それぞれの解放”“名実ともに新しい人生”を願うしかハッピーエンドはなさそうです。