世界各地の隠れもない名所旧跡で、日本人による日本語の赤っ恥落書きが続々バレていますね。
まぁ落書きってのは、人間の本能の一部のような気もしないでもない。ギリシャ美術か何かの講義で聞いた覚えがあるのですが、人間、基本的に“無地”“白地”を目の前にするとそこはかとなく不安をおぼえ、何かを書くなり描くなり塗るなり貼り付けるなりして“埋めたく”なるものらしいです。
歴史の教科書に出ていたラスコーやらアルタミラやら高松塚やらの“壁画”とされているものも、祭祀性や記録性ももちろんあるのかもしれず、それゆえに文化遺産・史料的価値も生じてくるのでしょうが、何万年前、何千年前かにこれらを描いたご本人の根っこのところでは「空いてるから何かかんか描いとけ」という衝動があったのではないかと思います。
それにしても、「日本人・日本語以外の落書きがあったから自分らもやってしまった」とは言え、公共の財産への落書き、するのがいいのか、しないのがいいのかっつったらしないほうが絶対いいに決まってる。それぐらい、大学生や高校野球の監督だったら速攻わかるだろうに、“してはいけないとわかってることをする”のに、何ゆえ、書くに事欠いて自分の名前を書くか。学校名・学年まで。
生涯二度と訪れる機会はないかも知れない異国名所だからこその「旅の恥はかき捨て」というか「かき逃げ」心理か。日本人ではなくても日本語が読める人に見られたら、確実に足がつき犯人特定できるのは明らかなわけだから、おマヌケというより、もっと深い心的病理のようなものさえ感じます。
「歴史教科書にも載っているあの場所に、ワタシの名前が刻んである」と帰国後思い出すだけで、何か愉快でもあったのだろうか。何年か後に就職先ででも合コンででも「○○教会の壁でアナタのお名前を見ました、ボクもあそこへ行ったんですよ、不思議なご縁ですね」と誰かイケメンくんに言われるのを夢みていたのか。
多少なりとも世に名前の出る立場にいる人間だったら、絶対に自分の名前が恥を負うこんな行為はしないと思う。何か今般の、若いが子供ではない日本人たちの一連の行状、“名前”というものに寄せる“負の感情”、“恨みつらみ”が透けて見える気がするのです。
無名の人、無名であることがひそかに悔しい人ゆえの“心の闇”。
なにやら『羊たちの沈黙』とか『沙粧妙子』を思い出してしまいました。“快楽連続殺人犯は死体に署名を残したがる”だったかな。
さてと、今朝は出かける前に軽くパニック。朝、一度はPCを起こしてネットで最小限、天気予報はチェックするのですが、慌てまぎれに何をどうしたものか、タスクバーがいきなりタテになってしまったんですな。
いいいいったいどうしたんだ!?何かいま自分イケナイ操作したっけ!?と右往左往したまま時間が迫ってきたので結局ネットつながずに終了してしまいました。
一昨年ぐらいにも一度こういうことがあり、元に戻すのに半日かかったので、懲りて“タスクバーを固定”にしたはずだったのですが、いつの間にチェック外れちゃってたのかな。
帰宅後もう一度起動させても…自然に元に戻ってはいない。残念。
小一時間外付けマウスをコロコロしてるうちに、どうにか元の位置=下辺におさまってくれました。使い始めて3年になるけど、いまだにPCって本当に底が見えない。わかり合ってるようでふとした瞬間に腹黒さが覗く悪女みたいなヤツだ。
おかげで楽しみにしていた本日放送スタート『白と黒』の再生視聴が遅れてしまいました。
しかもファーストシーン、事故で樹木に乗り上げほぼ直角に直立した車の映像が、タテ立ちしちゃったタスクバーと重なる(竦)。
夕陽に染まる田園風景に、ハラワタを見せあるべきでない形で屹立した自動車の、孤独な邪悪さ。ヒロイン礼子(西原亜希さん)の人生のターニングポイントとして、今後も劇中何度も回想されそうなカット、絵的には見事です。
時制が事故前に遡って、人物・人間関係を説明提示するためのパーティーシーン。ここらは06年『美しい罠』07年『金色の翼』と同じ“第1話の定式”ですな。今作はオープンエアーの野っ原で、素人バンドのマーチング(←昔のパチンコ屋さんで大当たり出たときによくかかってたやつ)と、セレブっぽさはなくカントリーで庶民的。
礼子の尊敬する上司であり、婚約者=章吾(小林且弥さん)の父でもある桐生研究所長(山本圭さん)にいまのところ好意的でいけいけドンドンな地元自治体の町長さんは、05年『危険な関係』では律のことで柊子実家に聞き込みに来ていた自転車の駐在さん役の俳優さん。3年で駐在から町長へ。『CHANGE』もびっくりのサクセスストーリー。
1話ですが事故をきっかけに礼子の心に親友・一葉(大村彩子さん)への疑惑が兆し、事故前は誠実で物事を真正面からしか見ない健康さ明朗さを好ましいと感じていた章吾をも、必ずしももろ手を挙げて「好き」とは言えなくなってくる心理がじわじわと、よく描けていると思います。
人間、きれいに真っ正直にだけでは生きていけない時期、抑えても湧いてくる負の感情を制御しかねつつ過ごさねばならない局面は必ずあります。そんなときはどんなに心許せていた親友でも先輩でも、あるいは恋人や配偶者でも、清廉・高潔一本やりで、「人を疑ってはいけない」「許すべきだ」とタテマエ論ばかりの人はウザく、あるいは頼りなく、じれったく見えることはある。
開始23分過ぎ、ざわめく思いを秘め自問しながら車椅子に乗せられていた礼子を病院廊下突き当たりから見つけて、一葉とのテンパった会話を中断し駆け寄って来た章吾が看護師に「あとはやりますから」と車椅子を押す役を替わり、カメラの前を横切って一瞬画面が真っ黒になる演出が素晴らしかった。一瞬だけどグラッと視界を失う不安を、視聴者が礼子と共有できる。今年もメイン演出奥村正彦監督の手腕、本日のハイライト。
パーティーを一時中座しての章吾からのプロポーズを礼子が一葉に報告する場面、帰京途上冒頭の事故勃発と車中に閉じ込められた礼子が意識を取り戻す場面、足を負傷して動けない礼子を一瞬振り返って背を向ける一葉の冷たい目にかぶるストリングス、病院のベッドで一葉の愁嘆に疑いつのる礼子の心象を映すピアノなど、岩本正樹さんの音楽ものっけから全開絶好調です。
風のように現われて一触即発オイル漏れの車中から礼子を救出してくれた仮面ライダーガタック…ではなくて聖人(佐藤祐基改め佐藤智仁さん)、さすがにバイク革ジャンがよく似合う。ZECT時代より“ライダーっぽい”のではないかな。情熱と本能担当ということで、『カブト』加賀美の愚直な熱血さをひとひねりすればいいのだから意外に嵌まり役になりそう。桐生所長の不肖の次男坊という設定ですが、どうも佐藤さんの役柄上のパパっつうと本田博太郎さんのような気がいまだにするな。恐るべし博太郎。
一方、清廉・倫理担当の小林且弥さんは、誠実そうな感じはよく出せていると思いましたが、ちょっと、モソッと考え深そう過ぎるかも。いま少し“明”“快”な感じも欲しい。ここらへんの匙加減は、収録が進むにつれ役の読み込みが深まれば改善されてくるでしょう。
このドラマ開始をもって夏本番を実感。途中で流れるCMもなんとなく夏っぽいと思ったら、VENUSブリーズ倖田來未さんでした。懲役…じゃなく謹慎?明け芸能活動復帰されたようですね。まだまだ梅雨模様は続きますが、もう何も腐らせるなよ。