イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

締まっていこう

2008-06-09 16:56:04 | アニメ・コミック・ゲーム

「よく自殺しなかったなぁ」…不謹慎ですが夕方のニュースで知ったとき最初に頭に浮かんだ感想です。8日の秋葉原殺傷事件。警官による身柄確保直後の写真では、横顔で食い込み禿げ始まったコメカミ辺りが目についたせいか、30代前半かな?とも見えた容疑者、続報によると全然若い25歳。何に挫折し何に絶望したのか知らんがいくらでも、百万回でもやり直しがきく年だろうに。無関係な人たちの命を取り返しつかなくしてしまった。

銃社会のアメリカなら、サバイバルナイフでひとりずつ突いたり、抜いてまた刺したりなんて農耕民族的な手間かけませんね。当然銃乱射。撃ちながら360°回転。警官に狙撃される前に自分で銃口をクチにくわえて脳天に向けて最後の一発。昨日の事件の場合、10数人分の血糊で滑るナイフを握り直して、自分で自分の胸を一突きで死に切る握力、気力が残ってなかったのかもしれません。

心理学的には「どうしようもない自分を法の手で裁き処刑してほしい」という無意識の“叱られ・懲罰願望”もあるのかもしれないけれど、どこかで“自分が起こした騒ぎをなるべく長く見ていたい”“最後まで渦中の登場人物、できれば主役でいたい”という愉快犯的な心理も感じます。一気に自分を“無”にするには、25歳ロリアニメおたくでもあったらしい容疑者、まだいろんな生臭い欲も願望もあった感じ。

これまた不謹慎だけど「もったいないなぁ」と思ってしまいます。かりにもっと年齢が行っていたとしても、“自滅するにしてもこれこれこんな手段で、こういう状況を出来(しゅったい)させて、こういうカタチで滅びたい”といろいろ“希望条件”がつくということは、逆にまだまだ生きる、それもできれば真っ当に生きる意欲も、無きにしもあらずだったんじゃないかと思う。当日早朝から、犯行を予告し「こういうふうにしてやるつもりだ」「いまどこどこまで来た」など途中経過まで丹念なネットへの書き込みもしていたらしい。

これだけ「俺を見てくれ」「俺を構ってくれ」「思ってることを聞いてくれ」サインを出しまくっている人間を、結局、最悪の大暴発まで誰ひとり見ないし気に留めないし構わないというのが、いまの時代本当に怖いし悲しい。

しかしなぁ。もう7人からの通りすがりの人命が失われてしまってから、後付けで容疑者の生まれ育ちとか生活状況とか、動機とか分析・想像まじえて調べ上げても「これで同じような事件は二度と起きない、防げる」には絶対に行き着かないだろうなと、あらかじめわかってしまうのが情けない話ではあります。

いまこうしている間にも、ネットで情報収集して着々と準備すすめてる“模倣犯予備軍”が全国にどれだけいることか。

被害に遭った人たちにしても、危ない時間帯に危ない場所に出入りしていたわけでもなく、日曜のお昼どき、白昼の目抜き十字街のど真ん中。買い物や外出を控えるというわけにもいかないいち市民としては、これからは出かける前にネット掲示板を隅から隅までチェック“誰かが犯行予告書き込んでる街は避ける”ってのも必修になるのかも。嫌な渡世だなぁ。

さて、容疑者が拘置取調べされているということで何度か画面に出てきた万世橋警察署。もう何十年前になるか忘れましたが、ここから神田川・山手線を挟んで“神田側”にあった交通博物館に、博物館実習でかよったことがあります。都下・近隣からの社会見学や、もうちょっと遠出の修学旅行の小学生のガキども…じゃなくて小さいお友達を捌くほうが忙しくて、どこの展示場所でどんな実習したんだか忘れちゃいましたが、いまで言うところの“鉄ちゃん・鉄子”の聖地でもありました。先年、閉館が報じられたときはぜひその前に再訪し、何を見学したんだか思い出したいと思っていたのですがかなわないまま終了。

月河にとっては、交博もさることながら、近くの甘味処『竹むら』に実習の間じゅう通い詰めた記憶のほうが鮮明だったりします。美味しかったなあ御前汁粉。粟ぜんざい。05『仮面ライダー響鬼』の後方支援基地・喫茶“たちばな”として全景が登場したときは懐かしかった。交博なき後も盛業中だといいがな。

 ……何の話だっけ?そうだ、惨たらしいとしか言い様のない事件だったということでした。こういう形で被害に遭われたかたには、“ご冥福をお祈り”なんて言葉もちょっと出ないですね。日曜の昼前「行ってくるよ」「行ってらっしゃい」と見送った人が、それきり帰らなくなってしまった。どれだけ衝撃を受けておられるかわからないご遺族やお友達など親しい方々が、非常に難しいでしょうけれど、いつか何らかの形で気持ちに整理がつくことのほうを切にお祈りしたい心境です。

 この事件がなかったらニュースのトップだったであろう北島康介選手200平泳ぎ世界新記録。とうとう“世界”まで行っちゃった。あーあ。“あーあ”つっちゃいけないか。

 なんとなくこのSPEEDO社製“レーザー・レーサー”の話題を聞くたびに、ギリシア神話の英雄ヘラクレスの最期の話を思い出すんです。数々の猛獣を仕留め宝物を奪取したヘラクレスが命を落としたのは、危険な冒険の途上ではありませんでした。

英雄色を好むの喩え通り、彼は生涯に3人の妻を娶っていますが、最後の妻はカリュドンの王女で美人の誉れ高かったデイアネイラ。彼女がヘラクレスとの間にもうけた息子を連れて川を渡るとき、渡し守の半人半馬ケンタウロスに陵辱されそうになります(←ギリシャ神話によく出てくる“下半身が馬”のこのキャラは、オスのセクシュアリティそのものの象徴を演じることが多い)。

遠くから見咎めた夫ヘラクレスが、妻に一大事と自慢の弓矢でケンタウロスを射抜きますが、倒れたケンタウロスはデイアネイラに出来心からの無謀を詫び「私の血は媚薬ですからお持ちなさい、夫君の愛がさめたと感じられたら、この血に彼の衣服を浸して着せれば愛がよみがえります」と囁いて息絶えます。その時点では疑り深くも嫉妬深くもなかったデイアネイラは、さしたる考えもなくケンタウロスの言う通りにその血を小瓶に入れ持ち帰ります。

実はこの言葉には、ケンタウロス(=男、オス)の陰湿さを象徴する策謀が秘められていました。

しばしの月日が過ぎ、英雄ヘラクレスは色好みの血を騒がせ、イカリアの若く美しい王女イオレに浮気心を起こし逢瀬に向かうように。気づいたデイアネイラはケンタウロスのいまわの言葉を思い出し、もう一度夫の心をこちらに向けさせたい一心から、彼の肌着をあの血に浸して「これをお召しくださいませ」と着せます。

ヘラクレスが身につけると、なんとその肌着は火の肌着となり、英雄の肌を生きながら焼き溶かしはじめました。英雄は熱さにのたうちながら必死に脱ぎ捨てようとしましたが、火の衣は皮膚に貼りついて剥がれず、剥がそうとすると肉も一緒に剥け落ちたと言われます。

数々の冒険を生き延びてきた英雄はすさまじい苦痛のうちに最期を悟り、かつてケンタウロスを射抜いたあの弓を、盟友で弓の名手であるピロクテテスに託し、彼の放つ矢でとどめを刺されることを望み、盟友はその通りにしてやりました。

軽いジェラシーが招いたまさかの顛末に、妻デイアネイラはみずから首をくくって夫のあとを追ったと言われます。

神話物語の語法として、オスの欲望を滾らせたケンタウロスの“血”は精液の象徴とも言われ、“肌着”は上半身でなく下半身を覆う、所謂ブリーフやフンドシを現し、“生きながら激痛とともに焼かれる”は去勢を暗示しているとの説もあります。

しかし月河がレーザー・レーサー水着の話題でこの物語を思い出したのは、性的な暗喩がらみではまったくありません。

“豪腕すぐれみずからを恃む者が、華々しく輝ける膂力のために恨みを買い、その怨念が肌にまとうものに化生して痛めつけられる”という展開のほう。

生きながら焼かれるまではまさかなくても、何かの応報が必ず待っているのではと思うのは、「I am the swimmer 泳ぐのは僕だ」と精一杯のアピールをした北島さんら選手の能力と努力ではなく、“水中を泳ぐという行為限定での人間の身体能力なんか、最新鋭科学技術力をもってすればいくらでもコントロールできる(のではないか)”という思い上がり、過信のほうです。

そのうちどこかの競合メーカーが、レザ・レ以上の記録促発力を持つ超絶スペックの水着を開発し、着ればタイムは出るけれども身体のイロんなところがギューギュームチムチ締まって締まって、ついにはゴール直後にのたうち回って脱ぐに脱げずに心停止…なんてことにならないとも限りませんよ。

月河も日本人ですから、北島さんたち日本代表には、もちろんルールの範囲内でいちばんご自身の納得行く装備を選んでもらって、納得行く結果を出してもらいたいですが、心の奥底でいちばん望んでいるのは、実は“昔ながらの素朴な水着を着た、(できれば)小国の無名新進選手が、レザ・レの有名どころ選手たちを尻目に新記録で完勝”という結末なんですよね。

コメント
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