retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線大崎駅(大崎ウィズタワー工事現場)

2011-12-21 03:48:29 | Weblog
大崎に、初めて来たときから、ニュー大崎店舗街、変わらないな。
そのときは、南側一帯、広大な、工場の敷地だったっけ。
だから、もともとは、工場地帯にある、飲食店なのかも。
ところで、ニュー大崎店舗街が、できたのは、いつなんだろう。
おそらく、高度成長を達成した後の、安定期。
当時は、工場地帯、らしからぬ、瀟洒な建物、だったのかも。
そして、皆、ニュー大崎店舗街を、見るたび、日本も、豊かになったな、と実感していたのなか。
今は、まわりに、高層ビルが、聳え立って、そんな風には、感じないけど。
むしろ、レトロ、な感じだ。
昭和の時代の、懐かしさ、というところ。
そういう意味では、いつまでも、残っていて欲しいけど、どうなることやら。
そんな、ニュー大崎店舗街から、山手線沿いに、南へ南へと、歩く。
しばらくすると、通りの、西側一帯、大崎ウィズタワーの工事現場。
まだ、あと少し、再開発は、続くようだ。
(2011年4月記)

山手線大崎駅(大崎三丁目 ニュー大崎店舗街)

2011-12-20 07:06:52 | Weblog
高田馬場駅から山手線。
大崎駅で下車。
大崎駅に来るのも、ひさしぶりだな。
昔は、高層ビルが、大崎の、あちこちに、建っていったので、足繁く、通ったものだけど。
今は、当時に、くらべ、落ち着いている。
それでも、まだまだ、少しづつだが、再開発は、終わらない。
現に、こうして、来ているのも、新しい、高層ビルの、工事現場を、見るためなのだ。
そんな大崎駅周辺なのだが、再開発、いつから、始まったのだろう。
たしか、最初の、高層ビルは、駅東側の、大崎ニューシティ。
バブルの頃。
バブルの勢いで、その後も、再開発は、続くのかと、思ったが、バブルは、あえなく、崩壊してしまう。
もっとも、バブルの時代、地方の方が、開発の主役だったので、大崎のことは、どうでも、よかったのかもしれないけど。
状況が、一変したのは、バブル崩壊後に訪れた、失われた10年の後半から。
大崎駅周辺、ものすごい勢いで、変貌したな。
などと、当時のことに、思いを巡らしながら、駅西側へ。
そこには、ずっと、変わらぬ、ニュー大崎店舗街。
(2011年4月記)

小田急線海老名駅(小田急線海老名駅南口)

2011-12-19 06:08:42 | Weblog
小田急線海老名駅の南側にも、ペデストリアンデッキが、広がっているが、こちらは、郊外にあるような、普通の、ペデストリアンデッキ。
今回は、八王子に、寄ってきたのだけど、あんまり、八王子と、変わらないな。
八王子の方が、街の規模が、大きく、海老名は、むしろ、こじんまりしている、という、違いはあるけど。
そういえば、海老名からは、横浜方面へ、相鉄線も、伸びている。
つまり、相模鉄道、小田急線、相鉄線と、三路線が、集まる、交通の要衝なのだ。
ということは、高層ビル、リコーテクノロジーセンター新棟は、けっして、辺鄙な場所に、建っているわけではない。
都心にも、横浜方面にも、直結している。
相模線は、八王子だけど、その手前の、橋本駅には、中央リニア新幹線の駅が、予定されているし。
辺鄙な場所どころか、実は、注目の場所、なのだろう。
さて、もう、帰ろうかな。
帰りは、小田急線で、新宿駅経由。
相模国分寺跡は、心残りだけど。もう少し、時間があるとき、下調べしてくればよかった。
もっとも、高層ビルにこだわらなければ、いいのかな。
最近は、都心部などに、高層ビル、集中して、建つので、高層ビルのあるところに行っていると、いつも、同じような、場所にしかいけない。
機会があれば、高層ビルの有無に関わらず、海老名、もう、一度、訪れてみよう。
海老名駅の、改札を抜け、小田急線のホームへ。
帰途に着く。
(2011年4月記)

相模線海老名駅(相模線海老名駅と小田急線海老名駅の間にあるペデストリアンデッキ)

2011-12-18 06:21:01 | Weblog
相模線海老名駅に着き、階段を上る。
橋上駅舎の、南側には、ペデストリアンデッキ。
こんな畑しかないようなところに、なんで、ペデストリアンデッキなんだろうと、思いつつ、その上を、南へと、歩いていく。
ふと、歩いているとき、おそらく、海老名には、今後、高層ビルが、建つことはないはず、ということを思い出す。とすると、再び、ここに、来ることはないわけだ。
もう、来ないなら、海老名にあったという、古代の、相模国分寺、および、国分尼寺、見て置くのだったな。
と思っても、どこにあるのか、わからないし、寄り道している時間はない。
後で、調べたら、海老名の街の、東側に、相模国分寺跡が、あるようだ。
ところで、国分寺の近くには、必ず、国府があるものらしいのだが、相模国の場合だけは、今の、平塚にあったらしい。
たぶん、相模国内で、相模川の西側と東側は、もともと、別々の地域だったのだが、強引に、くっつけて、一つの国にしたので、国府は、相模川の西側、今の平塚へ、国分寺は、相模川の東側、今の海老名へ、というふうに、なったのかな。
そういえば、海老名の、ちょっと、離れているが、南側には、寒川神社という古社もあるし。
などと、考えているうちに、小田急線海老名駅に着く。
(2011年4月記)

相模線海老名駅(リコーテクノロジーセンター新棟)

2011-12-17 05:27:35 | Weblog
畑地の真っ只中を、北へと、歩いていく。
ただ、歩いているのは、自分だけではない。なぜか、場違いな、サラリーマンの姿も、ちらほら。
この謎の答えは、歩いていく先にある。
かなり歩いていくと、北側に、広大な、リコーテクノロジーセンター。
サラリーマンは、この施設に、吸い込まれていくのだ。
そして、リコーテクノロジーセンター内に、高層ビル、リコーテクノロジーセンター新棟。
最近、竣工している。
とりあえず、この高層ビル、道路際に、建っていて、よかった。
敷地の奥だったら、まず、近付けないだろう。
それにしても、見渡す限り、畑しかないな。
このような場所にも、高層ビルは、建つものらしい。
首都圏でも、もっとも、辺鄙な場所に、建っている、高層ビルの、一つだろう。
ということで、目的は、達したので、引き返すことにする。
再び、畑地の中、駅へ。
(2011年4月記)

相模線海老名駅(上郷 海老名の広大な畑地)

2011-12-16 03:53:10 | Weblog
再び、改札口を通り、ホーム。
今度は、横浜線に乗る。
列車は、南へ南へと、向かい、やがて、多摩丘陵。
ちょっとした、山間部だが、最近は、住宅地が、多くなっている。
郊外は、衰退し、いたるところ、シャッター通りなのに、どうしたことか。
おそらく、鉄道駅に、近いからだろう。一種の、駅前再開発、なのかも。
橋本駅で、相模線に、乗り換え、さらに、南へ。
途中、原当麻駅、を通る。
この原当麻(たいま)駅名、一帯が、当麻(たいま)、という地名だからなのだが、多摩(たま)、と語源が、同じなんじゃないかな、とも思えるが、どうなのかな。
などと考えているうちに、列車は、どんどん、南へと、向かい、海老名駅。
海老名駅で、下車。改札を抜け、北へと、歩いていく。
見渡す限り、畑地。
さすがに、ここまで、来ると、田舎だな。
と思うが、海老名駅には、小田急線、相模鉄道も、通っている。
たぶん、小田急線に乗って、来れば、都心に対する、郊外、という感じなのだろう。
それにしても、まわりには、畑以外、何もないけど。
(2011年4月記)

中央線八王子駅(八王子駅北口駅前広場)

2011-12-15 06:08:29 | Weblog
駅舎通路を通って、駅北口へ。
典型的な、郊外の、駅前広場だ。
ペデストリアンデッキが、縦横に伸び、そして、デパートが、並ぶ。
その奥に、連なる、瀟洒な、店舗。下町なんて、縁がなさそう。
ただ、そうした店、都心部と、さして、変わらない。
だから、郊外の街は、どこも、似たような、景観になってしまう。
そういえば、昔、八王子には、毎週、来ていたな。塾があったのだ。
夏祭りも、一度、見たことが、あったっけ。
あの頃と、ずいぶん、変わってしまった。
それが、いいのか、どうか、わからないけど。
その後、クルマでは、何度か、来たことは、あるが、通過しただけ。
いつかまた、行ってみたいな、と思いつつ、時間が、ずるずると、過ぎていく。
中央線に乗れば、すぐだし、クルマなら、もっと、早い。
そのとき、頭にあったのは、昔のままの、八王子。
それで、実際、来てみると、もう、あの頃の、八王子は、なくなっていた。
思い出になってしまったのだ。
時代の流れなので、仕方がない。
(2011年4月記)

中央線八王子駅(サザンスカイタワーレジデンス)

2011-12-14 05:03:14 | Weblog
南口には、巨大な、高層住宅、サザンスカイタワーレジデンス。
最近、竣工している。(工事中はこちら
いままで、地方的だった、南口が、俄かに、垢抜けた感じになったのは、この、高層住宅の存在が、大きいのかな。
南口、一体的な、再開発、かもしれないけど。
それよりも、おそらく、拡大していく、北口の、市街化が、限界に達した、ということに、違いない。
高度成長を達して、安定期、そして、バブル。当時、地方は、どんどん、整備されていったのだ。
駅からの、市街化も、果てしなく広がる。
でも、バブルの崩壊で、行き止まり。
今度は、逆に、縮小を、始める。
都心に対する郊外でも、広がり過ぎた、市街地は、衰退の一途。
自分の家の近くも、ご多分に漏れず、シャッター街。
その代わり、駅前に、再開発が、集中するようになった。
それが、今の状況。
八王子駅南口、サザンスカイタワーレジデンスも、そういうわけだろう。
さらに言えば、巨大であればあるほど、辺縁の、衰退は、広大なのかもしれない。
(2011年4月記)

中央線八王子駅(八王子駅南口駅前広場)

2011-12-13 06:09:07 | Weblog
中央線に乗り込む。
ひさしぶりだ。
中央線に乗るときは、たいてい、神奈川県に、向かうときだな。
以前は、いったん、都心に出てから、という風だったけど、最近は、面倒になって、直接、向かう方を、選んでしまう。
時間は、短縮されるが、郊外から郊外、というと、あまり、遠くへ来た、実感は、沸かない。それにもかかわらず、だから、要するに、面倒になってしまったのだ。
そんなことを考えているうちに、列車は、多摩川を、越えて、日野市。
いつの間にか、甲州街道の、バイパスが、完成しかかっている。
甲州街道は、日野駅前を、通っていて、やや、混むのだ。
そういうわけで、北側に、バイパスが、計画されていたが、もう、何年前の話かな。
完成しても、今となっては、もう、クルマに乗るようなこともないし。遅すぎるのだが、仕方ない。
豊田駅を、過ぎ、八王子駅に、到着。
改札を、出る。
八王子の街も、変わったものだ。
昔は、地方都市だったけど。いつしか、都心に対する、郊外になっている。
南口に、向かうと、こちらも、はたして、郊外の景色。
もっとも、こちらは、ごく、最近までは、地方的だったのだ。
(2011年4月記)

都営大江戸線青山一丁目駅(都営青山南町第4アパート)

2011-12-12 03:29:21 | Weblog
外苑東通りを、さらに、北へ北へと、歩いていく。
しばらくして、東西に伸びる、大通り、青山通りの手前、外苑東通りの西側には、都営青山南町第4アパート。
いかにも、古そうな、集合住宅だが、実際、とても、古い。
竣工は、高度成長が始まった頃。
東京タワーが、完成したのと同じ年。
まさに、「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代だ。
南側、六本木、東側、赤坂は、進駐軍のおかげで、かなり、賑やかだったけど、その賑やかさ、ここら辺には、及んでいなかったのだろうな。
おそらく、普通の、住宅地。
だから、普通に、団地が、建っていたりするのだ。
ただ、高度成長が、達成されると、それ以降、賑やかさは、西側、渋谷へと、徐々に、移っていく。
青山通り一帯も、その、通り道になったに違いない。
そういうわけで、住宅地も、様変わりし、いつの間にか、建ち並ぶ、ビルや商店。
今は、すっかり、垢抜けた街に、なってしまった。
でも、そんな中、都営青山南町第4アパートは、まだ、建ち続けている。
いつかは、取り壊されるんだろうけど、とりあえずは、目の前に、建っているのだ。
そんな光景を見ると、我が身に置き換えて、ちょっと、安心してしまうな。
そろそろ、帰ろう。
帰りは、青山一丁目駅、大江戸線。
新宿に寄っていこうと、思っている。家電量販店で、地デジチューナーを、買うのだ。
青山一丁目駅へ、向かう。
(2011年4月記)