retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

田園都市線駒沢大学駅(ヴィルヌーブタワー駒沢)

2009-01-31 07:41:55 | Weblog
246号線を今度は東に歩く。
しばらく歩くと、南北に伸びる環状七号線との交差点。
その交差点の南西側にヴィルヌーブタワー駒沢がある。
竣工は、やはり、失われた10年の終わり頃。
この時期、田園都市線の沿線に、こうして、高層住宅が建っていったのには、何らかの意味が、あったんだろうな。
ちょっと、この高層住宅の裏手に回ってみる。
建物の裏側は、普通、何もなくて、のっぺりしているはずなのだが。
この高層住宅の場合は、妙におしゃれな外観になっているので、驚いてしまった。
たぶん、交通量の多い大通りの側は、どうでもよくて、むしろ、閑静な住宅街、道路から見て反対側の方が、重要、ということなのだろう。
つまり、大通りの方に背を向けて、閑静な住宅街の方を、向いている建物なのだ。
騒がしい大通り側は、どうでも、いいのだろうな。
そう考えると、なんだか、この高層建築、閑静な住宅街を守る、防壁にも見える。
さらに言えば、交通量の多い大通りの近くは、住環境がよくないので、下町っぽくなるのだが、そういった場所を、高層住宅を建てることによって、人工の山の手にしているようだ。
すなわち、ヴィルヌーブタワー駒沢が建っている一画が、山の手に囲い込まれたように見えるのだ。
バブルの頃とは、様相が、根本的に違うな。
バブルの頃は、どうでもいい、自転車置き場やら、小さな公園までが、きれいに整備されたりした。
もっとも、そんなことやっていたので、バブルは崩壊してしまったのかな。
そういうわけで、バブルが崩壊して、失われた10年。
バブル的な考え方は、すっかり消滅していき、かわりに、豊かさは、偏在せず、集中するようになったのだ。
そういったわけで、田園都市線の沿線、山の手の至近に、こうして、高層住宅が建っていったのだろうか。
本当は、どうだか、わからないけど。
とりあえずは、また、喧騒の大通り沿いに出る。
豊かさとは、縁のない自分にとっては、こちらの方が、ほっとしてしまうな。
そして、豊かさは、実際にあるのかもしれないが、こちら側にいる身にとっては、もはや、それは、たんなる幻想なのだと、実感してしまう。
(2008年8月記)


田園都市線駒沢大学駅(トゥールジョーヌ駒沢公園)

2009-01-30 05:06:40 | Weblog
再び、階段を登って、246号線へ。
西へと歩いていく。
しばらく歩くと、南側一帯は、山の手通りの地下を通る予定の高速中央環状線と、246号線、及び、首都高渋谷線との、巨大なジャンクションの工事現場、となっている。
広範囲かつ大規模な工事だが、谷地ならでは、ということだろうか。
山の手で、こんな、工事はやらないだろうなあ。
さらに、西へ歩いていくと、目黒川。そして、目黒川を渡った先には、池尻大橋駅。
田園都市線の駅では、なんとなく、この駅が一番、好きだな。
目黒川沿いで、下町、というほどでもないけど、居心地がよさそうなのだ。
そういえば、行ったことないけど、貝塚公園なんてのもある。縄文時代も暮らしやすかったのかな。
もっとも、縄文遺跡があるのは、近くに、大きな池があるためだったのだろう。下町っぽかったから、というわけではない。
池尻大橋駅で田園都市線に乗る。
駒沢大学駅で下車。
246号線の道路際は、お店がごちゃごちゃしていて、田園都市線沿線なのに、意外にも、庶民的な感じがする。
たぶん、上空を首都高渋谷線の高架が走っているので、住環境が悪く、商店ぐらいしか、集まらないのだろう。
とすると、ひょっとしたら、この、庶民的な街並み、池尻大橋から、ずっと続いているのかなあ。そうだとしたら、嬉しくなってしまうけど。
そんな246号線を西に歩いていく。
しばらく歩いていくと、246号線の北側にトゥールジョーヌ駒沢公園。
竣工は、失われた10年の終わり頃だ。なんか、今日、訪れている高層ビルは、皆、同じ頃、完成しているな。
さらに言えば、こんな風に、ごちゃごちゃした場所には、高層住宅が建ったりするものだな。
この高層住宅の裏手にまわってみる。
もう、そこは、閑静な住宅街。大通りのごみごみした喧騒とは、別世界だ。
だが、自分にとっては、長居は無用な場所だ。
また、さっきの、庶民的な、通りに戻ろう。
(2008年8月記)

田園都市線池尻大橋駅(ソプラタワー)

2009-01-29 06:12:53 | Weblog
旧山手通りをそのまま、まっすぐ、南に行くと代官山に出る。
旧、だから、なおさらなのだろうか、この区間を歩くと、本当に、山の手を通っている通りだな、と実感してしまう。
実際、旧山の手通りの西側は、青葉台。東側にも、閑静な住宅街が広がっている。
さらに、246号線の北側、旧山の手通りの東側は、有名な松濤だ。
渋谷の街は、実は、このような、周辺の高級住宅街が、支えているのでは、と思ってしまうな。
246号線を西へ西へと歩いていく。
やがて、南北に伸びる、山手通りとの立体交差。谷地を通る山手通りの上を、246号線が橋梁で越えていく。
こちらの山の手通りの本道の方は、山の手ではなく、山の手の麓、目黒川沿いの谷地を通っている。
どおりで、閑静な住宅街を通る、旧山の手通りは、あんまり、交通量が多くないわけだ。こうして、谷地の方に交通量を振り向けているので、山の手は、静かな住環境は保たれているわけかな。
そのような谷地へと降りていくには、246号線の歩道際から、下に伸びている、階段を降りていくと、すぐなのだ。
なんか、秘密の抜け道、のような感じがする。
とんとん、と階段を降りて行き、谷地に降り立つ。
下町が広がっている、というほどでもないけど、やはり、山の手に対する、下界、というところだな。
本当に下町っぽい、というところは、もっと南側、中目黒からだろうか。
階段を降りたところから、少し南へ歩く。通りの東側にソプラタワーがある。
竣工は、失われた10年が終わる頃。都心集積化が始まる時期だ。
山の手は、すでに、高級住宅街になっているので、せめて、その、そばに高層住宅、という、人工の山の手を作る、ということか。
こうして、下町は、山の手の仲間入りをするわけだが。
もっとも、下町が、豊かになるわけでもなく、ただ、その範囲が狭くなっていくだけなんだけど。
(2008年8月記)

山手線渋谷駅西口(南平台町計画)

2009-01-28 05:06:16 | Weblog
道玄坂のきつい坂を上っていく。
北側は、ラブホテルが密集している地帯。いったん、入り込むと、迷路のようになっていて、なかなか、通過できなくなってしまう。
ただ、ちょっと、東側の道玄坂小路を北に行くと、すんなりと、東急文化村の方に出られるのだ。
東急文化村、というとデパートなのだが、バブルの頃の渋谷デパート戦争の夢の跡、なんだろうな。
一回ぐらいしか行っていないし、覚えてもいないが。
その東急文化村まで、渋谷駅から大通りが伸びていて、その大通りの東側に、沿うように、渋谷センター街がある。
渋谷センター街をずっと歩いていくと、たしか、タワーレコードがあったなあ。
その頃は、CDではなく、本当にレコードだったっけ。
今は、山手線沿いに移転してしまった。
あと、なぜか鯨料理の店や台湾料理の店、そして、とても妙な形の交番があったな。
もう行っていないので、どうなってるんだろうか。たぶん、今も、変わらないのだろうし、その頃のように、賑やかなんだろうけど。
そして、昔は、その賑やかさに、身を沈め、埋もれていれば、時が、どんどん、経っていくものと、思っていたものだ。
まさに、何も生産的なことを、しなくても、暮らしていけるんじゃないか、という錯覚に浸っていたわけだが。
もっとも、その賑やかさ、というのは、所詮、バブルの頃のデパート戦争から溢れ、零れ落ちた、あぶく銭、が元なのかもしれない。
実際、そうだったかもしれなかったけど、でも、今から振り返ると、懐かしくてたまらない、というのも、事実なのだ。
そんな、昔のことを思い出し、感慨に耽りながら、道玄坂を歩いていく。
ラブホテル街が尽きると、今度は、下り坂。
246号線に出る。そのまま、246号線に入って、西に歩いていく。
しばらくすると、南北に伸びる旧山手通りとの交差点。
その交差点の南東側に南平台町計画の工事現場がある。
道玄坂の、こんな近くに、このような、巨大なオフィスビルが建つものらしい。
たぶん、この高層ビルが完成して、その巨大な姿を見上げると、何も生産的なことを、しなくても、暮らしていけるんじゃないか、という昔の甘い錯覚は、雲散霧消してしまうに違いない。
その後に残るのは、重苦しくて、冷ややかな現実だけだろうか。
(2008年8月記)

山手線渋谷駅西口(渋谷マークシティウエスト)

2009-01-27 05:04:49 | Weblog
高田馬場から山手線で渋谷駅へ。
西口に出る。
渋谷に来るのも、ずいぶん、ひさしぶりだな。
最近は、足が遠のいてしまっている。ちょっと前までは、よく来たものだが。
渋谷、というと、まず第一に感じるのは、何も生産的なことを、しなくても、暮らしていけるんじゃないか、という錯覚に浸れてしまう、ということだけど。
そういうことが、錯覚だと、実感してしまうと、足が遠のくものなのかな。
西口の広場を横切り、街中へと入っていく。
ここら一帯、道玄坂から南側、246号線までは、ちょっと、ごちゃごちゃして、昔の下町的な渋谷が残っている。
このような、下町っぽい場所なら、行っても、いいかもしれないな。
少し北に歩いていくと、渋谷マークシティウエスト。
渋谷マークシティイーストという高層ビルも東側にあり、東西に、壁のようになって、並んでいる。
やはり、下町っぽいと、高層ビルがあるのかな。
竣工は、失われた10年の終わり頃。そろそろ、都心に集中的に高層ビルが建ち始める時期だ。この高層ビルも、そのような、建物なのだろう。
それにしても、この壁のような高層ビル、見事に、道玄坂の南側の町を、南北に分断している。
たぶん、この一帯は、渋谷の街としては、どうでもいいのだな。
渋谷マークシティウエストと渋谷マークシティイーストの間を通って、北へ歩く。
この、どうでもいい場所が、自分には、もっとも、居心地がいい、というのも、情けないが。
さらに北に歩くと道玄坂。
そういえば、かなり昔、渋谷マークシティが建った頃かな、この通りを歩いていたら、道化の衣装をまとった外国人が、よたよたしながら、いくつもの玉をぽんぽん、宙に投げていた。顔は、とても、青白くて、大丈夫かな、と心配してしまうような感じだった。
彼のまわりで、スーツ姿の男が、まわりをうろうろしながら、本を売りつけているのを見て、この道化の外国人が、ジャグリングもできる、さる高名な数学者だとわかった。
そのような道玄坂から北は、ラブホテル街。さらにその北は、バブルの頃、東急デパートと西武デパートが競い合い、華やかな戦いが繰り広げられていた。
昔の渋谷は、本当に、生産的なこととは、無縁の世界だったなあ。
でも、この一生懸命、玉を投げている、高名な数学者を見ていたら、生産的なことをしないで、暮らしていく、というのは、容易なことではないな、と感じてしまったが。
そして、もう、その頃は、渋谷のデパート戦争なんて、バブルの頃の昔語りになっていたな。
(2008年8月記)

千代田線桜田門駅(東京高等地方簡易裁判所合同庁舎)

2009-01-26 06:10:39 | Weblog
警視庁本部庁舎の東側を南へ伸びる、大通り、桜田通りへ入り、南へ歩く。
すぐに、桜田通りの東側に東京高等地方簡易裁判所合同庁舎がある。
この高層ビルも、高度成長期の終わった後の安定期に建っている。
平穏無事な社会にあっては、司法も磐石な高層ビルをもって、その平穏さを、支える、ということか。
警視庁本部庁舎のビルも通りの向かい側にあり、いよいよ、頼もしい限りだったに違いない。
でも、本当にそうだったのかな。今から、振り返って見ると、そうではなかったように思えてしまう。
当時の平穏無事な社会、その根幹は、高度成長により達成された、豊かな社会、だったのではないだろうか。
つまり、司法などではなく、豊かさこそが、高度成長以降の社会を支えていたように思うのだが。
例えば、皆が豊かさを享受していれば、その豊かさをもたらす社会を、あえて否定する者はいない。皆が、そのような社会を肯定してくれるだろうし。
だから、豊かであれば、社会も安定する、ということではないかな。
ならば、さきほどの警視庁本部庁舎や、今、目の前にある東京高等地方簡易裁判所合同庁舎の、かつての、頼もしさ、というのは、根拠はなかったのかもしれないな。
では、その後、そのような、豊かさによって支えられてきた、安定期の社会は、どうなったのだろうか。
バブル崩壊、失われた10年の後、すっかり、平穏無事は、消滅してしまったのだ。
だが、社会の豊かさだけは、いまだに、維持されている。
格差社会、競争社会、になることで、だが。
そんな社会の中では、その豊かさを、皆が享受するわけではない。
豊かさは、競争のご褒美。テーマパークでの一抹の明るさ、楽しさ。そして、表面を飾る張りぼて。そんなものでしかなくなった。
しかし、そんな社会でも、豊かさのまったくない、司法だけが支える社会よりは、ましなのだろうか。それは、どうなのか、わからないな。
ただ、目の前の東京高等地方簡易裁判所合同庁舎や警視庁本部庁舎のビルが、やけに、煤けたようになっていて、もう、古びているのは、確かなことだ。
そのことは、幸福な時代は、もはや、遠い過去になってしまった、ということを、示しているのだろう。
(2008年8月記)

千代田線桜田門駅(警視庁本部庁舎)

2009-01-25 10:08:17 | Weblog
向ヶ丘遊園駅に戻り、再び、小田急線に乗る。
多摩川を渡ると、その先は、高架複々線となる。
バブルの頃、えらい勢いで、この高架複々線の工事が始まったのだが。
結局、下北沢あたりは、高架にするのを諦めて、地下に変更になったらしいな。
だったら、最初っから、全線、地下でもよかったかもしれない。
田園都市線も地下なわけだし。
地形的に見ても、成城学園前駅から喜多見駅の間で、地上に出れば、自然な感じだ。
と、今さら言っても仕方ないけど。
たぶん、バブルの遺産、ということなのだろう。
ただ、田園都市線沿線のような、敷居の高い、閑静なだけの住宅街にならなくてよかった、と思う。もちろん、これは、訪れる側の勝手な言い分だけど。
代々木上原駅で千代田線に乗り換える。
桜田門駅で下車。
地上に出ると、北側は、皇居の濠。南側は、官庁街、となっている。
その官庁街の中で、桜田門駅近く、目の前、間近に聳えるている高層ビルは、警視庁本部庁舎だ。
竣工は、高度成長期の終わった後の安定期。
世の中もすっかり、平穏になり、この平穏さを守るためには、でかいビルでも建てなければ、と思ったのだろうか。
本当は、どうだか、わからないが、ただ、平穏な社会にあっては、この大きな建物、ずいぶんと、頼もしく見えたのは事実だ。
たしか、社会人になったとき、最初に見学させられたのは、この警視庁本部庁舎だったように記憶している。違ったかもしれないけど。
季節は、やはり、春だったかな。
まだ、幸福な時代。未来には、何も不安はなかった。
もし、不安があったとしても、警視庁本部庁舎の大きなビルがあれば、大丈夫だったわけだ。
そんな気持ちで、この高層ビルを見上げていた時代も、あったのだなあ。
そんな時代も、はるか昔に過ぎ去って、懐かしい思い出になってしまった。
(2008年8月記)

小田急線向ヶ丘遊園駅(アトラスタワー向ヶ丘遊園)

2009-01-24 09:11:19 | Weblog
小田急相模原駅に戻り、小田急線へ。
都心へ向かう。
向ヶ丘遊園駅で下車。
北口へ出る。東側には、アトラスタワー向ヶ丘遊園。
ごく新しい高層住宅だ。さらに言えば、最近、よくある、駅前の高層住宅、ということわけかな。
そのような向ヶ丘遊園駅なのだが、向ヶ丘遊園駅というと、よく覚えているのは、南口にあった、向ヶ丘遊園モノレールだな。
一回だけ、乗ったことがあるのだ。
意外と車内が広かったことや、かなり高い位置を通っていたことや、そんなことが、強く印象に残っている。
そういえば、たしか、記念に切符を残しておいたのだが、いつの間にか、どこかへいってしまった。
モノレール自体が、なくなると知っていれば、大切に保管していたのに。
向ヶ丘遊園モノレールについて、バブル的な発想だが、よく、地図を見て、空想したものだ。
向ヶ丘遊園モノレールを南に延伸して、二つぐらい、駅を設置すれば、便利な通勤路線になるのではないか、とか。
さらに空想は広がる。
もっと、南に延伸すれば、田園都市線の駅、例えば、たまプラーザ駅まで到達する。そうなれば、田園都市線と小田急線がつながるではないか。
つながったら、どうなる、というわけでもないけど。
ただ、空想の中では、モノレールが、賑やかな遊園地を巡り、その後は、静かな住宅地の中をゆっくり走る、そんな光景が広がっていたなあ。
そんなこと考えているうちに、バブルは、崩壊。失われた10年。
失われた10年が終わってみると、向ヶ丘遊園モノレールどころか、向ヶ丘遊園すら、消滅していた。
時代の流れなので仕方のないことだが。
ところで、向ヶ丘遊園モノレール、向ヶ丘遊園、が消滅した後は、どうなったのだろうか。
それらに代わって、向ヶ丘遊園駅近くに、アトラスタワー向ヶ丘遊園が建った、というわけかな。
(2008年8月記)

小田急線小田急相模原駅(グランタワー小田急相模原ル・ソレイユ)

2009-01-23 06:12:49 | Weblog
また、延々と暑い中、歩いて、橋本駅に戻る。
まわりは、原っぱしかないので、強い日射を遮るものはない。
路面のアスファルトは、焼け付くようだ。
やっと、橋本駅に辿り着き、駅舎に入る。
再び、横浜線に乗る。冷房がありがたい。
相模原駅で下車。南口へ。
駅南側には、2棟の高層住宅が建設中だ。まだ、完成はしていなかったので、すぐに、駅に戻る。
冷房の効いた電車の車両に乗りたい、というのもあるが。
また、横浜線へ。町田駅で小田急線に乗り換える。
相模大野駅で下車。
こちらにも、再開発が始まりそうな場所があったはずだが。
ちょっとわからないけど、だいたい、見当はつく。
たぶん、南側の取り残された一帯なのだろう。
はたして、ペデストリアンデッキから南側を見ていたら、西口の南の方に、囲いを巡らせた場所があった。
さっそく、行ってみると、高層ビルの完成図を掲げた看板が取り付けてあった。
着工はしていなかったし、そもそも、いつ、着工するのかもわからないので、引き返すしかなかったが。
何年かしたら、また、相模大野駅に来ることになるのだろうけど。その時の楽しみ、ということだな。
相模大野駅に戻り、再び、小田急線に乗る。
小田急相模原駅で下車。
駅ビルが高層ビル、グランタワー小田急相模原ル・ソレイユになっている。
最近、竣工している。よくある、駅一体型の高層住宅だ。
この駅近くにも、まだ、再開発の予定はあるらしい。場所は、わからないが。
いつも、駅の西側に出ているけど、住宅地が広がるばかり。高層ビルが建ちそうな場所は見当たらない。
ひょっとしたら、と思い、いったん、駅の南側に進み、駅東口に出てみる。
こちら側は、ちゃんとした、賑やかな、普通の駅前の風景が広がっていた。
郊外に、ぽつんとある駅ではなかったのだな。
そして、やはり、こういった街には、取り残された場所があって、そういう所で再開発が始まるのだろうが。
たぶん、それは、駅の南側一帯なのだろう。ただ、再開発が始まるようには、見えなかった。どうなるかわからないけど。
ということで、再来年、政令指定都市になる、相模原市の変貌著しい場所を巡ってきたわけだが。
政令指定都市になって、いい方向に向かえば、いいんだけど。どうなることか。
(2008年8月記)

横浜線橋本駅(ミッドオアシスタワーズ工事現場)

2009-01-22 06:14:36 | Weblog
橋本駅に戻り、駅構内の通路を通って、南口に出る。
南口は、北口とは、景観がまったく違うなあ。
のどかな、地方の風景だ。
真夏の太陽の光を浴びて、木々の緑が眩しい。
そんな中、横浜線の線路に沿って、東へと歩いていく。
たしか、高層住宅の工事現場があったはずなのだが、歩けども歩けども、それらしき、場所には、辿り着かない。
容赦なく、真夏の太陽が照りつけ、暑くて暑くて、たまらない。
しばらくすると、道路の南側に、広々とした、原っぱ。
最近、あちこちにできている、駐車場付きの、広大なショッピングセンターの予定地らしい。
これは、高層住宅の計画を変更して、ショッピングセンターにしたのかな、と思ってしまったが。
それだけ、このショッピングセンター予定地は広いのだ。
でも、ひょっとしたら、と思い、さらに東へと歩き続ける。
横浜線と平行して伸びていた相模線が、カーブを描いて、南へと曲っていくあたりに着く。
道路も、その相模線に沿って、南へと曲っていくのだが。
やっと高層住宅の工事現場に辿り着く。
ミッドオアシスタワーズ、という高層住宅だ。
せめて、ショッピングセンターの西端にあれば、橋本駅も近いのに。
この場所は、ショッピングセンターの東端なのだが、ひょっとしたら、相模線の南橋本駅でも、橋本駅と同じぐらいの距離かもしれない。
もっとも、そうだとしても、最寄り駅は、橋本駅、なんだろうけど。
ショッピングセンターの東端にしたのは、橋本駅を利用する場合、必ず、ショッピングセンターを通過するからだろうか。まさか、そんなことはないだろうけど。
ただ、これで、橋本の街が拡大することは、間違いないが。
でも、広大なショッピングセンターも開業するなら、駅からの、無料巡回バスぐらいは、あってもいいかな。
(2008年8月記)