retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線田町駅(芝四丁目 宗光寺)

2014-03-31 04:55:26 | Weblog
北へと、歩くと、すぐに、宗光寺。
創建は、江戸時代の前、室町時代。
時期は、だいたい、同じようだ。
とすると、やはり、当時、この地に、なにか、画期が、あったのかもしれない。
新しく、再開発があったり、あるいは、移住があったり、といったこと。
そのときに、寺社も、整備されたのかな。
当時の、鎌倉街道とは、ちょっと、離れているので、漁業の拠点、あるいは、海上輸送の、中継点、だったのだろうか。
昔のことなので、もう、わからない。
寺町を、後にして、さらに、北へ。
(2012年12月記)

山手線田町駅(芝四丁目 正念寺)

2014-03-30 07:15:32 | Weblog
寺町の中、西へ、歩く。
すぐに、正念寺。
創建は、わからない。
おそらく、江戸時代、と思われる。
ちなみに、江戸時代に、近くを、通っていた、東海道、当時は、鎌倉街道なのだが、江戸時時代よりも前は、西側に、位置していたらしい。
ただ、東隣の、法音寺や、御穂神社は、創建が、江戸時代よりも前、室町時代。
とすると、この地は、海上の、ルートで、結ばれていたのかもしれない。
今度は、北へ、歩いてみる。
(2012年12月記)

山手線田町駅(芝四丁目 法音寺)

2014-03-29 07:16:12 | Weblog
通りの西側は、繁華街のようになっている。
昔は、もっと、賑やかだったのだろうが、今は、どうなのだろう。
周辺には、工場地帯は、もう、なく、高層住宅と、大学があるばかり。
それなりに、命脈は、保つのかな。
北東へ、歩いていくと、都営三田線三田駅。
田町駅と、つながっているはずなのだが。
あまり、ターミナル、という感じはしない。
かつては、都心の住宅地であり、工場地帯だったからだろうか。
特に、大きな、駅前広場が、あったり、商業施設が、あったり、するわけではないし。
近接していても、連絡していても、別々の駅、でいいのだろう。
さらに、北東へ。
しばらくすると、通りの、北側、寺町になる。
その中の、一画には、法音寺。
創建は、江戸時代の前、室町時代、ということだ。
ちょっと、寺町に、立ち寄ってみる。
(2012年12月記)

山手線田町駅(芝五丁目 田町駅前)

2014-03-28 05:07:01 | Weblog
第一京浜、北東へ。来た道を、引き返す。
再び、田町駅前。
ビルが、両側に建ち、その間は、ペデストリアンデッキ。
その、ペデストリアンデッキは、第一京浜の、反対側まで伸び、横断歩道を、渡らなくても、よくなっている。
ただ、用がないので、通ったことは、ほとんど、ない。
大学が、あったりするので、学生が、通るのだろうか。
あるいは、再開発されて、高層住宅や、オフィスビルも、建ったので、それなりに、往来は、あるのかもしれない。
あまり、変わらないような気もするけど。
余程のことがないかぎり、将来も、このままだろうな。
田町駅前を、過ぎ、さらに、第一京浜、北東へ。
(2012年12月記)

山手線田町駅(三田ベルジュビル)

2014-03-27 05:16:09 | Weblog
高田馬場駅から、山手線。
田町駅で下車。
ずいぶんと、久しぶりだ。
たまに、訪れると、遠いな、と思ってしまう。
そもそも、直通する、路線がない。
山手線で、ぐるりと、回ってこなければならないのだ。
ひょっとすると、大江戸線が、近いのかな。
駅北口に出る。
こちらの方が、台地斜面の、麓になっているので、暗い感じ。
すぐに、交通量の多い、第一京浜。
第一京浜を、南西へ。
しばらくすると、通りの、東側に、三田ベルジュビル。
最近、完成した、高層オフィスビルだ(工事中はこちら)。
田町駅周辺、まだ、高層ビルが、建つものらしい。
(2012年12月記)

都営新宿線新宿三丁目駅(歌舞伎町一丁目 靖国通り)

2014-03-26 04:36:07 | Weblog
花園神社の境内、東西に伸びる靖国通りと、南北に伸びる明治通りとの、通り道になっていて、それなりに、往来がある。
いつ来ても、賑やかだ。
お祭りの日は、もっと、賑やかになることだろう。
初夏の頃だったかな。
昔、花園神社を、通ったとき、ちょうど、祭りを、やっていたのは。
屋台が、並んでいて、とても、賑やかだったな。
懐かしい思い出。
境内を抜け、南へ。
しばらくすると、東西に伸びる、靖国通り。
もう、歌舞伎町の、繁華街。
まるで、花園神社の、門前街、みたいだ。
そんな、歌舞伎町だが、一頃の、賑わいは、今は、すでに、ないのかも。
久しぶりに、訪れると、そう、感じてしまう。
時代の流れなので、仕方がない。
歌舞伎町を、横切って、西武新宿駅へ。
もう、帰ることにする。
(2012年11月記)

都営新宿線新宿三丁目駅(新宿五丁目 花園神社)

2014-03-25 06:09:47 | Weblog
明治通りを北へ、向かう。
しばらく、歩いていくと、西側に、花園神社。
創建は、江戸時代の初め頃、ということだ。
創建の地は、ここから、ちょっと、南側になる。
しばらくして、この地に、移転。
内藤新宿の、宿場町が、整備されてきたわけかな。
また、もともとは、追分稲荷、といった、特徴のない、名前だったのだが、この地に、移転したときに、花園稲荷神社、という、特徴ある、名前に、変わったらしい。
もっとも、江戸名所図会には、載っていないので、まだ、それほど、有名ではなかったのかも。
花園神社の、境内に、入ってみる。
(2012年11月記)

都営新宿線新宿三丁目駅(新宿五丁目 靖国通り 明治通りとの交差点近く)

2014-03-24 04:53:27 | Weblog
西へ西へと、進んで行くと、もう、繁華街。
新宿の街、という雰囲気だ。
もっとも、バブルの頃は、この賑やかさが、もっと、もっと、東へと、拡大し、その先に、富久町の、高層住宅が、建つものと、思っていたけど。
今は、むしろ、縮小しているように、感じでしまう。
そして、縮小した挙句に、高層住宅が建つ、ということかな。
どこも、同じだ。
結局、拡大は、停止し、南北に伸びる、明治通りが、新宿の街の、境界線に、なったようだ。
あるいは、ひょっとすると、ここから、縮小していくかも。
再び、西へと、歩き出す。
(2012年11月記)

都営新宿線曙橋駅(新宿五丁目 靖国通り)

2014-03-23 07:09:36 | Weblog
富久クロスコンフォートタワーの、工事現場、実は、外苑西通りの、予定地でもある。
高層住宅が、建つだけではなく、さらに、今後、道路が、北へ北へと、伸びていくようだ。
再開発も、広範囲に、なるかもしれない。
いつになるのか、わからないけど。
さらに、西へと、歩いていく。
次第に、街並みは、繁華街へ。
靖国通り自体、ずっと、沿道には、ビルが、建ち並んでいるのだが。
商業地域、というと、やはり、新宿駅のような、大きな、駅が、必要なのかな。
バブルの頃は、そのような、商業地域が、東へ、拡大するような、勢いが、あったように、記憶している。
今は、むしろ、逆かもしれない。
さらに、西へと、進む。
(2012年11月記)

都営新宿線曙橋駅(富久クロスコンフォートタワー工事現場)

2014-03-22 07:20:47 | Weblog
靖国通りの北側は、台地。住宅地になっている。
ただ、住宅地によくある、商店街、昔は、靖国通りから、伸びていたような、記憶もあるが、今は、なくなったようだ。
都心に、再開発が、集中しているからなのかもしれない。
さらに、西へ西へと、歩いて行く。
しばらくすると、通りの北側、富久クロスコンフォートタワー、大規模な、工事現場。
バブルの頃から、計画が、あったと思う。
当時は、実現せず。
ようやく、最近、着工されたらしい。
これも、都心部に、再開発が、集中したためかな。
再び、西、新宿方面へ、歩き出す。
(2012年11月記)