retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線新宿駅西口(文化女子大学)

2008-08-31 01:55:16 | Weblog
また、京王線の高架下まで戻り、西へ。
この高架下だが、途中から、飲食店などが並び始める。
なんか庶民的な雰囲気だなあ。
たぶん、中央線の中野、高円寺、荻窪、といった中央線文化、というのと、通じるものがあるのかもしれない。
そして、さらにもっとその雰囲気に似ている、とすると、総武線沿線だ。
たしか、その昔、関東大震災、東京大空襲、そういった街を灰燼に帰すような災厄の後、多くの住民が、都心の西側に移り住んだと聞く。
だとすると、総武線沿線あたりと中央線文化が似ている、というのも、当然なのかもしれない。
もっとも、最近は、本家の総武線沿線、例えば、錦糸町駅周辺など、再開発で、すっかり、きれいに整備されてしまい、下町的な雰囲気も昔ほどではないな。
笹塚駅で京王線に乗り込む。
京王線は、新宿の手前で、地下へと潜っていく。
初台駅で下車。
こちらも下町っぽい感じだったはずだが、地上に出ると、天を衝くような高層ビルが聳え立っている。
やはり、下町には、高層ビルが建っていく、ということか。これでは、錦糸町と変わらないな。
甲州街道を新宿駅方面、東へと歩く。
南へと伸びていく首都高速新宿線の高架をくぐっていくと、甲州街道の北側には、西新宿高層ビル街が現れる。
そして、甲州街道沿いになるが、甲州街道の南側には、あいおい損保新宿ビル、文化女子大学、新宿文化クイントビルが東西に並ぶように建っている。
それぞれ、竣工時期は、あいおい損保新宿ビルは、バブル期、文化女子大学は、バブル崩壊後の失われた10年、新宿文化クイントビルは、失われた10年の後、集積化の時期、というふうに違うのだが。
しかし、これら3棟の高層ビルは、南側の代々木の山の手住宅街と、北側の新宿の街との一つの防壁を形成しているように見える。
そういう計画があったかどうか、わからないけど。
(2008年3月記)

京王線笹塚駅(笹塚NAビル)

2008-08-30 02:04:09 | Weblog
さて、歩いて戻るのは、つらいので、今度こそ、バスに乗ろうと思ったが、世田谷通りはえらい混みようだ。
バスで三軒茶屋まで行っていたら、間に合いそうにない。
このまま、住宅街を北へ北へと歩いていけば、小田急線に行き当たるはず。
ということで、未踏の地だが、かまわず北へと歩くことにする。
歩きながら、周囲を見回すと、豪邸が並んでいるわけでもないが、閑静な住宅街が広がっている。
こういうところに住んでいれば、人生観が変わってしまうだろうなあ、とつくづく思ってしまうが。
静かな住宅街を北へ歩いていくと、やがて、小田急線の高架に辿り着く。
高架に沿って西へ。祖師谷大蔵駅に辿り着き、小田急線に乗り込む。
新宿方面に向かい、下北沢駅へ。さらに、京王井の頭線に乗り換える。
ところで、東急東横線、田園都市線、小田急線、と広がっている山の手は、やはり、京王線あたりまでなのだろうか。
はっきりした境界線があるわけじゃないけど、そんなところだろうと思う。
京王線の北側にも、浜田山、という山の手はあるのだが、やはり、京王線沿線に来ると、庶民的な雰囲気が感じられて、なにか、ほっとした気分になるのは、たしかだ。
明大前駅でその京王線に乗り換える。
再び新宿を目指す。ジグザグコース、というわけだな。
そして、京王線が新宿に向かうにつれ、北側の甲州街道が近付いてくる。
甲州街道の上には首都高の高架も通っているので、その車窓の光景は、まるで、東西に長く伸びる壁が、北側にたちはだかっているように見える。
居住区を隔てる壁だと言えば、信じる者もいるかな。
笹塚駅で下車。
京王線の高架の下を西に歩いていく。
中野っぽくて、いい感じだ。
そのようなところを歩いていると、小田急線沿線からここまで、こうして辿り着いたのだが、いったいどこらへんで、成城学園の閑静な住宅街が、このチープな街並みに変貌したんだろうか、と気になってしまうが。
やがて、南北に伸びる中野通りとの交差点。
中野通りに入り、そのまま南へ歩くと、京王線の高架の南側、中野通りの東側に笹塚NAビルがある。
バブルの終わり頃に竣工している。
山の手の辺境、下町には、このように、高層ビルが建っているものだ。
(2008年3月記)

世田谷区砧(NHK放送技術研究所高層棟)

2008-08-29 04:13:16 | Weblog
東急世田谷線の三軒茶屋駅だが、いつも、どこをどう行けば駅に辿り着くのか、迷ってしまう。地元路線だけあって、外部の人間には、わからないのだろうか。
しかも、ホームに着くと、切符の販売機がない。また、戸惑ってしまう。
どうするんだろうと思ったら、改札口でお金を払うだけらしい。
都バスの運転手の脇にある料金箱に、お金を投入するのと、同じ要領だ。
車両に乗り込み、しばらくすると、妙にメカニックな形になった東急世田谷線が、のんびりと動き出す。
西へ西へと進み、上町駅で下車。
少し南へ歩き、東西に伸びる世田谷通りに出る。
あとは、世田谷通りをちょっと西に歩けばいいかな、と思ったが、どうやら、場所を思い違いしていたらしく、行けども行けども、目的地に着かない。
何度も、バスに乗ろうかと思ったが、道路はやけに混んでいるし、すぐに着くとしたら、やはり歩く方がいいだろう、ということで、歩くのだが、やはり、いっかな辿り着かない。
しばらく歩いていると、「勉強しない学生には売らないよ」、という自転車屋の変な看板があった。
これは、2、3日前だろうか、ブログでとても人気のタレントさんが記事にしていた看板だ。おちは、「それでは、僕には買えないですね」、という感じだったかな。
こんな偶然もあるものだな。
もっとも、そのタレントさんは、親しみやすさで人気らしいから、世田谷、というと、山の手っぽくて、ちょっと幻滅してしまった。
さらに、世田谷、という地名を敢えて伏せてしまう、という、イメージ戦略を、ちゃんとやっているわけだから、二重に興醒めしてしまったなあ。
できれば、こういう看板は、練馬区あたりにあれば、よかったのに。そうすれば、そのタレントさんの親しみやすいイメージにぴったりだった。
そんなことを考えながら、東京農業大学を過ぎ、環状八号線を越える。さらに歩くと、世田谷通りの北側にNHK放送技術研究所高層棟がある。
バブルが崩壊した後の失われた10年の竣工だ。
不景気の頃は、このような有効需要の創設のための建物が建ったりするのかな。
ところで、話はあの変な看板に戻るが、その看板が世田谷通りにあって、その世田谷通り沿いに、NHKの施設がある、というのもまた、イメージ戦略かな。なんていうのは、あきらかに、考えすぎだろう。
(2008年3月記)

田園都市線三軒茶屋駅(サンタワーズセンタービル)

2008-08-28 06:17:04 | Weblog
高田馬場から山手線で渋谷駅へ。
最近は、悪天が多い。この日もどんよりとした曇り空だ。
渋谷駅で田園都市線に乗り換える。
三軒茶屋駅で下車。
来るたびに、代官山みたいな街になっていくような気がする。
下町っぽい感じはもうなくなっているなあ。
首都高の高架が覆いかぶさるようになっている246号線を南西方向に歩いていく。
やがて、246号線の北側にサンタワーズセンタービルがある。
バブルの頃の竣工だ。
この高層ビル以外にも、246号沿いには、飲食店などが両側に並ぶ。
もっとも、246号に限らず、交通量が多く、さらに上空を高速道路の高架が覆っている大通りの両側には、たいてい、飲食店やビルが、まるで映画のセットみたいに建ち並ぶものだが。
そのような大通りの歩道を歩いていて、なかなか庶民的な感じだ、と思って裏側に回ってみると、閑静な住宅地が広がっていたりする。
大通りの両側に並ぶ映画のセットみたいな街並みは、ただの防音壁なのかもしれない。
また、246号を歩いて、三軒茶屋に戻る。
三軒茶屋の中心には、キャロットタワーがある。サンタワーズセンタービルが完成してから、数年後、竣工しているのだが。
サンタワーズセンタービルぐらいなら、防音壁の街中にちょっとでかい建物が混ざっているかな、ぐらいに思うけど。
キャロットタワーのこの異様な巨大さを見ると、三軒茶屋が、ただの大通り沿いの商店街、というだけではないな、と思ってしまう。
やはり、周囲に広がる、世田谷山の手の広大さを、象徴している建物、なのだろう。
でも、敷居の高そうな隠れた名店が、あちこちにあるだけ、というよりは、ずっといいかもしれない。
東急世田谷線の三軒茶屋駅へ。
いよいよ、これから、広大な世田谷山の手に入っていく。
山の手なので、特にわくわくするようなものは、何もないんだけど。
(2008年3月記)

山手線田町駅東口(トリニティ芝浦)

2008-08-27 06:16:15 | Weblog
さっきの東西に伸びる大通りに出て、西へ。品川駅に戻る。
新港南橋で高浜運河を越え、旧海岸通りとの交差点へ。
このまま、西にまっすぐ進んでもいいのだが、以前、歩いていて、あまりにまわりに何もないので飽きてしまったことがある。
やはり、お店があったり、何か注意を惹かれるものがあると、距離を感じることなく歩けるのだが。
ということで、いつもと同じく、旧海岸通りをいったん、南へ進み、来たときの細い道に入る。
もっとも、こちらもあまり大差ないなあ。ちょっとはましだが。
この品川駅前から東に伸びるこの道も、いつか、商店街みたいになるんだろうか。
品川駅から山手線。隣の田町駅で降りる。
本当に一日中、冷たい雨だ。体中が凍えてしまった。
東側に出て、南東への道を進む。
前方には、芝浦アイランドの巨大な高層住宅が壁のように聳えている。田町駅も変わったものだ。
やがて、旧海岸通りとの交差点。
旧海岸通りに入って、南側へ曲る。
しばらく歩くと、旧海岸通りの東側にトリニティ芝浦がある。
竣工は、バブルの頃だ。
その頃から、芝浦の倉庫、工場地帯は、やがて、きれいに整備されて、高層住宅が建っていく。この高層ビルは、その最初だったのだろう。
ということで、天気も悪く、暗くなってきたし、雨も降り続いているので、もう帰ることにする。
その時、ふと、ウルトラセブンの「第四惑星の悪夢」の最後のシーンを思い出してしまった。
悪夢のような第四惑星から無事帰還して、のんびりと散歩する隊員。
ちょっとした思い付きで、下駄を飛ばして明日の天気占い。晴れか、雨か。
下駄は裏返ってしまい、天気は雨。
せっかく、無事、帰還して、現実に戻り、のんびりしているのに、雨はないだろう、と思ったものだが。
今日、一日、雨が降り続いたので、そんな記憶が蘇ってしまったのかな。
また、「第四惑星の悪夢」について考えてみる。
ひょっとしたら、「第四惑星の悪夢」は、やはり、話の中では、ただの悪夢に過ぎなかったのかもしれない。
とすると、「第四惑星」そのものは、実は、現実の中にある。そう言いたかったのだろうか。
悪夢は、醒めるから、悪夢。醒めない現実だとしたら。
楽しかった頃を夢に見るしかない。
あの最後のシーン、下駄飛ばしの天気占い。結果は、雨だったけど、その予想、当たっているかもしれないな。
(2008年3月記)

山手線品川駅東口(区営住宅シティハイツ港南)

2008-08-26 06:09:20 | Weblog
ビュロー品川の北側には、東西に伸びる大通りがある。
その大通りは新港南橋で高浜運河を越え、西の方、品川へ向かっている。
もっとも、品川駅からは、ちょっと遠いような感じかな。
品川駅の北東部のビル街と広大な水道局の処理施設との間にある大通りになるのだが。
平日は、オフィスビルのサラリーマンで賑やかなのだろうけど、今は実に閑散としている。冷たい雨も降り続いていることだし、それもあるかもしれない。
高浜運河から東側、最近、高層住宅が何棟も建ったのだが、この大通りは、そのメインストリート、なのだろうか。
位置的には、そうなるはずなんだろうけど、やはり、静かな大通りだ。
その大通りを東に進み、通りの北側にあるCOSMOSPOLIS品川の東側の小道を北へ歩く。
ちょっと歩いてから、再び、東に曲る。
すぐに、道路の北側に区営住宅シティハイツ港南がある。
竣工は、バブルが崩壊した頃だ。
まだ、その頃は、品川駅の西口と東口が結ばれていなかったはずだ。
それに、まわりには、高層住宅なんて、ほとんど、建っていなかった(さらに東側の海岸通り沿いに都営住宅港南4丁目第二アパート、東京都東京港建設事務所ビルがあったぐらいか)。
一帯には、倉庫と古い団地棟が広がっていただけ。
なんか、ウルトラセブンの「第四惑星の悪夢」に出てきた、ロボットに支配されている人間の居住区、そんな風景だったのだろうか。
今でも田園都市線の沿線に多摩プラーザ、という古い団地が残っているが、そこで、「人間の居住区」のシーンが撮影されたらしい。
不思議なのは、そのシーンが、とても懐かしい、あるいは、切なくなるような、そんな場所、として描かれていた、ということだ。
冷たい雨がしとしとと降り続く中、誰もいなくなってしまった、あたりを見回していると、昔の団地の風景とその懐かしさ、切なさ、とを重ねてしまった。
(2008年3月記)

山手線品川駅東口(ビュロー品川)

2008-08-25 06:14:21 | Weblog
御茶ノ水駅で中央線に乗る。
神田駅で山手線に乗り換える。
窓外は相変わらず、どんよりと曇っていて、冷え冷えとしている。
冷たい雨も降り続く。
やがて、山手線は、品川駅に到着。
品川駅の東口に出る。
駅前から東に一直線に伸びる細い道を歩いていく。
そういえば、品川駅東口、というのは広場はあっても、クルマが入って来ないので、普通の駅前、という感じがしない。
バスやタクシーは、北側に入っては来るけど、その他のクルマが入ってくるのは、見掛けたことはあんまりないなあ。
西口に交通量の多い第一京浜が通っているからいいのかな。
品川駅の東口は、都心の駅前とは思えないほどに、しんと静まり返っている。
南北に伸びる大通り、旧海岸通りを横断歩道で渡る。
この通りも幅広な割には、交通量は多くはないな。
さらに高浜運河を御楯橋で越える。
この高浜運河の東側は、失われた10年を経て、都心集積化の時代、激変した一帯だ。
高層住宅が、何棟も何棟も建っていった。
そのたびに、この御楯橋を渡ったものだが。
高浜運河に沿って、北へ歩いていく。
やがて、道路の西側、高浜運河沿いにビュロー品川がある。
何棟も何棟も建っていったうちの高層住宅の一つだ。このビルは、そのうちでも、初期の頃、だったと思う。
あの頃は、工事用のクレーンがあちこちで動いていて、どんな街が出現するのだろうと、わくわくしていた。
もう、街はほぼ完成して、新たな高層住宅の計画もない。
なのに、まわりを見渡しても、誰もいない。高層住宅なので外出する、ということもないのかな。
それに、外出する、といっても、公園ぐらいしかないみたいだし。
でも、これでは、「第四惑星の悪夢」に出てきた、第四惑星の街並み、隊員が最初に降り立った時の誰もいない街並みと同じような気もする。
(2008年3月記)

中央線御茶ノ水駅南口(明治大学アカデミーコモン)

2008-08-24 02:32:15 | Weblog
そういえば、国際新赤坂ビル西館の通りを挟んで南側には、TBSがある。ウルトラセブンは、そのTBSで放映していたんだったな。
そして、「第四惑星の悪夢」のロボット支配者たちのコントロールセンターにも、実は、テレビ局がある。
もちろん、そのテレビ局のスタジオのシーンには、当時のTBSのスタジオが使われているのだが。
それで、ロボットたちが、どんな番組を作ってるのかと思えば、生身の人間を銃撃する、といった、人間から見れば、実に理不尽なひどい番組を作っている。
そういったことなども、結局、悪夢の一つとして、ウルトラセブンが終わって、テレビを消せば、のんびりした現実世界、日常に戻れた、というわけだ。
そんなふうに昔に思いを馳せながら、近くの赤坂駅から千代田線に乗り込む。
新御茶ノ水駅で下車。
一帯は、駿河台の台地の南側斜面になっている。
その斜面を西に向かって歩いていく。
この日は、冷たい雨が降り続いていて、凍えるような一日だったなあ。
やがて、南へ伸びる大通りの西側に明治大学の巨大な明治大学リバティタワーがあり、その北側に付属高層ビルとして、明治大学アカデミーコモンがある。
失われた10年の後に竣工している。最近、あちこちで建っている大学の高層ビル校舎棟の一つだろう。
何年か前かな、たしか、この大学高層ビルで「拷問展」、というのをやっていた。
リバティタワー、自由の塔で「拷問展」、というのは、なにかのしゃれなのか。たぶん、「自由」の大切さを知る、ということで開催されていたのだとは思うけど。
でも、また、「第四惑星の悪夢」を思い出してしまった。
ロボット支配者たちのコントロールセンターでは、テレビ番組も作っているのだが、当然、ロボットが見るための番組を作っているわけである。
だから、登場する人間は、番組のために、銃撃の標的にされるだけの存在なのだ。
つまり、一方の果てしない自由は、他方を、徹底的に理不尽な立場に貶めてしまう。
そういった意味では、リバティタワー、自由の塔で「拷問展」、というのは、実は、とても相応しいのかもしれない。
もし、「自由」を考えるなら、相互に他方の「自由」を尊重する、という程度でいいんじゃないかな。
冷たい雨がますます降りしきり、手がかじかみそうなので、次の目的地に急ぐ。
(2008年3月記)

千代田線赤坂駅(国際新赤坂ビル西館)

2008-08-23 02:04:21 | Weblog
また、弁慶濠の交差点まで戻る。
この日は、びしょびしょと冷たい雨が降り続き、歩き回るにはつらかった。
冷たい雨の中を歩きながら、さっきのウルトラセブン「第四惑星の悪夢」についてさらに考え続ける。
例えば、なぜ、この話の中で、ロボットが人間を必要以上に軽蔑し、虐げる対象にしていたのか、よくわからないのだ。
こうも考えられるかもしれない。
この話に出てくる長距離宇宙ロケット、というのは、初の自動操縦による飛行で、乗っている隊員は、その間、ずっと寝ている、ということになっている。
とすると、普段は、ロケットを操縦している隊員にとっては、その眠りは、さぞ、居心地の悪い眠り、だったに違いない。
そんな、不本意な気分での睡眠なら寝付きも悪く、見る夢もいいはずはない。
だから、「悪夢」、のような話ではなく、本当に第四惑星の話は、「悪夢」に過ぎなかったのではないかな、とも思える。
つまり、そういうところから、機械(ここではロボット)に、人間が軽蔑される、という悪夢を見たのではないかと、いうわけだ。
そんなことを考えながら、大通りを南へ歩き、交差点を西へ曲る。
東西に伸びる赤坂通りを歩いていく。
しばらく歩くと、赤坂通りの南側に国際新赤坂ビル西館がある。東館とともにツイン高層ビルとなっている。
竣工は、高度成長期の後の安定期。
その当時、夏休みなんかに、よくウルトラセブンが放映されていたなあ。しかも、2話連続、1時間でやっていた。
暗澹たる未来のお話も、テレビから離れれば、のんびりした、当時の日常があったわけだ。
悪夢から醒めたときの、あの、ほっとした気分、それと同じかもしれない。
悪夢は、醒めるから悪夢なのだ。
「第四惑星の悪夢」も、結局、醒めるから、「悪夢」なのだろう。
でも、醒めなかったら、どうなるのだろう。現実そのものだったら。
そのときは、楽しい夢、を見るのだろうか。つらい現実を忘れるために。
(2008年3月記)

銀座線赤坂見附駅(鹿島建設本社2号棟)

2008-08-22 06:12:07 | Weblog
高田馬場駅から東西線。飯田橋駅で南北線に乗り換える。
永田町駅で下車。
地上に出て、青山通りを弁慶濠へ向かって下っていく。
赤坂見附の交差点あたりが、下りきったところだ。
そこを過ぎると今度は登りになる。
すぐに、青山通りの北側に鹿島建設本社2号棟がある。
実は、この時点で、この高層ビルの解体工事は始まっていたのだ。
更地になる前に、ということであわてて見に来たわけなのだが。
すでに解体されつつある、この高層ビルの竣工は、高度成長期の終わり頃だ。
このように、かなり古い高層ビルなのだが、デザインがすっきりしていて、今見ても、未来的、あるいは、SF的な感じさえする。
そのようなSF的な外観だからだろうか、ウルトラセブンにも、この高層ビルは、登場していた。
「第四惑星の悪夢」という話である。
内容は以下の通り。
長距離宇宙ロケットのテスト飛行中、知らぬ間に、第四惑星という謎の惑星に不時着してしまう。(実際は誘導されていた)
その惑星は、地球とそっくりなのだが、大きく違う点があった。ロボットが人間を支配している、という点だ。
そして、その支配の仕方が、実に理不尽、非人間的(ロボットなので、当たり前かもしれない)、なのだ。
このロボット支配者たちのコントロールセンターとして、鹿島建設本社ビルの外観が映っている。
とても暗澹とした内容で、まさに題名の通り、悪夢のような世界なのだが、そういう世界をとてもうまく表現している、と思う。
でも、その絶望的な話をSF、空想物語として、描けるところに、当時ののんびりした風潮があったのかもしれない。
「第四惑星の悪夢」の最後の場面なのだが、無事、地球に帰還した隊員が、下駄を飛ばして、天気予報をするシーン、というところからも、当時ののんびりさが伺える。
とすると、ロボット支配者たちのコントロールセンター、鹿島建設本社ビルが、なくなってしまう、ということは、昔ののんびりした空気も同時になくなる、ということかもしれない。
解体工事中のフェンスに囲まれた鹿島建設本社ビルを見上げていたら、ふと、そんなことがよぎってしまった。
(2008年3月記)