retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

銀座線外苑前駅(南青山二丁目 龍泉寺)

2016-04-30 05:07:28 | Weblog
しばらくすると、通りの南側には、龍泉寺。
創建は、江戸時代、初め頃。
創建の地は、今の、赤坂、一ツ木通りあたりか。
明治時代になり、この地に、移転してきている。
青山霊園が整備されたので、寺院も、移ってきたのかな。
青山霊園の寺町、ということかも。
再び、西へ西へと、歩いて行く。
(2013年7月記)

銀座線外苑前駅(南青山二丁目 玉窓寺)

2016-04-29 05:08:11 | Weblog
西へ歩いていくと、通りの北側には、玉窓寺。
創建は、江戸時代の初め頃。
もともとは、のちに、青山霊園になる、江戸崎藩下屋敷の中に、あったらしい。
しばらくして、赤坂、今の、赤坂御用地、青山通りの北側に、移っている。
明治時代になり、青山通りの、北側一帯は、赤坂御用地になり、玉窓寺は、この地に、移転。
青山霊園、といっていい場所なので、ものに、戻った、ということかもしれない。
さらに、西へ、向かう。
(2013年7月記)

銀座線外苑前駅(南青山二丁目 古い住宅)

2016-04-28 03:35:26 | Weblog
南北に伸びる大通りを、渡って、西へ。
住宅地に入る。
青山霊園の北側、住宅地。
都心中心部とは、思えないような、感じだ。
たしかに、都心であっても、赤坂、六本木、麻布、など、住宅地がある。
ただ、そちらは、山の手、閑静な住宅地。
こちらにあるのは、どこぞの、郊外に、あるような、普通の、住宅地なのだ。
とはいえ、急速に、開発が、進められているらしい。
しばらくすれば、なくなってしまうのかも。
住宅地の中、西へ、歩いていく。
(2013年7月記)

銀座線外苑前駅(南青山二丁目 南北に伸びる大通り)

2016-04-27 04:15:07 | Weblog
青葉公園の西側には、南北に伸びる、大通り。
外苑東通りの、バイパスなのだろう。
その、西側は、青山霊園。
江戸時代は、江戸崎藩下屋敷。
当時、下屋敷の敷地、今の、青葉公園も、含んでいたようだ。
どうして、分かれたのだろう。
明治時代の地図を見ると、東側は、陸軍射的場、となっている。
おそらく、それが、後に、青葉公園になり、青山霊園との境が、幅広の、道路になったのだろう。
通りを渡り、さらに、西へ進む。
(2013年7月記)

銀座線外苑前駅(南青山一丁目 青葉公園)

2016-04-26 04:57:55 | Weblog
街中、細い道、西へ西へと、歩いて行く。
突き当たり、青葉公園。
開園したのは、終戦後、しばらくしてから。
青山霊園の、敷地の、一部、という感じ。
それほど、大きい、公園には、思えないのだが、実際、青山霊園まで、敷地は、続いている。
公園の中、さらに、西へ向かう。
(2013年7月記)

銀座線外苑前駅(都営南青山一丁目アパート 6号棟)

2016-04-25 03:41:20 | Weblog
北へ北へと歩いていくと、通りの、西側には、都営南青山一丁目アパート6号棟。
高度成長期の終わり頃、完成している。
他にも、都営団地棟、このあたり、いくつか、あったのだが、いつの間にか、なくなってしまった。
ひょっとすると、これが、最後の、都営団地棟なのかも。
当時は、都営団地が建つ、そういった、場所だったのだろう。
いまは、まわり、高層ビルが、建ち並ぶ。
変われば変わるものだ。
西へ曲がり、そのまま、西へ。
細い道へと、入っていく。
(2013年7月記)

銀座線外苑前駅(赤坂八丁目 外苑東通り)

2016-04-24 04:58:55 | Weblog
西へ歩いていくと、南北に伸びる、外苑東通り。
尾根道になっている。
尾根への、上り坂が、乃木坂。
外苑東通り、江戸時代には、青山上水が、流れていた。
用水は、尾根道を、流れていた方が、あちこちに、配水できて、都合がいいのだろう。
青山上水、明治時代に入って、なくなってしまったけど。
外苑東通りを、北へ向かう。
(2013年7月記)

銀座線赤坂見附駅(赤坂九丁目 桑田記念児童公園)

2016-04-23 05:15:45 | Weblog
西へ歩いていくと、通りの南側には、桑田記念児童公園。
開園は、終戦後、しばらくしてから。
意外と、古い公園だ。
当時、南側には、まだ、米軍基地が、あった頃。
さらに、その前は、麻布駐屯地。
都心にある、軍都。
こうした、閑静な街並みになったのは、最近のことかも。
乃木坂通り、さらに、西へと、向かう。
(2013年7月記)

銀座線赤坂見附駅(赤坂八丁目 乃木坂通り)

2016-04-22 04:10:04 | Weblog
南北に伸びる通りに出て、南へ。
南へ南へと、向かうと、東西に伸びる、乃木坂通り。
乃木坂通りを、西へ向かう。
西へ向かったところに、乃木坂。
大正時代に、乃木坂になったのだが、それ以前は、幽霊坂、という名前だったらしい。
木々が、鬱蒼としていて、そういう、雰囲気がしたのだろうか。
明治時代になると、さらに、その先、青山墓地が、整備され、ますます、幽霊坂、という感じが、してきたのかも。
昨今は、もとの、名前が、幽霊坂、という雰囲気は、まるでない。
乃木坂通り、西へ西へと、歩いていく。
(2013年7月記)

銀座線赤坂見附駅(赤坂七丁目 稲荷坂)

2016-04-21 04:08:43 | Weblog
赤坂、山の手住宅地、南西へと、歩いていく。
しばらくすると、こんどは、下り坂。
稲荷坂。谷地に向かっているのだろう。
稲荷神社は、どこの、稲荷神社なのか、わからない。
江戸時代、付近に、円通院、という寺院があり、その境内に、稲荷神社が、あったそうだ。
ただ、その円通院、というのも、どこにいってしまったのか、わからない。
北東側にある、円通寺のことだろうか。
はっきりとは、わからない。
坂の名前だけ、残して、消えてしまったようだ。
さらに、南西への、向かう。
(2013年7月記)