retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線御徒町駅(東上野二丁目 西町公園)

2013-08-31 06:23:38 | Weblog
住宅地の中、東へ、進んで行くと、道路の北側、西町公園。
昭和の初め頃にできたようだ。
ちょうど、近く、銀座線が、開通した時期。
街も、大きくなり、公園も、整備された、ということか。
それ以前、もっと前、江戸時代、あたりには、旗本の、集合住宅が、あったらしい。
江戸城の、北東側の、防御を、考慮したのだろう。
その周囲には、寺町が、広がる。
こちらも、いざというときは、防壁に、なったに違いない。
今は、いたって、静かな、公園だ。
西町公園を、後にして、さらに、東へと、歩いていく。
(2012年9月記)

山手線御徒町駅(平和東上野一丁目ビル工事)

2013-08-30 05:20:59 | Weblog
山手線の、高架を、潜り、商店街を抜け、東へ、歩くと、すぐに、南北に伸びる、昭和通り。
上空には、首都高上野線の、高架。
交通量の多い、幹線道路だ。
道路際にも、商店街が、広がる。
そんな、昭和通りを、渡ると、東側には、平和東上野一丁目ビルの工事現場。
通りの、東側は、かくのごとく、徐々に、ビルが、建ち始めている。
ちょっと前には、飲食店が、並んでいてのだが。
いつの間にか、更地になり、再開発。
御徒町、ではなくなっていくような感じだ。
再び、東へ。
住宅地の中、入っていく。
(2012年9月記)

山手線御徒町駅(上野四丁目 徳大寺)

2013-08-29 06:08:43 | Weblog
西武新宿線中井駅。
都営大江戸線に乗り換える。
途中、都庁眼駅で、別方向の、車両へ。
大抵、ホーム反対側に、ドアを開けて、待っているような感じだ。
さっそく、乗り換える。
車両は、東へ東へと、走り、御徒町駅で、下車。
都営大江戸線が、開通して、便利になったものだ。
地上に出ると、賑やかな、アメ横。
昔ほどではないにせよ、今も、活気ある、下町繁華街。
アメ横を、北へ、歩いていくと、しばらくして、西側に、徳大寺。
こちらも、参拝客で、賑わっている。
創建は、江戸時代の前、室町時代、ということだ。
ただ、創建の地は、今の、上野公園あたりに、あったらしい。
江戸時代になって、この地に、移ってきている。
賑やかな、アメ横を、後にして、東へ。
(2012年9月記)

日比谷線六本木駅(西麻布三丁目 長幸寺)

2013-08-28 04:16:07 | Weblog
しばらく、北へ、歩いていくと、通りの、西側に、長幸寺。
こちらも、創建は、江戸時代。
かくのごとく、江戸時代から、通りには、寺社が、並んでいる。
大名屋敷の、隙間にある、寺町、というところか。
さらに、桜田町も、あちこちの、隙間に、あったようだ。
ひょっとしたら、桜田濠や、溜池を、作ったとき、移転先として、用意したのかもしれない。
ちなみに、明治時代初め頃の、地図を、見てみると、テレビ朝日通り界隈、このあたりでは、もっとも、栄えていたらしい。
中心といっても、いいぐらいの、栄えようだ。
今は、六本木通りが、開通したためか、ひっそりとした、裏通り。
静かで、むしろ、いいのかもしれないけど。
もう、帰ることにする。
六本木ヒルズの下を通り、喧騒を避けるようにして、都営大江戸線六本木駅へ、急ぐ。
(2012年9月記)

日比谷線六本木駅(西麻布三丁目 桜田神社)

2013-08-27 05:10:39 | Weblog
テレビ朝日通りを、北へ、歩いていくと、しばらくして、通りの、西側に、桜田神社。
創建は、鎌倉時代。意外と、古い、神社だ。
ただ、創建の地は、ここではなく、霞が関の方。
霞山、という、小さな、山があり、そこに、あったそうだ。
その、霞山、どこにあったのか、わからないが、近くには、桜田濠もあることだし、もそもと、一帯は、桜田、なのだろう。
江戸時代になり、江戸城が、整備されると、桜田神社は、溜池へ。
そして、しばらくして、この地に、移ったようだ。
江戸時代の地図を見ると、ちょっと、ここから、離れるが、西側に、桜田町、という場所が、いくつかある。
ひょっとすると、移ったのは、桜田神社だけではなく、住民も、移転したのかも。
昔のことで、もう、わからないけど。
テレビ朝日通り、さらに、北へ、歩く。
(2012年9月記)

日比谷線六本木駅(元麻布三丁目 専称寺)

2013-08-26 05:03:17 | Weblog
北へ歩いていくと、すぐに、通りの、東側には、専称寺。
創建は、こちらも、江戸時代だろう。
正光院とともに、寺院が、南北に、並んでいた、ということか。
とすると、今、歩いている、テレビ朝日通り、江戸時代から、すでに、あったのかもしれない。
そういえば、ここから、北東側には、長州藩上屋敷、今の、六本木ヒルズ。南東側には、小見川藩上屋敷。
そして、通りの、北西側には、陸奥白河藩下屋敷。さらに、その周囲にも、大名屋敷が、広がっていたようだ。
まさに、大名屋敷のための、土地だったのだろう。
再び、テレビ朝日通りを、北へ、進む。
(2012年9月記)

日比谷線六本木駅(元麻布三丁目 正光院)

2013-08-25 08:17:11 | Weblog
閑静な、山の手住宅地。
といっても、都心なので、ビルも多い。
しばらく、歩いていくと、南北に伸びる、テレビ朝日通り。
テレビ朝日通りを、北へ。
このまま、北へ北へと、歩いていくと、昔は、通りの東側一帯に、テレビ朝日があったのだ。
今は、六本木ヒルズになっているけど。
ほどなくして、通りの、東側には、正光院。
創建は、おそらく、江戸時代、だろうか。
当時、山の手、といえば、たいてい、大名屋敷があったのだが、その例に洩れず、このあたりも、大名屋敷で、占められている。
それら大名屋敷の、間に、こうした、寺院が、並ぶような、感じだ。
テレビ朝日通り、さらに、北へと、歩いていく。
(2012年9月記)

日比谷線広尾駅(西麻布三丁目 笄公園)

2013-08-24 06:56:03 | Weblog
そのまま、北へ、向かっても、六本木通りに出るだけなので、とりあえず、東へ曲がり、住宅地に入ることにする。
すぐに、外苑西通り、東側に面して、笄公園。その東側には、笄小学校。
公園の名前、笄、というのは、外苑西通りのすぐ西側、南へと、流れていた、笄川、からだろう。
笄川は、今の、青山墓地あたりから、流れ出て、外苑西通り沿いに、流れ下り、渋谷川に、合流していたらしい。
では、笄川の、「笄」というのは、どういう意味だろう。
「笄」は、髪を纏め上げたり、頭皮を掻いたりする、棒状の、道具、ということだ。
それが、なぜ、川の名前なのかは、よくわかっていない。
意外と、古い、名前であることは、確からしいけど。
住宅地の中、東へと、進む。
(2012年9月記)

日比谷線広尾駅(ザ・パークハウス西麻布)

2013-08-23 04:34:08 | Weblog
外苑西通りを、北へ北へと、歩いていく。
ずいぶんと、賑やかなのだが、鉄道の路線としては、日比谷線しかない。
鉄道以外、移動手段が、なければ、余程のことがない限り、ここらへんに、来ることはないだろう。
かつての、六本木が、そうだったな。
日比谷線は、通っているものの、どこからも、離れているような感じ。
変わったのは、都営大江戸線が、開通してからだ。
だからといって、鉄道など、なくとも、十分、賑やかな、広尾に、もう一線、鉄道が、新設される、なんて、あり得ない。
などと、考えながら、歩いていると、通りの、西側には、ザ・パークハウス西麻布の、工事現場。
山の手住宅地には、建つはずもない、高層住宅。
なにか、状況が、変わるのかな。
(2012年9月記)

日比谷線広尾駅(南麻布五丁目 外苑西通り)

2013-08-22 05:11:34 | Weblog
西武新宿線中井駅で下車。
南へ。妙正寺川を渡り、大江戸線中井駅。
同じ駅なのに、妙に、離れているな。
都営大江戸線で六本木駅。日比谷線に乗り換える。
こちらも、乗り換えは、便利とは、いえない。
あまり、便利だと、素通りされてしまうからかな。
日比谷線に乗り、広尾駅で下車。
地上に出ると、南北に伸びる、外苑西通り。
このような、整備された、通りを、見ると、あまり、鉄道は、必要ないのかな、と思ってしまう。
まわりは、山の手住宅地。
もっぱら、移動は、クルマ、そういう感じがする。
外苑西通りを、北へ。
(2012年9月記)