retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

丸ノ内線淡路町駅(神田淡路町の大規模な再開発予定地)

2010-03-31 06:10:06 | Weblog
高田馬場駅から東西線へ。九段下駅で、半蔵門線に乗り換え、神保町駅で下車。
地上に出ると、靖国通りと古本屋街。
靖国通りの南側に、多数の古本屋が、軒を連ねている。
昔から、本当に、まったく、変わらない光景だな。
このように、変わらないと、ほっとしてしまう。
靖国通りを、東へ。
しばらくすると、御茶ノ水駅の西側から、南へ伸びてくる通りとの交差点がある。
古本屋街は、ここまで。これより先は、スポーツ用品店街だ。
こちらも、昔から、変わらぬ風景。でも、なんで、この場所に、スポーツ用品店が集まったのかな。よくわからない。
古本屋街だと、江戸時代には、湯島聖堂、明治時代になってからは、近くに、多数の、学校が、開校しているので、なんとなく、その、存在理由が、わかるのだが。
ちなみに、あと、御茶ノ水駅の西側から、南へ伸びてくる通りには、レコード屋、楽器屋が、軒を連ねている。こちらも、わからない。
さらに、東へと、歩いていく。
途中、秋葉原方面に伸びている通りとの交差点。
この交差点の、南西側には、顔のワイシャツ、という、有名な、オーダーメードのワイシャツ屋さんがある。
有名なのは、看板が、でかい顔だからかもしれないけど。
昔、初めて、この看板を、見たときは、さすがに、驚いたな。しかも、その、お店が、今も、変わらず、続いているのは、さらに、驚くべきことだ。
交差点を北に曲がって、そのまま、北へと進む。
実は、今回、歩いているコース、以前は、頻繁に、通っていた。
神保町に行ってから、その足で、秋葉原まで、というのが、当時のコースだったけど。
その道筋を、かなり、ひさしぶりに歩いてみて、あまり、変わっていないので、懐かしさで、いっぱいになってしまったな。
ただ、通りの西側一帯は、近い将来、大規模に、再開発されるらしい。
やはり、時代は、動いている。
変わらないものもあれば、変わるものもあるのだ。
(2009年8月記)

りんかい線東京テレポート駅(東京テレポート駅前)

2010-03-30 06:09:47 | Weblog
テレポートブリッジから降りると、すぐ、目の前に、りんかい線東京テレポート駅の入口がある。
ここで、りんかい線に乗れば、山手線の大崎駅までは、すぐだ。
便利になったものだな。
昔、臨海副都心によく来ていた頃は、まだ、りんかい線は、東側の、新木場駅から、東京テレポート駅までしか、開通していなかったっけ。
だから、そのときは、もっぱら、新橋駅から、ゆりかもめだった。
臨海副都心までは、ずいぶんと、遠かったなあ。
それでも、のろのろ動く、ゆりかもめに揺られながら、窓外に広がる、更地のままの荒野を眺め、未来都市の夢を見ていた。
その夢は、ガンダムに出てくる、スペースコロニーのようなものだったかもしれない。
だが、そんな未来は、どこかへ、行ってしまった。
今、目の前にあるのは、その、未来への夢の残骸だけ。
現在も、徐々に、高層ビルは、建っているのだが、それらが、完成したとしても、やはり、未来への残骸に見える。
こんな風に、変貌著しいのは、都心の、限られた場所だけなわけだし。
昔に比べて、暮らしは、どう考えても、よくなっているどころか、逆行しているし。
どう考えても、未来は、夢になってしまったとしか思えない。
ふと、その時、等身大ガンダムを取り巻く、大勢の見物客のことを、思い出してしまった。
そして、ひょっとしたら、等身大ガンダムに、神話性を、与えているのは、今は、なくなってしまった、あの頃の未来、夢なのかもしれないなれない、という気がしてきた。
だとすると、未来は、「将来」、ではなく、「神話」、なのかな。
そう考えると、臨海副都心、スペースコロニーから、早く、出て、帰らなければ、と思ってしまう。
未来という名の、神話の中にいても、将来は、やって来そうにないからだ。
もっとも、現世に戻っても、未来など、ないんだけど。
(2009年8月記)

りんかい線東京テレポート駅(テレポートブリッジの内部)

2010-03-29 05:01:59 | Weblog
ヴィーナスフォートと、青海地区北側R区画プロジェクトの間の、大通りを、北へと歩いていく。
途中、東へと広がる、シンボルプロムナード公園に入ろうかと、思ったら、広範囲で、工事中だった。
人工的に造成された、埋立地だと、ときに、こんな風に、大規模な工事をするものだろうか。ちょっと、わからないが。
たいてい、臨海副都心に来るときは、いつも、この公園の中を通るのだけど、これでは、入れそうにないな。
そう思ったけど、それでも、強引に、公園内に入り、工事用のフェンスに沿うようにして、東へと歩いていく。
しばらくすると、北へ伸びる回廊、テレポートブリッジ。
ゆりかもめのお台場海浜公園駅と、さっき、訪れた、ヴィーナスフォートのある、パレットタウンを結んでいる。
実は、お台場海浜公園あたりからは、ゆりかもめに乗らなくても、この回廊を通って、パレットタウンまで、すぐ、行けるのだが。
もっとも、別に、ゆりかもめで、ぐるっと、大回りしても、いいんだけど。
なにせ、ここは、近場リゾート地なので、どういうコースをとろうが、自由なのだ。
ということで、テレポートブリッジに辿り着いた。りんかい線の駅は、もう、近い。
臨海副都心には、他に、用は、ないので帰ろうかと思ったけど、せっかく、ここまで、来たので、テレポートブリッジに上がってみる。
人工的な空間、テレポートブリッジは、まさに、ガンダムのスペースコロニーのような、雰囲気だな。
でも、このような施設が、誕生した、バブル期は、もう、過去のもの。二度と、こんな時代、来ることはないだろう。
テレポートブリッジ自体が、ガンダムのスペースコロニーと同じ、夢物語になってしまったような気がする。
(2009年8月記)

りんかい線東京テレポート駅(青海付近ゆりかもめの高架)

2010-03-28 07:21:02 | Weblog
ヴィーナスフォートの南側には、新都市交通ゆりかもめの高架が、伸びてきている。
ヴィーナスフォートは、予期せず、当たったのだが、ゆりかもめもまた、その部類に入るのかもしれない。
ただ、臨海副都心の敷地の中を、ジグザクに伸びていて、迂回し過ぎで、不便な感じもするけど。
それに、たぶん、このような、交通機関を、今、敷設するとするなら、特に、道路が混んでいるわけでもないので、ただの、路面電車になっていただろうな。
もっとも、近場リゾート地なら、高架の上を、のんびる走る、というのは、かえって、観光客にとっては、魅力的なことに違いない。
車窓の景色も楽しめるわけだし。
ということで、臨海副都心の観光路線として、ゆりかもめは、今日も、盛況なのだ。
でも、ヴィーナスフォートとゆりかもめは、本質的には、異なると思う。
ヴィーナスフォートは、暫定的な施設だが、ゆりかもめは、当初の予定施設、ということだ。
例えば、臨海副都心が、スペースコロニーだとすると、ヴィーナスフォートは、明らかに、場違いだが、ゆりかもめは、なんとなく、あっても、いいような気がする。
だから、ヴィーナスフォートは、なくなっても、ゆりかもめは、今後も、走り続けるわけだ。
と思ったけど、スペースコロニーだって、バブルの頃の、日本の描いた、ファンタジーなのだ。だとすると、ゆりかもめもまた、同じような気もする。
どっちもどっち、というところか。
だけど、ただのファンタジーが、神話になると、話は、別なのかもしれない。
ただの、観光路線、というわけにはいかないだろう。
今のところ、間違いなく、観光路線なのだからいいのだけど。
(2009年8月記)

りんかい線東京テレポート駅(ヴィーナスフォート)

2010-03-27 07:34:18 | Weblog
青海地区北側R区画プロジェクト予定地の、南北に伸びる、大通りを挟んで、東側には、商業施設、ヴィーナスフォートがある。
臨海副都心においては、代表的な、人気スポットであるらしい。
そんな、賑やかな施設なのだが、オープンしたのは、バブルが崩壊した後の、失われた10年の頃だ。
本当は、バブルが続いていれば、この場所には、高層ビルが、林のごとく、建つはずだったのだが、そのような壮大な計画は、バブル崩壊とともに、頓挫。
代わりに、窮余の策として、商業施設が、作られた。それが、ヴィーナスフォート、というわけ。
でも、それが、当たったのだから、時代の流れとは、面白い。
おそらく、臨海副都心が、近場リゾート地、になったからかな。
リゾート地に、所業施設、というのは、それまで、なかったので、当たったのかも。
今では、観光地やリゾート地に、アウトレットが、設置されていて、商業施設があるのは、ごく、普通のことだけど。
とすると、ひょっとしたら、ヴィーナスフォートは、今、あちこちにある、観光地アウトレットの先駆けになったのかもしれない。
だから、どうだ、ということもないんだけど。
そんな、ヴィーナスフォートなのだが、近々、撤去されて、再開発されるらしい。
やはり、ここは、近場リゾート地、という以前に、臨海副都心、というわけかな。
(2009年8月記)

りんかい線東京テレポート駅(臨海副都心青海地区北側R区画プロジェクト)

2010-03-26 06:09:31 | Weblog
時間が経つにつれ、ますます、見物客が増えていくようだ。
もはや、広場は、地鳴りのような、どよめきに包まれ始めている。
そんな中、なんとなく、いたたまれなくなって、群衆に紛れるようにして、広場から脱出。
予想外に、巨大な、等身大ガンダムを目の当たりにし、己が身の丈の、小ささを、悟って、居づらくなったわけかな。
そんな感覚のためか、広場を出るとき、振り返って見ると、なんだか、ガンダムの像に、後光が射しているようにさえも見えた。
他愛もない、おとぎ話が、この群衆のおかげで、神話になっていくような気もする。
ところで、ガンダムが、世に出たのは、高度成長が達成された後の、安定期の頃。
生活にも、余裕が生まれ、日本が、自信を持ち始めた時期だ。
ちょうど、その頃の若者世代、新人類なんて、呼ばれていたっけ。自分も、その中に入っていたのだけど。
その、新人類君たち、ガンダムの中に出てくる、「ニュータイプ」、を気取っていたようにも思う。
もっとも、常識と見識を持つ大人にとっては、ただただ、眉をひそめてしまう、そんな、存在だったに違いないのだが。
そのような昔の思い出に、浸りながら、都立潮風公園を出て、南へと、歩き、途中、東に向きを変え、そのまま、東へ東へと、進んでいく。
こうして、臨海副都心の中を歩いていると、まわりの光景は、さしずめ、ガンダムの中に出てくる、スペースコロニーに見えなくもないな。
しばらくすると、通りの北側には、臨海副都心青海地区北側R区画プロジェクトの予定地。
まだまだ、スペースコロニー、臨海副都心の開発は、続いているようだ。
(2009年8月記)

りんかい線東京テレポート駅(等身大ガンダム像)

2010-03-25 06:09:29 | Weblog
見物客の中を、掻き分けながら、等身大ガンダムの正面近くへ。
このような、模造品は、近付けば、たいてい、馬脚を、現すものなのだが、等身大ガンダムは、違った。近付けば、近付くほど、その、迫力は、増すばかり。
模造品としては、よくできている、ということも、あるのだが、それだけではないような気もする。
実は、「等身大」、ということに、意味が、あるのかもしれない。
例えば、巨大な恐竜の化石が展示してあったとしよう。それを、「等身大」とは、言わないはずだ。
もともとの大きさなので、当然なのだけど。
だが、ガンダムは、恐竜の化石と違い、目の前の等身大ガンダムの大きさとして、世の中では、認識されていないのではないだろうか。自分も含めてだが。
おそらく、アムロや、その他、モビルスーツの搭乗者に、感情移入しているとすると、各々のモビルスーツは、見る者と、一体になるので、逆に、まわりが、小さく見えるはずだ。
アングル的にも、モビルスーツの全体像を、中心に、据えているので、周囲のものが、小さくなる。
さらに言えば、その、身軽な動きや、巧みな、身のこなしを見ると、ほとんど、搭乗者以上に、大きくはなっていないようにも、感じるのだ。
このように、大きさの感覚が、あまり変わらないので、ごく一般的な日常と、それを取り巻く、外部の戦場が、妙に連続しているのだろう。
作品のガンダムを見る者にとっても、その感じ方は、同じような気がする。
だが、こうして、「等身大」になったガンダムを、実際に、見ると、その意外な、巨大さに、ある種の、驚きと、さらには、崇高な気持ちすら、感じてしまうのだ。
ひょっとしたら、「等身大」になったのは、ガンダムだけではなく、見る者も、その場で、「等身大」になったのかもしれない。
(2009年8月記)

りんかい線東京テレポート駅(都立潮風公園に立つ等身大ガンダムの後ろ姿)

2010-03-24 06:09:43 | Weblog
公園内にある林を抜けると、眼前には、大きな広場。
その広場の中央には、巨大な、ロボットの模型が立っている。
ロボット、というと不正確かな。モビルスーツと言わなければならない。
そのまわりを、大勢の見物客が、取り囲んでいる。
等身大ガンダムが、展示されているわけだが。
今に至るも、このような、大きな人気、熱気、というのは、驚くべきことだな。
熱気そのものの、大きさも、さることながら、なぜ、これほどまでに、この作品が、見る者を惹きつけているのか、ということも、実に、興味深い。
興味深いといっても、自分が、ガンダムを見たのは、かなり、後だったので、作品そのものに、興味があったとは、言えないかもしれないが。
たしかに、戦闘シーンは、迫力があったし、主人公の、ヒーローらしからぬ、悩みっぷりを見ていると、見る者が、感情移入しやすいのだな、と感じたものだが。
ただ、今回、等身大ガンダムを、訪れるにあたって、予習のため、「ガンダムⅡ哀・戦士編」というのを見たけど、いったい、どういう内容なのか、そもそも、どこが面白いのか、さっぱり、わからなかった。
これでは、あの、西武新宿線下井草駅前の本屋の細君と、同じではないか。
例えば、主人公、アムロの初恋の相手、マチルダ中尉は、当のアムロの眼前で、敵モビルスーツに、輸送機のコックピットごと、叩き潰されてしまうのだが、こんな、異常に凄惨な光景、アムロには、心的外傷しか、残さないんじゃないかな。
たぶん、マチルダ中尉は、結婚式が近かったらしいので、アムロの初恋の喪失を、表現したかったのかもしれないが。
でも、初恋の喪失と、叩き潰されてしまうこととは、まるで、次元の違うことだ。
同じことは、全体的にも、いえる。
日常が、妙に、微温的な学園ドラマ風なのに、それを取り巻いているはずの、壮絶な戦争シーンは、ウソっぽくて、まるで、実体がないのだ。
それどころか、この学園ドラマの、延長のようにさえ思えるシーンまである。
これでは、この作品に、面白さを求めるのは、無理だな。
などと、散々なこと、書いておきながら、等身大ガンダムを見るために、わざわざ、お台場まで、やって来てしまったが。
結局、やはり、自分も、ガンダムの、なにものかに、惹きつけられているのかも。
(2009年8月記)

りんかい線東京テレポート駅(都立潮風公園入口)

2010-03-23 06:10:35 | Weblog
上井草駅に戻り、西武新宿線へ。都心に向かうことにする。
ところで、なんで、ガンダムの像が、この駅にあるのかというと、ガンダムを制作した、サンライズの最寄り駅が、上井草駅だからだそうだ。
町おこし、ということで、ガンダムの像を立てたのだろう。
ただ、トトロの里はあっても、ガンダムの街や、ケロロ軍曹(同じくサンライズで制作しているらしい)の街、というのは、ちょっと、無理があるかもしれないな。
などと、考えているうちに、列車は、高田馬場駅へ。山手線に乗り換える。
さらに、大崎駅で、りんかい線へ。
りんかい線の車両に乗り込んで、シートに座っていると、ガンダムなんて、商店街には、関係なさそうだな、なんていう、雰囲気よりも、あの、さっきの本屋の、ご主人のような、ガンダムへの熱気が、徐々に、高まってくるような気配。
そんな気配を、車内に、閉じ込めたまま、りんかい線は、大崎駅を出る。
東京テレポート駅で下車。
車内にあった、ガンダムの熱気が、かなり、増幅されて、一緒に外へ出てくる。
そして、その熱気に、押されるようにして、地上へ。
地上に出ると、西へ西へと、熱気に巻き込まれるようにして、歩いていく。
実際は、行列と共に、進んで行ったのだが。
途中、北へ向きを変え、掘割になっている湾岸道路を越え、そのまま、北へ。
再び、西へ折れて、都立潮風公園へと入っていく。
このように、行列をどんどん、吸い込んでいる、公園は、もう、ガンダムへの熱気が、溢れるようだ。
熱気の波に押されるように、公園内の植樹の間を、歩いていく。
すると、この、熱気を、呼び込んでいる正体が、木々の梢の上を通して、見えてきた。
巨大な、ガンダム像があるのだ。
あまり、ガンダムに詳しくない、自分のような者でも、その迫力は、十分に感じる。
特に、手前に、木々があるので、その巨大さが、実感できてしまうな。
(2009年8月記)

西武新宿線上井草駅(上井草駅前のガンダム像)

2010-03-22 07:03:18 | Weblog
西武新宿線沿線に、ガンダムの像が、設置された、ということらしい。
うろ覚えだったが、さっそく、見に行く。
たぶん、ここらへんだろう、ということで、西武新宿線下井草駅で下車。
探し回ったが、それらしき、像は、見当たらない。
駅前の像、ということなら、改札を出れば、すぐ、わかるだろうと、たかをくくっていたんだけど。
駅前を、ぐるぐる、歩き回ったがだめだった。
そこで、商店街を端まで歩いてみようと、一瞬、思ったのだが、すぐにやめる。
駅前なわけで、もとより、商店街ではないはずだ。どこか、大きな勘違いをしているに違いない、と判断したのだ。
最後の手段、ということで、駅前の、本屋に入り、レジにいた、たぶん、店の主人夫婦に聞いてみることにする。
細君の方は、まったく、要領を得ず。仏像と勘違いされてしまい、自分も、ガンダムに詳しいわけではないので、どう、説明していいものやら、窮してしまったが。
その時、横から、ご主人、目を輝かせながら、話に、割って入ってくる。
曰く、ガンダム像なら、下井草駅ではなく、上井草駅。改札の近くなので、すぐ、わかるよし。
なんとなく、ご主人の、ガンダムに対する、熱気を感じてしまい、それを、とうてい、受け止めてあげられそうにないので、お礼を言って、早々に、本屋を後にする。
たぶん、この、ご主人に比べれば、実は、自分も、ガンダムに対して、ちっとも、要領を得なかった、細君と同じだな、と思いつつ、下井草駅に戻り、再び、西武新宿線に乗り込む。
上井草駅で下車。駅南側の改札を出る。
はたして、すぐに、ガンダム像があった。
意外と、それほど、大きくはないし、迫力があるんだか、ないんだか。
これで、商店街の、町おこしになっているんだろうか、と、ちょっと、心もとない感じがしてしまう。
何もないよりは、余興として、あってもいいかな。
でも、基本的に、駅前や、商店街には、関係なさそうだ。当たり前か。
(2009年8月記)