retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

身延線東花輪駅(東花輪 駅近くの教会)

2013-01-31 06:09:46 | Weblog
雨は、止んだが、依然として、どんよりとした、曇り空。
梅雨の走り。
そんな中、さらに、北に歩いていく。
しばらくして、さきほどの、東花輪駅前。
駅前に、なにか、あるわけではないので、唐突な感じがする。
道路際に、教会ぐらいしかない。
その教会、おそらく、ブラジル人が、集い、祈る、場なのだろう。
教会というと、神社や寺院の、境内のように、外界とは、隔たっているように、思っていたが、このように、普通の、建物の、教会も、あるようだ。
話が変わるが、おそらく、ここから、西側、南北に伸びる、通りが、この一帯の、中心かもしれない。
市役所もあるし、幹線道路には、店も、並んでいることだろう。
都心だと、かつての、宿場町の、外れに、鉄道が、敷かれ、駅ができ、中心は、その、駅に、移っていくものだが、地方の場合は、そうは、ならないないらしい。
つまり、駅は、いつまでたっても、街外れ、辺縁。
その、辺縁に、教会が、建っているわけか。
さっき、見てきた、山王団地は、地方社会に、取り囲まれているように、思えたが。
この場合は、逆に、辺縁が、中心を、取り囲んでいるように、見えるな。
とりあえず、東花輪駅へ。
(2012年5月記)

身延線東花輪駅(東花輪 貴盛院)

2013-01-30 06:08:21 | Weblog
なんでまた、甲府くんだりまで来て、団地なのか、というと、映画「サウダーヂ」の、重要な、舞台、ロケ地巡り、というわけ。
県営山王団地、映画「サウダーヂ」の中では、ブラジル人が、大勢、暮らしていることになっている。
実際、本当に、暮らしていることが、わかったけど。
ただ、一見すると、団地の周囲、茫漠とした、地方社会が、広がり、団地が、隔離されているようにしか、思えない。
踵を返して、北へ。
今度は、もっと、線路沿いを、歩いていく。
用水路には、豊富な水が流れ、畑が広がり、田舎びた、家並みが、点在する景観。
その中を、歩いていると、映画「サウダーヂ」のことも、あるいは、ついさっき、見た、ブラジル人の、ことも、忘れてしまいそうだ。
しばらく、歩いていくと、貴盛院。
土地勘がないので、由来や、創建された年、見当も付かない。
こうして、寺院があるのは、どこも同じで、ほっとする。
もっとも、それは、昔から、連綿として、続く、日常が、揺るぎないものと、思い込みたいだけなのかもしれない。
(2012年5月記)

身延線東花輪駅(東花輪 県営山王団地)

2013-01-29 06:09:20 | Weblog
実際、遠いのか、電車が、遅いのか、かなり、経って、ようやく、東花輪駅に、到着。
改札を、出ると、あたりには、まったく、何もない。
商店街もなければ、駅前広場もない。
地方の、鉄道は、こうしたものだろう。
駅東側に出て、東へ。
途中、南へ、曲がり、そのまま、南へ南へと、歩いていく。
田園のなか、まばらに、並んでいる、住宅地。
あとは何もなく、茫漠と広がる、地方の風景。
あらかじめ、あたりの、地図を、見てきたのだが、これほど、なにもないとは、思わなかったな。
かなり、歩いたところで、西へ、曲がってみる。
しばらくすると、数棟の、集合住宅群。
県営山王団地だ。
自分も、団地に住んでいるのだが、団地というと、広範囲に、集合住宅が、並んでいるように、思っていたが。
意外と、小規模。
もし、あのまま、南へ、歩き続けていたなら、気が付かなかっただろう。
(2012年5月記)

中央本線甲府駅(甲府駅に到着した身延線列車)

2013-01-28 03:42:00 | Weblog
甲府駅のホーム、東側へ。
身延線のホームがある。
身延線は、甲府駅から、南側、東海道線まで、伸びている路線。
昔、一度だけ、乗ったことあるな。
乗ってみただけなんだけど。
すぐ、身延線、発車しそうなので、乗ったが、どうも、急行のような感じ。
急行だと、目的の、駅は、通過してしまうかもしれない。
あわてて、降りたら、そのまま、ドアが、閉まり、身延線は、発車してしまう。
土地勘が、ないので、こういうのは、判断がつかない。
しばらくして、やってきた、次の、各駅停車の、車両の、乗り込む。
身延線、通勤路線、というより、通学路線、なのだろうな。
こういう、地方だと、通勤は、クルマになるはず。
とすると、鉄道に、沿って、郊外が、広がる、なんて、ないのかも。
などと、考えているうちに、車両は、ゆっくりと、動き出す。
しばらくは、中央線に、沿って、東へ。
地方の、鄙びた、家並みが、続く。
やがて、中央線を、離れ、線路は、南。
田園の広がる中へ。
雨は、もう、ほとんど、止みかけている。
(2012年5月記)

中央本線甲府駅(甲府駅から北側を臨む)

2013-01-27 07:03:58 | Weblog
中央線に出て、八王子駅。
特急に、乗り込む。
今回は、甲府へ。
甲府にも、実は、新しく、建った、高層ビルがあるのだ。
それにしても、車内、混んでいる。
都心は、けっこう、閑散としているのに。
ゴールデンウィークともなれば、ちょっと、違うのかな。
結局、座席には、座れずに、ドア近くのスペースへ。
こちらにも、同様に、座れなかった、乗客が、溢れてきている。
ということで、窓外の、景色など、楽しむ余裕もなく、という感じだ。
特急は、瞬くうちに、山間部。
今日は、天気が、よくなく、傘を、持ってきている。
もっとも、雨が、降っていても、高層ビル、見るだけなので、あまり、関係ないけど。
もう、梅雨の、走り。そんな、季節になるのだ。
小雨に、煙る、新緑の中、特急は、甲府を、目指して、疾走する。
一時間弱、もう、甲府駅。
これなら、行楽客、ではなく、帰省客の方が、多いのかな。
意外と、すぐに、着いてしまい、旅情に、浸る、余裕もない。
あきらかに、地方なのだが、そんなに、遠くに、来た、感じはしないな。
(2012年5月記)

京王井の頭線駒場東大前駅(駒場野公園のケルネル田圃)

2013-01-26 07:10:37 | Weblog
森林地帯を、西へ、歩いていくと、谷地へ出る。
明治時代初め頃の、地図を、見ると、たしかに、この、谷地から、小川が、流れ出て、東へ、流れ下っているようだ。
ただ、今、見ると、谷地の底、平坦になっていて、湿地帯のよう。
立入禁止になっていて、底まで、降りていけなかったが、ケルネル田圃、という田圃、ということだ。
農業学校のときの、研修用、田圃。
田圃、というと、見渡す限りの、平野に、延々と、広がっているような、イメージがある。
少なくとも、森林地帯、あるいは、谷地、とは、かけ離れているように、思えるのだけど。
だが、実は、これが、本来の、田圃、ということらしい。
例えば、神田明神の、北側に、清水坂下、という、交差点があるのだが、かつては、ケルネル田圃のように、谷地の底に、田圃が、あったらしいのだ。
その、田圃が、神田、という名前の、田圃。
そして、「神田」の、地名の、由来になっている。
とすると、古来、かつてあった、神田、というのは、目の前にある、このような、田圃、だった、ということだ。
期せずして、田圃の、原型に、出会えたわけだが、もう、帰ることにする。
来た道を、戻り、駒場野公園を出て、坂を下ると、駒場東大前駅。
京王井の頭線で、帰ることにする。
(2012年4月記)

京王井の頭線駒場東大前駅(駒場二丁目 駒場野公園)

2013-01-25 06:08:01 | Weblog
駒場東大前駅を過ぎ、さらに、西へ。
坂を、上っていくと、森林地帯。
今度は、東京大学キャンパス、ではなく、森林公園だ。
駒場野公園、という名前の公園。
ここから、少し、離れて、北側には、駒場公園が、あって、そちらの方が、有名なのだが、こちらにも、あるわけか。
完成したのは、バブルの頃。
ちなみに、駒場公園の方は、バブルの前の、安定期。
当時は、こうした、公園が、あちこちに、整備されたようだ。
駒場野公園についてだが、日本における、最初期の、農業学校の、跡地、らしい。
もともとは、農地だったのだろう。
それで、都心にも近い、ということで、農業学校、となったのかな。
さっそく、入ってみる。
鬱蒼とした、森林地帯。
もっとも、天然、ではないのだろうけど。
明治神宮と同じように、植林されて、作られた、森林だと思う。
わざわざ、森林を、作ってしまう、というのは、贅沢な、感じだ。
当時の、豊かな時代を、反映しているのかもしれない。
(2012年4月記)

京王井の頭線駒場東大前駅(駒場一丁目 聖徳寺)

2013-01-24 04:27:03 | Weblog
西へ、歩いていき、途中、南へ。
そのまま、南へ、向かうと、京王井の頭線。
まわりに、広がるのは、閑静な、住宅地。
こんな場所に、暮らしたら、本当に、人生観、変わってしまうだろうな。
あたりを見回しても、スーパーなんか、見当たらないし、まして、シャッター街なんて、想像すら、できない。
生活の不安に、恐怖することなど、まったく、考えられないはす。
例えば、学府に、埋もれ、生活とは、無関係の、研究に、没頭する、そういうことなら、想像できるかも。
近くに、東京大学の、キャンパスも、あることだし。
そんなことを考えながら、京王井の頭線の南側、今度は、西へと、歩いていく。
しばらくすると、住宅地の中、聖徳寺。
昭和の、初め頃の、この地に、移転してきたらしい。
山の手住宅地でも、郊外でも、下町でも、こうして、寺院だけは、あるようだな。
(2012年4月記)

京王井の頭線駒場東大前駅(駒場三丁目 一二郎池)

2013-01-23 06:10:28 | Weblog
公園の名前、もちの木公園、というらしい。
最近、完成してる。
とくに、謂れはないのだろうけど。
近頃、都心で、再開発が、集中し、その、余波で、こうして、都心近くの、山の手住宅地も、整備されてきている、ということぐらいかな。
公園の中に、入ってみると、敷きレンガの上、ネコが、まどろんでいる。
ネコより他には、誰もいない。
そんな、静かな、山の手住宅地の中、さらに、西へ。
しばらくすると、緑、生い茂る、一帯。
森林公園、ではなく、東京大学駒場キャンパス。
鬱蒼とした、森の中を、北へ向かうと、東側に、大きな窪地。
窪地、その底には、細長い、池があった。
一二郎池、という名前。
東京大学本郷キャンパスの、三四郎池に、因んでいるのだろう。
本当の、名前は、駒場池、らしいけど。
湧水が、溜まり、溜まった水は、南に、流れ出、目黒川に、合流していたのかな。
再び、山の手住宅地に戻り、さらに、西へと、歩いていく。
(2012年4月記)

山手線渋谷駅(駒場三丁目 もちの木公園のネコ)

2013-01-22 05:05:40 | Weblog
鎌倉時代なのか、その後の、室町時代なのか、わからないが、その昔、神泉のあたり、湯治場を、設けた者が、いたらしい。
その、湯治場を、中心にして、まわりには、いろいろな、店ができ、さらに、東側の、高台へと、広がっていった。
明治時代になると、高台の、繁華街は、花街へ。
そして、また、さらに、東へ東へと、街は、拡大。
今の、渋谷の街に、なっていったらしい。
とすると、神泉は、渋谷の街、発祥の地、ということだろう。
ようやく、坂を、上りきって、再び、高台へ。
西へと、歩いていくと、南北に、伸びる、山手通り。
山手通りを、北へと、向かう。
通りの名前、というわけでも、ないだろうが、高台なので、一帯は、山の手住宅地。
程なくして、山手通りを、渡り、山の手住宅地の中、西へと、入っていく。
渋谷の街は、神泉の、歓楽街から、発展したわけだが、一方では、こうした、閑静な、住宅の、後背地として、擁する、街でもあるわけだ。
そんな、山の手住宅地を歩いていくと、道路の、南側に、瀟洒な、公園。
公園というより、どこぞの、邸宅の、庭先みたいだな。
(2012年4月記)