retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

銀座線虎ノ門駅(パシフィックタワー愛宕山)

2008-04-30 06:21:43 | Weblog
東側に少し歩き、桜田通りの一つ東側に南北に伸びる大通り、愛宕通りに入る。
その愛宕通りを南へ歩いていく。
やがて、西側に愛宕神社のある愛宕山の緑が現れる。
さらに南へ歩いて行くと、東側にパシフィックタワー愛宕山がある(工事中はこちら)。
新しい高層住宅だ。
通りを挟んで西側には巨大な愛宕フォレストタワー、そしてその南には、愛宕MORIタワーがある。
一応、愛宕山の東側のビル群なのかもしれない。他にも慈恵会医科大学などの施設がある。さらに、山の上にはNHK放送博物館もあるし。
そのような愛宕山は、実は、東京23区内の最高峰らしい。
といっても、小規模な丘なら、たとえ最高峰でも、ただの丘にすぎないだろうけど。
だけど、まわりに何にもないので、やっぱり存在感がある。
それと、やはりこの濃い緑がとても印象的だ。こんな都心でよく森が残ったと思う。
江戸名所図会を見ると、こんもりとした森が描かれており、江戸の昔から変わっていないことがわかる。
また、愛宕神社の男坂のありえない急な石段も江戸名所図会のままなのだ。
あまりに急すぎて、登るときは下を見ないからいいのかもしれないが、降るときは、ちょっと待ってくれよ、と思ってしまう。
ところで、愛宕山は、江戸時代の初めに愛宕神社が建てられて、愛宕山になったのだが、それ以前は、桜田山、と呼ばれていたらしい。
一帯が、桜田、という水田地帯だったからだ。
そのころに桜があちこち植えられていたかどうかは疑問だけど。
ただ、この丘の上から見下ろす、青々と広がる水田は、さぞ美しかっただろうなあ。
今では、その愛宕山よりでかい高層ビルがたくさん建ってしまった。
でも、そうなったら、今度は、愛宕山からの眺めではなく、愛宕山そのものを眺めて楽しむのかもしれない。
そういうことなら、この緑がいつまでも残っていて欲しいものだ。
(2007年11月記)

銀座線虎ノ門駅(霞が関コモンゲート)

2008-04-29 02:21:37 | Weblog
辰巳駅から再び有楽町線に乗る。
永田町駅で銀座線に乗り換える。
半蔵門線を経由しなければならないので、えらく遠い。
本来、乗換駅ではないのだろうが、仕方ない。
ただ、地上を歩くよりも、ホームや地下鉄駅構内の地下通路を歩く方が疲れるような気もするが、気のせいなのかな。
やっと赤坂見附駅に辿り着き、銀座線に乗る。
虎ノ門駅で下車。地上に出ると目の前には、霞が関コモンゲート(工事中はこちら)。
東館、西館からなるツインの高層オフィスビルだ。
西側には、最古の高層ビル、霞が関ビルもある。
その霞が関ビルも含めて、一帯はビル群を形成する、ということになるのかな。
それにしても、コモンゲートとは、よく名付けたものだ。
官と民が癒着して巨大な関を築いたのだろうか。そんなわけはないのだろうけど。
それはそれとして、この新たに出現した霞が関のビル群は、日比谷公園の南側のビル群とつながり、さらには、新橋、内幸町、そして、丸の内、大手町と連なるのであろうか。
たぶん、そういうことになるのだろう。
つまり、都心がますます集積化し、巨大化していくのだ。
地方は、すかすかになり、寂れていく。中心部は、どんどん肥大化していく。
この流れは、もう止めようがないのだろう。
日本には、そのような道しか残されていないような気がする。
気になるのは、そのような流れが限界に達したときだ。
もっとも、限界が見えるようなら、そのような方向に邁進する、なんてことはないのだろうが。
とにかく、最古の高層ビル、霞が関ビルをも取り込むようにして、新たな高層ビル群が誕生したのだ。
(2007年11月記)

有楽町線辰巳駅(東雲アップルタワー)

2008-04-28 06:34:44 | Weblog
東西線で飯田橋。有楽町線に乗り換える。
辰巳駅で降りる。
歩道橋の辰巳陸橋で辰巳運河を渡り、キャナルコートに向かう。
キャナルコートは、中央に低層の住宅棟が建ち、その外側に高層の住宅棟が建ち並ぶ、という構造になっている。
中央の低層棟は、もう完成しているので、いよいよ外側を囲むように高層の住宅棟が登場する、ということだ。
南側は、キャナルコートができる前にすでに、ツインの高層住宅、Wコンフォートタワーズが建っている。
そして、次に建つのは、東側、辰巳運河に面した部分だ。
南北に3棟、一列に並ぶようにして建つ。
その3棟のうち、一番最初に完成したのが、南側の東雲アップルタワーだ(工事中はこちら)。
こうして徐々にキャナルコートも現実のものになってくると、なんだか、夢から覚めたような気もする。
計画されたときは、夢のような近未来都市が出現するような、わくわくする雰囲気があったんだけど。
現実的には、江東区の何にもない寂しい埋立地に無理やりに巨大な集合住宅ができあがっただけ、としか見えない。
でも、再開発とは、えてしてそういうものなのかもしれない。
この場所が、これから、何十年もかけて、夢のような環境になるかは、たぶん、住民にかかっているのだろうな。
何十年化して、訪れたら、廃墟のようになっていた、なんて、残念なことにならなければいいけど。
ということで、辰巳陸橋を渡って、辰巳駅に引き返す。
そういえば、辰巳駅の北側には、古い団地が広がっていたっけ。
買物をするのなら、キャナルコートの北側のジャスコもいいけど、たまには、東側、辰巳運河の対岸にある、古い団地の商店街も覗くと面白いかもしれない、とふと思ってしまうが。
(2007年11月記)

高崎線高崎駅西口(高崎市庁舎)

2008-04-27 02:12:29 | Weblog
せっかく遠路はるばる高崎までやってきたのに、日没、というのは避けたい。
急いで西口へ。
それにしても、高崎駅の構内までエキナカだとは思わなかった。
これでは、大宮駅と区別がつかない。
来るとき乗換えた拝島駅と雰囲気は同じなのだ。
西口は、ペデストリアンデッキ。
北側にはデパートもある。
ペデストリアンデッキを通って西へ。
これでは、やっぱり、埼玉あたりの郊外の駅と変わらない。
地上に降り立ち、西へまっすぐ伸びている大通りへ。
さらに西へ歩いていく。もう日没間際だ。
目指す高崎市庁舎は、でかい建物なので、遠くからでも見えるのだが、意外と駅からは離れている。
行けども行けども、その分、遠のくように感じられる。
日没直前にやっとお堀に囲まれた高崎市庁舎に辿り着く。
高崎タワー21とほぼ同じ頃、すなわち、失われた10年に竣工している。
ということで、目的も達したので帰ることにする。
駅に向かうとき、ちょっと、北側の街中に入ってみることにする。
石畳のくねくねした道。
整備されてきれいになっている商店街。
どう見ても大宮あたりと変わらないなあ。
さっきの高崎市庁舎の近くの公園では、スケボーに熱中している子供らもいたし。
ひょっとしたら、日本には、地方と中央、なんて区別はなくなってしまったのかもしれない。
あるのは、都市と郊外と田舎、だろうか。
高崎駅に着き、ホームに停まっていて、まさに出発する間際の高崎線に飛び乗る。
車窓はもうすっかり夜の闇。
熊谷を過ぎ、上尾を過ぎ、いつの間にか大宮。
そして、途中で乗換えて、新宿へ。
今さっきまで高崎にいたのだが。長距離を移動した、という感覚はない。
そういうことは、寂しいことなのだろうか、不思議なことなのだろうか。それとも、もう当たり前のことなのだろうか。
(2007年11月記)

高崎線高崎駅東口(高崎タワー21)

2008-04-26 06:18:43 | Weblog
西武線で拝島まで行き、八高線に乗り換える。
拝島駅は、最近、駅構内がリニューアルされ、すっかりきれいになった。
最近、はやりのエキナカ、というわけだろうか。
以前は、地方の駅、という感じだったが、今は都会的な華やいだ雰囲気に満ちている。
さて、八高線に乗ろう、と思ったのだが、やはり覚悟していた通り、本数がぜんぜんない。
エキナカの店でも見て、時間潰しをするかな。
やっときた電車も高麗川駅までだ。
八高線の名前の由来は、八王子と高崎を結んでいるからなのだが、事実上は、高麗川駅までが通勤路線、高麗川から先が地方ローカル線、という風になっている。
だから、八王子と高崎は線路があるだけで結ばれているわけでもないのだ。
かなり前に訪れた時は、一両編成のバスみたいな車両だったなあ。
レールの上を滑るように走っていく。
今回は、ごく普通の車両だったけど。
列車は関東平野の縁、すなわち、山間部と平野の間を通っていく。
拝島からの乗客はどんどん降りていく。
たぶん、拝島から高崎まで行くのは、自分一人だけのような気もするが。
窓からは、ただ過ぎ行く晩秋の地方の風景。
だけど、一年の終わりが近いためなのか、そんな地方を走る電車の中も、なんだかうきうきしたせわしない空気が漂っているのが感じられる。
高崎に近付いたのだろうか、風景は、地方から郊外、という風に変わってきた。
なんだか、東京や埼玉の郊外と同じだなあ。
というふうにのんびり電車に乗っているうちに日没が近くなってしまった。
高崎駅に着くとすぐに改札へ。
東口に出る。
駅前広場から東側にまっすぐに大通りが伸びており、その大通りの北側に高崎タワー21がある。
竣工は、バブルが崩壊した後の失われた10年の頃。
だからというわけでもないけど、晩秋の沈み行く夕陽に照らされ、高層ビルは、茜色に染まり、侘しく見えてしまった。
(2007年11月記)

京成線千葉中央駅(ミラマーレ)

2008-04-25 06:18:38 | Weblog
交差点を西側に曲り、そのまままっすぐ歩く。
しばらくすると、ミラマーレがある。
京成線千葉中央駅の駅ビルでもあるようだ。
そして、この先、京成線の高架から西側は、住宅地となる。
だからミラマーレと高架が住宅地と繁華街の境界線のようになっている。
このように、きちんと街が住宅地と商業地のある中心部に区分けされているように見える。
だが、実は、高度成長期以前、ミラマーレのある千葉中央駅と京成線は、もっと北側にあったらしい。
さっき歩いてきた、モノレールのセントラルアーチの東側にある中央公園あたりだ。
この移転も千葉駅の移転と同じ高度成長期の初め頃のことだ。
高度成長期が終わってみると、千葉の街は、がらりと変わっていたことだろう。
街の中心が移動してしまった、ということだ。
栄町の脇を通ってみて、その寂れようを見ると、南に拡大したのではなく、確かに南へ移転したのだと、感じてしまう。
その後、バブルの熱狂がやってくる。
バブルの頃は、モノレールが開通したり、政令指定都市になったり。
たいへんな勢いだったなあ。
モノレールと一緒に千葉の街がどんどん南へ広がり、京葉線の方まで達するのかと思ってしまった。
そして、バブルは崩壊。失われた10年がやってくる。
世界最大の百貨店を謳っていた千葉そごうは倒産し、ダイエーは撤退。
永遠に発展するなんて、夢だったわけだ。
その後、訪れた都心集積と格差社会。
千葉中央駅にも駅ビル、ミラマーレが建つ。おしゃれな高層のシティホテルだ。
かつての千葉駅のあった場所から、街が移転したことによって、寂れ果てた栄町を通ってここまで歩いてきた。宙には、バブルの遺産、モノレールががたごとと走る。
辿り着いたのは、ミラマーレか。
千葉に限らないけど、日本の街の今に到る歴史を辿ってきたような気がする。
(2007年11月記)

総武線千葉駅(CHIBA CENTRAL TOWER工事現場)

2008-04-24 06:19:45 | Weblog
稲毛駅に戻り、再び横須賀線に乗る。
千葉駅で降りる。
だんだん日没が迫ってくる。
改札を出たら直行しようと思ったが、なぜか前訪れたときのように、てんで違う方に歩いてしまった。
駅東口から東に伸びている千葉駅前大通りを進むか、京成電鉄の高架に沿って歩けばいいのであるが。
そうすれば、千葉の街の中心部へ行くことができる。
だが、いつもモノレールの高架に沿って北側に行ってしまうのだ。
ここは昔の千葉駅のあったところではないだろうか。だから、その場所に引き寄せられてしまうのかな。
ぐっと下り坂になった先には、葭川が流れている。千葉の中心からはずれた方向に歩いていることに、ここらへんで気が付く。
気を取り直して、葭川に沿って今度は南に歩く。
東側には栄町が広がっている。
かつての場所に千葉駅があったころは、栄町は駅近くだ。さぞかし、栄町も賑やかな歓楽街だったかもしれない。
今ではさびれた風俗街、千葉の吉原、という感じだ。本当に街の中心からはずれてしまっている。
どんどん南に歩いて行くと、モノレールのセントラルアーチ。
千葉駅前大通りに架かっているのだが、このセントラルアーチ、駅前からでも見えていたような気がする。
ということは、単に北側に回り道しているだけなのだ。
さらに南へ歩いていく。
しばらく歩くと、通りの東側にCHIBA CENTRAL TOWERの工事現場がある。
遠回りをした、ということもあるが、千葉駅からはちょっと離れているような気がするなあ。
でも、その方が千葉の街をいろいろと散策できていいかもしれない。
駅前よりは、少し落ち着いているし。
(2007年11月記)

総武線稲毛駅北口(プラウドタワー稲毛工事現場)

2008-04-23 06:19:57 | Weblog
実は、もう一棟、工事中の高層住宅があるはずなのだが、場所を覚えていかなかったのでさっぱりわからない。
たぶん、派手に工事をしているはずだから、遠くからでもわかると思っていたのが間違いのもとかな。
千葉街道のあたりまで行ったが、早々に諦めて、もと来た道を引きかえす。
こんなことをしていると、日没になってしまうからだ。
船橋駅の南口へ。
バブルの頃、このロータリーにクルマを停めたことが昨日のように思い出される。
でも、あのときとは、光景も雰囲気もまるで違うなあ。
などと想い出にひたりつつ、船橋駅から横須賀線に乗る。
各駅停車が総武線で急行が横須賀線、ということになっているのだ。
津田沼を過ぎると、なんとなく、千葉にようやく来た、と思ってしまう。
実は、津田沼駅の南口、千葉工業大学でも高層ビルの工事中なのだが、日没が近いので先を急ぐことにする。
津田沼は次回、ということだ。
幕張本郷も過ぎ、稲毛駅に到着する。
駅の北東側に出る。
稲毛海岸には行ったことがあるが、稲毛は初めてだ。
といっても、特に感慨はないんだけど。
南東側に少し歩くとでかいスーパーの裏側にプラウドタワー稲毛の工事現場がある。
この場所は、でかいスーパーと線路との間でもある。
だからなのだろう。自転車に乗ったおばちゃんが頻繁に通っていく。
時間的にも買物時なんだな。
千葉が政治の中心なら稲毛は生活の場、という感じがする。
たぶん、はるか昔もそうだったかもしれない。
だが、海岸がすっかり埋立てられ、ニュータウンができて、稲毛の方がさびれてしまったのだろうか。
だから、こうして、高層住宅が建つのかな。
(2007年11月記)

総武線船橋駅南口(パークタワー船橋)

2008-04-22 06:19:04 | Weblog
小岩駅に戻り、再び総武線に乗り込む。
小岩駅を過ぎ、江戸川を渡ると、千葉県、ということになる。
といっても、どうみても、城東の続きのようにしか見えない。
城東の郊外、あるいは、城東の先の田園都市、というところかな。
千葉は海を感じさせるの、田園、というのとはちょっとイメージが違うかもしれないけど。
市川を過ぎ、本八幡を過ぎ、そして船橋、となる。
南口に出る。
京成本線の高架工事が終盤、という感じだ。
こんな風に踏切がなくなって高架になってしまうと、総武線の船橋駅とこんなに近かったのか、と改めて思ってしまう。
昔、バブルの頃に船橋駅に何度か来たことがあるが、もっと距離があったような記憶があるなあ。
空間、というより雰囲気的にも距離があったような気もする。
それが、きれいさっぱりなくなっているのだ。
中東のバザールのような賑やかな商店があって、その場所が、再開発。
すっかり更地になってみると、こんなに狭い空間だったのか、と驚いてしまうことがある。
それと同じことかな。
駅前から南へ伸びる通りに入り南へ。
その通りの西側にパークタワー船橋がある。
建物だけ見たら、新浦安かと思ってしまう。
いや、建物ばかりではなく、まわりも新浦安だ。
間違いなく、この場所は、船橋駅の南口なんだけど。
いったい自分の記憶にある船橋は、どこへ行ってしまったのだろうか。
時代は、進んでいるのに、自分は置いていかれているんだろうなあ。
手を伸ばしても、もう届かない。でも、手を伸ばせば届くものは、すべて、想い出のかなたにいってしまったのだ。
(2007年11月記)

総武線小岩駅北口(東京グランファースト)

2008-04-21 06:22:09 | Weblog
両国駅に戻り、再び総武線に乗る。
車窓を城東の下町が過ぎていく。
錦糸町、亀戸、平井。
そして、新小岩、小岩。
たしか、新小岩駅にはなにもないのに、横須賀線が停まるんだったな。
停まるから駅がでかいのか、停めるためにホームを増やしてでかくしたのか、その経緯はわからないのだが。
とにかく駅がちょっとでかいので、通路に喫茶店とかあったりした。
今ならエキナカ、というところか。
昔はターミナルステーションでなければ、普通の駅には、ホームに立ち食い蕎麦屋ぐらいしかなかったような気がする。
だから、改札をでなくてもいいので、よく新小岩駅まで行って、たむろしていたなあ。
安上がり、というのもあったけど、なんとなく、駅構内だけで過ごす、というのもいいものだ。
小岩駅の北口に出る。
南口は、意外にも、かなり落ち着いた静かな住宅街と商店街、となっている。
それに対して、北口の方は、総武線と平行して伸びている蔵前橋通りと小岩駅との間が下町っぽい。
そのような下町は、再開発される運命にあるようだ。
総武線の高架に沿って東に歩いて行くと、東京グランファーストがある(工事中はこちら)。
最近の竣工だ。
まわりはさびれた感じがするのに、この一画だけ、南口の閑静な住宅街の雰囲気がしてしまう。
いままでの下町が消滅してしまった。
昔のがたごとと電車の音のする駅構内の喫茶店が、今では、デパートのようなエキナカになるのと同じことかな。(たぶん、新小岩の駅構内は最近行っていないので、なんともいえないけど、昔のままだと思う)
時代は流れていくのだ。
そして、もう昔には戻れない。
(2007年11月記)