retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

千代田線湯島駅(上野公園 弁天島 弁天堂)

2016-02-29 04:38:57 | Weblog
八角形の建物が、あまりに、有名なので、こちらが、弁天堂、かと思ってしまう。
もちろん、そうなのだが、あえていえば、八角形の建物は、本堂、ということかもしれない。
その手前にある、門のような、建物も、含めて、弁天堂、ということだろう。
神社でいえば、こちらは、拝殿、なのかな。
他にも、いろいろと、あるのだが、どうも、よくわからない。
この、混沌としているのが、いいのかも。
(2013年6月記)

千代田線湯島駅(上野公園 弁天島 幕末剣豪の碑)

2016-02-28 05:27:19 | Weblog
弁天島には、どういうわけか、幾多の、碑がある。
その中、幕末剣豪の碑。
幕末、ということは、江戸時代ではないのだろう。
そういえば、江戸時代は、寛永寺の、境内。
明治時代になって、一帯は、上野恩賜公園になったのだ。
ということは、東京都、当時の、東京府の、所有地、になったのだろうか。
所有地、というよりも、管理地、といったところか。
その後、公園になるのだが、なぜか、宮内省の、管轄地になる。
管轄地と、管理地、どのような違いがあるのか、わからないが、管轄地のほうが、なにもしないように、思える。
たしかに、それからの、上野公園、荒廃の一途、だったようだ。
たまりかねて、大正時代、再び、東京都の、管理地になり、現在に、至っている。
かくのごとく、所有権が、曖昧だったので、弁天島、いろいろな、碑が、建ったのでは、と思ってしまうのだが。
(2013年6月記)

千代田線湯島駅(上野公園 弁天堂本堂)

2016-02-27 05:41:39 | Weblog
不忍池の中央には、弁天島。
弁天堂がある。
創建は、江戸時代の、初め頃。
寛永寺とともに、建てられた。
弁天堂だけではなく、島ごと、作られたのだ。もとから、島があったわけではない。
もともと、島があって、そこに、弁天堂が、建てられたのであれば、弁天堂、不忍池と、深く、関わりがあるはずなのだ。
島ごと、建てられてとすれば、寛永寺と、関わるのだろう。
とすると、不忍池自体、寛永寺境内の池、という感じかな。
だから、不忍池は、残ったのかもしれない。
(2013年6月記)

千代田線湯島駅(上野公園 不忍池 魚群)

2016-02-26 04:42:19 | Weblog
不忍池、ふと、見ると、魚が、たくさん、いる。
都心にしては、水質がいいのだろうか。
都心になるよりも前、昔も、このように、たくさん、魚がいたことだろう。
そういえば、不忍池、いつ、できたのだろう。
以前は、王子あたりから、石神井川が、流れていたらしい。
その当時から、不忍池は、あったのだろうか。それとも、石神井川の、流路が変わってから、不忍池が、できたのだろうか。
わからないが、江戸時代以前、たとえば、不忍池から、下流になったところには、ひとまわり大きな、姫ヶ池。その北側には、はるかに、大規模な、千束池、もあった。
海辺に近い、湿地帯だったので、池も、たくさんあったのだろう。
その中、残ったのが、不忍池、ということだ。
(2013年6月記)

千代田線湯島駅(上野公園 弁天島)

2016-02-25 04:15:24 | Weblog
しばらくすると、弁天島。
池、中央の島だが、今は、ほぼ、池の縁と、つながっている。
つながったのは、昭和の初め頃。
ボート池ができて、ボート遊びが出来るように、なったときだが。
それ以前は、橋が架かっていたらしい。
江戸時代から、橋はあったようだ。
そんな、弁天島なのだが、実は、自然の島では、ないらしい。
江戸時代の初め頃、築かれた、ということだ。
寛永寺の創建と、同じ頃だろう。
弁天島へ向かう。
(2013年6月記)

千代田線湯島駅(上野公園 ボート浮かぶ不忍池)

2016-02-24 04:17:01 | Weblog
北へ歩いていくと、しばらくして、蓮のない、水面。
水遊びするボートが、浮かぶ。
蓮が、覆っていると、さすがに、ボートは、無理、なのだろう。
ボートが、浮かぶのは、ボート池。
不忍池は、三つに、分けられているのだが、西側の、池、ボート池は、蓮もなく、ボートが、浮かべられる。
ボート遊びが、整備されたのは、昭和の、初め頃、ということらしい。
アーバンリゾート、なのかな。
不忍池、北へ、向かう。
(2013年6月記)

千代田線湯島駅(上野公園 蓮に覆われた不忍池)

2016-02-23 04:17:59 | Weblog
北へ歩いていくと、すぐに、上野公園、不忍池。
水面は、一面、蓮に覆われている。
神秘的な、光景。
一面、緑なのに、その下、池なので、何も、いない。
ただただ、蓮が、生い茂るばかり。
ひょっとすると、太古の昔、原風景、なのかも。
関東平野、低湿地で、池、沼が、多かったのだ。
そういった場所、いろいろな、水生植物が、繁茂していたに違いない。
不忍池に沿って、さらに、北へと、歩いていく。
(2013年6月記)

千代田線湯島駅(池之端一丁目 不忍通り)

2016-02-22 04:17:05 | Weblog
西へ。坂を、上っていく。
再び、御茶ノ水駅。
今度は、千代田線。
そういえば、このあいだも、千代田線に、乗ったのだっけ。
もっとも、今回は、代々木上原方面ではなく、西日暮里方面。
湯島駅で下車。
地上に出ると、南北に伸びる通り。
北へ向かう。
突き当たり、初夏、緑が、眩い。
上野公園の、緑。
北へ北へと、歩いていく。
(2013年6月記)

中央線御茶ノ水駅(ワテラス アネックス)

2016-02-21 06:12:59 | Weblog
高田馬場駅から、東西線。
飯田橋駅で、総武線に乗り換える。
御茶ノ水駅で下車。
このあいだと、同じだ。
東側の改札。聖橋の袂。
南北に伸びる通り、南へ。
坂を、下っていく。
途中、東へ。こちらも、坂道。
坂を、下っていく。
下りきると、ワテラスの高層ビル群。
巨大な、高層住宅と、それよりも、規模の小さな、高層オフィスビル。
ワテラス アネックス。
最近、完成している。
都心の、再開発は、留まることを知らない。
(2013年6月記)

小田急線下北沢駅(北沢二丁目 残された小田急線下北沢駅駅舎)

2016-02-20 05:22:24 | Weblog
踏切、西側には、かつての、下北沢駅の駅舎。
取り壊される寸前、というところか。
それほど、乗り降りしたことはないのだけど、ホームが、狭かったように、記憶している。
それも、今は、昔、思い出の彼方。
そういえば、駅周辺、これから、どうなるのだろう。
自由が丘みたいに、閑静ではないし、かといって、再開発されて、ビルが、次々に、建っていくほど、下町でもない。
おそらく、自由が丘ほどではないもの、東急東横線沿線みたいに、なっていくように、思える。
あまり、用はないので、来ることはないけど。
もう、帰ることにする。
地下、小田急線のホームへ、降りていく。
(2013年6月記)