retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

銀座線浅草駅(浅草七丁目 本龍院)

2016-03-31 04:00:03 | Weblog
北へ北へと歩いていくと、本龍院。
創建は、わからない。
本龍院自体、浅草寺の子院、ということで、浅草寺と同じかもしれない。
浅草寺の方は、かなり、古い。
ふるいが、こちらも、正確に、創建時期は、わからない。
平安時代かもしれないし、もっと、古くからあるのかもしれない。
間違いないことは、太古の昔から、一帯が、東京湾沿岸部、舟運の、拠点だったことだろう。
ただ、その頃は、浅草寺ではなく、別の、祭祀の場だったかも。
(2013年7月記)

銀座線浅草駅(浅草七丁目 隅田川沿い南北に伸びる通り)

2016-03-30 04:44:14 | Weblog
西へ向かい、再び、三越前駅。
あたりは、すっかり、高層ビル街に、なってしまった。
都心再開発は、続く。
三越前駅で、銀座線。
浅草駅で下車。
こちらも、観光地として、賑やか。
都心の、賑やかさの、余波と、いえるだろう。
隅田川西岸に沿って、北へ。
東西に伸びる、言問通りを、横切り、さらに、北へ。
ここまで来ると、閑散としている。
(2013年7月記)

銀座線三越前駅(日本橋アステラス三井ビルディング)

2016-03-29 04:47:16 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
日本橋駅で、銀座線に、乗り換える。
三越前駅で、下車。
地上に出ると、南北に伸びる中央通り、そして、三越。
賑やかなのだが、まったく、縁がない世界。
街中、細い道を、東へ向かう。
しばらくすると、南北に伸びる、昭和通り。
華やかさは、まるでないが、こちらの、街並みのほうが、しっくりとする。
昭和通りを、北へ向かうと、通りの、西側には、日本橋アステラス三井ビルディング。
最近、完成した、高層オフィスビル。
再開発、徐々に、拡大してきている。
これ以上は、もう、ないと思うけど。
(2013年7月記)

都営浅草線浅草駅(雷門二丁目 浅草から見るスカイツリー)

2016-03-28 03:33:49 | Weblog
東側には、隅田川に架かる、駒形橋。
駒形橋の袂、東の方、見やれば、遠く、スカイツリーが、聳える。
完成してから、もう、一年。
早いものだ。
いまだに、行っていないし、行く機会もない。
こんな巨大な、建造物が、完成する頃、世の中、どうなっているのだろうと、思っていたが、変わってもいない。
むしろ、なにか、余計、貧しくなったように、思うのは、気のせいなのかな。
ということで、もう、帰ることにする。
浅草線浅草駅へ。
浅草、もう、来ることは、ないかもしれない。
別段、来なくとも、浅草は、ずっと、このままだろうけど。
浅草駅、都営浅草線の車両に、乗り込む。
(2013年6月記)

都営浅草線浅草駅(駒形一丁目 江戸通り)

2016-03-27 04:55:54 | Weblog
南へ。浅草通りへ戻る。
浅草通りを、東へ。
そのまま、東へ東へと、歩いていく。
雷門通りと比べ、観光客は少なく、ひっそりとしている。
しばらくすると、隅田川。
隅田川の西岸には、南北に伸びる、江戸通り。
江戸時代からの、水戸街道、なのだが。
もっとも、正式には、さらに、北側、言問橋で、隅田川を、渡ったところから、水戸街道。
江戸時代でも、千住宿から、水戸街道、となっている。
もともと、途中から、分岐しているのが、水戸街道であり、分岐したところから、都心への、区間、別の道、ということなのだろう。
(2013年6月記)

都営浅草線浅草駅(雷門二丁目 雷門仲通り)

2016-03-26 04:47:04 | Weblog
東へ進むと、南北に伸びる、雷門仲通り。
雷門仲通りを、北へ。
東西に伸びる、浅草通りを、越え、さらに、北へ向かう。
もともと、西仲町、東仲町、という町名だったらしい。
江戸時代から、そうである。
さらに、その前は、仲町、だったようだ。
また、さらに、その前、江戸時代の、初め頃は、仲畑村、だったらしい。
おそらく、もっと前は、中畑、だったのかも。
その前は、どうだったのだろうか。
もう、わからない。
雷門仲通り、北へ北へと、歩いていく。
(2013年6月記)

都営浅草線浅草駅(寿三丁目 国際通り)

2016-03-25 04:32:04 | Weblog
東へ東へと、歩いていくと、南北に伸びる、国際通り。
名前は、浅草に、かつてあった、国際劇場から。
国際劇場は、昭和の初め頃、開業、バブル期の、前に、なくなっている。
国際劇場が、開業する以前は、幸龍寺。
江戸時代は、寺域も、広く、寺勢、盛んだったようだ。
今は、北烏山の、寺町。
時代の流れを、感じる。
国際通り、渡り、さらに、東へ。
(2013年6月記)

都営浅草線浅草駅(寿一丁目 竜宝寺)

2016-03-24 04:20:23 | Weblog
通りの、北側には、竜宝寺。
江戸時代の、地図を見ると、かなり、寺域は、広い。
ひょっとすると、通りを挟んで、南側の、西光院は、竜宝寺の、境内に、もともと、あったのかも。
はっきりとは、わからないけど。
竜宝寺についてだが、創建は、江戸時代前半、創建は、この地、となっている。
ただ、もともとは、今の、東京駅八重洲口近く、江戸時代の初め頃、是応庵があり、江戸の町、拡大のため、この地に、移転したことによる、ということらしい。
そのとき、あらためて、寺院になったのだろう。
再び、東へ東へと、歩く。
(2013年6月記)

都営浅草線浅草駅(寿一丁目 西光院)

2016-03-23 04:47:07 | Weblog
東へ歩いていくと、しばらくして、通りの南側には、西光院。
創建、創建の地、いずれも、まったく、わからない。
江戸時代の、地図を見ても、載っていない。
このあたりの、寺院の、例だと、まず、江戸時代の初め頃、江戸の町、中心部に、創建、ほどなくして、江戸の町、拡大のため、この地に、移転、となっているので、そうなのかもしれない。
あるいは、別の、寺院の寺域に、あったのだが、独立した、という場合も、多い。
江戸時代の、地図に、載っていないので、後者なのかも。
(2013年6月記)

都営浅草線浅草駅(寿一丁目 新堀通り)

2016-03-22 05:07:30 | Weblog
しばらく、東へ、歩いていくと、南北に伸びる、新堀通り。
江戸時代、新堀川が、流れていた。
大正時代になって、新堀川の、両岸、古道具屋が、並ぶようになったらしい。
その後、昭和の初め頃に、埋め立てられている。
埋め立てられた後は、新堀通りへ。
また、両岸に並ぶ、古道具屋は、残り、かっぱ橋道具街、となっていった。
そして、今に、至るわけだ。
時代は、流れていく。
新堀通りを、渡り、さらに、東へ。
(2013年6月記)