retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

丸の内線本郷三丁目駅(本郷三丁目 本郷中央教会)

2012-03-31 09:03:31 | Weblog
本郷通り、今度は、南へ。
春日通りとの、交差点に、戻る。
そういえば、菊人形見物で、もう一つ、話題があった。
雑踏の中で、迷子になっていた、女の子。
それを受けて、三四郎、里見美禰子が、二人きりになったとき、美禰子が、迷子の、英訳を、聞く。
三四郎、答えらえられないでいると、美禰子は、「ストレイシープ(迷羊)」、と答えた。さらには、二人とも、同じく、「ストレイシープ(迷羊)」だ、とも。いったい、どういう、意味があるのだろうか。
「ストレイシープ(迷羊)」、というのは、聖書に、出てくる。
ある、羊飼いのもと、百匹の羊がいたとして、そのうちの、一匹が、迷ってしまったとする。すると、その、羊飼い、残り、九十九匹を、放って置いても、迷った、たった、一匹の、羊を、探し求める、という話。その、一匹が、「ストレイシープ(迷羊)」だ。
そして、その、捜し求める、羊飼いこそ、「神」、なのだ。
でも、迷った、というのは、どういうことなのだろう。
それは、「ストレイシープ(迷羊)」の、前の条にある。
すなわち、「罪への誘惑」。
(迷い)、つまづいてしまえば、永遠の、火の地獄に、投げ込まれるのだ。
絶対的、かつ、あまりに、苛烈な運命、それゆえ、羊飼い、「神」は、ストレイシープ(迷羊)、を、なんとか、探し出そうとする、というわけ。
しばらくすると、春日通りとの、交差点。
東に曲がり、そのまま、東へ。
程なくして、春日通りの、南側に、本郷中央教会。
夏目漱石が、東京大学に、通っていたころ、建てられたので、「三四郎」に登場する、里見美禰子の通う、教会、というのは、この、本郷中央教会、に違いない。
三四郎と、里見美禰子が、最後に、会ったのは、この、教会の前。しかも、クリスマスの間近。結局、里見美禰子は、結婚してしまうのだ。
数ヶ月前、穴の底、三四郎池の畔から、見上げた先、森の中に、里見美禰子が、いたとき、三四郎にとって、彼女の姿、なんと、神々しく見えたことだろう。
だが、その、神々しさ、実は、業火に燃える、地獄と、引き替えの、背徳、誘惑、だったとは。
「三四郎」、そんな、落ち、なのかな。
さあ、帰ろう。こうして、本郷中央教会、見ていると、扉を開けて、里見美禰子が、出てくるような、気がする。
春日通りを、西へ。
本郷三丁目駅を目指して、歩き出す。
(2011年6月記)

丸の内線本郷三丁目駅(本郷七丁目 本郷通り)

2012-03-30 05:10:00 | Weblog
穴倉の急斜面を、這い上がるようにして、再び、大学構内。
西へ、歩いて、東京大学の外、南北に伸びる、大通り、本郷通りに出る。
その、本郷通りの北、少し歩いた先、東側に、入ったところに、三四郎は、住んでいたらしい。
三四郎、里見美禰子、彼らだけではなく、その他も、近場に、暮らしている。
例外は、野々宮で、今の、大久保駅近くに、暮らしていたようだ。
ただ、あまりに、辺鄙で、寂しい場所なので、結局、近場の、下宿に、舞い戻ってきている。
職住近在、そういう時代だったのかな。
ところで、当時、さらに、北側、団子坂で、菊人形展が、毎年、秋に、開催されていて、かなり、賑わっていた、ということだ。
「三四郎」に登場する、面々も、見物に、出掛けている。
その途中、光源寺に、差し掛かったとき、乞食がいて、同行した、広田先生、というのが、座っている場所が、よくないと、評するのだが、その、何気ない、話が、なぜか、執拗に、引き継がれていく。
おそらく、広田先生、座っている地面の「場所」、ではなく、社会の中の「場所」、ポジション、のことを、暗に、言ってみたのかもしれない。
つまり、広田先生自身も含めて、一同、皆、乞食みたいなものだ、ということ。
だから、ぎくりとするほどではないけど、その話、思い当たる、それぞれの心の中に、何度も、重く、響きあい、話が、続いていったのだろう。
(2011年6月記)

丸の内線本郷三丁目駅(東京大学 三四郎池)

2012-03-29 06:09:03 | Weblog
世間では、穴倉かもしれないが、野々宮にとって、むしろ、華やかな、場所、なのかもしれない。
いったん、学校に入り、外のことが、見えなくなると、そうなるのかな。
まあ、それで、生活が、成り立てば、いいのだろうけど。
ただ、一般的には、かなり、難しい。
余裕のある、豊かな時代なら、いざ知らず、明治時代なら、なおのこと、難しいに、違いないはず。
だから、世間では、穴倉、袋小路。
三四郎も、そう思ったかどうかわからないが、そんな気分で、東京大学構内を、東へ、歩いていく。
しばらくすると、木々の、鬱蒼と茂る、一帯。
そして、密林の中には、まさに、巨大な、穴倉のように、窪んだ、地形。
試みに、その、巨大な、穴の底に、下りてみると、静かな池が、ある。
三四郎池、なのだが、こんな、穴の底に、あるとは、思わなかったな。
もともと、東京大学の敷地は、加賀藩上屋敷だったので、庭園の、池だったのかもしれないけど。
それはそうと、穴倉を実感しながら、歩いていると、本当に、巨大な、穴倉に、辿り着いてしまうというのは、とても、印象的。
そのような、穴の底に、行き着いた、三四郎、ふと、見上げると、そこには、きれいな女性。
しかも、こちらに、一瞥。去り際に、花、一輪を、落としていく。
これは、間違いなく、心、揺さぶられるな。
(2011年6月記)

丸の内線本郷三丁目駅(東京大学 赤門)

2012-03-28 05:06:20 | Weblog
しばらく、歩いていくと、通りの、東側に、東京大学の赤門。
東京大学、といえば、この、赤門、なのだが、実は、江戸時代、この場所に、あった、加賀藩上屋敷の、門だったらしい。
加賀藩上屋敷は、なくなり、東京大学になっても、赤門だけは、残ったのだ。
とすると、本来、赤門は、東京大学と、関係ないことになる。
もっとも、東京大学が開校して以来の、門でも、あるわけだから、東京大学の、象徴でも、いいのだけど。
そんな、東京大学の赤門、明治時代の、三四郎も、この、門を、通って、大学の敷地に、入ったのだろう、と思ったのだが、実際は、北側、弥生門から。
三四郎の住んでいるところが、東京大学の、北側、ということと、訪ねて行った、先輩の野々宮が、弥生門近くの、工学部に、いた、ということだろう。
でも、普通、初めてで、土地勘がなければ、有名な、赤門でも、いいはず。
ひょっとしたら、東京の街は、初めてにしても、東京大学には、何度か、すでに、足を、運んでいて、土地勘は、あったのかな。
そして、東京大学に入ると、穴倉があって、そこに、先輩、野々宮が、籠って、実験に、没頭していたわけだ。
(2011年6月記)

丸の内線本郷三丁目駅(プラウドタワー本郷東大前)

2012-03-27 05:05:58 | Weblog
本郷通りを、北へ、歩いていくと、通りの、東側には、プラウドタワー本郷東大前。
最近、完成した、高層住宅だ。(工事中はこちら
本来、山の手には、高層住宅は、建たないのだが、昨今の、世界同時不況の前、たまさか、景気が、よかったおり、勢いで、工事が、始まってしまったらしい。
よくあることだが。
ところで、一帯は、明治時代以降、もっとも、早く、郊外化、あるいは、山の手住宅地になった、場所。
そういうわけで、三四郎の、舞台に、なったのだろう。
ヒロイン、里見美禰子は、そういった、山の手に住む、お嬢様、なわけだ。
ただ、だからといって、山の手台地のような、堅牢な、立場ではない。
たとえば、三四郎が、里見美禰子に、金を、借りにいくと、彼女は、自分名義の、通帳から、用立てている。
当時が、そうだったのか、たまたま、そうだったのか、つまり、彼女には、自分用に、与えられた、通帳以外、いっさいの、権限が、ないようなのだ。
おそらく、唯一の兄、里見恭助、がすべての、権限を、所有しているのに違いない。
だから、たとえば、恭助が、結婚するとすれば、無一物で、家から、放逐されることは、ないにしても、里見美禰子の、今の、立場は、なくなることは、確かだろう。
本郷通りを、さらに、北へと、歩いていく。
(2011年6月記)

丸の内線本郷三丁目駅(本郷四丁目 本郷薬師堂)

2012-03-26 04:59:57 | Weblog
北へ、歩く前に、少し、交差点に戻る。
菊坂への道と、交差点の、間に、西に伸びる、参道、のような、道路。
不思議な道路だが、その先には、本郷薬師堂、がある。
本郷薬師堂の、参道なのだろうけど、それにしては、大仰な感じ。
実は、もともと、この場所には、真光寺、という寺院が、あったのだ。
さらに言えば、本郷薬師堂、その西側にある、桜木神社は、真光寺の、境内に、あったらしく、かなり、広大な、寺域。
だから、参道が、大仰なのだろう。
そのような真光寺なのだが、太平洋戦争で、戦災に遭い、戦後は、世田谷区に、移転。
境内にあった、桜木神社と、本郷薬師堂は、そのまま、なのだ。
とすると、「三四郎」の舞台、明治時代末年、交差点の北西側には、真光寺の参道。
その、参道の、北側、脇から、菊坂への、道が、伸びていたことになる。
今よりも、さらに、ずっと、閑静な、雰囲気、だったのろうな。
(2011年6月記)

丸の内線本郷三丁目駅(本郷五丁目 菊坂への細い通り)

2012-03-25 04:51:41 | Weblog
本郷通りを、少し、北に、歩いていくと、北西方向に、細い道が、伸びている。
その道の先は、下り坂、菊坂。
野々宮が、リボンをプレゼントした、若い女性、この、小説のヒロイン、里見美禰子が、住んでいるあたりだ。
町名は、真砂町。
実は、この場所、夏目漱石が、学生の頃、親交のあった、正岡子規が、住んでいた、常盤会寄宿舎、というのが、あった。
菊坂から南側、炭団坂を、上がった、ところ。
なぜ、里見美禰子を、そんな、場所に、住まわせたのか、わからないけど。
小説では、里見美禰子の家、瀟洒な、立派な、家、という設定。
ただ、彼女には、両親はなく、唯一の、肉親は、兄一人。
このような、寄る辺ない境遇が、彼女をして、四方八方、気のある素振りを、させていたのかもしれない。
平たく言えば、いい女でいることが、彼女の、存在意義、なのかも。
もっとも、それで、ひっかかったのは、子供っぽい、三四郎、と、穴倉で、実験に没頭していた、世間知らずな、野々宮ぐらい。
本郷通り、もっと、北へ、行ってみる。
(2011年6月記)

丸の内線本郷三丁目駅(本郷三丁目 かねやす)

2012-03-24 06:23:58 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
飯田橋駅で総武線に、乗り換え、御茶ノ水駅で、さらに、丸ノ内線に、乗り換える。
本郷三丁目駅で、下車。
地上に出ると、東西に伸びる、春日通りと、南北に伸びる、本郷通りとの、交差点。
交差点の、南西側には、小間物屋の「かねやす」、がある。
なんでも、江戸時代、創業の、有名な、老舗、ということだ。
俗に、江戸時代、「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」、つまり、江戸の、賑やかな、街並みの、北限は、ここ、「かねやす」まで。
かほどに、昔から、知られた、店らしい。
ここらへんが、舞台の、夏目漱石の小説、「三四郎」にも、登場する。
「三四郎」は、明治時代後半に、書かれたので、当時も、「かねやす」は、有名だったのだろう。
小説の中で、学校の先輩、野々宮が、そこで、蝉の羽根のようなリボン、を購入している。
リボンは、当時、若い女性が、束髪に、ワンポイントの、飾りとして、付けるのが、一般的であり、ようするに、若い女性への、プレゼント、なのだ。
上機嫌の、野々宮は、その足で、三四郎に、西洋料理を、奢っている。
女性への、プレゼントを、買った後の、野々宮の、高揚する様。
そして、それに対して、そういった、展開を、読めないでいる、三四郎の、子供っぽさが、とても、際立っていて、面白い。
(2011年6月記)

みなとみらい線みなとみらい駅(臨港パーク入口交差点手前 未完成の地下道)

2012-03-23 06:08:40 | Weblog
みなとみらい橋を渡り、みなとみらいへ戻る。
橋の袂、地下道の入口。
どこに、通じているのだろうか。
今は、閉鎖されていて、通れないけど。
実は、この地下道、南側、国際大通りを、南進、赤レンガパークあたりまで、伸びているらしい。
ただ、さらに、その先、未開通なので、入口は、閉鎖されているのだろう。
全体が、開通すると、臨港幹線道路、となるようだ。
横浜港を、環状に、結ぶ、道路。
全貌は、よくわからない。
ちなみに、コットンハーバータワーズからは、瑞穂大橋、という橋が、伸びていて、第一京浜には、接続しない予定。
もっとも、こちらも、その先は、行き止まり。
とうてい、完成するとも、思えないな。
もし、完成しないとすれば、国際大通りの、地下道、開通させても、ほとんど、クルマが、通ることはなく、やはり、ずっと、閉鎖されたままに違いない。
まさに、バブルの夢の跡。
さて、もう、帰ることにする。
帰りは、日産本社ビルから、伸びる、はまみらいウォークを、通って、横浜そごうの、地下から、横浜駅へ。
横浜駅へ、行くのには、便利になった。
ひょっとしたら、みなとみらいの再開発から、横浜駅周辺の、再開発へ、方向転換、するのかもしれない。
将来のことは、わからないが。
横浜駅からは、湘南新宿ライン。
都心との、接続も、便利になっているな。
(2011年6月記)

みなとみらい線みなとみらい駅(コットン大橋)

2012-03-22 05:18:34 | Weblog
みなとみらい橋を渡ると、山内埠頭。
といっても、とくに、何もない。
道路は、いったん、東へと、向きを変えるが、その、北側に、横浜市中央卸売市場が、あるぐらいだろうか。
しばらく、歩くと、また、橋。
コットン大橋。橋そのものは、北側に、向きを、変えている。
クルマ専用なので、歩いて、渡ることはできないが。
名前の由来は、渡った先に、高層住宅群、コットンハーバータワーズ、があるからだろう。
さらに、コットンハーバータワーズの先は、クルマが、通るような、道路では、なかったはず。
道幅を、広げて、クルマが、通るようにすると、バイパスにされ、みなとみらいに、多くの、クルマが、進入してくるので、そうはしないのかも。
だから、こう見たところ、実際、あんまり、クルマ、通っていないのだ。
それでは、何のために、橋を、わざわざ、架けたのか、わからなくなるな。
でも、まあ、今にして思えば、というところだろう。
コットン大橋は、渡れないので、仕方ない。
戻るとしよう。
(2011年6月記)