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retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

千代田線乃木坂駅(乃木坂パークハウス)

2011-12-11 07:22:35 | Weblog
乃木坂から、階段を上り、外苑東通りへ。
北へ進むと、すぐに、通りの東側、乃木坂パークハウス。
最近、完成した、高層住宅だ。(工事中はこちら
都心部には、こうして、高層住宅が、次々と、建っているわけか。
ところで、外苑東通りは、台地の上、尾根道になっている。
六本木や、高輪もそうだが、都心部ともなると、台地、尾根にも、高層住宅が、建つものらしい。
都心に限れば、再開発は、下町だけではないのだ。それなりに、理由はあるのだろうけど。
そういえば、尾根道、というと、江戸時代、上水が、よく、通っていることがある。
流れを、あちらこちらに、分水していくので、尾根を通っていた方が、都合が、いいのだろう。
ここらへんにも、江戸時代、青山上水が、流れていた。
北側の、玉川上水から、分岐し、今の、外苑東通りを、南へ。
もっとも、当時は、大名屋敷が、並んでいただけだから、そちらへの、水の供給、ということが、主だったのかな。
そういうわけで、当時は、静かだったのだろう。
今も、静かで、落ち着いているけど。
結局、雰囲気は、昔と、あまり、変わっていないのかな。
(2011年4月記)

千代田線乃木坂駅(乃木神社)

2011-12-10 03:36:09 | Weblog
東へ向かい、再び、南北に伸びる、外苑東通り。
外苑東通りを、北へ、歩く。
しばらくすると、乃木坂陸橋。
その下を、東西に伸びる、赤坂通り、乃木坂が、通っている。
階段を、降りて、その乃木坂へ。
華やかな、赤坂から、伸びてくる、通りなのだが、ここら辺まで来ると、静か。
東へ、歩くと、すぐ、北側に、乃木神社がある。
鬱蒼とした、木立を擁する、森閑とした境内だ。
いかにも、神社があって、しかるべき、という雰囲気。そして、神社らしい神社。
でも、実は、このあたりの歴史は、それほど、古くはないし、乃木神社の創建も、大正時代。
実際、この一帯は、明治時代、おそらく、都心部に、広がった、最初の、住宅地。
ちなみに、郊外に、住宅地が広がっていくのは、昭和の時代だが。
明治時代以前、江戸時代は、大名屋敷が、並ぶ。
さらに、その前は、もう、何も、ない。
とすると、街としては、ごく新しく、明治時代から、ということになる。
ただ、新しい場所ではあっても、今となっては、新興地ではなく、むしろ、失われた時代の場所、には違いない。
そして、その、失われた明治の息吹、乃木神社の境内に、今も、ひっそりと、眠っているのだろう。
そう考えると、乃木神社、ごく新しい神社だけど、やはり、相応の神社、ということなのかな。
(2011年4月記)

都営大江戸線六本木駅(アトラスタワー六本木)

2011-12-09 03:29:26 | Weblog
つまり、石垣の上、今は、道路が、通っているが、江戸時代、そこは、鹿島藩鍋島家上屋敷の敷地だった、ように思えるのだ。
そして、明治時代になったとき、藩邸は、いらなくなり、石垣の上部が、道路へ。
石垣の下を、通っていた、細い道を、拡幅するのが、筋なのだろうが、片側が、石垣なら、拡幅は、難しかったのだろう。
それなら、石垣の上に、新しく、道路を、通した方が、いいはずと、なったのかな。
わからないが。
ところで、反対側、南側、一帯は、寺院と神社の敷地だったらしい。
今は、そんな感じはしない。かろうじて、神社は、残ったみたいだが。
そのように、考え合わせて見ると、目の前の、この石垣、鹿島藩鍋島家上屋敷の石垣、ということになる。
もっと、はっきりした、証拠があれば、すっきりするのだけど。
そんなことを、考えながら、西へ、進むと、しばらくして、道路の南側には、アトラスタワー六本木。
最近、完成した、高層住宅だ。(工事中はこちら
かつては、神社か、寺院、の敷地だったところ。
(2011年4月記)

都営大江戸線六本木駅(六本木七丁目 不思議な石垣)

2011-12-08 05:03:45 | Weblog
東京ミッドタウンの西側には、南北に、外苑東通り。
その通りから、西へ、道路が、伸びている。
この道路が、ちょっと、不思議な、景観なのだ。
普通の道路の南側に、沿うように、もう一つ、細い道路がある。
沿っているだけではなく、その細い道路、低い位置にあり、高い道路との間には、古い石垣。
どうして、こうなったのか、さっぱり、わからない。
ちなみに、昔、明治時代の地図を見ても、今と、同じだ。
とすると、江戸時代、から、なのだろうか。
実際、江戸時代の地図でも、同じような、地形。いよいよ、わからなくなる。
もう少し、考えてみる。昭和の時代以前、このあたりから、笄川の支流が、南へと、流れていたらしい。
だが、土手に、石垣が築かれるような、大きな、流れだったのだろうか。どうも、関係ないようだ。
さらに、考えてみる。
この、北側には、江戸時代、鹿島藩鍋島家上屋敷が、あったそうだ。
そのことを、踏まえて、よく、江戸時代の地図を見ると、石垣の下にある、細い道路こそが、もとから、つまり、江戸時代から、ある、道らしい。
そう考えると、謎が、解けてくる。
(2011年4月記)

都営大江戸線六本木駅(赤坂九丁目 檜町公園)

2011-12-07 04:45:36 | Weblog
巨大な、ミッドタウンタワーの周囲には、他にも、ミッドタウンイーストパークサイド、という高層ビルがある。さらに、ホテル、ショッピングセンター、美術館も併設。
さながら、一つの、都市のようなものだろうか。
そんな、東京ミッドタウンビル群の、北東側一帯は、広大な、檜町公園の緑。
江戸時代は、毛利家下屋敷、清水園、という庭園だった、ということだ。
明治時代の地図を、見ると、清水園は、なくなり、大きな池だけが、残っている。
江戸時代の庭園は、なくなっても、池は、そのままだったらしい。
その池は、小さくなったものの、今もある。
そういえば、東京ミッドタウンの再開発が、始まる前、一度、来たことがあったっけ。
そのときは、檜町公園、こんなに、明るい感じではなく、窪地に、池があって、木々が、多かったように、記憶しているが。
再開発で、ずいぶん、明るくなったものだ。
もっとも、昔の、檜町公園は、おそらく、庭園の趣を、残した、造りだったのだろう。
今は、すぐそばに、巨大な、高層ビル群が、聳え立っているので、広々とした、草原、なのだろうか。
だから、どちらがいい、とも、言えない。
しばらく、園内を、歩き回ってみる。
(2011年4月記)

都営大江戸線六本木駅(ミッドタウンタワー)

2011-12-06 03:24:50 | Weblog
西武新宿線中井駅で下車。
ちょっと離れた、都営大江戸線中井駅へ。
震災後の、節電の影響で、電車の本数が減っていて、面倒だ。
その他は、正常に、戻ったけど。
そういえば、パンや即席麺が、スーパーの棚から、なくなったのには、驚いた。
ガソリンもそうだけど、最近は、本当に、売れる量しか、仕入れないらしい。
だから、ちょっとした、不測の事態でも、品薄になるのだ。
それ以外の理由だと、乳製品、納豆。
乳製品は、放射能、納豆は、茨城県の、震災の被害、ということ。
納豆が、なくなったのは、こたえたな。
そんなこと思い出しているうちに、ホームに、列車が、入ってくる。
列車に、乗り込み、六本木駅で下車。
六本木、というと、遠い存在だったけど、都営大江戸線が、開通して、ずいぶんと、近くなったな。
もっとも、特に、六本木に、用は、ないんだけど。
地上に、出ると、目の前には、東京ミッドタウンの巨大高層ビル群。
その中でも、中心な高層ビルが、ミッドタウンタワー。
バブルが崩壊した後、再び、景気が、よくなった時期、建っている。
都心への、集積が、始まった頃、でもあったな。
とにかく、都心に、巨大な高層ビルが、建ち始めるのだが、東京ミッドタウン高層ビル群も、その一つだ。
(2011年4月記)

京葉線新浦安駅(新浦安駅付近 傾いた電話ボックス)

2011-12-05 03:35:38 | Weblog
新浦安駅北東側。
電話ボックスが、倒れかかっている。
やはり、こちらの方が、影響は、大きいのかも。
そういえば、バブルの頃、浮かれて、ここらへんに、来たな。浦安駅から、歩いたりもした。
何十年か後には、こうなるとは、本当に、思わなかったけど。
それ以前に、こんなに、貧しくなるとも、思わなかったな。
時代の流れとは、不思議なものだ。
そんなことを、考えながら、新浦安駅に戻り、ホームに立った途端、ぐらぐらと、激しい揺れ。
余震に、慣れているとはいえ、一瞬、覚悟してしまった。
ところで、1000年単位の、自然の摂理に、揺り動かされる、市井の営みなのだが、もっと、大きな、時間の尺度では、どうなのだろう。
たとえば、1億年、経つと、今、南半球にある、オーストラリア大陸が、北進して、日本を、挟むように、ユーラシア大陸と、ぶつかるらしい。
さらに、1億年、経つと、南極大陸も、やってくる。
こうなると、もう、まったく、わからないな。
そのような、壮大な、世界があるわけだが、少なくとも、自分の、住んでいるのは、その中の、ごく小さな、市井。
考えても仕方がない。
とりあえずは、さっきの、地震で、京葉線が、止まっていないかが、心配だ。
しばらくすると、列車が、やってきた。どうやら、止まりはしなかったらしい。
何が、起こるかわからない。今のうちに、早く、帰ろう。
(2011年4月記)

京葉線新浦安駅(新浦安駅付近 京葉線橋脚)

2011-12-04 08:01:39 | Weblog
シンボルロードを、どんどん、南東に、歩いていくと、新しい巨大な、集合住宅。
こちらは、それほど、被害はないようだ。
途中で、Uターンして、引き返す。
むしろ、新しく造成した場所は、それほどでもないかもしれない。あちこち、歩き回っているわけではないので、わからないけど。
北西へと、歩き、新浦安駅に、戻る。
高架を潜って、北側に出るとき、橋脚の土台を見たら、敷煉瓦が、散乱していた。
駅近くのほうが、影響、大きかったのかな。
1000年振りの天変地異の凄まじさだ。
そういえば、周期性のある、巨大地震、他は、どうなのだろう。
たとえば、ヨーロッパの大西洋岸、リスボン大地震、というのがある。
1531年、1755年に、発生。単純に見ると、周期は、200年ぐらい。
とすると、1300年頃、および、1000年頃にも、大地震は、あったはずだが、よくわからない。
ただ、前回が、1755年で、周期が、200年ぐらいだったら、もうそろそろ、なのかも。
ギリシアでは、365年、856年、1304年、1856年。こちらは、周期は、500年ぐらい。
だから、次、発生するとすれば、2300年頃。
驚くべきは、ニューヨーク。M6以上は670年、M7以上の巨大直下型地震は、3400年周期らしい。
もし、まともな直下型地震が、発生すれば、考えられないぐらいの、大きな被害になるだろう。
もっとも、では、前回、その大地震が、いつ、発生したのかは、わからない。
肝心なところが、わからないとは。
自然の営みとは、計り知れないもの、ということかな。
(2011年4月記)

京葉線新浦安駅(シンボルロード沿道の浮き上がった建物)

2011-12-03 06:38:43 | Weblog
シンボルロードを、南東へ。
歩道の路面ばかりではなく、建物の、土台が、浮き上がっている場所もある。
とくに、大型のスーパーが、ひどいな。
ところで、大震災を契機に、浮かび上がった、もっとも、忌まわしい出来事がある。
原子力発電所の、放射能汚染。
津波の直撃を、受けて、壊れてしまい、そして、危険な放射性物質が、広範囲に、撒き散らされてしまったのだ。
いったい、どうするのだろう。
1000年単位の天変地異に、対応していない、というのでは、済まないはず。
1万年だろうが、あるいは、かつて、起きたことがないような事態でも、壊れることが、あってはならない。
なにせ、放射性物質というのは、かなりの長い時間をかけないと、分解しないのだ。
雨が降れば、どこかに、流れくれる、なんてことはない。
本当に、厄介な物質。
しかも、壊れたから、そのような、危険な物質が、発生するわけでもなく、壊れていなくても、廃棄物として、常時、排出されている。
排出されて、溜まっても、どうにも、できない。溜まる一方。
原子力発電所の計画に、このような、考えられないようなリスクと、処理不能な、排出物という、要素が、考えに入っているのだろうか。
まさか、建設計画のコスト計算に、そういう要素を、入れないで、計算結果を、出している、なんてことは、ないだろうな。
このような、大いなる愚行も、いわば、自然の摂理、なのだろうか。
わからない。
(2011年4月記)

京葉線新浦安駅(シンボルロード歩道の散乱する敷き煉瓦)

2011-12-02 03:52:55 | Weblog
シンボルロードをさらに、南東に、歩く。
そこかしこ、歩道の路面が、壊れていたりして、ひどい、惨状だ。
行かなかったが、通りから、入った、住宅地は、もっと、ひどいらしい。
さらには、このような液状化、ここから、遠く、神奈川県港北区でも、発生したのだ。
かくのごとく、自然の営みとは、計り知れないもの。
市井、街並みなど、実に、儚く、脆いものだな。
こうした巨大地震、周期性をもって、発生するものらしい。
たとえば、今回の巨大地震、前回は、869年に、発生している。
貞観地震と呼ばれているのだが、869年、というと、平安時代。
単純に、周期は、1000年ぐらいだろうか。
とすると、その、さらに前は、紀元前後あたり。
ローマ帝国、漢、が栄えていた頃。日本は、弥生時代だ。
もはや、記録は、地層にしか、残っていないはず。
貞観地震の頃だとしても、大和政権、坂上田村麻呂が、東北を、攻め上って、しばらく、経ってから。
その後、生まれた、金色堂で有名な、奥州藤原氏、南北朝時代、東北地方から、京都に攻め上った、北畠顕家、戦国の覇者、伊達政宗、みな、このような規模の天変地異を、経験していない、ということになる。
そして、今回の大震災の次は、西暦3000年ぐらい。
もう、SFの世界。
その頃はどうなっているのか、想像もつかないな。
(2011年4月記)