retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

京浜東北線上中里駅(西ヶ原二丁目 飛鳥山公園 旧渋沢庭園)

2016-01-31 05:37:31 | Weblog
北へ、歩くと、いつしか、緑深い、公園。
飛鳥山公園の、敷地。
かつての、渋沢邸跡、ということだ。
明治時代初め頃から、昭和の初め頃にかけて、住んだらしい。
当初は、別荘だったようだ。
風光明媚な、飛鳥山、南麓、ということか。
別荘だとしても、本邸だとしても、よい場所。
旧渋沢低の庭園跡が、そのまま、飛鳥山公園の、一部に、なっているようだ。
飛鳥山公園、北へと、歩いていく。
(2013年6月記)

京浜東北線上中里駅(西ヶ原二丁目 七社神社)

2016-01-30 05:44:31 | Weblog
本郷通り、北へ北へと、歩いていくと、しばらくして、東へ。
住宅地、東へ、入っていくと、七社神社。
明治時代より以前、もともとは、ここから、南側の、無量寺に、あったようだ。
明治時代初め頃の、地図を、見ると、たしかに、今、七社神社のある場所には、神明社神社がある。
さらに、江戸名所図会、無量寺の、絵図を、見ると、七社神社が、載っている。
ということで、無量寺、についてなのだが、創建は、わからないものの、室町時代、あるいは、鎌倉時代、ということらしい。
近く、鎌倉街道が、南北に伸びているので、鎌倉時代、なのだろう。
七社神社から、北へ、向かう。
(2013年6月記)

京浜東北線上中里駅(西ヶ原二丁目 一里塚跡)

2016-01-29 04:59:04 | Weblog
しばらくすると、通りの、中央分離帯に、一里塚跡。
日本橋から、二里目に、あたるそうだ。
ちなみに、一里目の、一里塚は、本郷追分、中山道との、分岐点に、あったらしい。
今の、東京大学近く、旧白山通りとの、分岐点。
三里目は、今の、赤羽駅西口、南側。稲付、というところ。
その先には、最初の、宿、岩淵宿、があった。
そして、岩淵宿を、過ぎると、荒川、川口の渡し。
往古の昔、思いは、馳せる。
再び、本郷通り、北へ。
(2013年6月記)

京浜東北線上中里駅(西ヶ原二丁目 本郷通り)

2016-01-28 04:35:59 | Weblog
南北に伸びる、本郷通りを、北へ向かう。
江戸時代は、日光御成街道、さらに、昔は、鎌倉街道。
そして、おそらく、もっと、この通り、古いと、思われる。
太古の、幹線道路だったのかも。
尾根道、台地を、通っている、道路。
大昔は、このような、場所を通る、道路が、多い。
そんな、本郷通り、北へ北へと、向かう。
(2013年6月記)

京浜東北線上中里駅(西ヶ原二丁目 滝野川公園)

2016-01-27 04:11:08 | Weblog
鳥居を出ると、南北に伸びる、本郷通り。
本郷通りを、北へ。
平塚神社の、北側には、滝野川体育館、そして、滝野川公園。
おそらく、平塚城、平塚神社から、この、滝野川公園、一帯だったと、思われる。
もっとも、遺構らしきものは、何も、残っていないので、実際、どうなっていたのか、わからない。
滝野川公園を後にして、さらに、北へ、歩いていく。
(2013年6月記)

京浜東北線上中里駅(上中里一丁目 平塚神社の参道)

2016-01-26 04:59:43 | Weblog
参道を、西へ。
大宮の、氷川神社ほどではないにしろ、参道が、とても、長い。
昔は、他の、神社も、同じくらい、長かったのかもしれないけど。
ところで、平塚神社についてだが、この場所は、豊島氏の、築いた、平塚城跡、でもある。
平安時代の終わり頃、ということらしい。
とすると、平塚神社の、創建と、同じ、ということになってしまう。
いったい、どういうことなのだろうか。
おそらく、平塚城を、築いて後、城内に、平塚神社を、建てた、ということなのかもしれない。
平塚城、普通の、城郭、というよりも、行政の中心、ということだったのかも。
実際、城の区域は、北側、ずっと、広大だったらしいのだ。
などと、考えながら、参道を、西へと、歩く。
(2013年6月記)

京浜東北線上中里駅(上中里一丁目 平塚神社)

2016-01-25 04:48:47 | Weblog
坂を上りきると、北側には、平塚神社。
参道の途中なのだが、入口があったので、入ってみる。
創建は、わからないが、おそらく、鎌倉時代より前、平安時代の、終わり頃か。
ただ、延喜式には、載っていないので、平安時代では、ないかもしれない。
いずれにしろ、かなり、古い神社ではある。
さらにいえば、社殿の裏には、甲冑塚、という、古墳。
平塚神社自体、もともとは、古墳だった可能性が強い。
とすると、太古の昔から、祭祀の場、だったのかも。
また、平塚、の塚、甲冑塚の、ことなのだろう。
(2013年6月記)

京浜東北線上中里駅(上中里一丁目 城官寺)

2016-01-24 05:55:51 | Weblog
西へ西へと、蝉坂を、上っていくと、南側には、城官寺。
創建は、わからない。
ひょっとすると、鎌倉時代、かもしれない。
寺院の名前も、江戸時代と、思われるが、その前は、どういう、名前だったのだろう。
安楽寺、かも。わからないが。
城官、というのも、城、なのだろうが、蝉坂が、城攻め、の、攻め、というのと、似ているように思える。
再び、蝉坂を、上っていく。
(2013年6月記)

京浜東北線上中里駅(上中里一丁目 蝉坂)

2016-01-23 06:00:08 | Weblog
秋葉原駅から京浜東北線。
上中里駅で下車。
駅南側改札から、外へ。
すぐに、西に伸びる、上り坂、蝉坂。
蝉坂、というのは、興味深い、名前。
もともとは、攻め坂、から、きている、ということらしい。
その昔、大田道灌が、豊島氏居城を、攻めたことに、由来する、と。
なにか、出来すぎのような、由来のように、思える。
もう少し、違う、語源が、あるような気がするけど、わからない。
蝉坂を、上っていく。
(2013年6月記)

京浜東北線秋葉原駅(神田須田町一丁目 古い家)

2016-01-22 04:25:30 | Weblog
道路を挟んで北側、おそらく、戦前からあるような、銅板貼りの建物。
秋葉原界隈には、このような、古い建築物が、残っている。
再開発される場所もあれば、昔のままの、場所もあるのだ。
と思ったら、こちら側も、新しく、建て替わるらしい。
ただ、以前の再開発、地方、郊外が、中心だったので、取り残されていただけなのだろう。
再開発が、都心に、集中すれば、こうした、取り残された、場所も、なくなってしまうのかも。
もし、残るとすれば、歴史的な、テーマパークに、なるしかない。
北へ。再び、万世橋を渡り、秋葉原駅に、向かう。
(2013年6月記)