retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

都営新宿線本八幡駅(八幡二丁目 八幡不知森)

2011-05-31 05:01:10 | Weblog
びしょびしょと降る雨の中、千葉街道を、東へ。
肌寒くて、手がかじかむ。
ついこの間まで、猛暑だったのに、季節の移ろいというのは、不思議なものだ。
しばらくすると、通りの南側、小さな森。
そこだけ、樹木が、密集していて、興味深い。
八幡不知森、という名前の森、ということだ。
ちなみに、江戸名所図会を見ると、驚くべきことに、当時も、今と、あまり、変わっていない。
つまり、少なくとも、江戸時代と、ほとんど、同じなのだ。
おそらく、この場所は、禁足地、ということなのだろう。
だから、昔から、変わらず、そのまま、残っているのに違いない。
ところで、それでは、なぜ、この場所だけが、禁足地なのだろうか。
想像するに、禁足地、といえば、思い浮かぶのが、古墳。
ひょっとすると、ここには、古来より、古墳が、あったのかもしれない。
本当のことは、わからないけど。
相変わらず、降り続く、冷たい雨の中、今度は、北に、向かう。
(2010年10月記)

都営新宿線本八幡駅(グランドターミナルタワー本八幡工事現場)

2011-05-30 04:38:25 | Weblog
高田馬場駅から東西線。九段下駅で都営新宿線に乗り換える。
終点、本八幡駅で下車。
さすがに、ここまで、来ると、遠いなあ。
遠いどころか、もう、東京都じゃないし。
ところで、千葉県なのに、都営、というのは、興味深い。
なにか特例でも、設けたのか、そもそも、どこを走ろうと、実は、厳密ではない、ということなのか。
ちょっと、わからない。
さっそく、地上へ。
東西に伸びる千葉街道と、南北に伸びる通りとの、交差点に出る。
それにしても、今日は、激しい雨。おまけに、肌寒い。
今年の夏が、とても、暑かったので、その、反動かな。
こんな日、あちこち、歩き回りたくない。
この交差点の、北東側に、グランドターミナルタワー本八幡の工事現場。
よかった。地下鉄を出て、ほとんど、動かなくて、いいみたい。
もう、帰ろうかな。
なんてことには、ならないのだ。
(2010年10月記)

埼京線武蔵浦和駅(武蔵浦和駅駅前広場)

2011-05-29 05:56:02 | Weblog
西へ向かい、南北に伸びる中山道に入って、南へ。
途中、再び、西へ。
武蔵浦和駅に戻っているわけだが。
こうして、歩いてみると、白幡沼も、駅に繋がっているように思える。
本当は、景勝地、別所沼に対抗して、もっと、自然な、沼地を、思い描いていたのだが、実際は、白幡沼、別所沼の小型版みたいなものだったな。
西側に遊歩道も整備されていたし。
もっとも、北側は、台地になっていて、その先には、浦和の官庁街が、広がっていたりするので、やはり、山の手、なのだろう。
だから、山の手住宅街の中にある、別所沼と、さほど、変わらないとしても、不思議ではない。
そんなことを、考えているうちに、東西に伸びる、武蔵野線武蔵浦和駅ホーム北側まで、辿り着く。
南へ、曲がり、そのまま、南へ。
武蔵野高架を潜ると、西側に、南北に伸びる、埼京線武蔵浦和駅ホーム。
それらのホームに挟まれた、一画が、駅前広場になっている。
ただ、駅前広場といっても、特に、商店街があったりするわけではないので、本当に、たんなる、広場なのだが。
それに、近くの、高層住宅のための、駅なので、特に、賑やかな、商店街は、いらないのだろう。
ひょっとしたら、ダウンサイズの街、というのは、こうしたものなのかな。
わからないけど。
さあ、早く、帰ろう。
埼京線の方の、武蔵浦和駅ホームに向かう。
(2010年10月記)

埼京線武蔵浦和駅(白幡二丁目 白幡沼)

2011-05-28 07:15:29 | Weblog
東へ東へと、長閑な住宅街を、歩いていく。
しばらくすると、南北に伸びる、中山道。
中山道を渡り、さらに、進んで行く。
途中、北へ。
すぐに、目の前、白幡沼。
別所沼の代わりではないが、なかなか、いい眺めだ。
周囲は、高台になっているので、沼といっても、湧水による、泉のようなものだろう。
ところで、白幡沼の名前は、ちょっと離れるが、南側にある、白幡睦神社、からかな。
その、白幡睦神社についてなのだが、謂れは、まったく、わからない。
ただ、白幡、とくれば、源氏の、旗印。
源氏に、直接、関係は、ないだろうけど、なんとなく、武士、を想起させる。
とすると、鎌倉時代、あるいは、その後の、室町時代、創建、といったところか。
話は、変わるが、東側には、調神社、という、平安時代の、延喜式にも載っている、正真正銘の、古社がある。
一帯は、往古の昔から、暮らしがあったに違いない。
その暮らしが、鎌倉時代、そして、現代にまで、続いているわけか。
歴史を感じるな。
(2010年10月記)

埼京線武蔵浦和駅(武蔵浦和駅近く 花と緑の散歩道)

2011-05-27 03:41:42 | Weblog
工事現場の北側に、東西に伸びる道路。
その道路を歩いて、東へ。
埼京線の高架を潜ると、高架に沿って、遊歩道が、北に伸びている。
花と緑の散歩道、というらしい。
実は、この歩道、昔、通ったこと、あるのだ。
季節は、春。ちょうど、桜が見ごろの時期。
お誂え向きに、歩道脇には、桜の木が、植えられていて、長い長い、桜並木になっていた。
満開の桜、実に、きれいだったな。
しかも、桜並木の下では、屋台が出ていたり、なにやら、催し物があったりして、華やかな雰囲気。
今も、桜の季節は、こうした、花見、やっているのだろうか。
そういえば、花と緑の散歩道の先には、別所沼を配した、別所沼公園、というのが、あって、たいそう、風光明媚な場所らしい。
さらに言えば、その周囲、埼玉県の中では、屈指の、山の手住宅街だ。
なるほど、この遊歩道、武蔵浦和駅高層住宅群と、山の手とを、繋いでいるわけか。
などと、思い至ったとしても、自分には、関係のないことだけど。
いつか、この歩道の先にも、行ってみるかも知れないが、とりあえず、今日は、別の場所に行く。
(2010年10月記)

埼京線武蔵浦和駅(武蔵浦和駅第1街区再開発工事現場)

2011-05-26 05:04:53 | Weblog
高田馬場駅から山手線。池袋駅で、埼京線に乗り換える。
列車は、荒川を越え、埼玉県へ。
埼京線で、埼玉県、というのは、ひさしぶりな感じだ。
埼玉新都心の再開発のときは、よく、行ったものだけど。
最近は、あの頃の勢い、どこへいったのだろう。
まあ、仕方がない。今は、そういう時代じゃないし。
地方は、寂れる一方なのだ。
そんな、昔のことを思い出しているうちに、列車は、武蔵浦和駅に到着。
武蔵浦和駅は、埼京線と武蔵野線が、交差していて、交通の要衝となっている。
だからだろうか、既に、高層住宅が、幾棟か、建ち、壮観な眺めだ。
駅西側に出て、北側へ。
すぐに、武蔵浦和駅第1街区再開発の工事現場が、目の前に広がる。
ここは、例外的に、まだまだ、高層住宅は、増えているのかな。
ただ、予定だと、もう、駅の周りは、林のごとく、高層住宅が、建ち並んでいるわけだが、まだ、そうなっているわけでもない。
さらに言えば、今後、そうなる可能性も、低い。
思い出したように、こうして、高層住宅の建設が、続いている、といったところか。
そして、これが、最後、かも。
いや、もう一棟ぐらい。そんな感じだ。
(2010年10月記)

有楽町線豊洲駅(豊洲駅に程近いところにある噴水)

2011-05-25 04:55:26 | Weblog
街中を、南西方向へと歩いていく。
北側の運河沿いには、高層住宅、反対側の、内陸には、低層棟、という配置らしい。
しばらくすると、今度は、学校と、公園。
住宅地には、なくてはならないものだな。
ただ、今日は、台風一過、天気いいけど、風が強い。
だからだろうか、ちょっと、閑散としている。
さらに歩いていくと、大通り。
その大通り沿いには、大きなホームセンター。
アーバンドックららぽーと豊洲と、同じ頃に、開業したと思う。
豊洲の中に、いちおう、なんでも、揃っている、ということか。
もっとも、街が、完成してしまうと、なんだか、興味は、なくなってしまうな。
そういうわけでもないが、もう、帰ろうと思う。
豊洲駅へ向かう。
途中に、小さな、噴水。
水が噴出していないので、噴水ではないのだが、まあ、水が、出ているので、辛うじて、噴水かな。
そういえば、高度成長期頃、昔の噴水は、勢いよく、水を吹き上げるようなのが、多かった気がする。
今は、このように、ちょろちょろと、水が、力なく、流れ落ちるような、噴水が、主流なのかも。
噴水に、癒しを、求めているのだろうか。
その分、世の中、荒んでいるのかな。わからないけど。
とにかく、もう、帰ろう。豊洲駅の入口は、すぐだ。
(2010年9月記)

有楽町線豊洲駅(芝浦工業大学豊洲校舎棟)

2011-05-24 05:06:53 | Weblog
シティタワーズ豊洲ザ・シンボルの北側には、芝浦工業大学の敷地。
こちらも、再開発の一環として、最近、建てられている。
まさに、近未来の風景そのものだ。
ところで、自分にとっては、芝浦工業大学、というと、田町駅の、南側にあった、校舎の方が、思い出深い。
田町駅周辺は、ちょっと前から、あちこちで、再開発が、続いていて、幾たびも、訪れている。
その時、駅から、南側に伸びる道路を、歩いていくと、東側に、迫り出すように、芝浦工業大学の古びた校舎が、建っていたのだ。
道路を挟んで向かいに、ロッテリアがあって、そこで、休んでいるときは、その校舎を、ぼんやり、眺めていたな。
まるで、そこだけ、時代に、置いていかれたような感じ。
時代についていけない自分にとっては、ほっとするような、眺めだったのだろう。
もっとも、その、古びた、校舎も、御多分に漏れず、ほどなくして、再開発。
今は、新しい建物に、代わっている。
おまけに、豊洲には、近未来的な、校舎も、建てているし。
そういうわけで、芝浦工業大学の校舎、覚えているのだ。
(2010年9月記)

有楽町線豊洲駅(シティタワーズ豊洲ザ・シンボル)

2011-05-23 04:22:23 | Weblog
晴海通りから、北東方向へ。
街中に入る。
といっても、集合住宅が、並んでいるだけなのだが。
北東へと進んで行くと、豊洲運河の手前に、シティタワーズ豊洲ザ・シンボル。
最近、完成した、高層住宅。(工事中はこちら
そして、今のところ、このビルが、最後の、新築高層住宅。
まだ、けっこう、豊洲には、更地があるのだが、いちおう、もう、高層住宅の建設計画は、ないからだ。
これ以上、建つと、偏りのある街、という感じだからだろうか。
たしかに、けっこう、集中しているような気もするし。
そういえば、この場所、ちょっと前まで、一面、工場の敷地が、広がっていたのだったな。
荒涼とした、何もない風景。
こんな場所が、賑やかな場所に生まれ変わるなんて、当時は、信じられなかった。
変われば変わるもの。
ただ、これほどに、変貌を遂げているのは、都心の、限られた場所に、すぎない。
都心を取巻く、郊外には、シャッター通りが、広がるばかり。
だからだろうか、この近未来の街並み、ちょっと、儚いようにも見える。
(2010年9月記)

有楽町線豊洲駅(アーバンドックららぽーと豊洲)

2011-05-22 06:47:12 | Weblog
豊洲フロントビルの、晴海通りを挟んで、南側には、アーバンドックららぽーと豊洲。
高層住宅あり、オフィスビルあり、とすると、商業施設も、あるわけか。
開業したのは、数年前。最近のこと。
ところで、ららぽーと、というと、やはり、船橋の、ららぽーとを、思う浮かべるな。
バブルの頃だったが、千葉へ、クルマで行くとき、船橋のららぽーとの脇を、通ったことがある。
来店しようとする、客のクルマが、渋滞していて、その先に行けなかった。
なかなかの盛況だったということ。
こちらの開業は、高度成長を達成した後の、安定期の頃。
あと少しで、バブル期だったが。
その前は、というと、船橋ヘルスセンター。
たまたま、温泉が、湧いたので、温泉リゾート施設を、作ったら、それが、大いに、当たったのだ。
時代は、高度成長が、始まった頃。
温泉なんて、社員旅行の熱海、が普通だったわけだから、当たるはずだ。
そして、今は、再開発地の、テーマパークを併せ持った、ショッピングセンター。
今度も、時代の波に、乗れたのだろうか。
たぶん、そうなんだろう。
もっとも、そんなこと、自分は、興味ないのだが。
(2010年9月記)