retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線東京駅(常盤橋から見た日本橋川と常磐橋)

2009-07-31 04:51:29 | Weblog
さらに東へ歩き、日本橋川を、常盤橋で渡る。
北側には、古い方の、常磐橋。
ここからの眺めも、また、東京駅近くとは、思えないほどの、古雅な、雰囲気だな。
それもそのはず、この先に見える常磐橋、というのは、明治時代初、完成しているのだ。ひょっとしたら、現存する橋の中では、最古の部類かもしれない。
さらに言うと、この橋の起源、遠く、九州熊本の、有名な、石橋にあるらしい。
明治の世の中になり、熊本の石橋の技術が、さっそく、東京の橋に、導入された、ということだ。
そんな歴史のある橋なのだが、今は、あまり、通る者も、いないみたい。
たぶん、今、渡っている、常磐橋や、さらに、北側に、新常磐橋、もあるので、特に、使われることもなく、忘れられて、いつの間にか、こんな、骨董品みたいな、古い橋になってしまったのかな。
それに、明治の時代、何もなかった、皇居の東側に、東京駅が開業し、丸の内のオフィス街が誕生。賑やかさが、そちらに、すっかり、移ってしまった、ということもあるだろう。
だから、このあたりは、場末、という雰囲気すら、してしまうのだ。
だが、将来、まわりに、高層ビルが建ち並び、もし、一帯が、歴史テーマパーク、ということになれば、この古びた橋が、主役になることは、間違いない。
なにせ、明治時代の初めから残る、最古の橋なのだから。
その時が来るまで、ゆっくりと、眠っている、というわけかな。
ならば、こちらも、この古い橋が、目を覚まさないように、そっと立ち去るほかない。
(2009年4月記)

山手線東京駅(常盤橋公園)

2009-07-30 05:04:27 | Weblog
東へ東へと歩いていく。
日比谷通りを越えると、さっきの高層ビル群に続いて、再開発される場所。
どういうことかというと、この場所から、さっきの高層ビル群に、ビル所有者が移って、その結果、空いた場所を、また、再開発する、ということらしい。
連鎖型の再開発、などというようだ。
連鎖型倒産なら、聞いたことは、あるが。再開発も、連鎖型にするのかな。
途中、南北に伸びる通りに入り、南へ。
逓信総合博物館を過ぎたあたりで、再び、東へ進む。
逓信総合博物館の東側にも、広大な更地が、広がっている。
こちらも、いずれ、高層ビルが建ち並ぶのだろうが、具体的には、まだ、わからない。
更地の南側を、さらに、東へ。
山手線、中央線などの高架をくぐる。
東へ歩いていくと、通りの北側に、常盤橋公園がある。
公園内には、小さい石山のような、石垣だけが、妙な配置で、残るばかり。
だが、かつて、江戸時代には、この場所に、城門があったらしい。
この、不思議な、石垣の配置は、防衛上の工夫、ということだ。
それにしても、東京駅の近くに、こんな、場所があるなんて、意外だなあ。
まるで、あまりに身近すぎて、うっかり、忘れられた場所、そんな、感じがする。
ただ、昨今の、都心集積化の、波によって、この歴史的な、公園が、高層ビルに、埋もれてしまう、ということも、ありえるな。
もっとも、そうなったらなったで、人気のスポット、憩いの場、になるかも。
そして、うっかり忘れられていた場所、ではなく、高層ビル化に対して、周到に、準備されていた場所、になったりして。
それは、ないだろうけど、将来は、わからないな。
(2009年4月記)

東西線竹橋駅(日本経済新聞社東京本社)

2009-07-29 05:03:05 | Weblog
内堀通りを南へ歩く。
途中、消防庁本部を過ぎたところで、東へ曲がる。
すぐに、通りの北側に、日本経済新聞社東京本社ビル。(工事中はこちら
最近、竣工した、巨大高層ビル群の中の一つだ。
さっきの、気象庁のすぐ南側になる。
近くに、こんな巨大な建築物が、壁のように、建ち並んだら、気象庁も、移転しよう、という気になるかも。
まさに、迫り来る、高層ビル、というところだな。
こんなに集中的に建てて、大丈夫か、と思ってしまうが。
バブルの頃は、今とは、まったく、逆だった。
副都心を、都心の四方に、配置し、とにかく、分散させようとしていたな。
中心部は、あまり、変わらなかった、と思う。
もっとも、こんな風に、四方に、手を広げ過ぎて、バブル崩壊になった、ともいえるのだが。
そういえば、そんなバブル華やかりしき頃だったかな。近くを歩いていたら、外国人が、道を尋ねてきたのは。
たどたどしい日本語で、「ダイニ」は、どこか、と聞いてきた。
「ダイニ、ダイニ」と、言われても、こちらは、さっぱり、わからなかったな。
すぐ後で、合同庁舎第2号館だ、と気付いた。
その頃、日本は、世界から、ジャパンアズナンバーワン、なんて、言われていて、国際的には、絶好調、だった。
だから、外国人にも、物怖じしなかった、ということで、今でも、そんなことを、覚えている。
ところで、その合同庁舎第2号館は、どうなっているのだろうか。
今、目の前にある、日本経済新聞社東京本社ビルをはじめとする、巨大高層ビル群に、変貌しているのだ。
ずいぶんと、立派になったものだが。
でも、その代わり、というわけでもないんだろうが、日本は、ジャパンアズナンバーワンから、すっかり、凋落してしまった、というのは、何か、悲しいな。
(2009年4月記)

東西線竹橋駅(気象庁)

2009-07-28 04:32:43 | Weblog
高田馬場駅から東西線。竹橋駅で下車。
地下通路を抜け、地上に出ると、皇居のお濠と内堀通り。
そして、内堀通りの東側には、気象庁がある。
特に気象庁には、感慨もないんだけど。
ただ、子供の頃は、気象庁に、とても、憬れたなあ。
見よう見まねで、ラジオ放送を聴きながら、天気図を描いていたりしたっけ。
結局、子供向けの、ファーブル昆虫記を読んで、夢想に耽る程度のレベルだったので、それから、具体的にどうということもなかった。
それでも、テレビ番組は、今も、ほとんど、天気予報しか見ていないが。
つまり、憬れていたのは、気象庁ではなくて、天気予報だったわけかな。
ところで、その気象庁なのだが、開設は、明治時代初、ということになっている。
明治時代が、始まるやいなや、気象観測が開始されたわけだ。
そう考えると、近代国家と、気象観測は、不可分だ、ということがよくわかる。
ということは、場所柄から見ても、気象庁は、お役所、なのだな。
ファーブル昆虫記の世界とは、やはり、かなり、違うみたい。
そんな気象庁だが、実は、愛宕山の麓に、移転する、ということだ。
高層ビルが建ち過ぎて、正確な観測ができなくなったのか、都心集積化の煽りなのか。
たぶん、その両方が原因のような、気もするけど。
とすると、その跡地は、どうなるのだろう。
ちょっと、先のことなので、まだ、具体的には、わからない。
場所的には、竹橋駅の地下道とも、直結しているし、大手町駅も近いし。
たぶん、高層オフィスビルが、建つんだろうな。
なんか、ますます、ファーブル昆虫記の世界とは、離れていってしまう気がする。
(2009年4月記)

つくばエキスプレス研究学園駅(学園都市駅南側の風景)

2009-07-27 03:37:00 | Weblog
つくばエキスプレスの高架に沿って、さらに、西へ進むと、研究学園駅へ。
もう、つくばエキスプレスに乗って、帰ろうかと思ったが、まだ、次の列車が、来るまで、時間があるようだ。
ということで、ちょっと、駅周辺を、ぶらぶら、してみることにする。だが、駅前広場しかないんだったっけ。
駅南側に行ってみると、駅前広場すら、ない。
枯草みたいなのが、あたり一面、地面を覆っているだけ。ただ、その向こうに、こんもりとした、木々の一叢があるので、興味を惹かれてしまった。
一見したところ、道もないので、その一群の木立には、辿り着けそうにないけど。
かくなるうえは、この目の前に広がる、枯草地帯を、突破するしかないな。
なんてことは、実際は、やらなかったが。
時間をつぶす当てもないので、仕方なく、やっぱり、改札を抜けて、つくばエキスプレスのホームへ。
まだ、ちょっと、さっきの、木立に、未練があったので、高架上のホームから、見てみると、どうやら、公園らしい、とわかる。
まわりに何もないのに、公園だけ、あるわけか。いずれ、さっきの、枯草地帯に、建物でもできるんだろうけど、よくわからない。
それにしても、そんな、何もない、駅周辺を、こんな風に、ホームの上から、眺めている、というのも、妙な感じがする。
まるで、この、今、立っているホームの上だけが、都心、という雰囲気がするからだ。
都心が、細長く、茨城県に、伸びただけ。それが、つくばエキスプレス沿線、ということなのかな。
ひょっとしたら、さっきの、枯草地帯を突破した先に、本当の、筑波があったりして。
そして、さらに言えば、そこにこそ、都心を脱却した、スローライフ、っていうやつが、あるような気もするなあ。
列車が着たので、さっそく、乗り込む。
結局、つくばエキスプレスが、いかに、高速だろうと、いかに、快適だろうと、自分を、都心から、脱出させてはくれない、とわかった。
(2009年4月記)

つくばエキスプレス研究学園駅(パークハウスつくば研究学園けやきレジデンス壱番館)

2009-07-26 07:01:42 | Weblog
守谷駅で、つくばエキスプレスに乗る。
列車は、東へと向かっていたが、緩いカーブを描きながら、再び、向きを、北へと変えていく。
一路、筑波の地へ。
その頃には、筑波山の雄大な山容が、車窓の、風景を占めるようになっている。
つくばエキスプレスが、筑波の街に入る手前、研究学園駅で下車。
研究学園都市は、筑波駅にあって、研究学園駅には、特に、何もないのだが、あまり、深くは、考えないようにしよう。
ただ、今までの、つくばエキスプレスの沿線に比べて、研究学園都市が、すでに、バブルの頃には、完成していたためか、その近くの、研究学園駅周辺は、何にもない割に、なんとなく、郊外っぽい、雰囲気がする。
ひょっとしたら、すでに、何か、開発するような計画でもあって、整地だけは、済んでいたのかもしれないな。
駅北側の駅前広場に出て、東へと向かう。
南北に伸びる、大通りに入り、いったん、南へ。
つくばエキスプレスの高架の手前で、今度は、駅の方、西へ進む。
高架の北側に、東西に並ぶようにして、パークハウスつくば研究学園けやきレジデンス壱番館、弐番館がある。
最近、竣工した高層住宅だ。
こんな僻遠の地にも、高層住宅が建った、ということなのだが、ひょっとしたら、これらの高層住宅、つくば研究学園都市圏内の住宅、ということなのかもしれない。
あるいは、つくばエキスプレスの沿線、ということで、やはり、都心部に対する、郊外の住宅、なのだろうか。ちょっと、わからなくなってしまった。
もっとも、そんなことは、どっちでもいいような気もしてきたけど。
そもそも、ここまで、やって来て、なんだけど、筑波に来た、という実感が、まったくしないからだ。
たぶん、終点が、つくば研究学園都市だからだろう。
つまり、つくばエキスプレスの終着駅は、筑波、ではなくて、研究学園都市、なのだ。
だから、結局、この地が、研究学園都市圏内でも、都心の郊外でも、どっちでも、いいように、思えてくる。
(2009年4月記)

つくばエキスプレス守谷駅(ブランズシティ守谷西側の公園)

2009-07-25 06:13:54 | Weblog
ブランズシティ守谷の西側には、小川のせせらぎを模した、きれいな公園がある。
工事中の頃、来たときは、ガレ場状態の窪地だった。
埋めてしまうわけには、いかないだろうし、どうするのだろうと、思っていたのだが。
なるほど、公園にしてみたわけか。
ただ、きれいなのは、いいけど、誰もいないな。
その公園の東側斜面には、ひょうたんクラブの勧誘の看板。
ひょうたん、と言えば、守谷、なのかどうか、わからないけど。
いちおう、ひょうたん、以外は、守谷には、何もないので、自分の中では、ひょうたんが、守谷のイメージになってしまう。
もっとも、「ひょうたん」のどこに、楽しさがあるのか、具体的には、まるで、わからないのだが。なんとなく、ガーデニング、プラス、バードカービング、プラス、地味な民芸品、みたいな感じ、なのだろうかな。
ようするに、のんびりした、あるいは、まったりした、感覚を味わえるのだろう。
「スローライフ」っていうやつかもしれない。
いずれにしても、自分とは、関係のない世界だなあ。
つくばエキスプレスの高架に沿って、もと来た道を、駅へと戻る。
駅構内に入ると、もう、そこは、都心と変わらない。スローライフは、どこかへ行ってしまったかな。
次の列車が来るまで、ちょっと、時間がある。ちょうどいい。朝から何も食べていないので、何が、食べていこう。
駅構内の一画に、軽食コーナー。
都心にある、ファストフード店が、軒を並べていた。
スローライフの「スロー」とは、逆のイメージ。
やっぱり、自分には、「スローライフ」、とやらには、縁がなさそうだな。
(2009年4月記)

つくばエキスプレス守谷駅(ブランズシティ守谷エアリータワー)

2009-07-24 05:05:28 | Weblog
柏の葉キャンパス駅へ。つくばエキスプレスに乗車。
列車は、利根川を渡り、いよいよ、茨城県に入る。
といっても、沿線風景は、変わらないので、特に、感慨は湧かないが。
守谷駅で下車。
この駅に降り立つのは、2度目だ。
いまでも、初めて、守谷駅に来たときの驚きを覚えている。
何もなくて、驚いてしまったのだけど。
守谷駅には、すでに、関東鉄道常総線、という鉄道が、通っているので、当然のごとく、昔ながらの鄙びた、商店なんかが、残っていたりするのかと思っていた。
そして、その、時代に取り残されたような、田舎びた街は、つくばエキスプレスの開業を、期待と不安の入り混じった思いで、迎えていた、そう勝手に思い込んでいたのだ。
実際、守谷駅に降り立ってみると、何もなかったな。
もっとも、鉄道というのは、たいてい、街外れ、何もない場所を、通ることになっているので、つくばエキスプレス沿線が、特に、何もない、というわけでもないが。
駅の南側に出て、つくばエキスプレスの高架に沿って、東へと歩いていく。
ちょっとは、年月が経っているので、駅周辺は、少しは街らしくなってきたかな。
さらに歩いていく。前回、来たときは、その先に、原野が広がっていて、タワークレーンが、一本、立ち枯れた、木のように、立っていただけ。
今回は、真新しい、高層住宅群が、立ち現れてきた。
この高層住宅群の中に、ブランズシティ守谷エアリータワーがある。(工事中はこちら
見違えるようになったなあ、と言いたいところだが。まわりに、何もないので、なんか、映画のセットみたい。
ただ、自然環境にとっては、一帯が、広範囲に、宅地化されるよりは、いいのだろうけど。
だが、特に、環境保全、という計画が、あったわけでもないし。
だから、なんとなく、中途半端な感じもする。
(2009年4月記)

つくばエキスプレス柏の葉キャンパス駅(柏の森つくばエキスプレスの高架)

2009-07-23 05:07:53 | Weblog
パークシティ柏の葉の西側には、つくばエキスプレスの高架が、都心へと、一直線に、伸びている。
この、つくばエキスプレスが、なければ、もちろん、目の前の、パークシティ柏の葉は、あり得ないだろうな。
それだけではなく、その他の沿線の高層住宅群も、ショッピングセンター、広々とした公園も、作られることはなかったはずだ。
ただ、高速鉄道が開業したからといって、必ずしも、沿線に高層住宅が建つ、というわけでもないけど。
ところで、つくばエキスプレスなのだが、この路線の、起源は、やはり、バブルの頃にあると思う。
その、バブル時代の初めに、「つくば」では、つくば科学万博が、開催されているのだ。さらに、筑波研究学園都市も完成していたし。
時期的に見ると、高度成長の成果を、「つくば」に、結集したような、そんな感じがするな。
ただ、たしかに、「つくば」が際立ってはいるけど、日本中、どこも、同じようなものだったけど。
そのような、「つくば」バブルの最後の仕上げが、第2常磐線、すなわち、つくばエキスプレスだったのかもしれない。
新たな通勤路線を開通させ、広範な郊外を、出現させる、という、まさにバブルな計画だが。
もっとも、バブルなだけに、この計画、泡のように、消えてしまったが。
でも、なぜか、バブルが崩壊した後、集積化の時代に、目出度く、つくばエキスプレスは、開業することになるのだ。
そのように見てくると、つくばエキスプレスは、郊外を形成する通勤路線、例えば、常磐線、とは、違う路線なのかもしれない。
ひょっとしたら、駅前高層住宅群を都心に直結するための、高速鉄道、なのだろうか。
つまり、実は、つくばエキスプレスがあるから、パークシティ柏の葉や、その他、きれいな公園ができたのではなく、逆に、それらを、都心に結ぶために、つくばエキスプレスが、登場したのかも。
だとすると、まわりに何もない、ということが、納得できる。
(2009年4月記)

つくばエクスプレス柏の葉キャンパス駅(パークシティ柏の葉C棟)

2009-07-22 05:02:44 | Weblog
パークシティ柏の葉の東側を南へ歩いていくと、高層住宅群の東南端に、E棟。
さらに、パークシティ柏の葉の南側へ出て、西へと進む。
つくばエキスプレスの高架近くまで来ると、高層住宅群の西南端に、C棟がある。
そして、駅前に戻れば、パークシティ柏の葉の周囲を、ぐるりと一周したわけだ。
パークシティ柏の葉は、A棟、C棟、E棟、その他の高層住宅からなる、ということは、わかったのだけど。
ただ、このように、ぐるりと一周しても、特に、周囲には、何もない。
まるで、離れ小島か、コロニーのような感じ。
さらに、駅の北西側にも、同じような、高層住宅群を建てているらしい。
なんか、ますます、まわりに、何もない、高層住宅群だけの街、となっていくような感じだな。
このような高層住宅群、一見すると、閉じられた空間の街、という感じだが、まわりに、何もないので、閉じている、とは、いわないかも。
それに、つくばエキスプレスで都心に直結しているわけだから、都心には、いちおう、通じているのかな。
もしかすると、こういう高層住宅、リゾートマンション、という風に、思えばいいのかも。
そういえば、臨海副都心や、かつての、ウォーターフロント再開発地などに建つ、マンションも、まわりには、荒野しかなかったな。
そのような高層住宅は、アーバンリゾートマンション、という感じなのだが。
つくばエキスプレス沿線の高層住宅も、その、アーバンリゾートマンションとやらに、似ているような、気がしてきた。
だとすると、つくばエキスプレス沿線の街は、都心に直結するだけの、街、ということになるな。
(2009年4月記)