retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

東京駅・八重洲(パシフィックセンチュリープレイス)

2006-12-31 11:54:53 | Weblog
白金高輪駅からふたたび南北線、永田町で有楽町線に乗り換える。
有楽町駅で下車。北へ。東京駅の南、パシフィックセンチュリープレイス。
バブル崩壊後、失われた10年の中で建てられる。
八重洲口の国鉄の土地が売りに出されたとき、香港のPCCWが当時、法外と思われた高値で買収、高層オフィスビルの建設計画を発表する。
そのとき、あるテレビの報道番組を見ていたのだが、日本人の識者たちが皆、バカにして失笑していたのをいまでも覚えている。
しかし、今、東京駅に立って周りを見渡すとどうだろうか。
丸の内にはすでに丸ビルが聳え、新丸ビルも竣工間近、大手町も高層ビルの着工がもうすぐ、日本橋口、八重洲口でも巨大な高層ビルが建設中だ。
だから、香港の実業家は先を見る目があり、日本人の識者たちは愚かだ、ということではない。
もっと視野を広げるなら、今、同時に地方は滅び、貧富は社会を上下に二つに引き裂き、下流はもはや上を見上げることはできない。
これが今の現実の日本であり、その現実に辿り着いただけなのだ。
つまり、時代の流れということだろう。
パシフィックセンチュリープレイスが、2000億円で売却されたというニュースをしたり顔で語り、香港の実業家の手腕に感心してみせる者がいるかもしれない。
だが、その水面下でゆっくりとまた時代がひとこま動いていく。
(2006年8月記)

白金(白金タワー)

2006-12-30 12:29:48 | Weblog
飯田橋駅で南北線に乗る。白金高輪駅で下車。
桜田通りの西側に高層住宅棟の白金タワーが聳える。
付属するオフィス棟はNBFプラチナタワー。通りを挟んでシティタワー白金高輪もある。
今でもあると思うが、この再開発地には町工場も付設されていたはずだ。
白金といっても古川沿いは実は下町っぽい。たとえば、飯田橋北部の町工場が多くある神田川沿いに雰囲気は近い。
しかし、この一画だけ、妙にこぎれいな街並みになっている。つくづく思うが、高層住宅は、人工的な山の手ではないだろうか。
白金という地名は、鎌倉時代から室町時代か、古川(上流は渋谷川)の南側に白金長者と呼ばれた者によるらしい。北岸には黄金長者もいた。(長者とは一族筆頭という意味もあるが、ここでは裕福な者という意味でいいだろう)
ずいぶんと景気がいい名前だが、産業も商業もないところでどうしてそんなに豊かだったのかわからない。
一説によると、渋谷川(古川の上流)とは、金渋(鉄分で赤茶けた水のこと)から付いた名前らしく、それが本当なら、ひょっとすれば、砂鉄でも採取できたのかもしれない。
(もっともそんな遺跡の話も伝説も聞いたことはないが)
いずれにしろ、白金という名前は現代に蘇る。
意味は微妙に違っているかもしれない。でも、人々の憧れと夢をのせて蘇った。
(2006年8月記)

飯田橋駅南口(富士見二丁目北部地区再開発)

2006-12-29 23:03:57 | Weblog
南千住駅から常磐線で上野へ。
上野から山手線で秋葉原、総武線に乗換え飯田橋で下車。
南口。西へ歩く。台地になっているので坂を登っていく。
その坂の斜面一帯が富士見二丁目北部地区再開発となっている。
富士見という地名は富士山が見える、ということでたいてい高台である。
ここも外濠の南に広がる麹町、番町の台地の北東端となっている。
したがって飯田橋から九段下に連なるビル群であるとともに外濠の南岸にある施設の一つでもある。
もっとも、この場所は東側の谷筋への斜面なので富士山が見えるわけではないけど。
その東側の谷筋に建ち並ぶ高層ビル群を見るにつけ、ここ数年間の変貌の激しさに思いを致さざるをえない。
しかし、さすがに富士見二丁目北部地区再開で一区切りだと思う。
今のところ、新しいビル建設の情報はない。
(2006年8月記)

南千住(ロイヤルパークスタワー南千住)

2006-12-28 06:39:38 | Weblog
高田馬場から東西線で茅場町、日比谷線に乗り換える。
そして南千住で下車。
東口へ出て、北へ。汐入もすっかり団地が建ち並ぶようになった。
その中に高層住宅は3棟、リバーハープタワー南千住2号館、都営住宅南千住四丁目、トミンタワー南千住4丁目が立つ。
そして、新しくロイヤルパークスタワー南千住の工事をしている。
千住は、江戸時代の四宿(品川、新宿、板橋、千住)の一つだったが、特にその中でも、それ以前に関が置かれたところとして非常に古い歴史を持つ。その関についてだが、今は千住関屋町という町名だけ残っている。
明治時代、ターミナル駅は上野に置かれ、都心北東部の中心は、上野、浅草となる。
それでも高度成長期まではかなり栄えていたが、ベッドタウンでもなく、商業の集積地でもなく、工業は町工場が主流であり、高度成長期以降は、衰退していく。
それにともなって、上野、浅草も凋落し、千住は、完全に置き忘れられた下町地域となる。
バブルのころ、それなりに再開発が行われ高層住宅が建ったりするが、資産価値があったからではないだろう。
例えば、下町で大火災があった場合、あるいは堤防の決壊があった場合、その被害は都心の中心部、山の手にも及ぶ。そのことに対する対応であろうと思う。
しかし、バブル崩壊以降、都市は集積する以外、道はなくなっている。都心回帰ということだが。
このさびれてはてた街は、これからはさらに、そのことで翻弄されていくのだろうか。
(2006年8月記)

品川駅西口(品川プリンスホテル)

2006-12-27 22:49:09 | Weblog
品川駅西口へ。駅前に品川プリンスホテルが聳える。
他には同じ敷地内に品川プリンスホテル・エグゼクティブタワーがあり、北側に京浜急行系列のホテルパシフィック東京がある。
プリンスホテルというのは、そもそも戦後、皇族の土地に西武がホテル棟を建てた経緯から「プリンス」という名前を冠しているらしい。
西武にとっては一等地が手に入るし、皇族にとっては、ただで土地が取り上げられるより、そうなれば、経済的、社会的権益を保持できる。
皇族の土地であった以前は薩摩藩下屋敷であり、西郷隆盛、勝海舟の会見の一部が行われたことで知られる。
バブル以降、このような都心部の外郭部の要を担ってきた土地に高層ホテルが建つ(建てたのは西武だが)。そして、西武が崩壊する。(企業体としては今後も存続するだろうけど)。
都心の外郭ではなく、品川のビル群に取り込まれたといことか。
時代は流れ、歴史が地層のように積みあがっていく。そして今、その上に空高く聳え立つビルが建っている。
(2006年8月記)

品川駅東口(NTTドコモ品川ビル)

2006-12-26 12:14:49 | Weblog
品川駅東口の北側へ。そのまま、北へと歩く。
下水処理場近くまで行くと。NTTドコモ品川ビルが聳える。
東口北側にもビル群がある。南側のように密集していないが。
まず、東口駅ビル、JR品川イーストビル。
駅の近くからNTT DATA品川ビル(アレア品川)。NTT品川ツインズアネックス
旧海岸通り沿いに新芝浦開発プロジェクト(工事中)。港南Wビル
旧海岸通りの反対側、高浜運河沿いに品川クリスタルスクエア。芝浦一丁目開発ビル(工事中)。
北側には下水処理場があるのでビル群は広がらないだろうし、高浜運河より東側は高層住宅しか建っていない。
したがってもはや高層ビル、特に高層オフィスビルが建つことはないだろう。
あるとすると北西側に広がる田町電車区だ。
それにしても、東口北側のビル群と南側のビル群の中央は本来、メインストリートなのではないだろうか。なぜか取り残されているというのは不思議だ。
(2006年8月記)

品川グランドコモンズ(品川インターシティーA棟)

2006-12-25 12:30:09 | Weblog
ビル群の南端部からその間にある並木道、セントラルガーデンを通って品川駅に戻る。
吹き抜けになっているので上から自然光が届き、ビルに囲まれているといった感じはまったくしない。
家族連れなども多く、それぞれ思い思いの時間を過ごしているようで、憩いの場になっているようだ。
北側からビル群の外へ出て、振り返るようにして見上げると、品川インターシティの北端、品川インターシティーA棟が聳え立つ。
楕円の円筒形、ガラス貼り、キラキラと輝く特徴のあるデザインは、品川駅を降り立った人々の目を惹くことだろう。
南側には、品川インターシティーB棟、C棟のツインビルが連なる。
品川駅からは、ペデストリアンデッキで直接いけるので雨が降っていても大丈夫だ。
だけど、ビル群を取り巻く町にも足を運んでみるのもいいかもしれない。少しもきらびやかではないけれど。
それとも、高層住宅が建ち並んで、すべてを覆い尽くしてから出掛けるのかな。
(2006年8月記)

品川グランドコモンズ(品川V-TOWER)

2006-12-24 11:24:31 | Weblog
そして南端部に品川V-TOWERが聳える。
西側にはストーリア品川、さらに通りを挟んでその西側には京王品川ビルがある。
以前、南品川から旧東海道あたりに沿って品川駅まで歩いたことがある。
あたりはすっかり日が落ちてしまって真っ暗だった。
人家にはすでに明かりが灯り、船宿や飲食店の入口からも明かりが漏れる。
しかしあまり賑やかでないせいか、この町の夜はとても静かだった。
海を見ると海面は真っ暗で黒々としていて屋形船が係留されているのがわかる程度、波すらわからない。
そんな静かな通りをぶらぶら品川駅を目指して歩いていく。
品川駅はまだだろうかと思い、その方角を見やると、不意に光を四方に放つとてつもなく巨大な物体が視界に飛び込んできた。
それが品川V-TOWERだった。
のしかからんばかりに黒い空に聳え立ち、光り輝いている。
そして、その光の一つ一つには、それぞれの生活があり人生がある、それを思うと気が遠くなりそうだった。
身長50メートルたらずの巨大生物(ゴジラのことだが)がスペクタクルである時代ではもうないのだろうな。
そう感じつつ八ツ山橋の鉄橋を渡り、第一京浜を通って品川駅に向った。
(2006年8月記)

品川グランドコモンズ(CANONS TOWER)

2006-12-23 13:20:53 | Weblog
さらに南側にCANONS TOWERが聳える。
八ツ山橋で有名なのは、むかしの映画、初代「ゴジラ」の初上陸地点だということだ。
八ツ山橋鉄橋まで来ていた主人公たちに、同じ年、設立された自衛隊(正確には、まだ保安隊。映画では防衛隊となっている)の隊員が避難するよう説得する。そこで高台に避難するわけだが、高輪台か御殿山だろうか、そこからゴジラに破壊される鉄道、品川駅、そして八ツ山橋鉄橋を見下ろすことになる。
破壊という状況では、下町から山の手への移動はずいぶんとスムーズなわけで、山の手から下町を見下ろす視点も何の不自然さもない。
社会基盤や都市の破壊がエンターテイメントである時代は過ぎ去ったわけではないだろうけど。
あれから何年経っただろうか。八ツ山橋の鉄橋はあの当時のままだ。でも、高台から見下ろしてももはや港南は高層ビルだらけで見渡すことはできない。
(2006年8月記)

品川グランドコモンズ(三菱重工ビル)

2006-12-22 06:42:42 | Weblog
さらに南側に三菱重工ビルが聳える。
ビルを順番に見ていっているだけなのに、もう品川駅からは離れた感じになるのは、八ツ山橋の陸橋が近いからかな。
JRの西側を通る第一京浜が線路を越えるのだが、いかに西側が高台で、その高台がせり出しているかがわかる。
そしてこの八ツ山から御殿山にかけての台地を削って、その土砂を埋立てに使い、鉄道が敷かれた。(なお最初の品川駅は八ツ山下でその後20年経って現品川駅に移っている)
これが港南の埋立ての第一歩になる。
最初は高台しかなかったが、目黒川流域や品川の海岸の埋立て地の開発で、いつしか山の手と下町ができる。
むかし、「天国と地獄」という日本映画があった。下流に住む人間が金持ちを狙った誘拐事件を引きこす話(横浜が舞台)だが、下町を地獄、山の手を天国、と感じたとき、事件が成り立つということだろう。
港南から見上げる、御殿山から白金台と北に広がる緑豊かな山の手、はたして天国に見えるだろうか。
そして、港南につぎつぎと聳え立つきらびやかな高層ビルを見上げて、そこに天国をみるだろうか。
下流の下町が海岸を埋め立てただけでできたという記憶があるかぎり、たかが誘拐事件ごときで天国を夢見ることができただろう。でも今はただそこに怪物のように聳え立つビルをまぶしそうに少しみあげるだけなんじゃないかな。
(2006年8月記)