retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

北総開発鉄道矢切駅(矢切駅前)

2010-02-28 06:16:08 | Weblog
高田馬場駅から東西線。九段下駅で都営新宿線に乗り換える。
さらに、馬喰横山駅で、浅草線へ。
運良く、車両が、北総開発鉄道のものだった。
これで、乗り換えする必要はない。座っていればいい。
列車は、高砂駅で、京成線と分かれ、北総開発鉄道の路線に入る。
柴又の南側を過ぎると、すぐに、江戸川に架かる鉄橋。
このように、北総開発鉄道は、柴又の近くを、通っているのだから、「男はつらいよ」にでも、登場していそうだけど。
開通したときは、まだ、シリーズは、続いていたはずだし。でも、しばらくして、終了したので、映画に出てくる機会は、なくなったのだろう。
と思ったら、実は、北総開発鉄道の鉄橋の下に、さくらさんの、家があったらしい。
北総開発鉄道の開通で、その家は、なくなっていたのだ。
もっとも、「男はつらいよ」の中で、さくらさん一家が、住み慣れた場所を、立ち退いた、なんて、シーンは、ないのだけど。
それはそれで、興味深そうな、テーマだったかもしれないが、話が、複雑になるので、その話題は、映画では、取り上げられていないのだろう。
また、そういうことがあったので、ちょっと、北総開発鉄道は、出しづらかったのかもしれない。
ちなみに、立ち退いたあとは、さくらさん一家の撮影は、多摩川か、あるいは、小岩の方で、行われたそうだ。
そんな柴又を後にし、江戸川を越えると、いよいよ、千葉県。
江戸川の先は、台地になっているので、北総開発鉄道は、そのままの高さで、トンネルに入る。
しばらくすると、矢切駅に到着。
矢切駅で下車して、地上へ。
相変わらず、何もない、駅前広場だな。
以前、何回か、この駅で、降りたことあるけど、今でも、ほとんど、変わらない。
西側が、台地の縁、崖下になっているので、宅地化されにくいのかな。
理由は、わからないけど、鄙びた感じがして、落ち着く。
将来にわたっても、このままだろう。
(2009年8月記)

西武池袋線東久留米駅(東久留米駅北側の踏切)

2010-02-27 06:00:54 | Weblog
商店街の中、北西にさらに歩いていくと、東西に伸びる、通り。
その通りに入って、西へ。
しばらくすると、西武池袋線の踏切がある。
この踏切の出てくる場面、「めぞん一刻」の中では、かなり、重要な出来事が、起こっている。
どんな出来事だろうか。そのことに、触れる前に、最後の方の場面を見てみよう。
ようやく、五代くんと響子さんが、結ばれたとき、響子さんが、次のように、告白したのだ。
本当はね、ずっと前から、五代さんのことが、好きだったの。
ずっと前って、いつから?
忘れちゃった。
その、いつから、という問いの、答えが、踏切の出てくるシーンなのだ。
たしか、こういう出来事だったかな。
亡き夫の忘れ形見にして、名前も同じ、飼い犬の惣一郎さん。
散歩の途中、焼鳥に釣られて、この踏切で、行方不明になってしまう。
方々、懸命に、探すが、見つからない。
そうしているうち、ひょんなことから、五代くんのもとに、惣一郎さんは、現れる。
五代くんが、惣一郎さんを、連れて歩いている姿を、見つけた、響子さん、後ろから、「惣一郎さん」と、声を掛けるのだ。
その声に気付いて、飼い犬の惣一郎さんと五代くんが、響子さんの方へ、振り変える。
その時、夕日の逆光を浴びて、五代くんの姿が、亡き夫の惣一郎さんに、だぶって、見えてしまう。
響子さん、思わず、どきっとするのだが。
響子さんが、五代くんのことを、好きになったのは、この時ではないかと、自分では、思っている。
などと、語り出すと、本当に、止まらなくなるなあ。
「めぞん一刻」は、自分にとっては、同時代的な作品、というわけでもなかったけど、五代くんとは、同世代なので、思い入れがある。
「めぞん一刻」になぞらえると、自分は、霞商会(「めぞん一刻」では、倒産しているけど)に入って、今に到っている、口かな。
でも、「めぞん一刻」のような、微温的な雰囲気は、もう、二度と、現れないに違いない。
けっして、あの作品世界の延長が、今の世の中ではないのだ。
ありもしない豊かさに、拘泥して、すっかり、とげとげ、ぎすぎす、になってしまったのが、現在の社会の姿。
そういえば、「となりのトトロ」は、夢や想像が、現実を、変える、という、お話だったっけ。
ならば、「めぞん一刻」も、そんな世の中を、変えてくれないだろうか。
そうだといいのだけど。
とりあえず、もっと、下調べをちゃんとして、また、来よう。
「めぞん一刻」の舞台を通り抜けて、東久留米駅へと、急ぐ。
(2009年8月記)

西武池袋線東久留米駅(茶々丸のモデルになったスナック)

2010-02-26 20:32:32 | Weblog
実は、東久留米駅には、昔、何回か来ているが、意識していたわけではないからか、「めぞん一刻」、という感じはしなかったな。
ただ、その時は、すでに、駅前再開発で、マンションが、林立し、すっかり、きれいに、整備された後だったけど。
マンションが、林立し始めたのが、バブル期以降、「めぞん一刻」は、バブル期より前の作品なので、その頃の、雰囲気が残っていないのは、当たり前だな。
そういう、先入観があって、今回も、まったく、期待していなかったのだ。
駅東口に出て、北へ。商店街の中に入っていく。
すると、まだ、昔の、昭和の頃の、懐かしい雰囲気が、残っているではないか。
つまり、旧市街、というわけか。
こうして、「めぞん一刻」を、意識しながら、歩いてみると、案外、東久留米の街並みを、忠実に、モデルにしていることが、今さら、わかった。
もっとも、残念なのだが、今回は、「となりのトトロ」の舞台を訪れることが、主で、こっちは、おまけのようなもの。時間もないし、ゆっくり、見ていられない。
後日、もっと、予習してから、来たほうが、いいな。
とりあえず、そのまま、商店街の中を、急いで、北西に進んでいくと、六本木朱美さんの勤めていた、スナック茶々丸があった。
懐かしいなあ。思わず、バブル期前の安定期の日本を思い出してしまう。
六本木朱美さんもそうなのだが、いったい、なんで、あの頃は、あんなに、まったりした仕事振りで、生活ができたんだろう。
今の世の中のように、とげとげ、ぎすぎす、といった、雰囲気が、まるでない。
優しいマスターがいて、六本木朱美さんが、接客して。お客さんは、もちろん、地元が多いに違いない。
そういうことが、地域社会の中の、役割として、十分に溶け込んでいたのだな。
生活と社会の調和が取れていたわけだ。
それが、なんで、こんな、とげとげ、ぎすぎす、の社会になってしまったんだろう。
そんなことを考えても、時代の流れなので、仕方ないのだけど。
(2009年8月記)

西武池袋線東久留米駅(取り壊される寸前の東久留米駅駅舎)

2010-02-25 03:32:54 | Weblog
来た道を引き返す。
西武池袋線の線路に沿って、東へ。
秋津駅で、西武池袋線に乗る。
ここで、「となりのトトロ」について、もう一つだけ。
最後のなぞ。いったい、サツキの、どの時点からの追憶が、「となりのトトロ」なのか、ということだ。
宮崎駿は、ヒントになる、不思議なシーンを、用意している。
それは、以下の場面だ。
行方不明になったメイを探して、七国山病院への道へ、入ったところで、正面から、妙なカップルが現れる。
彼らの乗っているのは、3輪オートバイ、トライクというらしい。
男性は、カーボーイハット。荷台に乗った、女性は、白いドレス。
その場に、なんと、そぐわぬ雰囲気だろう。
このように、かなり、特異な風体のカップルなのだが、あっさりと、いなくなってしまう。
いったい、何のために、登場したのだろうか。
かれらと会わなければ、サツキは、七国山病院まで、行ってしまったのかな。そんなことはない、後から、自転車に乗った、カンタがすぐに、追いついていたはずだ。
だから、いてもいなくても、物語の流れには、まったく、影響はない。
もっと、詳しく、この場面を見てみる。
サツキが、メイのことを、尋ねたとき、荷台に乗った女性、リョウコさん、というのだが、彼女が答えている。
その時、オートバイのサイドミラーに、彼女の顔が写るのだ。
ミラーに、カメラを向けて、写せば、当のカメラも、写るのと、同じ。
ということは、リョウコさんは、サツキを写す、カメラを示している。
つまり、サツキを追憶しているのは、リョウコさん、のような、女性、ということなのだ。さらに言えば、リョウコさんは、何十年か経った後の、サツキに違いない。
そして、オートバイに乗っているのは、同じく、何十年か経った後の、カンタだ。
この場所を、通っていたとき、ふと、何十年か前、サツキとカンタが、出会った頃のことを、回想しているのが、「となりのトトロ」の世界かもしれないな。
突きつけられた、悲しい現実を、空想、ファンタジーが、乗り越えた、具体的な結実が、この、二人の姿だと思う。
「となりのトトロ」の中では、トトロの呼んだ、ネコバスが、メイの行方不明事件を解決するわけだが。もちろん、現実的には、他の方法で、解決したのだろう。
ここらで、「となりのトトロ」からは、離れる。
次に下りる駅、東久留米駅に着いたからだ。
東久留米というと、「めぞん一刻」の舞台となった場所。
来る前は、あまり、期待していなかったけど、意外と、作品世界を、髣髴とさせる、風景があり、ちょっと、感激してしまったな。
ただ、作品に登場していた、「めぞん一刻」に出てきた、時計坂駅のモデル、東久留米駅の駅舎は、なくなる寸前だったけど。
(2009年8月記)

西武池袋線秋津駅(淵の森緑地)

2010-02-24 06:08:59 | Weblog
秋津神社の北側に出て、北西方向に歩く。
すぐに、西武池袋線の高架脇。高架脇に沿って進んでいくと、柳瀬川があり、その対岸は、淵の森緑地となっている。
「となりのトトロ」の監督、宮崎駿が、関わってきた、緑地らしい。
昔、ここから、東側の、空堀川、だと思うが、そちらの方には、行ったことがあるが。
そこも、緑が豊かで、環境のいい場所だったな。
ひょっとしたら、記憶違いで、淵の森緑地だったのかもしれないけど。
とにかく、埼玉県との境だからかもしれないが、一帯には、意外にも、自然環境が、残されているのだ。
昔は、そのような場所の方が、ごく普通の光景だったのだろう。
でも、それでは、普通の光景が、なぜ、これほどまでに美しく、描かれているのだろうか。
自然環境が失われた、今、振り返ってみるから、美しいのだろうか。
それも、あるだろうが、たぶん、追憶だからかもしれない。失われた過去の追憶は、どんなものでも、美しく、懐かしいものだ。
そうだとすると、いったい、「となりのトトロ」の世界は、誰の追憶なのだろう。
追憶するためには、「となりのトトロ」の世界を、すべて、把握している、必要がある。誰なのかな。
それが、可能なのは、唯一、サツキなのだ。
梅岩寺の六地蔵は、ちょっと、難しいかもしれないが、「となりのトトロ」における、松郷が、秋津駅の北西側だとすれば、当然、知りえたに違いない。
ばあちゃんの、七国山病院までの所要時間、3時間、という、妙な受け答えも、何度も、七国山病院を往復している、サツキが、作り上げたのだろう。本当の、所要時間を、熟知していたからこそ、曖昧で不思議な、時間にしてしまったのだ。
さらに言えば、この追憶、二段構造になっている。
最初の追憶は、当時の、サツキの、空想や、感じたままを、追憶しているのだ。
だから、その視点は、つねに、対象の、メイを、追い続けている。
その中で、サツキは、母親に、手紙を書いているが、その内容そのものが、追憶になっているわけだ。妙に、サツキが、子供っぽいのは、そのためかな。
二段目は、母親の退院が遅れる、という電報を受け取ったあたり。
ここからは、現在のサツキが、当時の自分を追憶している。だから、視点は、サツキを追っているし、年相応の振る舞いだ。メイは、むしろ、脇役になっている。
さらに、もう少し、考えてみる。では、なぜ、追憶が、二段構造なのだろう。その前に、ここまで来れば、察しは付くかもしれないが、サツキは、「となりのトトロ」の監督、宮崎駿、そのものだろうと思う。
最初の、一段目は、当時のサツキが、作り出した、空想で、手紙にも書いている。宮崎駿にとって、その手紙こそが、「未来少年コナン」や「ルパン三世カリオストロの城」、といった作品なのかもしれない。ある意味では、現実逃避的な、空想なのだ。
二段目は、空想するサツキ、そのものを、追憶している。ここで、一段目で、逃避しなければ、ならなかった、現実が、浮かび上がってくる。
そして、その、現実を描いた、二段目の中に、一段目の空想が、再び登場する。
さらには、二段目の現実の問題を、一段目の空想が、解決してしまうのだ。
空想は、現実逃避だけではなく、現実に立ち向かい、現実を変えていく原動力にもなる、というのが、「となりのトトロ」を通して、宮崎駿が、言いたかったことなんじゃないかな。
そんなことなど、考えながら、淵の森緑地を後にし、秋津駅に向かう。
(2009年8月記)

西武池袋線秋津駅(秋津神社)

2010-02-23 06:09:07 | Weblog
武蔵野線新秋津駅から、商店街を通って、北東側へ。
西武池袋線秋津駅前に出る。
互いの駅が、ちょっと、離れているのは、西武池袋線の秋津駅の方が、かなり、古いからだろう。
たぶん、すでに、駅前が完成してしまったので、後から開通した、武蔵野線は、少し、外れた場所を通ることになったのだ。
と、思ったが、西武池袋線秋津駅の北口に出てみると、まったく、何もない。
これなら、秋津駅を、西に移設してしまった方が、便利なんじゃないかな。
西武池袋線に沿って、いったん、西へ。
すぐに、線路の南側に出て、南西方向に歩く。
狭い道路を歩いていくと、神社に、行き当たる。
秋津神社だ。それほど古い神社ではないが、緑が深く、静かで、趣がある。
「秋津」は、トンボのことなのだが、地名と、関係するのかな。
ところで、何で、秋津まで、わざわざ、歩いてきたのか、というと、近くに、「となりのトトロ」の監督、宮崎駿が、かつて、住んでいたからだ。
たしか、某テレビ番組で、秋津を取り上げたとき、宮崎駿監督が、よく、来ていた、パン屋さんが、紹介されていたっけ。
そういうわけなのだが、もし、この時、前知識として、松郷のことを、知っていたら、秋津駅から、すぐにでも、北へ、歩き出していただろう。
ただ、実際、松郷まで、足を伸ばさなくて、よかったと、思っている。
なぜなら、松郷は、「となりのトトロ」の舞台のモデルではない可能性が、非常に、高いからだ。おそらく、地名だけ、使われたに違いない。
他にも、地名を使った例を挙げると、松郷の北を流れる、東川から、東電鉄、東電鉄バス、松郷の西側、牛沼は、そのまま、その牛沼の南側の松井は、松井川、という具合だ。
では、実際のモデルは、どこなのだろう。
ここで、いま一度、「となりのトトロ」の世界を、検証してみる。
まず、「となりのトトロ」の松郷の位置について。
七国山病院(新山手病院のこと)から、北東側。南北に伸びる鉄道の、すぐ西側。松井川が南東へ流れているが、その川の北東側。
これらの条件を満たす場所が、「となりのトトロ」の舞台の可能性が強いはず。
例えば、南北に伸びる鉄道が、西武池袋線だとすれば、また、松井川が、柳瀬川だとすれば、どうだろう。
秋津駅の北西側が、そのような場所と、合致するはずだ。
なんのことはない、「となりのトトロ」の監督、宮崎駿の住んでいた所ではないか。
ただ、そう考えると、「となりのトトロ」の作品世界は、わかりやすくなると思う。
それに、ひょっとしたら、本当に、トトロのいる、塚森、みたいな場所が、あるのかもしれない。
今度、時間があったら、訪れてみよう。
(2009年8月記)

武蔵野線新秋津駅(新秋津駅前広場)

2010-02-22 04:00:10 | Weblog
梅岩寺から、南へ歩くと、すぐに、東西に伸びる、府中街道に出る。
府中街道に入り、東へ。
昔は、よく、クルマで、この道を、通ったものだ。最近は、来ることも、まったく、なくなったな。
府中街道は、すぐに、志木街道と名前が、変わって、さらに、東へと、伸びていく。
クルマからでも、沿道に、緑が多いことが感じられ、走っていて、気分がよかった。
そんな府中街道を、歩いていくと、しばらくして、北東に伸びる、武蔵野線の掘割。
今度は、武蔵野線に沿って、北東方向へ進む。
線路を辿れば、駅に着くだろう、というわけだ。
程なくして、武蔵野線新秋津駅に到着。
新山手病院から、八国山丘陵地を経て、途中、梅岩寺に、ちょっと、寄ったが、新秋津駅まで、時間にして、46分間。
自分は、歩くのが、早いので、一般的には、1時間弱ぐらいだろうか。
そして、秋津駅から、北に、30分ぐらい、歩けば、松郷、に着く。
ということは、新山手病院(「となりのトトロ」では、七国山病院)から、松郷まで、徒歩、1時間30分ぐらい、ということになる。
メイが行方不明になって、七国山病院に行ったのでは、とサツキが言ったとき、ばあちゃんが、ここから、七国山病院まで、大人の足で、3時間はかかる、と答えたのだが。
実際、こうして、歩いてみれば、わかるが、この、3時間、というのは、間違いなく、往復の時間だろうな。
たぶん、松郷では、何度か、七国山病院の退院患者を、保養のために、受け入れてきたのかもしれない。
そういうときに、ばあちゃんは、何かの用事で、徒歩で、七国山病院まで、往復していたのだ。だから、3時間かかると、答えたのだろう。
もっとも、片道、歩いて、3時間だったら、そもそも、自転車での移動は無理だ。それに、小学6年生のサツキは、メイを探すため、七国病院の途中まで、来ている。そして、また、走って、松郷まで、戻っているのだ。
つまり、近くではないものの、それほど、遠く隔たってはいないわけだ。
しかも、往復、という、認識があるのなら、松郷と、七国山病院は、連続した、同じ世界の中にある、そう思えるな。
(2009年8月記)

東村山市久米川町(久米川町梅岩寺)

2010-02-21 06:16:02 | Weblog
やぶ蚊を払いつつ、尾根道を、東へ。
ほどなくして、下り坂になる。
どんどん、下っていくと、すぐに、民家の屋根などが、見え始め、やがて、八国山の丘陵地を出てしまう。
新山手病院から、八国山を経て、丘陵地を出るまで、それほど、距離は、感じなかったな。
さて、これから、どうしようか。実は、決めていなかった。
この時点では、「となりのトトロ」の舞台が、ここから、はるか、北東側とは、知らなかったので、もう、八国山を訪れたことで、目的は、達したと思い込んでいたからだ。
とりあえずは、普通の通りに出れば、たぶん、バス停があるはず。
そのバス停の行き先を見て、最寄の駅の見当を付けよう、ということにする。
住宅地の中の細い道を、東へ東へと進む。
途中、川を橋で越えると、対岸に、志村駐車場というのが、あった。
志村けんの実家が、近くにあるのだろうか。たぶん、そういう気がする。
西武新宿線の線路の下を潜って、東側へ。
道路は、南へ向かっている。その道路に沿って、南へと歩いていく。
しばらくすると、道路の東側に、梅岩寺。
メイが、七国山病院に行こうとして、迷子になり、辿り着いたのが、六地蔵なのだが、その六地蔵は、梅岩寺にある、ということだ。
もっとも、そんなことは、知らなかったので、六地蔵については、まったく、気付かなかったな。道路に沿って、あったような、なかったような。
それに、そもそも、幼児のメイが、松郷から、ここまで、歩いてこれるものかどうか。
ただ、メイにしてみれば、さすがに、あの、八国山の丘陵地を通って、七国山病院に行けるとは、思わなかっただろう。
だから、いったん、南へ出て、七国山病院の南側に出ようと、思ったに違いない。
では、梅岩寺に、南北に伸びる、通りは、あったのだろうか。
実は、あるのだ。その通りこそ、鎌倉街道上道、ということになる。
ここで、ちょっと、松郷から七国山病院までの道筋を、見てみよう。
松郷からは、南西方向へ、まず、進む。そして、お地蔵さんのある場所で、南寄りに伸びる、道に入り、そのまま、南へ、八国山丘陵地東側の麓に着く、というところか。
八国山丘陵地を避けるのであれば、お地蔵さんの場所の、もっと手前で、南へ曲がらなければ、ならない。
そこで、メイは、鎌倉街道上道に入って、南へと歩いたが、六地蔵のところで、完全に、道を見失ってしまったのだろう。
なんて、そこまで、考えているとすると、できすぎのような気もする。
(2009年8月記)

東村山市諏訪町(八国山と将軍塚)

2010-02-20 06:18:44 | Weblog
八国山の尾根道を歩いていると、しばらくして、石碑が現れる。
二つの石碑があり、奥の方が、将軍塚の石碑だ。
たぶん、八国山の山頂は、このあたりなので、ちょっと小高くなっている、将軍塚の場所が、山頂なのかもしれない。
その八国山についてだが、今でいう、関東地方に、山梨県、長野県を加えた地域の、八カ国を、眺め渡すことができたので、八国山、というらしい。
実際は、麓すら、見下ろすことは、できないので、この謂れは、伝説なのだろうが、では、なぜ、このような大仰な、名前が付いたのだろうか。
例えば、似た名前に、町田市の七国山がある。
これらの共通点は、近くに、鎌倉街道上道が、通っていたことだ。
おそらく、鎌倉時代は、関東、その他の、八カ国に通じる、交通の要衝だった、ということかもしれない。もっとも、他にも、交通の要衝があったのに、何で、ここだけ、八国山なのか、というと、ちょっと、わからないが。
ところで、「となりのトトロ」に話は戻るが、サツキのお父さんは、考古学の研究者だったはずだ。
とすると、この尾根道を通ったとき、小学6年生のサツキには、薀蓄の一つも垂れたかもしれないな。
でも、母親の入院する、七国山病院は、近いので、聞く耳、持たなかったろうけど。
それはいいとして、このお父さんの、考古学の研究者、という社会的なポジション、すごく、憬れてしまうのは、自分だけだろうか。
なんとなく、社会とは、あまり、関わりなくとも、生活が、維持できるような、感じがするのだ。
もっとも、これは、あくまでも、サツキから見た、お父さん像なのかもしれない。
研究、というと、学校の勉強の延長のように感じられるし。そのままで、生活が、維持できるとするなら、不安はないし。つまり、大人を感じさせない。
でも、現実の研究職は、そのようなものとは、かなり違うだろう。
とすると、「となりのトトロ」の中の、考古学の研究者なんて、ありもしない、職業イメージ、ということになるな。自分も騙されていたのかも。
例えば、次のシーンが、現実を、垣間見せてくれる。
最初に、松郷の、新居に着いて、建物に入ったとき、サツキとメイは、「ススワタリ」という、お化けの気配を感じて、お父さんに報告するが、お父さん、とぼけた感じで、「お化け屋敷に住むのが、夢だったんだ」と、サツキに返事をする。
もちろん、鈍感なわけでも、とぼけていたわけでもなく、普通の大人は、お化けどころではないはず。
引越しともなれば、諸経費のこと、生活のこと、付き合いのことなどで、頭が、いっぱいなのだ。
とぼけて見えたのは、お父さんが、サツキやメイを、心配させないためか、それとも、サツキが、そのように、想像したのか、わからないが。
ひょっとしたら、宮崎駿の作品に共通するのかもしれないけど、大人の世界が、一方的に、子供から見た世界として、描かれているような気もするな。
少なくとも、「となりのトトロ」での、お父さんの、大人社会は、不可知のものであり、おそらく、サツキの視点でのみ、表現されている。
(2009年8月記)

東村山市諏訪町(八国山尾根道)

2010-02-19 06:07:28 | Weblog
新山手病院の東側を、北へ伸びる、坂道を登っていく。
ついさっき、下ってきたんだけど。
下ってきたとき、わかったのだが、「となりのトトロ」で、サツキとメイ、お父さんが、七国山病院へ、お見舞いに行く場面、病院に着く直前に、山道の坂上から、病院の建物を見下ろすのだが、まさに、今、登っている坂道かな、と思ってしまう。
八国山の尾根道に出て、東へと歩いていく。
どうやら、期せずして、サツキとメイ、お父さんが、お見舞いに行ったコースを、辿っているようだな。
それはいいのだが、それにしても、やたらと、やぶ蚊が多い。
「となりのトトロ」は、昭和30年代の設定なのだが、その時代は、やぶ蚊が、いなかったわけでもなかろうに。そういう点は、やはり、フィクションだ。
ところで、今回、東村山を訪れる前に、いちおう、「となりのトトロ」を見直したのだが、あらたに、発見したところもある。
その筆頭が、サツキについてだ。いったい、小学6年生の女の子が、スカートのまま、ばく転なんて、するものだろうか。
あと、トトロから、雨傘のお礼として、贈られた、木の実を笹の葉で包んだもの、その包みを結んである紐が、龍のひげ、なる代物らしい。「龍のひげ」って、何だろう。それに、なぜ、唐突に、「龍のひげ」、なのだ。
それと、さらに、もう一つ。最初に、サツキとメイ、お父さんが、七国山病院に、お見舞いに行くとき、自転車をこぐ、お父さんに、道を指し示しているシーンがある。ということは、サツキは、それまでに、何度か、松郷から七国山病院まで、行っており、あたりの地理に関して、完全に、把握していることになる。
これらのことについて、ちょっと、考えてみよう。
まず、第一の疑問、なぜ、サツキは、スカートのまま、飛び跳ねているのか。恥じらいがないわけではない。たぶん、幼児のメイと同化しているからだろう。同化している、というよりも、場面の中心が、メイ、なので、その邪魔にならないように、同化しているのだ。
メイが、ころんだり、帽子を落としたりして、立ち止まると、場面の動きも、止まっている。そうした場面の動きを見ていると、そう考えざるを得ない。
二つ目の疑問と三つ目の疑問は、似ているが、まず、二つ目から。
「龍のひげ」について。
「龍のひげ」、というのは、文字通り、龍のひげ、ではなく、植物の「龍のひげ」だろう。植物の「龍のひげ」は、よく、庭の中の小道脇などに植わっている、雑草みたいな、丈の低い植物のことらしい。庭を、持ったことはないので、自分には、まったく、見当もつかなかったが。
「龍のひげ」については、わかったが、では、そもそも、なんで、紐が、「龍のひげ」なのかな。あるいは、どうして、サツキには、その紐が、「龍のひげ」と、わかったのかな。そういう、使用例があるとは、思えないし。
最後。どうやら、サツキは、松郷から七国山病院までの地理的空間を熟知しているらしい。そればかりではなく、「となりのトトロ」の、ほとんどすべての場面について、唯一、知っているのではないか、と思えてしまう。
すべての場面について、知っているのであれば、紐が、「龍のひげ」、ということについても、知っていて、当然、なんだろうな。
主人公なんだから、と、言ってしまえば、それまでなんだけど。
さらに、もう少し、考えてみる。
(2009年8月記)