retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

有楽町線江戸川橋駅(関口二丁目 椿山荘御神木)

2015-03-31 05:01:38 | Weblog
西に歩いていくと、北側に、庭園。
椿山荘、となっている。
さっそく、入ってみる。
台地への、上り坂。
その勾配を、利用して、庭園が、作られているようだ。
起伏があって、なかなか、面白い。
自然の、野山とは、少し、違った、趣がある。
坂の途中、巨大な樹木、御神木が、あったりする。
もう少し、庭園内、歩いてみる。
(2013年2月記)

有楽町線江戸川橋駅(関口二丁目 江戸川公園の小さな池)

2015-03-30 04:37:47 | Weblog
神田川の北側は、台地になっていて、木々が茂っている。
南側は、対照的に、建物が、密集。
おそらく、江戸時代は、広大な、田圃だったのだろう。
江戸時代になって、開拓されたに、違いない。
さらに、その前は、一面、湿地帯、沼沢地、だったのかな。
などと、昔のことを、思いつつ、歩いていく。
川辺の道は、ちょっと、幅広くなり、公園らしくなってきた。
細長い池、あるいは、流れを模した、池、などもある。
そんな、江戸川公園、さらに、西へと、歩いていく。
(2013年2月記)

有楽町線江戸川橋駅(関口一丁目 首都高池袋線早稲田口)

2015-03-29 07:06:34 | Weblog
西へ、向かうと、神田川南岸には、首都高池袋線早稲田口。
完成したのは、バブル期直前。それほど、昔でもない。
本来は、そのまま、新目白通り沿い、西へ西へと、伸びる予定だったらしい。
現状、南には、外苑東通りが、伸びているので、外苑東通りの、一部、ともいえる。
外苑東通りについてだが、環状三号線、としては、北西側に、一部分、開通している。
もし、そこまで、延伸するとすれば、地下を、進むしかないだろう。
両方とも、中途で、終わったような感じ。
再び、西へと、歩く。
(2013年2月記)

有楽町線江戸川橋駅(関口二丁目 江戸川公園)

2015-03-28 06:12:52 | Weblog
神田川の北岸。
神田川沿いに、西へ。
川岸は、江戸川公園になっている。
公園の名前の名前、江戸川だが、以前は、江戸川、だったらしい。
飯田橋から、先が、神田川。
昔は、同じ川でも、流れる場所によって、川の名前が、変わることは、あったようだ。
神田川の方は、江戸時代の初め頃、神田の台地を、開削して、作った、流れだからだろう。
そこより、上流が、江戸川に、なったのかもしれない。
そのような、開削が、行われる、以前は、平川、という名前。
いろいろと、歴史の変遷が、あるようだ。
さらに、西へと、歩いていく。
(2013年2月記)

有楽町線江戸川橋駅(関口一丁目 江戸川橋から臨む神田川)

2015-03-27 04:45:36 | Weblog
有楽町線、江戸川橋駅で、下車。
地上に出ると、南北に伸びる、音羽通りと、東西に伸びる、目白通りとの、交差点。
交差点の、すぐ北側には、神田川。
北へ向かい、江戸川橋で、神田川を、渡る。
そういえば、江戸時代より前、ここかへんから、今の、飯田橋に、到るまで、白鳥池、という、池が、あったそうだ。
池、というよりも、川の、流路が、淀み、沼沢地に、なっていたのだろう。
こちらも、上野、不忍池、のような、景観だったのかな。
などと、想像しながら、歩いていく。
(2013年2月記)

東西線飯田橋駅(飯田橋四丁目 目白通り)

2015-03-26 04:55:09 | Weblog
台地を、降りると、南北に伸びる、目白通り。
そういえば、神田川、今は、東へと、流れているが、江戸時代より前は、南へ、流れていたのだ。
さらに、途中、川は、淀み、沼地も、あったらしい。
幅広の、目白通りも、川筋、だったのだろうか。
目白通りを、見ると、そんな感じがする。
ひょっとすると、現在の、不忍池、みたいな、景観だのかも。
北へ歩き、飯田橋駅。
有楽町線の、ホームへ。
(2013年2月記)

東西線飯田橋駅(飯田橋四丁目 飯田橋の街中)

2015-03-25 04:18:04 | Weblog
飯田橋、神田川、日本橋川沿いの、低地に、広がる、下町、ではあるのだが。
都心なので、商店街というよりも、飲食店街、という感じだろうか。
高台は、山手だが、閑静な、住宅地、というわけでもない。
やはり、都心、ということかも。
そのような、高台の、街中、最近は、高層ビルが、建つようになった。
再開発が、都心に、集中しているからだろう。
都心だけ、変化が、著しい。
高台を、降りて、駅へ向かう。
(2013年2月記)

東西線飯田橋駅(プラウドタワー千代田富士見レジデンス工事現場)

2015-03-24 05:38:20 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
飯田橋駅で下車。
地上に出ると、南北に伸びる、目白通り。東西に伸びる、中央線、総武線の高架。
南西側へ。
南西側は、台地になっている。
北側は、神田川、東側は、日本橋川の、低地。
台地を、上っていくと、都心らしい、マンション、飲食店が、密集している。
その一画、プラウドタワー千代田富士見レジデンスの、工事現場。
飯田橋周辺の、再開発、いま少し、続くようだ。
(2013年2月記)

山手線駒込駅(駒込駅南口駅前広場)

2015-03-23 04:38:19 | Weblog
繁華な、街中。
しばらく、歩いていくと、駒込駅南口の、駅前広場に出る。
広場といっても、それほど、広くはないけど。
西側を、南北に伸びる、本郷通りから、駅前に、入れれば、いい程度かな。
昔の、街並みは、その、本郷通り沿い。
明治時代初め頃の、地図を見ると、ここから、南側に、街並みは、広がっている。
とすると、駒込の、街並み、北外れに、駒込駅は、設置された、ということだ。
もう、帰ろう。
寒くなってきた。
春は、まだ、先だ。
(2013年2月記)

山手線駒込駅(駒込一丁目 日枝神社)

2015-03-22 06:49:46 | Weblog
駒込駅近く、繁華な、街中、北へ向かうと、すぐに、日枝神社。
創建は、わからない。
江戸時代よりは、前かもしれない。
北側を、東西に、鎌倉街道が、通っていたので、それなりに、開けていたからだ。
ただ、明治時代初め頃の、地図には、特に、記載はないし、江戸名所図会にも、載っていないところをみると、それほど、古社、というわけでも、ないようだ。
おそらく、江戸時代より、少し前。
あるいは、やはり、あたりが、開拓された、江戸時代、だろうか。
日枝神社を、出て、今度は、西へ。
(2013年2月記)c