retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

総武線馬喰町駅(東日本橋二丁目 薬研堀不動院)

2012-11-30 05:16:48 | Weblog
かっぱ橋や、かつての秋葉原、問屋街には、独特な、雰囲気があるな。
と思ったが、ほとんどの店、風雨が、強いためか、シャッターを、下ろしている。
客も、来ないだろうし、服飾関係の商品、店内に、雨が、吹き込めば、だめになってしまうからだろうか。
そんな、繊維問屋街を通り抜け、東へ。
南北に伸びる、清洲橋通りを、越えて、さらに、東、街中に入る。
迷路のような、道を、かまわず、東へと、進むと、薬研堀不動院。
幟がなかったら、わからないような、場所。
創建は、江戸時代の直前、らしい。
ただ、近くの、薬研堀、江戸時代の、前半に、開削されたわけで、やはり、薬研堀不動院は、その頃の、創建ではないかとも、思える。
その、薬研堀、なのだが、今は、もう、埋め立てられて、消滅してしまった。
残っているのは、薬研堀不動院だけ。
篠突く雨の中、今度は、北東へ、向かう。
(2012年3月記)

総武線馬喰町駅(日本橋横山町 繊維問屋街)

2012-11-29 06:11:02 | Weblog
竹森神社、細長い、区画に、合わせて、境内も、細長くなっている。
創建は、わからない。
ひょっとしたら、浜町川と、関係があるのかも。
かつては、浜町川の、岸辺に、あったわけだが、浜町川は、江戸時代に、開削された、運河。
ほぼ、まっすぐ、伸びている。
その、浜町川の、岸辺に、偶然に、建っている、ということは、考えられない。
考えられるとすれば、浜町川が、開削されて後、その岸辺に、竹森神社が、建てられた、ということ。
とすると、創建は、江戸時代の、半ば頃かな。
ただ、竹森、という名前は、珍しく、謂れは、まったく、見当もつかない。
江戸時代の半ばであれば、馴染みのある、名前であったり、謂れが、はっきりしていたりするものだが。
おそらく、どこか、他所にあった、竹森神社を、運河として、開削した、浜町川の、守りとして、移設したのかもしれない。
雨が激しいので、もう、戻ろう。
来た道を、引き返す。
江戸通りを越えて、さらに、南へ。
商店が、軒を、連ねている、一帯。
繊維問屋街となっている。
(2012年3月記)

総武線馬喰町駅(日本橋小伝馬町 竹森神社)

2012-11-28 04:03:50 | Weblog
昭和通りを、北に、進むと、すぐに、総武線の、新日本橋駅がある。
意外と、駅が、近いのだ。
ただ、南北に伸びている道路、風の、通り道に、なっている。
強い風が、吹き抜けていて、なかなか、進むのが、大変。
やっと、新日本橋駅に、辿り着き、すぐに、地下へ。
暴風雨から、やっと、逃れることが、できた、と思いきや、ホームで、電車を、待っていても、いっかな、来ない。
どうやら、総武線、高架部分で、暴風雨の、影響を受けて、止まっているようだ。
だからといって、地上は、暴風雨、他に、どこにも、行けず、しばらく、ホームで待っているしかない。
ようやく、やってきた、列車に、乗り、隣の、馬喰町駅で下車。
地上に出ると、北東に伸びる、江戸通り。
南西に、少し歩くと、南北に、伸びる、細い道路に、挟まれた、区画がある。
不思議な、区画だな、どこかで見たことがある、と思ったが、これは、この間、訪れた、浜町川の跡、だった。
浜町川の跡を辿り、北へ。
ほどなくして、竹森神社がある。
(2012年3月記)

銀座線三越前駅(日本橋本町二丁目再開発工事現場)

2012-11-27 05:19:59 | Weblog
高田馬場駅から、東西線。
日本橋駅で、銀座線に、乗り換える。
三越前駅で、下車。
地上に出ると、激しい雨。
春の嵐だ。
すでに、前日から、天気予報で、荒天は、わかっていたので、今回は、なるべく、地上に出ないで、移動するつもり。
地上に出て、すぐに、ビルとビルの間、東へと、向かう。
少しは、風を、避けられるかと、思ったのだ。
激しく、降る、雨の中、歩いていく。
今年の、長く続く、冬に、急に、春の空気が、流れ込んだので、激しい、天気になったのだろうか。
しばらくすると、南北に伸びる、昭和通り。
昭和通りとの、交差点、北西側に、日本橋本町二丁目再開発の工事現場。
東京駅周辺、日本橋、そして、ここらへんまで、再開発が、広がってきたようだ。
雨風、激しく、その場に、立ち続けていられないので、昭和通り、北へ、向かう。
(2012年3月記)

半蔵門線水天宮駅(日本橋蛎殻町一丁目 銀杏八幡宮)

2012-11-26 05:07:08 | Weblog
浜町緑道を、南へ、南へと、歩いていくと、南西に伸びる、新大橋通りに、行き着く。
その先は、首都高の、入口。
ということで、新大橋通りに、入り、南西へと、進む。
今日、訪れた、水天宮を、過ぎ、さらに、歩いていくと、ほどなくして、通りの、北側に、銀杏八幡宮。
創建は、まったく、わからない。
鎌倉街道は、近くはないが、北側を、通っている、ということで、やはり、鎌倉時代、あたりだろうか。
ところで、銀杏八幡宮、というと、浅草橋駅の北側にある、銀杏岡八幡神社を、思い出してしまう。
こちらは、正真正銘の、古社。
平安時代の終わり頃の、創建だ。
名前からみて、銀杏八幡宮、浅草橋駅近くの、銀杏岡八幡神社と、関係が、ありそうなのだが。
ただ、「銀杏」という、名前の謂れも、わからないし、どのような、関係かも、わからない。
わかっていることは、江戸時代以前、この一帯には、湿地帯、沼沢、が広がっていて、およそ、何もなかった、ということぐらいか。
このまま、南西に、歩いて行けば、茅場町駅。
茅場町駅から、帰ろう。
もう、季節は、すっかり、春だな。
(2012年3月記)

半蔵門線水天宮駅(日本橋人形町二丁目 浜町緑道)

2012-11-25 07:07:00 | Weblog
東へ東へと、歩いていき、人形町通りを、横切り、さらに、東へ。
都心の住宅地に、入っていくと、南北に伸びる、妙な、区画が、現れる。
細い道路に、挟まれた、区画なのだが。
その、区画を、辿って、南へ。
南へ、進んで行くと、やがて、細長い、公園になっていく。
浜町緑道、という公園。
かつては、浜町川が、流れていた。
流れていた、というよりも、江戸時代初め頃に、開削された、運河なのだが。
ちなみに、かつての、旧吉原は、この、浜町川から、流れを、引き込んで、周囲、堀を、巡らせていたらしい。
その後も、浜町川は、整備、北側への、延伸が、続けられ、明治時代に、入ってから、ついに、神田川と、合流することになる。
だが、運河が、存在していたのは、そこまで。
昭和の時代、戦後になって、徐々に、埋め立てられ、ほどなくして、消滅。
一部は、緑道になって、今に至っている。
人形町の、テーマパークの、一画に、加われば、それなりに、興味深いのだが。
今は、静かな、公園だ。
(2012年3月記)

日比谷線人形町駅(日本橋堀留町一丁目 椙森神社)

2012-11-24 07:26:49 | Weblog
街中、都心の住宅地、北へと、歩いていくと、ほどなくして、椙森神社。
周囲、市街化されたからなのか、それほど、大きな神社ではない。
街中に埋もれ、ひっそりとした感。
ただ、歴史のある、古い神社、ではある。
創建は、まったく、わからないが、おそらく、鎌倉時代、だろうか。
すぐ近く、北側を、北東方向に、鎌倉街道が、通っていたからだ。
あるいは、もう少し、古いかも、しれないものの、今となっては、わからない。
名前の謂れだが、杉の森が、あったから、ということ。
でも、そうなら、この近くには、竹森神社、さらに、秋葉原近くには、柳森神社、というのがあるが、それぞれ、竹の森があったから、柳の森があったから、ということなのだろうか。
あるいは、杉が繁茂している場所には、必ず、杉森神社が、多く、あるのだろうか。
そう考えると、「杉森」、というのは、別の言葉の、当て字、と考えた方がいい。
おそらく、「すぎ」は、見当がつかないけど、「もり」は、「守(もり)」、なのだろう。
もっとも、それ以上は、わからないけど。
街中を、今度は、東へと、歩いてみる。
(2012年3月記)

日比谷線人形町駅(日本橋堀留町一丁目 堀留児童公園)

2012-11-23 07:10:04 | Weblog
細い道を、歩いていくと、ぽっかりとした、開けた、場所。
公園なのだが、中央、並木が、二列に並んでいて、不思議な、感じ。
しかも、敷地が、妙に、細長いのだ。
これは、東留川、という川を、埋め立てた跡、公園に、したからだろう。
もっとも、並木が、二列、というのは、わからないけど。
ところで、東留川、はるか昔、石神井川の、河口だったらしい。
石神井川、といえば、王子、飛鳥山の、北側を、東側へ、まっすぐ、流れ、そのまま、隅田川に、合流しているわけだが。
ただ、かつては、どうやら、飛鳥山の手前で、南に、向きを変え、そのまま、南流し、東京湾に、流れ込んでいたらしい。
その、河口、流路跡が、東留川、となった、ということだ。
いつ、どのようにして、石神井川、流れの向きが、変わったのかは、わからない。
堀留児童公園を離れ、街中、北へ、向かう。
(2012年3月記)

日比谷線人形町駅(日本橋人形町一丁目 大観音寺)

2012-11-22 20:29:33 | Weblog
甘酒、売っていなくても、甘酒横丁、なんとなく、甘酒が、似合うような気がする。
派手な、店構えは、なく、落ち着いていて、でも、高級、というよりも、庶民的。
そんな、雰囲気だからだ。
巣鴨、地蔵通りを、穏やかにした、感じかな。
時間があれば、もっと、ゆっくり、したいところだけど。
そのまま、南西へ、歩いていくと、北西に伸びる、人形町通り。
人形町通り商店街でもある。
この通りは、水天宮と、結ばれているので、こちらも、賑やか。
老舗、有名店も、多い。
水天宮、人形町通り商店街、甘酒横丁、明治座、併せて、歴史的な、テーマパーク、なのかも。
人形町通りを、北西へ。
すぐに、通りの、西側に、大観音寺がある。
一見すると、歴史がありそうだが、創建は、明治時代の初め頃。
水天宮と、同じだ。
ただ、祀られている、観音像は、もともと、鎌倉に、鎌倉時代から、あったらしい。
歴史的テーマパークの、一翼を、担っているのだろう。
南西側、街中、細い道に、入っていく。
(2012年3月記)

日比谷線人形町駅(日本橋人形町二丁目 甘酒横丁)

2012-11-21 03:35:42 | Weblog
大門通りを、北西へ。
通りの名前は、この先、旧吉原が、あったことに、因むらしい。
入口に、大きな門があり、その、門に、通じていたのだろう。
江戸時代の、初め頃のことだ。
しばらくして、旧吉原は、浅草の、北側、今の、吉原へと、移転している。
江戸の街が、一段、拡大したことにより、再整備、されての、移転かな。
そして、旧吉原が、なくなった跡地、商家が、並び立ち、引き続き、賑やかだったらしい。
むしろ、今の方が、裏路地みたいで、静かだ。
さらに、歩いていくと、南西へと、伸びる、甘酒横丁。
こちらは、今でも、賑やかだな。
明治時代に、有名な、甘酒の、店が、あったので、甘酒横丁、という名前らしい。
その店、もう、残ってはいないのだけど。
ところで、なぜ、甘酒横丁、今に至るも、これほど、賑やかなのだろう。
おそらく、人形町駅と、明治座を、結んでいて、それで、今も、往来が、途切れないから、かな。
往来が、途切れなければ、甘酒屋は、なくなったとしても、他の、老舗は、残る。
昔ながらの、老舗が、残れば、歴史的な、テーマパークに、なるのだ。
実際、どうだか、わからないけど。
甘酒横丁に、入ってみる。
(2012年3月記)