retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

品川駅東口・港南(ワールドシティタワー アクアタワー)

2006-11-30 21:30:11 | Weblog
東へ歩く。海岸通り方面へ出て南へ。
天王洲アイルの手前にワールドシティタワーのアクアタワー。
3棟の高層住宅棟からなるが1棟だけはもう完成している。
捨てられていた土地をよく蘇らせたものだと感心してしまう。
海に面していて南欧風のイメージ。都心にありながらまさに高層リゾートマンションの趣だ。
ただ難をいえば、品川駅からは遠いということだ。天王洲アイル(東京モノレール、臨海線の駅がある)は意外に近いけど。
田町駅、品川駅の東側にこれだけ多くの巨大な高層住宅が建ったのだから無料巡回バスでもあれば便利なのだが。
(2006年7月記)

品川駅東口(品川インターシティーB棟、C棟)

2006-11-29 21:30:31 | Weblog
品川駅東口の南側に向う。
狭い空間に高層ビルが密集している。北側とは対照的だ。
南北に連なるビルが2列、西側は品川グランドコモンズ、東側は品川インターシティーであるが、ビル群としては一体化している。
このビル群、まずは東側の品川インターシティーが登場した。
ちょうど品川駅に東口、西口を結ぶ橋上駅舎ができたのと同じ頃かな(1998年11月)。
ビルは北からA棟、B棟、C棟と3棟が並ぶが、このうちB棟、C棟がツインビルのようになっている。
そしてその南側に東西に延びる大通りがあり、ビル群はここまでということだ。
テーマパークのように閉じた空間であり、広がりは今のところ持たない。
ちなみにこの大通りより南側が品川区で品川駅およびこのビル群は港区になる。
(2006年7月記)

品川駅東口(NTT DATA品川ビル(アレア品川))

2006-11-28 21:29:56 | Weblog
白鬚橋を渡り、対岸へ。
南千住を目指す。JRの南千住駅へ。
常磐線で上野駅、山手線に乗り換える。
品川駅で下車。
東口へ出ると駅前北側にNTT DATA品川ビル(アレア品川)。
北側にある下水処理施設までの範囲にビル群が形成されている。その中の一つだ。
かつては工場や倉庫があったのだが、気付いてみるといつのまにかオフィス街が出現している。
そういえば、東口、西口を結ぶ橋上駅舎ができたのも最近のことだ(1998年)。
ちょっと前までは、そもそも品川駅で降りる客のうち東口へ向うということはほとんどなかったのではないだろうか。
しかし今や西口の高層ホテル棟を取り込んで、大きな新都市が誕生している感じがする。
(2006年7月記)

東向島(リバーサイド隅田)

2006-11-27 21:22:24 | Weblog
高田馬場から東西線、九段下から半蔵門線、東武伊勢崎線と乗り継ぎ、東向島で下車。
浴衣すがたが多いと思ったら隅田川の花火の日らしい。
明治通りを東へ。
隅田川の東岸にリバーサイド隅田が聳える。
まわりに高い建物がないので遠くからでもよく目立つ。
どこからでもこのビルが見えるということは、このビルからの見晴らしもいいということだ。この日の隅田川花火大会でも特等席ではないだろうか。
しかしいったいいつから、隅田川は悪臭を放つ公害の巨大などぶ川から、水辺を楽しめ、リバーサイドの生活がそれなりのステイタスになるような河川になったのだろう。
水質をきれいにし、そして何よりも河川の両側を広範囲にスーパー堤防にし、そこを公園にすることで今の隅田川は成り立ったと思う。
江戸情緒に思いを馳せ、川風を楽しみ、そして時には屋形船で川遊びをする、まさにアーバンリゾートだ。
でも、川岸は下町の領域ではなかったか。たしかに洪水の危険は去ったのだろうけど。
広々とした公園を見るとそこから消滅した下町の痕跡はない。
さぞこの日の花火も美しいだろう。その感動を抱いて皆、家路につく。そして誰もいなくなった河辺と、高層住宅の窓の明かりだけが残る。
(2006年7月記)

六本木三丁目(六本木ティーキューブ)

2006-11-26 11:25:31 | Weblog
さらに東へと歩いていく。
六本木通りは都道415号線及び首都高速の高架が南へ分岐するがその南西側に六本木ティーキューブが聳える。アークヒルズのビル群の最西端というところか。
岬のように突き出たこの台地の北側の斜面に高層ビルは増殖を続け今ではいたるところビルだらけである。
もともとこの場所はIBMや森ビルなどが集まってビル群をなしていたが、今ではすっかり飲み込まれてしまったようだ。
もっともさしもの増殖も現在は休止状態となっている。
他の高層ビルとしては南側に日本IBM六本木ビル、都道415号線を挟んで六本木25森ビルがある。
(2006年7月記)

赤坂一丁目・アークヒルズ(全日空ホテル)

2006-11-25 11:45:32 | Weblog
南側へ坂を登っていく。
六本木通りに面している全日空ホテルの裏側に出る。
人影もほとんどないテラスはわびしいかぎりだ。
たれこめる厚い雲の下、椅子やテーブルだけが並べられている。
バブル景気が始まる直前、数字上は豊かだが、生活は少しも豊かではない日本の東京、その中でもとりわけ陰気な谷筋に面したこの斜面に、高層オフィスビル、高層ホテル、住宅とセットになった、都市再開発が完成する。
あなたの経済力に相応しいもの、目指してきたもの、1000年王国の姿こそが今ここに出現しました、ということだったはずだが。
でも、この台地の坂道を登る足取りのなんとも重々しいことか。
あいかわらず寂しい雰囲気のテラスを見るとそう感じてしまう。
(2006年7月記)

赤坂一丁目(赤坂インターシティ)

2006-11-24 21:54:12 | Weblog
湯島で千代田線。国会議事堂前で降りる。他の地下鉄だと、溜池山王になる。
改札を出て長い地下道を南へ歩くと、六本木通りの南側に出る。
東側、虎ノ門方面への坂を登るとすぐに赤坂インターシティが聳える。
すぐ近くにアメリカ大使館があり、警察官が常に見張りに立っていてものものしい雰囲気。
溜池、虎ノ門、霞ヶ関方面へ突き出た台地の突端部にアメリカ大使館はあるのだが。
しかし、この岬のように突き出た台地にかくも高層ビルが建ち並ぶとは。
日本の中枢部に睨みを効かせるには絶好の場所にアメリカ大使館は位置しているわけだが、まわりにこんなにビルが建ち並ぶとは思いもよらなかったのではないだろうか。
(2006年7月記)

上野・池之端(ルネッサンスタワー上野池之端)

2006-11-23 11:55:42 | Weblog
豊洲駅に戻り、有楽町線へ、有楽町駅で千代田線に乗り換える。
千代田線側の駅は日比谷駅になる。湯島で下車。
不忍池の西岸を北へ。
ルネッサンスタワー上野池之端。
不忍池の西岸は上野では例外的にちょっとしたビルや施設が並ぶ。
本郷の山の手の斜面になっているからだろうか。
現在、石神井川は王子でそのまま東へ流れているがかつては、南へ向きを変え、不忍池まで流れていたらしい。
そのため王子から不忍池西岸まで南北に谷筋が刻まれている。
したがって本郷の山の手の斜面も南北に広がる。
とすると実は東大もその斜面の施設といえるかもしれない(東大の高層ビルについてはこちら)。
その他の高層ビルとしてはソフィテル東京がある。
(2006年7月記)

豊洲(豊洲センタービルアネックス)

2006-11-22 21:14:47 | Weblog
月島駅から有楽町線で豊洲へ。
豊洲センタービルの隣に豊洲センタービルアネックスが新しくできている。
豊洲再開発の2番目のビルである(1番目は豊洲IHIビル)。
このビル以降、高層ビルは、たぶんすべて高層住宅になると思う。
豊洲は、昭和初期、埋立地として誕生し、昭和の工業生産を支える工場地帯となり、そしていま、住宅地として再生しようとしている。
高度成長期以後の安定成長期に続々と生まれたニュータウンと似ているが、決定的に違うのは田園都市ではない、ということだ。
完全な人工都市なのだろう。
森を切り拓いていくニュータウン建設には、果てしもない未来を予感させたものだ。
豊洲の高層住宅による新しい人工都市は、そもそも未来都市そのもの、という気がして、その先の未来は思い浮かばない。
だが、ありもしない未来の追求よりも豊洲の人工都市の方がよほど現実的で平和的な気がする。
(2006年7月記)

月島(ムーンアイランドタワー)

2006-11-21 23:34:02 | Weblog
月島駅に戻る。
交差点の南側にムーンアイランドタワー。
いまのところ大川端リバーシティを除けば月島で最高峰のビル。
月島は佃島の南を明治時代以降、埋め立てて出来上がった埋立て地だ。
したがって残された歴史は明治から昭和しかない。
佃とは違い、テーマパークのテーマが昭和になるのは当然のことだろう。
過ぎ去った時代はある意味で誰にも触れられぬ、まるで美術館の収蔵品のようなものだ。
昭和のレトロが残されている限り、もんじゃストリートは観光客を集め続けていられるのかな。
(2006年7月記)