retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

みなとみらい線みなとみらい駅(みなとみらいODKビル工事現場)

2008-03-31 06:24:06 | Weblog
いつものように桜木町駅前の広場から陸橋になっている動く歩道でランドマークタワーへ。
ランドマークタワーの中を北側に進み、クイーンズスクエア横浜の北西側へ出る。
クイーンズスクエア横浜の北西側には、クイーンズスクエア横浜に沿うようにけやき大通りが伸びている。
そのけやき大通りのさらに北西側にみなとみらいODKビルの工事現場がある。
広大な埋立地の一区画で工事をやっているだけなので、特に感慨もないんだけど。
ただ、みなとみらい線のみなとみらい駅にはかなり近い。
この近さだと、たぶん、ビル内と駅構内は直結するんじゃないかな。
このように、最近は、みなとみらいでは、高層オフィスビルが新たに建ち始めている。
桜木町駅前の高層ビルもその流れだろうか。
以前、横浜には、高層ビルなんてほとんどなかったのだが、バブルの頃、みなとみらいの湾岸再開発地に、えらい勢いで高層ビルが建ちまくった。
その後、バブルが崩壊して失われた10年、すっかり勢いがなくなってしまっていた。
そう思っていたら、今度はまた、えらい勢いで高層住宅がぼこぼこと建ち始める。
そして、最近は、バブルの頃ほど大規模ではないが、また高層オフィスビルが建ち始めているのだ。
都心部では、集積化、ということで、巨大な高層ビルが建っている。同時に都心部の集積化は、広範囲の高層ビルの建たない高級な山の手住宅地を必要とするのかもしれない。
とすると、溢れた高層ビルは、かつてのバブルの湾岸再開発地に流れ込んでいく、ということになるのかな。
本当は、どうだかわからないけど。
はっきりしているのは、また、あちこちに高層オフィスビル建設の工事が始まっている、ということだが。
(2007年10月記)

京浜東北線桜木町駅東口(MM21-28街区計画)

2008-03-30 03:22:36 | Weblog
またぶらぶら歩いて、桜木町へ向かおうと思ったが、日没が近いのでやめて、関内駅へ向かう。
関内駅から京浜東北線で桜木町駅へ。
次の駅なのですぐに着く。
桜木町駅の西側へ。
ずっと前から原っぱのような更地が広がっていた。
だが、最近になって、広すぎる駅前だなあ、と思ったら、ただの更地だった、という中途半端な状況から、ようやく脱却しそうだ。
その更地でMM21-28街区計画の工事が始まったのだ。
この場所には、みなとみらいに高層ビルが建ちはじめたバブルの頃からずっと更地があったような気がする。
高層ビルでも建つのかと、ずっと思っていたが、結局、そのまま。
ならば、駅前広場かと思えばそうでもない。
ずるずると年月が過ぎ、みなとみらいにも高層ビルがだいぶ完成した。
そして、横浜、桜木町駅間に乗り入れていた東急東横線が廃止してしまう。
みなとみらい線が開通し、そちらにシフトしているようにも見える。
桜木町駅が取り残された、という程ではないけど。
そんな中、ようやく、高層ビルが着工、ということになったようだ。
だが、逆に、これで、桜木町駅もみなとみらいの中に取り込まれてしまう、ということなのかもしれない。
もっとも、取り込まれたとしても、特に思い入れもないんだけど。
ただ、高層ビルが完成すれば、桜木町駅から直接、ペデストリアンデッキでみなとみらいに行けるようになる、ということは期待してしまうが。
でも、東急東横線に乗っていれば、みなとみらい駅に行けるのだったなあ。
そういうわけで、遅ればせながら再開発が始まったのかな。
(2007年10月記)

京浜東北線関内駅東口(JNビル)

2008-03-29 02:27:00 | Weblog
鶴ヶ峰駅に戻り、再び相鉄線に乗る。
横浜駅へ。なんか効率が悪いなあ。
なんで、いちいち横浜駅を経由しなければならないのだ。
そのために環状線が計画されているのだろうけど。
京浜東北線に乗り、桜木町駅で降りる。
東側に出て、南へ歩く。
大岡川を渡る。
相変わらず高層ビルと海に間近の河口とが作り出すダイナミックな景色に圧倒される。
大岡川の南側は一転して落ち着いた街並み。
そのような街中を南へと歩いていく。
馬車道を過ぎ、さらに南へ。
関内大通り沿いにJNビルがある。
関内大通沿い、ということは、関内駅から来た方が近かったわけだが。
実は、以前、桜木町からぶらぶらこの界隈まで歩いてきて、偶然、このJNビルの工事現場を見つけたのだ。
だから、関内駅からは、近いとはいえ、どうやっていくのかは、ちょっと不安があった。ということで、前回と同じ、桜木町から歩いてきたというわけだ。
それに歴史のある落ち着いた街並みの中を歩きたかったし。
横浜の中でも最も古いということは、近代日本の発祥の地、ということかな。
そのころは、あの馬車道を本当に馬車が関内へと走っていたことだろう。
今でも、近代化を目指していた明治の息吹が感じられる。
そのような街なので、これから、この界隈が再開発されることもないだろう。
それに、道路が整備されているのに、ほとんどクルマも通らないし。
平日は、わからないけど。
それなら、いっそのこと、街全域を横浜歴史テーマパークにすればいいかもしれない。
もっとも、事実上、そうなっているようなものかな。
(2007年10月記)

相鉄線鶴ヶ峰駅南口(クリオレジダンスタワー横濱鶴ヶ峰)

2008-03-28 06:21:02 | Weblog
東戸塚駅に戻り、横須賀線で横浜駅へ。
相鉄線に乗り換える。
横浜駅は、最近、ずっと工事中なのだが、やっと徐々に完成しているようだ。
相鉄線への通路もきれいになっていた。それにしても、なんであんなに歩くのだ。
横浜駅に対して土地勘がないから、本当は、もっとスムーズに行けるのかもしれないけど。
ただ、実際、相鉄線のホーム自体が、JRの横浜駅の南西のはじにくっつくように設置されているので、やはり、JRのホームからは歩かなければならないのかもしれない。
ようやく相鉄線に乗り込む。
いまだに駅や車両にローカル線の雰囲気が残っている。
高度成長期以前は、本当に厚木から横浜に伸びてきたローカル線だったのだが。
バブル期以降は、いつの間にか大手私鉄になってしまった。
ついでに湘南方面まで延伸するはずだったが、さすがに頓挫している。
代わりに西谷駅から新横浜を経て、東急東横線に乗り入れて、都心へ直結する神奈川東部方面線の開通を目指している。
まさに都心集積化の波に乗っているようだ。
その西谷駅の次の駅、鶴ヶ峰駅で降りる。
駅南口へ。ほとんど駅ビル、といっていいクリオレジダンスタワー横濱鶴ヶ峰がある。
最近の竣工だ。そして、典型的な駅前高層住宅だろう。
まわりは、いまだに、郊外の小駅の雰囲気だ。
高層住宅もいいけど、駅西側の踏切は、なんとかならないのだろうか。
もっとも、そんなことよりも、相鉄線で横浜にも行けるし、神奈川東部方面線が開通すれば、新横浜や都心へも直結する、ということの方が重要なのかもしれない。
まわりも、田舎っぽい感じで環境もよさそうだし。
これで、駅前の高層住宅がまた一棟加わった、というわけかな。
(2007年10月記)

横須賀線東戸塚駅西口(BELISTA(ベリスタ)タワー東戸塚工事中)

2008-03-27 06:22:43 | Weblog
高田馬場から山手線で品川駅へ。
横須賀線に乗り換える。
ひさしぶりの横浜方面だ。
列車は、多摩川を渡り、高層住宅建設の工事があちこちで行われている武蔵小杉を過ぎる。まだ武蔵小杉には、横須賀線の駅はないので、本当に過ぎていくだけなのだが。
さらに、川崎、横浜、と過ぎていく。
横浜まで30分弱か。まさに手頃な観光地だ。
横浜を出て、2つ目の駅、東戸塚駅で降りる。
東戸塚は、さらにひさしぶりなのだが、別に変化があるわけじゃないし。
逆に、コンクリートとアスファルトの人口地盤だらけな風景に慣れてしまい、驚かなくなってしまった。
東口は、高層住宅が林立していて、特異な景観なのだが、今回は反対側の西口へ。
西口にも、すでに高層のオフィスビル、東戸塚教育センターが建っている。
このようにすでに高層ビルだらけなのだが、東戸塚駅には、さらに新たな高層住宅が生まれようとしている。
駅西口に出て、すぐ南側に工事現場があるが、そこに高層住宅が建つようだ。
BELISTA(ベリスタ)タワー東戸塚という高層住宅らしい。
駅の直近で駅ビル、といっていいぐらいの場所だ。
最近の駅前の高層ビル、ということだろう。
ということは、東戸塚駅周辺には、バブルの頃の広範囲の再開発と最近の集積化された再開発の両方が混在する、ということになりそうだ。
そして、BELISTA(ベリスタ)タワー東戸塚が完成してしまうと、他の高層ビルは無駄で作る必要はなかったんだ、という雰囲気になるんだろうなあ。
駅の高層住宅と山の手住宅地と公園とショッピングセンターがあれば、それでいい、という風に。
でも、自分は、この駅前の高層住宅よりも東口の団地のような高層ビル群、まるで昔のSFを思わせるような、巨大な人口地盤の方が好きだけど。
(2007年10月記)

山手線田町駅西口(三田三丁目計画)

2008-03-26 06:21:41 | Weblog
再び、札の辻橋を渡って、田町駅の西側に出る。
やはりとても重苦しい空気が漂う。
大通りの第一京浜を南へ歩く。
巨大な臙脂色の住友不動産三田ツインビル西館があり、その南側にイトヤマタワー、さらに郵便局を挟んで南側に三田三丁目計画の工事現場がある。
ここらへんは、江戸時代、東海道だったようだ。
西側は丘陵地。その崖下に東海道。そして、東側は海岸だったのだろう。
もし、芝浦が埋立てられていなかったら、とても風光明媚な場所になっていたろうに。
この第一京浜沿いも、今はオフィスビルが建ち並んでいるが、東側が海岸だったら、リゾートホテルが、建ち並んでいたかもしれない。
もっとも、西側の丘陵地は、埋立てがあろうがなかろうが、山の手の住宅地だろうな。
このように崖と海岸に挟まれた狭矮な場所は、よく関所などが設けられたりする。
実際、南へ少し歩いたところに江戸時代の高輪大木戸があり、今も残っている石垣を見ることができる。
だが、江戸時代より前は、西側の丘陵地の方に鎌倉街道、下の道が通っていた。
また、尾根道のことを高縄手、といい、そこから、高輪の地名ができたらしいのだが、とすれば、鎌倉街道、下の道が、高輪の語源、ということになるのかな。
つまり、江戸の街がなかったころは、崖下の海岸に街道を作る、なんて危険なことはしなかった、ということだろう。
江戸の街ができて、その守りを固めるために、高台の街道を崖下の海岸沿いに移したのだ。そしてさらにそこに関を設けたのだ。
これで、江戸の街の守りは、磐石なものとなった。だが、おかげで、何百年も経った今では、陰気なビル街ができてしまった。
もっとも、オフィスビル街として土地を有効利用しているともいえるのだが。
(2007年10月記)

山手線田町駅東口(CapitalMarkTower)

2008-03-25 06:21:54 | Weblog
札の辻橋の袂に戻り、東側へ歩く。
藻塩橋で新芝運河を渡り、南へ。
またすぐに百代橋で運河を渡ることになる。
運河が張り巡らされているのだ。
南へと歩いて行くと、すぐにCapitalMarkTowerがある(工事中はこちら)。
元は沖電気の工場があったのだが、巨大な高層住宅になっている。
もはや京浜工業地帯の面影はないなあ。
唯一、あるとすれば、縦横に伸びているこの運河だろうか。
ただの埋立地なら運河はいらなかっただろう。
やはり物資の移送ということで運河が設けられたんだろうな。
ただ、いまでは、親水公園として整備されているようだ。
もはや、運河は、物資の移送ではなく、水辺環境を演出しているにすぎない。
風景としてのみ水の都、というわけだ。
だからだろうか、柳川や倉敷のような日本の水郷、という感じはしない。
本当に街の中で運河が機能しているわけではないからだろう。
水辺を散歩するだけのために運河があるとすると、水郷、というわけにはいかないはずだ。
実際、まわりを見渡すとやはり、コンクリートとアスファルトでできた街並み、そこに伸びる側溝のような水路、という風にしか見えない。
でも、何十年も経って、建物もすっかり古び、木々が生い茂り、本当に水郷のようになったとしたら、どうだろうか。
たぶん、今よりもずっと海が近くにあることを感じさせてくれるだろう。
小舟で巡ったりすることもできるかな。
そして、この縦横に走る運河を埋立てずに残しておいてくれたことを感謝するに違いない。
もっとも、自分がそんな光景を見ることは、もうないだろうけど。
(2007年10月記)

山手線田町駅東口(警視庁有家族待機田町住宅)

2008-03-24 06:24:38 | Weblog
さっき通ってきた通りの北側に大通りがあって、品川駅前に通じているのだが、ビルしかなくて、閑散としていて、なんとなく通りづらい。
いままででも数回しか歩いていないんじゃないかな。
今回もやはり、駅前から一直線に伸びている細い道を通る。
ただ、いずれは、このような取り残された一帯も様変わりするのだろうけど。
品川駅へ。
周辺の街並みが変わると駅も変わるものらしいのだが、品川駅はその最たるものだろう。なんか駅構内がデパートみたいになってしまった。
品川駅から山手線で次の駅、田町駅へ。
西口に出る。
第一京浜の大通りを南へ。
西側一帯は、高輪、白金の山の手、丘陵地になっているので、その影になり、相変わらずいつ来てみても暗い印象がある。
田町駅の南側まで来て、札の辻橋という陸橋で山手線を越え、田町駅の東側に出る。
最初っから東口に出ればいいようだが、なんとなく遠回りのような気がする。
駅の東側は、西側のような崖下ではなく、海を埋立てた土地なので、明るく開けた感じだ。
札の辻橋の袂から南へ。
通りの西側にすぐに特徴のある臙脂色の住友不動産三田ツインビル東館がある。
もう一方の西館は、西口の陰鬱な場所に建っているのだが。
こんなに離れていて、高さも違うのにツインビルにしたのは、でかいほうの高層ビルが陰気な場所に建っているからだろうか。
住友不動産三田ツインビル東館の南側には警察署があり、さらにその南側に警視庁有家族待機田町住宅がある(工事中はこちら)。
警察署も西側にあったような気がするけど、いつの間にか東側に移ってきている。
そして、高層住宅になっているのだ。
警察も時代の流れの中にある、ということかな。
(2007年10月記)

山手線品川駅東口(品川グラスレジデンス)

2008-03-23 04:00:30 | Weblog
再び大崎駅へ。山手線に乗る。
次の品川駅で降りる。
東口に出て、そのまままっすぐ東に歩いていく。
居酒屋さんなども数軒あって、昔の京浜工業地帯の下町の雰囲気がほんの少しだけ残っている。
昔はもっと残っていたような気がするなあ。
と、いう風に考えながら歩いていると、そういえば、品川駅にはメインストリートがない、と気が付いた。
旧海岸通りなどは海岸沿いに南北に通っているので、駅からまっすぐ、そのような通りに伸びるメインストリートがあってもよさそうなのだが。
駅東口に立つと、左右、つまり線路に沿って、という感じでは、ビル群が広がっているが、正面には何もない。
でも、遠い将来はできるかもしれないな。
幅広の通りだが、実はくねくねした石畳の道路。
両脇には並木が植えられているだけではなく、地面にも低木樹や花が植えられている。
さらに、お店が軒を連ね、ただ歩いているだけでも楽しくなる、そんな通りになっているといいのだけど。
メインストリートは、旧海岸通りで終わりだが、そこからは、エスカレーター付きの陸橋があって、反対側には横断歩道を渡らなくても行けるのだ。
そして、高浜運河を渡れば、高層住宅群を擁した緑の多い居住区がある。
なんてことは、実現しないだろうなあ。
せっかく、ぼこぼこと高層住宅が建ったのだから、そこまでしてほしいものだが。
そんなことを考えているうちに、旧海岸通りへ出る。
北に歩いて行くと、東側に品川グラスレジデンスがある。
北側には、品川クリスタルスクエアもある。
新しく竣工した高層オフィスビルだ。
品川駅東口の一連の高層ビル建設も、今のところ、このビルが最後かな。
(2007年10月記)

山手線大崎駅南口(シンクパークタワー)

2008-03-22 06:23:48 | Weblog
大崎駅に戻り、橋上にある駅舎内の通路を通って、南口に出る。
大崎駅の南側もかなりの変わりようだ。
階段を降りると、通りの向こう側に地階が飲食店街になっているビルとその南にラーメン屋さんがある。
この一帯だけは、ずっと変わらないなあ。
このラーメン屋さんには一回だけ入ったことがある。
特に理由があったわけでもないし、ごく普通のラーメン屋なのだが。
そして、そのラーメン屋さんの南側が大変貌した一帯だ。
ちょっと前まで、明電舎の広大な工場の敷地が広がっていたのだ。
かつては、延々と続く塀に囲われていたっけ。
今では、そのような光景はすっかりなくなっている。
かわりに巨大なオフィスビル、シンクパークタワーが建っている(工事中はこちら)。
このときは、オープン直前だったけど。
すでに、大崎駅からはペデストリアンデッキがシンクパークタワーまで伸びている。
このようにすっかり整備されてきれいになった一帯とこの目の前に聳え立つビルを眺めていると、もう、昔を振り返ることもできないだろうな。
未来へとりあえず突き進んでいくしかない。
南西側では、すでに、高層住宅の工事が始まっている。
そして、南側には、ソニーの工場があり、もうすぐに再開発の工事が始まるだろう。
また、さらにもう一棟の高層ビルが予定されているらしい。
今のところ、そこまでだ。
その後は、また静かに時間が流れ出すのだろうか。
あのラーメン屋さんは、変わらずにいるのだろうか。
でも、客層がすっかり変わってしまうんだろうな。
もはや、昔日のこの場所の記憶が取り戻せないままに、大崎駅に向かう。
(2007年10月記)