retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

銀座線日本橋駅(日本橋三井タワー)

2008-02-29 06:22:01 | Weblog
東京駅の西口に戻り、山手線に沿って、大通りを北へ歩く。
永代通りに出て、東へ進む。JRの線路をくぐり、さらに東へ。
日本橋交差点を北へ曲る。
少し歩くと、有名な日本橋である。
またさらに北へ歩く。
通りの西側に三越百貨店があって、その北側に日本橋三井タワーがある。
竣工したのは、数年前、最近のことだ。
まわりは、創業が江戸時代ぐらいの老舗ばかり、敷居の高そうな雰囲気。
また、三越百貨店や日本銀行もあったりする。
格式の高さと歴史の重さをも感じさせられる。
江戸の街テーマパークや明治近代化テーマパークにでもなりそうだが、現代でも機能してるので、テーマパーク、というわけでもない。
一度、興味本位で西側の日本銀行の南にある貨幣博物館というのを覗いたことがある。
まわりの建物自体がすでに博物館みたいなものなので、普通の博物館とは違うように思えた。
展示品は、普通なんだろうけど、なんだか、金持ちに持っている金を自慢されているような感じ。
こんな場所には、長居は無用だな。
はっきりしているのは、日本橋三井タワーが建っていなければ、こんなところへ来ることはない、ということだ。
早々に退散しよう。
もときた方へ。南へ歩いていく。
こちらには、江戸の街の中心、日本橋がある。
しかし、宙には首都高速道路都心環状線の高架が架かっている。
高度成長時代の初めに完成し、日本の経済成長を支えてきた高速道路だ。
この宙をうねるように伸びる首都高の高架が作り出す奇観は、SF映画などにも登場している。
もっとも、その未来的な景観も時代に取り残され、未来へは行けず、そのまま古びてしまった。
すっかりレトロになってしまった昭和の遺跡。
だが、この高速道路の高架をくぐると、やっと人心地がつくのだ。
(2007年9月記)

山手線東京駅西口(新丸の内ビル)

2008-02-28 06:23:31 | Weblog
新橋駅に戻り、山手線に乗る。東京駅で降りる。
西口へ。
まさに正面に門柱のように建っている丸の内ビルと新丸の内ビルがある。
新丸の内ビルの方は、ごく最近、竣工している。
このようにして、どんどんと低層のオフィスビルは、高層のオフィスビルへと建て変わっていく。
どこまで建て変われば、終了するのか、よくわからないのだが。
ところで、高層ビルが増えてくると、やはりペデストリアンデッキがあってもいいかな、と思ってしまう。
大通りを信号で渡るよりも、空中に架かる回廊を歩いた方が、気分もいいに違いない。
だけど、たぶん、地下街が四通八達しているので、ペデストリアンデッキができることはないだろう。
また、それに東京駅自体が橋上駅舎ではないし、景観も悪くなるし。
それなら、東京駅西口に限って、地下街を車道にし、そして、地下街の店舗を地上に移し、さらに、地上の道路は、幅広な歩道にしたら、いいかもしれない。
駐車場も地下にあるわけだから、クルマにとっても便利になる。
植樹を多くすれば、ビルの谷間、というよりも、森の中、という雰囲気がするだろう。
あるいは、森の中にビルが建っているように見える。
街歩きも楽しくなるに違いない。
オフィスビルで働く場合でも、少しは癒されるかもしれない。
ちょっと考え方がユートピアすぎるだろうか。
別の考えがよぎる。
このまま新規にビルが建ち続け、結局、最後まで完成したら、もうネタ切れとなってしまう。
ネタが切れれば、もう用済みになり、忘れ去られ、ついには廃墟になり、遺跡になってしまうのだ。
そして、ちょっと時間が経って、その遺跡を解体して、また何かを建てはじめる。
ひょっとしたら、そんなところかもしれない。
(2007年9月記)

京浜東北線新橋駅東口(日本テレビタワー)

2008-02-27 06:23:20 | Weblog
川崎駅から京浜東北線で新橋駅へ。
東口に出る。
第一京浜を渡り、ゆりかもめの駅舎の下を歩いて少し東に歩くと、日本テレビタワーがある。
汐留シオサイトの代表的な高層ビルの一つだ。
麹町の一等地から使われなくなった貨物列車の車庫の跡地に移転してくるとなれば、やはりこのような巨大なビルということになるのだろうか。
この巨大なテレビ局の建物を見上げていると、テレビばかり見ていた昔の頃を思い出すなあ。
それも、見ていた番組を調べてみると、日本テレビが多いのだ。
傷だらけの天使、俺たちの旅、探偵物語。アニメでは、ルパン三世。
みんな日本テレビだ。
懐かしいけど、今、見直している暇はない。あるいは、今、見たら幻滅するかもしれない。
今から振り返ってみると、あの頃、これらのテレビ作品から受けていた感覚は、おそらく、すでにできあがった、揺るぎない世界、安定した街並み、確固とした社会が、無限に広がっている、といったものだったような気がする。
そのような不動の社会の中で、主人公たちが、とまどい、悩み、そして、時にうまく立ち回り、出し抜き、あるいは、失敗したり、成功したりする。
例えば、探偵物語を見ていたときのことだ。
あの倉庫のような探偵事務所のまわりに広がるであろう街並みの無限の大きさに陶然としてしまったことがある。
でも、このテレビの作り出した揺るぎない世界こそは、なんのことはない、山の手の一等地、麹町の揺るぎなさに他ならなかったのかもしれない。
そして、バブルが崩壊し、なりふりかまわず、その姿を現したのだ。
その姿こそが、この怪物のような巨大な建築物なのだろうか。
そんなことを考えていると、とても物悲しい気持ちになる。
なぜなら、今でもテレビを見ていたその当時がたまらなく懐かしいからだ。
(2007年9月記)

京浜東北線川崎駅西口(ブリリアタワー川崎工事現場)

2008-02-26 06:25:27 | Weblog
ラゾーナ川崎の西側を南北に伸びる通りを南へ。
西口通りを越えると、東側にミューザ川崎、西側に高層住宅(アーベインビオ川崎3号棟イクス川崎 ザ・タワー)を含む集合住宅群がある。
その西側の高層住宅群の南側にブリリアタワー川崎の工事現場がある。
もう東海道線や京浜東北線の線路の近くである。
他にも更地が広がっているようだが、特に計画はないようなので、この集合住宅群の中では、ブリリアタワー川崎が最後の高層住宅になるだろう。
たしか、陸橋がミューザ川崎セントラルタワーに伸びていたので、ミューザ川崎セントラルタワーが川崎駅とは、ペデストリアンデッキで結ばれているとすると、この高層住宅群も川崎駅と直結している、ということになる。
本当は、どうなっているのかわからないが。
とすると、ここもラゾーナ川崎と同じで川崎駅と一体、ということになる。
ますます、集積化が進んで便利になる。
便利になるのはいいのだが、線路際なので何も遮るものがない。暑くてたまらない。
さっそく、北へ歩く。高層ビルが建ち並ぶので、一応、日影になる。
さらに、エスカレーターでミューズ川崎へ。
人工的な空間は、外界から遮断されるので、こんなときはいい。
これも集積化の賜物にちがいない。
そのまま、ミューザ川崎を通り抜け、川崎駅へのペデストリアンデッキへ。
川崎駅へ向かう。
なるほど、こうしてみると、ほとんどのことが、人工的な空間の中で済んでしまうのだな。
でも、なんだかこれでは、外に出る気がなくなってしまう。
それよりも、このゲーテッド・コミュニティみたいな環境で価値観が変わってしまうかもしれない。
(2007年9月記)

京浜東北線川崎駅西口(クレッセント川崎タワー工事現場)

2008-02-25 06:24:13 | Weblog
高田馬場から山手線。品川駅で京浜東北線。
川崎駅で降りる。
西口に出る。
そのまま、人波に押されるようにして、進んでいくと、いつの間にかラゾーナ川崎に入ってしまう。
それにしても、えらい賑わいようだ。
この日は、残暑が厳しくて真夏のような天気だったのだが、この賑わいには、それほどの影響を与えていないように見える。
外に出て、西口通りを西へ。交差点を北へ曲り、そのまま歩いていく。
こちら側はラゾーナ川崎の駐車場の出入り口になっているのだ。
今度は、駐車場待ちのクルマの列である。
盛況なのはいいことだ。
この南北に伸びる通りの西側には、クレッセント川崎タワーの工事現場がある。
ちょっと昔の地図を見ると、この場所には、集合住宅があったようだ。
だから、東芝工場の再開発、というわけではないけど、この高層住宅も一帯の再開発、と考えていいのかもしれない。
ショッピングモールのラゾーナ川崎を中心にして、東側にラゾーナ川崎レジデンス セントラルタワー、そして、西側には、クレッセント川崎タワー、というわけだ。
ペデストリアンデッキでラゾーナ川崎と結ばれれば、そのまま、川崎駅に直結されることになる。
もし、そうなれば更に便利になるだろう。
もっとも、川崎駅周辺だけではないのだが、最近の駅近くの再開発地は、駅の近くの新しい街ではなくて、駅が再開発地の中の施設みたいに見えてくるのだ。
そう見えるのは、この厳しい暑さのせいかな。
そろそろ日陰のあるところに移動した方がよさそうだ。
ラゾーナ川崎の駐車場待ちのクルマの列は、一向になくなりそうもない。
(2007年9月記)

田園都市線池尻大橋駅(プリズムタワー工事現場)

2008-02-24 08:38:53 | Weblog
高田馬場駅から山手線。渋谷駅で田園都市線に乗り換える。
渋谷駅の次の駅、池尻大橋駅で下車。
世田谷の山の手にあって、池尻大橋だけは、ちょっと下町っぽいのは、たぶん、近くを流れる目黒川のためかもしれない。
246号線に出て東に歩く。
その目黒川の東側、246号線の南側にプリズムタワーの工事現場がある。
さらにその東側では広範囲にわたって、首都高中央環状線と首都高渋谷線および246号とのインターチェンジの工事現場となっている。
インターチェンジの工事現場の隣でプリズムタワーの建設工事をしているはずなのだが、なんだか、いっぺんに工事しているような感じだ。
このような場所に高層住宅が建つ、ということは、土地の有効利用、ということでいいことなんだろうな。
目黒川についてだが、池尻大橋より上流は烏山川、北沢川の二手に分かれている。
二手に分かれているばかりではなく、蓋がされており、その上が遊歩道となっている。しかも、一帯は、世田谷の閑静な住宅街である。
つまり、目黒川沿いの下町っぽい雰囲気、というのは、この池尻大橋まで、ということになる。
それと同時に、目黒川沿いに建っている高層ビル群の中では、このプリズムタワーが最上流に建つ、ということでもある。
ここより上流に高層ビルが建つことは、ありえないだろう。
だからというわけではないのだろうが、それにしても、派手に変貌しているものだ。
見渡す限りの街がそっくり丸ごとなくなっている。
こうして、下町は、消滅し、閑静な山の手は何も変わらない、ということだ。
(2007年9月記)

京葉線海浜幕張駅南口(ホテル・ザ・マンハッタン)

2008-02-23 03:24:28 | Weblog
ホテル群の東側には、ホテル・ザ・マンハッタンがある。
竣工は、同じくバブルの頃だ。
幕張新都心のホテル棟は、けっこう、ユニークなデザインが多いが、その中にあって、このホテル・ザ・マンハッタンのユニークさが筆頭だろう。
おとぎの国にあるような建物をそのまま高層ホテル棟にしたみたいだ。
本当にメルヘンの世界だ。
この妙な形をした建物を見ていると、このビルが生まれたバブルの頃を思い出す。
あの頃が、高度成長を成し遂げ、安定期に入った日本のある到達点、ということなのだろうか。
世界一の経済大国、日本。
何の不安もない世の中。将来は、どんどんよくなっていく。
未来は、果てしなく明るい。その明るい未来が待ち遠しかった。
世界中が、日本のようになればと本気で思っていたなあ。
それが、何かの拍子で、ごろごろと坂道をころがり落ちていく。
どうしようもなく、なんだかわからないうちに、ごろごろと落ちていくのだ。
結局、落ちるところまで落ちていく。それでも、ふと、これは何かの間違いか悪い夢に違いない、と思いこむ。けれど、もがけばもがくほど、今度は、ずぶずぶと深みにはまっていくだけ。
いくらもがいても、一向に埒があかない。
そのうち、もうすっかり諦めてしまう。
そして、あの到達点を見上げるのだ。
そこには、メルヘンの世界。おとぎの国の建物。
何かの悪い冗談ではない。
本当に、あの頃の出来事がメルヘン、おとぎ話だったのだから仕方ないのだ。
(2007年9月記)

京葉線海浜幕張駅南口(ホテルグリーンタワー幕張)

2008-02-22 06:23:16 | Weblog
センターストリートを東に歩き海浜幕張駅の駅前へ。
幕張新都心の中心を南北に伸びる国際大通りに入り南へ歩く。
駅南口に出てさらに南へ。
この国際大通りを境にして西側は、オフィスビル街、東側は商業施設、ホテル棟となっている。
さらにその東側には、広い幕張海浜公園があり、またさらにその東側には、集合住宅群が広がっている。
幕張メッセの北側を東西に伸びるメッセ通りへ。
東へ歩くとホテル棟の一群が現れる。
そのホテル群の北側には、ホテルグリーンタワー幕張がある。
もちろん、竣工はバブルの頃である。
そして、幕張新都心には、このホテル群以外にも多くのホテルがある。
メッセ通りを挟んで南側には、ホテルニューオータニ。さらに駅の北口にも一群のホテル棟があるのだ。
まさにバブルの生み出したホテル群のような気もする。
でも、現在に至るまでに撤退したのは、プリンスホテルぐらいだろうか。
おそらく、都心や東京ディズニーランドへは、京葉線で直結されているし、千葉方面へも行ける、ということもあるだろう。
そして、都心から離れたこの場所に多くのオフィスビルが建っていて、幕張メッセもある、ということもあるだろうか。
さらには、地元の需要もあるかもしれない。
とにかく、よく残ってるなあ、という感じだ。
あと数年経って、もう開業20周年だ。時間の経つのは早い。
盛大に祝うべきではないかと思うのだが。
なんか、バブルの頃のはしゃぎぶりを思い出してしまう。
たぶん、気恥ずかしくなって、やっぱりやらないのだろうなあ。
(2007年9月記)

京葉線海浜幕張駅北口(イオンタワー)

2008-02-21 06:22:28 | Weblog
再び駅のほうに戻る。
さきほどのNTT幕張ビルのセンターストリートを挟んで南側にはイオンタワーがある。
この高層ビルも当然なのだが、バブルの終わり頃に竣工している。
幕張には、バブルの前にも後にも、高層住宅以外で高層ビルは建っていないので、わかりやすい。
バブルの頃には、高層ビル以外にも様々な施設も竣工している。
例えば、千葉マリンスタジアムだ。
実は、竣工直前に一度、千葉ロッテの試合観戦に一度の計二回、千葉マリンスタジアムを訪れている。
竣工直前は、埋立地はどこもそうなんだろうけど、とにかく、砂だらけ。こんなところに野球場ができるなんて信じられなかったけど。
野球観戦は、たしか、千葉ロッテ対西武ライオンズの試合だった。
千葉ロッテは、できたばかりの球団。川崎から移転してきたのだが、事実上は、新球団みたいだったと思う。
対する西武ライオンズは、黄金時代。とにかく強かった。
試合は、案の定、西武ライオンズ側のワンサイドになるかに思われたなあ。
とにかく、客席から見ても西武ライオンズの投手の球が速くて、攻撃もそつがない。
たちまち、千葉ロッテ側は一点、二点と点を取られ、しかも、まったく、打てない。
やっぱり、いつも通りのことだ、という空気が漂いだした試合の半ば頃に、突然、西武ライオンズの投手が崩れだした。
なんだかわからないうちに、千葉ロッテがたちまち逆転してしまう。
西武ライオンズ側は、完投するぐらいの感じだったので、中継ぎも準備ができていない。こうなると、もはや劣勢を立て直すことはできないのだ。
観客席は、大盛り上がりのお祭り騒ぎだった。
今でもたまらなく懐かしい想い出だ。(特にロッテファンでもないのだが)
あの頃からは想像できないけど、現在の千葉ロッテを見ると、むしろ安定した存在感を示している。賑わっているようだし。
このように見てみると、幕張に千葉マリンスタジアムを作っておいて本当によかったと思う。
もし何もなかったら、幕張は、実にさびしい夢の跡になっていただろうなあ。
(2007年9月記)

京葉線海浜幕張駅北口(富士通幕張システムラボラトリ)

2008-02-20 06:20:51 | Weblog
NTT幕張ビルの西側には、富士通幕張システムラボラトリがある。
このビルもバブルの終わり頃に竣工している。
たしか、鳴り物入りで、富士通ドームシアターという映画館のような施設がオープンしていた。
画期的な施設で、全天周立体フルカラー映像を楽しめるらしい。
もっとも、どうして、「全天周立体フルカラー映像」なるものが楽しいのか、一向にわからないのだが。
バブルの頃は、なんでも楽しかったんだろうなあ。
なにせ、六本木のアークヒルズができたときは、サントリーホール、というのが併設されていて、こちらも鳴り物入りでのオープンだったと思う。
当時、クラシック音楽なんて、ちっともわからないのに見にいってしまった。
もちろん、富士通ドームシアターも心の隅にはひっかかっていた。
たぶん、近くに住んでいたら、見にいってただろう。
あの頃は、時代が進めば進むほど、すべてがよくなるような雰囲気に満ちていた。
だから、時代を少しでも先取りすれば、よくなっているであろう未来を実感できたのだろう。
楽しい書籍の次のページをめくる時のわくわくした感覚だ。
そのような感覚、未来へ向かう時代のうねりを誰もが共有できたのかもしれない。
今では、そんな感覚はなくなって、明日が今日の続きであることすら保障できない、そのような不安な状況になっている。
未来というものは、ただの勝ち組へのご褒美になってしまったのかな。
ということで、わずかでも、あの当時の、未来へのわくわく感を実感したくて、富士通ドームシアターでも行ってみようかなと思ったりもしたのだが。
休館だか閉館だか、わからないけど、もうそんなものはなくなっていた。
やはり、バブルの夢の跡。
未来、というものも、遺跡になって古びていく。
残っているのは、そこに立ち尽くす、自分の姿だけなのだろうか。
(2007年9月記)