retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線品川駅(都営港南四丁目第2アパート)

2009-03-31 04:35:29 | Weblog
また、ペデストリアンデッキを通って、北へ。来た道を引き返す。
便利だけど、駅の外に出た、という感じがしないなあ。
実際、本当に、建造物の外には出ていないんだけど。
品川駅前に戻り、エスカレータを下って、やっと、地面に降り立つ。
もっとも、地面に降り立っても、特に、商店街みたい場所があるわけではないので、やっぱり、駅前、という感じではない。まだ駅構内のような気分。
いつものように、東に伸びる、ちょっと細い道を歩いていく。
この道が、品川駅東口にあって、唯一、普通の駅前っぽい感じがするのだが。
でも、最近になって、道の北側にあった、中日新聞社がなくなり、その跡地に高層ビルを建てる工事が始まった。
数年後には、すっかり様変わりするだろうな。
やや細い道を歩いていくと、南北に伸びる、旧海岸通り。
その幅広の通りを渡ると、その向こうには、高浜運河がある。
意外なほど、運河の幅は広く、急に視界が広がり、爽快な気分になる。
高浜運河を御楯橋で渡る。
その先は、高層住宅が建ち並ぶ一帯、となっている。
さらに、東へ東へと歩く。
通りの南側には、海洋大学の敷地。海が近くにあることを感じさせるな。
やがて、南北に伸びる、交通量の多い、幅広な海岸通りへ。
上を首都高羽田線の高架が通っている。
海岸通りを、少し北に進むと、通りの東側に都営港南四丁目第2アパートがある。
竣工は、バブルが崩壊した頃だ。
景気が傾くと、このような、公共の建物が建つものらしい。
そういえば、都営港南四丁目第2アパートを見上げていたら、昔のことを、思い出してしまった。
この高層住宅ができあがった頃、まわりには、本当に、倉庫と水産大学(現海洋大学)しかなかったんだっけ。
高層ビルがあるとしても、はるか南側、天王洲アイルぐらいか。
その天王洲アイルまで行くために、さっきのコースを辿り、さらに、海岸通りを、延々と歩いたものだ。水産大学の敷地と海岸通りの間には、高い塀が、果てしなく続いていたな。
あれからすぐに、高層住宅が、何棟も何棟も建っていった。
でも、今、まわりを見渡しても、なんだか、雰囲気は、寂れた倉庫街のまま。
ちょっと虚しい感じがしてしまう。
(2008年10月記)

山手線品川駅(京王品川ビル)

2009-03-30 04:15:09 | Weblog
中央通りを南に歩いて戻ろうと思ったが、遠回りになるので、南西方向に歩いてみる。
さすがに、休日は、誰もいなくて静かだ。
日本銀行を過ぎ、さらに、歩いていくと、外堀通りに出る。
外堀通りに入り、南へ。
日本橋川を渡ると、すぐに、永代通りとの交差点がある。
交差点を渡り、南へと進む。もう東京駅の東側だ。
東京駅の東側も変わったものだな。
ちょっと前まで、妙な言い方だけど、東京駅とは思えないような、そんな感じだったけど。
東京駅、というと、やはり、西側の丸の内に面した側だな。
たぶん、東側は、今、歩いている、外堀通りが、名前のまま、外堀、だったわけだから、駅前としては、重要視されていなかったのだろう。
それに、丸の内、大手町、のような、土地があったわけでもないし。
ただ、最近の、集積化の流れによって、さらに、この東京駅の東側も変貌していくのかもしれない。
東京駅で山手線に乗る。
品川駅で下車。
東側に出る。
駅東側の南には、ビル群、品川グランドコモンズと品川インターシティがある。
その二つのビル群は、合わさるようになっていて、外から見ると、まるで一つのビル群のように見えるが。
その二つのビル群の中央には、セントラルガーデン、という公開空地、人工の緑地帯が伸びていている。
ペデストリアンデッキで品川グランドコモンズへ。品川インターシティでもいいんだけど。
ビル群に沿って、伸びるペデストリアンデッキを、南へと歩いていく。
品川グランドコモンズの南端に達すると、西側を南北に伸びる通りを、越えて、さらにペデストリアンデッキは、伸びている。
その先には、京王品川ビルがある。
ここまでが、品川グランドコモンズビル群の範囲なのだろうな。
竣工は、失われた10年の後の、集積化の時代。
まさに、集積、という言葉、そのままのビル群だ。
これが、近未来の姿なのだろうか。
(2008年10月記)

銀座線三越前駅(室町東地区開発計画日本橋野村ビル)

2009-03-29 07:53:42 | Weblog
高田馬場駅から東西線に乗る。
日本橋駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる永代通りと、南北に伸びる中央通りとの交差点。
中央通りに入り、北へと歩いていく。
すぐに、東へと流れる、日本橋川、そして、その日本橋川に架かる、日本橋がある。
上空には、都心環状線の高架が空を覆うように、伸びている。
日本橋を渡ると、天を覆う、高速道路から、光が洩れて、差し込むようで、幻想的な感じだ。
まるで、下を流れる、日本橋川が、深い、峡谷の底を流れているようにも、思える。
今日は、曇りだが、晴れていれば、もっと、きれいだったかもしれないな。
渡り終えると、通りの西側には、三越百貨店。
たしか、昔、ものは試し、ということで、一度ぐらいは、入ったような記憶もあるが、入っただけなので、ほとんど記憶にない。
物見遊山、ということはあっても、それ以上に、用のある場所ではないな。
ただ、昔は、このような、いわゆるデパート、というのも、それほど、隔絶した存在ではなかったような気もするが。
バブル期以前の、総中流な社会にあっては、デパートは、非日常を楽しむ、そんな場所だったのかもしれない。
でも、今は、デパートどころじゃないし。そんな余裕は、まったくないな。
たぶん、百貨店が不振なのも、このように、総中流社会が崩れてしまった、ということが大きいような気もする。
さらに北へ歩いていく。
通りの西側には、巨大な日本橋三井タワー。通りを挟んで、東側には、室町東地区開発計画日本橋野村ビルの工事現場がある。
他にも、2棟、高層ビルが建つらしい。
日本橋、というと、さっきの三越百貨店を代表とする、銀座のような商業地、だったはずだが。
どうも、バブル崩壊後に、潮目が変わったらしい。
日本橋東急百貨店が消滅したのも、その流れなのだろう。
商業地がオフィス街になっていくのだ。
だが、単純に、今まで商業地だった場所に、オフィスビルが建つ、ということでもなさそうだな。
オフィス街と商業地が合体した、新しい都市空間が広がっている、ということかもしれない。
ひょっとしたら、たまの休日に、スーパーではなく、デパートに行く、なんてことも、懐かしい、昔語りになるのだろうか。
もうすでに、そうなっているんだけど。
(2008年10月記)

中央本線甲府駅北口(セインツ25)

2009-03-28 07:40:47 | Weblog
まわりを見渡すと、趣のある、昔ながらの繁華街、と、言いたいところだが、工事現場が広すぎて、そんな情緒は、もはや、存在しないな。
ところで、この場所、「新樹の言葉」では、桜町、という住所で、登場する。
甲府で、最も賑やかな場所らしく、今でも、桜町通り、という、通りの名前になって残っているが。
小説では、その桜町の東側が、柳町という料亭街になっていて、その中の一軒で、昔、離れ離れになった、乳母の子息と、主人公が、呑み明かすことになっている。
実は、その料亭、乳母の嫁ぎ先で、大きな呉服屋だったのだが、かなり前に、没落して、料亭になってしまっていた。
そして、乳母もその夫も、今は、もう、亡く、兄妹だけが、残されてしまったのだ。
だが、二人とも、すでに、デパートに勤めていて、立派に自立。暗さは、微塵もない。
古いしがらみから、解き放たれて、爽やかさですらある。
二日後に、その料亭は、火事を起こし、炎上する。
その、時ならぬ炎に包まれた、建物を眺めている、主人公と兄妹。
主人公は、兄妹の、むしろ、清々しい表情に、過去を断ち切り、未来へ伸びていこうとする、「新樹」、を感じるのだ。
小説「新樹の言葉」は、そんな、お話だったかな。
現実に帰って、目の前を見ると、炎上どころか、跡形もない更地になって、その場所に、ビルを建てている、工事現場が広がるばかり。そこに、「新樹」を感じるかどうか。あまり感じないような気もするが。
そんな昔の繁華街、旧桜町を後にして、北へ歩き、甲府駅へ。
甲府駅は、以前、バブルが崩壊した頃、来たことがある。そのときは、青春18切符で、あちこち、見て回るのに、夢中になっていた。
甲府駅は、乗り継ぎだけだったのだが、青春18切符の途中下車、無料、という、特権で、改札を出て、駅の周りだけ、見たのだ。
甲府駅の北口へ出る。
驚いたことに、昔、見た光景と、まるで、変わっていない。
そのときは、バブルが崩壊していて、工事は中断し、荒涼とした広大な更地が、広がっていたのだが、今もそのまま。ずっと、バブルが、崩壊したままだったのか。
その更地を抜けて、東へと歩いていく。
荒野の先に、最近、竣工した、セインツ25が、ぽつんと建っている。
都心近郊の駅一体型再開発に似ている。たぶん、バブルの頃のような、拡大開発路線は、もうやめて、コンパクトシティを目指すのかもしれない。
ただ、格差社会にあっては、コンパクトシティにはならずに、立体のゲーテッドシティになってしまうのかもしれないな。
セインツ25も、訪れたし、あとは、帰るだけか。ということで、甲府駅に向かう。
甲府駅で、新宿駅行きの特急に乗り込む。
車窓の風景は、すぐに、夜の帳に覆われ、街の灯りが、通り過ぎていくばかり。
日没までに、間に合って、よかった。
それにしても、過ぎ行く、街の灯りは、途切れない。線路沿いに、街が形成されているからだろうか。
そんな、明かりをぼんやり眺めていたら、列車が、山間に入る前に、いつしか、眠ってしまった。
目が覚めて、車窓を見ると、いつもの、中央線の光景。
今日のことが、ぼんやりと、頭の中を巡っていく。
そういえば、甲府に向かうとき、山肌を覆い尽くす、木々、森に圧倒されたな。
たぶん、森は、一本一本の、木が、「新樹」だからこそ、あのような、景観を作り出せたのかもしれない。
それに比べて、駅周辺は、工事現場や、工事を放棄した、更地が広がっていた。
寂しいかぎりだったけど。
もしかすると、豊かな森を作るなら、車窓に広がる、多くの明かり、その一つ一つが、「新樹」なのだ、そういう考え方が必要なんじゃないかな。
そんなことを考えているうちに、特急列車は、新宿駅のホームに滑り込んでいく。
新宿の街に降り立ち、雑踏の中へ。家路を急ぐ。
(2008年10月記)

中央本線甲府駅南口(紅梅地区再開発工事現場)

2009-03-27 04:59:24 | Weblog
甲州街道を、東へ東へと、歩いていく。
それにしても、クルマが多いな。
地方都市は、たいてい、クルマ社会なのだ。
このようなクルマ社会にあっては、移動手段は、クルマだけ。
だから、クルマがないと、歩くしかなくなってしまう。バスは、まったく、当てにできないし。
そういうわけで、急いで歩いていく。やがて、昭和通りとの交差点。昭和通りに入り、北へと、向かう。
この通りは、甲府駅に続いているのだ。
通り沿いには、都心郊外にあるような、しゃれたお店が目に付く。
でも、そのような街並みを見て、安易に、どこの場所も同じだ、と決め付けることには、躊躇してしまう。実際、そうなんだろうけど。
なぜなら、自分は、甲府の街に初めて来たわけだし、それ以前に、土地勘もなければ、感慨もまるでないのだ。
甲府の街に唯一、触れたのは、実に、子供の頃の教科書に載っていた、太宰治「新樹の言葉」という小説、これだけ。
だから、ひょっとしたら、いつも見慣れた、都心郊外の景色を、知らず知らず、異郷の地の中に、探しているだけなのかもしれない。
試しに、甲府の街についての、唯一つの手掛かり、「新樹の言葉」から、引いてみる。
「シルクハットを倒さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。きれいに文化の、しみとおっているまちである。」
この一節を前にすると、こぎれいなお店を見つけて、都心郊外と同じだ、という感想が、いかにも、みすぼらしくなってしまうな。
昭和通りをさらに北に進み、川を越えて、しばらく歩くと、美術館通り。
美術館通りに入って、いったん、東に進み、甲府のメインストリート、平和通りとの交差点を、北に曲がり、平和通りを北へ。
どんどん歩いていくと、東側には、重厚な役所関係の建物が並ぶようになる。
山梨県の中心部、ということを感じさせる。
その中の一つ、甲府市役所の北側を東に伸びる、紅梅通りに入り、東へ。
役所関係の建物の東側は、商業地になっているようだ。
少し歩くと、そんな中、紅梅通りの北側に、紅梅地区再開発の工事現場がある。
なんでも、バブルの頃に、鳴物入りで登場した、ショッピングセンターの成れの果てを、再開発する、ということだ。
地方都市の、バブルの熱狂は、より激しかったらしい。そして、今は、都心集積化、ということで、衰退しきってしまっている。
そんな場所には、高層ビルが建つ、というわけか。
どうも、「奇麗に文化の染み透った街である」、という風には、書けないなあ。
(2008年10月記)

山梨県昭和町(アピオ甲府タワー館)

2009-03-26 04:56:24 | Weblog
西武新宿線で新宿へ。
駅を出て、青梅街道へ。西に進んで、JR新宿駅の西口。
賑やかな駅前広場を南へ南へと歩いていく。
駅前広場の南側まで行くと、高速バスターミナルがある。
繁華な駅周辺にあって、ここだけは、一種独特の雰囲気があるな。
この場所が、遙か彼方、異郷の地への、窓口になっているためだろう。
つまり、今、立っている、この新宿の街から、まったく別の世界に降り立つ、そんな旅路まで、あと、少し。そんな、夢見る高揚感が、この場所には、満ちているのだ。
ちょっと、大袈裟かな。
切符売場の地下に降りてみる。地下は、質素な感じの待合室になっていた。
駅なんかも、そうだけど、こういった待合室は、たいてい、質素さな感じだ。
たぶん、もうすぐ、ここからは、いなくなるわけで、だから、なにがしかの、執着、未練、といったものから、無縁だからだろう。
バスが来るまで、ここで、ぼんやりしていようかな。
時間になったので、地上に出て、高速バスに乗り込む。行き先は、甲府方面。
バスは、首都高に乗り入れ、高架の上を、ひたすら、西へ進む。見慣れた、郊外の街が、後へ後へと過ぎ去っていくのを、眺めていたら、いつしか、眠りに落ちてしまった。
目覚めると、バスは、中央自動車道、山々の中を、疾走していた。
幾重にも、重なり、連なる、山々。そして、その起伏を覆っている、木々。
車窓の、そんな景観を眺めていたら、ふと、「毛」と「木」は、同じ語源だ、という話を思い出す。
すなわち、「木」は、大地に生えている、「毛」なのだ、という話。
例えば、栃木県、群馬県は、その昔、「毛の国」、と呼ばれていたのだが、それは、木々が生い茂っていた国、ということが、語源らしい。
「木」と「毛」が同じ、というのは、まるで、実感が沸かなかったのだけど、今、見ている、山肌を覆いつくしている、木々を見ていると、なるほど、と思ってしまったな。
バスは、やがて、そんな山間を抜け、広々とした、場所に出る。甲府盆地だ。
平野と見紛うほどに広い、その盆地の中を、バスは進み、途中、中央道昭和バス停で下車。
高速道路を階段で降りていくと、普通の公園の前に出てしまった。さて、どうしたものか。
盆地、というのは、たしかに、山間部にあっては、平たい地形なのだが、やはり、平野とは違い、なだらかだが、起伏があるものらしく、見通しが、よくないのだ。
とりあえず、中央自動車道の下をくぐって、東側に出るが、まったく、わからなくなってしまっている。
高層ビルを目指しているので、だいたい、目当ての高層ビルは、遠くからでも見えるものだが、その常識は、ここでは、通用しなかったのだ。
あてどもなく、地方の街を歩いていくと、国母駅への表示板。まるで、違う方向に向かっていることに気付き、さすがに、焦ってしまう。
とにかく、北に向かい、甲州街道を目指すことにする。
幅広な交通量の多い、甲州街道に出て、今度は、ひたすら西に進む。
かなり歩くと、中央自動車道との甲府昭和インターチェンジがあるが、その東側、甲州街道の北側に、アピオ甲府タワー館がある。
バブルが崩壊した頃に建っている。
山の中の秘密基地みたいな場所にあるのかと、思ったら、意外と開けたところ、地方都市の郊外にあったのか。
時期的に、あるいは、場所的に見て、バブルの遺産なのかな。
さっき、道に迷ってしまったので、日没まで、もう時間がない。
先を急がなければ。
(2008年10月記)

京浜東北線大井町駅(新阪急大井ビル工事現場)

2009-03-25 06:10:57 | Weblog
また、延々とペデストリアンデッキを通って、駅へ戻る。
たしかに便利だな。これなら、地面に降りようとは、思わなくなるかもしれない。
買物ならラゾーナ川崎もある。
でも、こうなると、空間の移動に、情緒が、伴わなくなるな。
どこに行っても、同じものがあるからだ。
それでも、いいのかもしれないが。旅情に浸りたければ、旅行すれば、いいわけだし。
便利な世の中になった、ということか。
川崎駅で、再び、京浜東北線に乗り込む。
大井町駅で下車。
西口に出る。
きれいに整備された、駅前広場。
いつもながら、街の景観は、落ち着いた感じがする。
たぶん、南側、大森あたりの、山の手の影響だろうか。
ただ、西から東へと、かつては、立会川、という川が、流れていたらしい。
川沿い、ということは、下町がある、ということなのだが。
実際、駅西口の南側には、ちょっとした下町が広がっている。
このように、大井町は、下町っぽさと、上品さが、合わさった街なのだ。
そんな大井町の駅前広場を南へ歩く。
少し歩くと、駅前広場の南側には、ほんの少し前に、阪急デパートがあったのだが、今は、新阪急大井ビル工事現場、となっている。
この阪急デパートが、大井町の上品さを、代表していたように思うのだけど。
もう、なくなってしまったのか。
ふと、さっき訪れた、川崎の駅前の光景が、よぎってしまう。
跡地に高層ビルが、完成すると、ひょっとしたら、駅から、ペデストリアンデッキが伸びるのかな。
そうなると、川崎と変わらなくなるではないか。
そうなったとしても、時代の流れなので、仕方ない。
新阪急大井ビル工事現場も訪れたし、肌寒いので、もう、帰ろう。
そして、映画「時代屋の女房」でも、見ようかな。
その映画は、昔の大井町界隈が舞台になっている、ということだ。
将来は、その地域が持つ、情緒、といったものが、なくなってしまうとすると、こんな風に、映画や小説、といった作品を見るしかなくなるのかもしれないな。
(2008年9月記)

京浜東北線川崎駅(ブリリアタワー川崎)

2009-03-24 06:10:38 | Weblog
来た道を、北西へと歩いていく。
運河に架かる橋が、新しいのは、ひょっとしたら、コットンハーバータワーズのためかもしれない。
そのまま歩いていくと、交通量の多い、幅広の第一京浜へ。
歩道橋で、第一京浜を越える。
運河に架かる橋をきれいにするんだったら、ついでに、東神奈川駅と仲木戸駅を結ぶペデストリアンデッキから、陸橋を、第一京浜の東側まで、伸ばせばいいかもしれないな。
そうなれば、第一京浜を渡る、という感じは、薄れるに違いないと思うのだが。
もっとも、そこまでは、やらないだろうけど。
第一京浜から北西へ。すぐに、京浜急行の仲木戸駅。
下をくぐると、東神奈川駅となる。
東神奈川駅で京浜東北線に乗る。
川崎駅で下車。
西口に出る。
相変わらず、ラゾーナ川崎は、賑わっているが、開店当初に比べて、落ち着いたかな。
それに、今日は、ちょっと、どんよりとした天気、肌寒いので、いつもよりも、客足は鈍いのかもしれない。
さっそく、ペデストリアンデッキを通って南へ。
ミューザ川崎セントラルタワーに辿り着く。
そこからは、ミューザ川崎セントラルタワーの縁を、ぐるりと回るように伸びている、ペデストリアンデッキを歩いていく。
ビルの中を通ってもいいんだけど。
ミューザ川崎セントラルタワーの西側に出て、今度は、南へ。まだまだ、ペデストリアンデッキは伸びている。
途中、ミューザ川崎セントラルタワーの西側を南北に伸びる通りを、越えていく。
西側には、高層住宅群。
ペデストリアンデッキは、まだ、続く。
高層住宅群の縁を伸びる、ペデストリアンデッキで、南へ。
やがて、最近、竣工した、ブリリアタワー川崎がある。(工事中はこちら
予想通り、ブリリアタワー川崎まで、ペデストリアンデッキが伸びているな。
川崎駅から、ここまで、一度も、地面に降り立つことなく、辿り着けるわけか。
もっとも、地面に降りないなら、別に、川崎でなくてもいいような気もする。
そういうことで、街の個性が、なくなってしまったのかな。
とりあえずは、便利だけど。
(2008年9月記)

京浜東北線東神奈川駅(コットンハーバータワーズマリナゲートタワー)

2009-03-23 04:50:19 | Weblog
北西方向へ歩く。
貨物線の踏切の手前には、コットンハーバータワーズマリナゲートタワー。(工事中はこちら
名前は、ゲートタワーになっているが、どっちを向いても、荒涼とした風景が広がるばかり。ゲート、でもないような気もする。
でも、もし、この目の前の貨物線が、京浜湾岸線になるとすれば、すぐ近くに、東高島駅ができるはずだ。
そうなれば、このコットンハーバータワーズマリナゲートタワーが、駅に、最も近い、高層住宅ということになる。
そうなれば、まさに、ゲートタワー、というわけだな。
しかし、残念ながら、そんなことは、実現しそうにないんだけど。
そんな貨物線の踏切を渡り、来た道を戻っていく。
東側には、運河の水面が、波打つこともなく、鈍く、光っている。
ふと、運河の対岸にある、ゴルフ練習場を見たら、その土台部分は、レンガを積んで作ってあることに気付いた。
ゴルフ練習場は、新しいに違いないのだが、この護岸を形作っているレンガ、いつの頃のものだろうか。
たぶん、一帯が、横浜港への流通の拠点として、賑わっていた、高度成長期の前、ひょっとしたら、昭和の初めか、大正時代かもしれないな。
話は、ちょっとそれるが、たしか、東神奈川駅あたりから、貨物線が、東高島駅まで伸びていたらしい。その貨物線は、対岸のゴルフ練習場のあたりを通っていた、ということだが。その時の鉄橋が、今でも残っている。
ということは、その昔、一帯が、貨物の集積拠点として、賑わっていた時代、対岸のレンガで固めてある護岸の上を、忙しく、貨物列車が行き来していたのだろうか。
その後、貨物の拠点はなくなり、その貨物線も、高度成長期に入る頃に、廃線となっているのだが、一帯は、すっかり、寂れた場所になってしまう。今では、そこに、近未来的な、高層住宅群が出現した、というわけだ。
こんな風に、時代は、変わっていくのだな。
そして、残ったのは、レンガだけか。鉄橋も残っているけど。
はたして、このレンガ、次は、どんな時代を目にするんだろう。
自分には、関係ないので、考えても、仕方ないが。
(2008年9月記)
貨物線は、高度成長期に入る頃に、廃線となっているが。

京浜東北線東神奈川駅(コットンハーバータワーズシーイースト)

2009-03-22 07:19:58 | Weblog
4棟の高層住宅群のうち、やや低い高層住宅は、コットンハーバータワーズベイイースト、コットンハーバータワーズシーイースト、となっている。
このうち、コットンハーバータワーズベイイーストの方は、すでに、一年ぐらい前、竣工済みだ。
街が、次第に、完成していく様子が、見られて、開拓者のような雰囲気が、味わえたのかもしれない。
こうして、コットンハーバータワーズが、完成したのだが、その後は、みなとみらいの東端を南北に伸びる、国際大通りが、そのまま、北側へと、延伸し、コットンハーバータワーズに達するのを、待つばかりかな。
そうなると、コットンハーバータワーズの高層住宅群とみなとみらいは、直結する、ということになる。
直結する、といっても、例えば、みなとみらい線のみなとみらい駅までは、やはり、かなり遠い。
東神奈川駅よりも、むしろ遠いかもしれない。
でも、遠い、と言っても、自分は、コットンハーバータワーズとみなとみらい駅よりも長い距離を、毎日毎日、自転車に乗って、着いた駅から、通勤しているのだから、これぐらいの距離は、遠いうちには入らないような気もするな。
つまり、クルマ、とまではいかなくても、自転車さえあれば、みなとみらいは、十分、近い、ということになるが。
もっとも、そんな自分が、コットンハーバータワーズ住民の移動の足について、心配しても、仕方ないんだけど。どうでもいいことだな。
それに、コットンハーバータワーズが完成してしまえば、もう、この場所に、二度と来ることもないだろうし。
西側の市場が、再開発されて、高層住宅街になるなら、来ることになるだろうが、そんなことは、実現するとも思えないしなあ。
ということで、コットンハーバータワーズについて、言えるとしたら、次のことぐらいだろうか。
たぶん、コットンハーバータワーズは、このまま変わらず、みなとみらいの北側に位置する、リゾート高層住宅群、ということで、何十年も、時間が経っていくのだろう。
そして、レトロな建築物になって、それからどうなるのか。その先を、自分が見ることはないだろうな。
(2008年9月記)