retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

都営新宿線船堀駅(トキタワー)

2008-12-31 04:34:25 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
九段下駅で都営新宿線に乗り換える。
地下鉄なのだが、荒川の手前で地上に現れる。
そして、荒川を鉄橋で渡ると対岸には船堀駅。
船堀駅で下車。
駅南口には、すぐ目の前にトキタワーがある。
竣工は、バブルの終わり頃だ。
荒川の反対側の岸、小松川、大島の再開発と呼応していたのだろう。
船堀駅、というと、かなり昔、夏に花火大会を見にいったことを覚えている。
バブルの頃ぐらいだろうか。だから、ひょっとしたら、トキタワーは、まだ、建っていなかったかもしれない。
その花火大会、というのは、実は、江戸川区花火大会だったのだが。
場所が、まったく違うのだけど、東京の西側に住んでいる自分としては、荒川も江戸川も一緒だった。それに、落ち合った千葉県に住んでいた同僚を信じていたし。
だが、千葉県に住んでいても、やはり、荒川も江戸川も同じだったのかも。
船堀駅の北側にある江戸川競艇場付近まで行って、そのあたりをうろうろしていたが、花火大会の雰囲気がまったくない。
どこか根本的に勘違いしているな、と気付いて、付近のお店に聞いたら、笑われてしまったな。
さっそく船堀駅まで行ったのだが、その頃には、浴衣姿の花火見物客が駅周辺にたくさん集まっていた。
その見物客の群集に押されるように、改札を通り、都営新宿線の車両になだれ込む。
篠崎駅で降りて、暗くて、右も左もわからない住宅地の中を、ぞろぞろと歩いていくのだ。
やがて、前に立ち塞がる堤防。その堤防を登っていくと、その先は河川敷なのだが、すでに、その河川敷には、大勢の見物客がひしめいていた。
堤防の上を、またしても、大勢の観客に押されるように北へ北へと歩いていく。
その先には、どーん、どーん、という音と共に、花火が夜空に煌いていた。
花火は、むろん、とても迫力があって、美しかったが、何よりも、このお祭りのような、見物客の熱気をよく覚えている。
夜空に大きく広がる閃光。轟き、響き渡る大きな音。そして、その光景を見る大勢の観客の興奮。
花火大会も終わって、あたりは、急に静かになって、また、真っ暗な住宅地の中をぞろぞろと篠崎の方へと歩いて戻っていく。
花火大会なんて、あれ以来、見ることも、なくなってしまったな。
祭りの後の侘しさ。
あれ以来、ずっと、その侘しさが続いているような気もする。
(2008年7月記)

半蔵門線清澄白河駅(白河4丁目プロジェクト)

2008-12-30 08:56:51 | Weblog
東へ歩き、大通りを渡り、さっきの高台に戻る。
また、エスカレータを乗り継ぎ、高台から地下へ。
六本木一丁目駅。再び、南北線に乗る。
永田町駅で半蔵門線に乗り換える。
清澄白河駅で下車。
地上に出て、清洲橋通りを東へ東へと歩いていく。
都営大江戸線、半蔵門線と2路線、延伸してきたためなのか、ここら一帯も、ずいぶん、垢抜けた感じになったものだ。
ちょっと前まで、下町っぽかったような気がするんだけど。
交通の便がよくなると、街の雰囲気も変わるのかな。それとも、都心集積化、ということなのかもしれない。
しばらく東へと歩くと、南北に伸びる三ツ目通りとの交差点。
交差点の北東側には、白河4丁目プロジェクトの工事現場がある。
すでに、この交差点の南西側には、イーストコモンズ清澄白河フロントタワー、南東側には、イーストコモンズ清澄白河セントラルタワーが建っているのだが。
こうなると、もはや、高層住宅群、ということになるのかな。
なんで、こんなところに、高層住宅群なんだろうか、と思っていたけど。
ただ、こうして、すっかり垢抜けた街並みになっている様子を見ると、高層住宅が建っていても、不思議ではないように思えてくる。
ところで、交通の便がよくなったとすると、今回、下車して、ここまで歩いてきた、清澄白河駅の開業によるところが大きいのだろう。
だが、三ツ目通りを北に行くと、都営新宿線の菊川駅、という駅も、意外と近くにあるのだ。
駅が一つ、至近の場所にできた、というだけではなく、さらに、違う方向にも、別の駅が至近にある、ということが、重要なのかもしれない。
つまり、交通便利ゾーン、とでも言うべき地域が広がっていて、初めて、交通の便がいい、と言えるのかもしれないな。
実は、この場所、高層住宅もなければ、半蔵門線、都営大江戸線も開通していない頃、何度か来たことがある。
都営新宿線の駅から歩いてきたり、あるいは、都バスを使ったりしたのだが。その頃、この一帯は、本当に、辺境、という感じがしたものだ。
古きよき、昭和の時代がそのまま、残っていたなあ。懐かしい限りだ。
時代の流れなので、仕方のないことだけど。
季節の移り変わりのように、街の様子も時代によって、変わっていく。
ここ数日の間に、真夏に向かって、天候が大きく動いたように。
もう、今年の夏が来たんだな。
(2008年7月記)

南北線六本木一丁目駅(日本IBM本社ビル)

2008-12-29 08:06:32 | Weblog
細い道を歩いて、北東方向へ向かう。
しばらく歩くと、さきほどの、東西に伸びる通りに出る。
その通りに入り、東へと、歩いていく。
さっき歩いてきた道なので、帰りは、それほど、長い距離、とは感じなかったが。
それでも、やはり、白金高輪駅までは、遠いなあ。
この距離感、というのは、ひょっとしたら、都心と田舎の風景、という、景観の違いからも、生じているのかな。
暑い中、やっと白金高輪駅まで辿り着き、南北線に乗り込む。
六本木一丁目駅で下車。
何度もエスカレータを乗り継ぎ、高台、山の手に出る。
この高台は、相変わらず、浮世離れのした雰囲気に満ちていて、長居は無用だと思ってしまうな。
いったん南へ歩き、途中、西へ。
六本木通りから分岐した、南北に伸びる大通りがある。
上空を首都高の高速都心環状線が通っている。
その大通りを渡り、少し北へ歩くと日本IBM本社ビルがある。
竣工は、高度成長期の終わり頃だ。
その西隣には、旧六本木プリンスホテル。(現在は、違うホテルになっている)
こちらの方は、バブル前夜の完成、ということらしい。
高度成長期からバブルの頃にかけて、六本木の華やかな浮かれた空気が、こんな場所にも流れ込んでいた、ということだろうか。
その華やかな空気の中で、六本木プリンスホテルも建ったのかな。
高度成長期以降、バブル期に至るまで、こんな風に、未来は、ずっと明るくて、不安なんて、まったく、なかったなあ。
だが、バブルは崩壊。失われた10年。そして、今は、格差社会。
これらの建物が建った頃、将来が、こんな時代になるなんて、想像できなかったに違いないだろう。
そして、これらの建築物が、あの日本が成長を続けていた時代の夢の跡、なのかもしれない。
しかし、日本IBM本社ビルや六本木プリンスホテルは、近々、解体され、再開発されるらしいのだ。
日本の高度成長は、夢の跡さえ、残らないものなのか。
結局は、夢、ただ、それだけなのかもしれない。
(2008年7月記)

南北線白金高輪駅(白金6丁目再開発)

2008-12-28 04:42:41 | Weblog
高田馬場駅から東西線。飯田橋駅で南北線に乗り換える。
白金高輪駅で下車。
地下鉄の駅から出ると、眩しい真夏の太陽が容赦なく照りつける。
暑い。なんて暑いんだろう。まだ、暑さに慣れていないので、この暑さは、こたえるなあ。
梅雨明け宣言が出ていないのに、もう夏バテになりそうだ。
地上には、南北に伸びる交通量の多い、幅広の桜田通り。
その大通りから、西に伸びるちょっと細い通りがあるが、その通りに入って、西へ西へと歩いていく。
この通り、何年か前に何度か歩いたことがあるのだが、都心とは思えないほどの、ローカルな雰囲気なのだ。
うだるような暑さの中、しんと静かな田舎の道、といっても、少しも大袈裟ではない。
南側は、高台になっていて、お寺や神社などがあり、それらの境内のこんもりとした緑があるが、そのようなこともローカルな雰囲気を増しているのかもしれない。
焼け付くようなアスファルトの道路をどんどん西へ歩いていくと、南側に朝日中学校、という学校がある。
この学校の風景は、本当に、どこかの地方の田舎の学校そのままなのだが。
ちょうど夏休みに入っていて、子供らの声がしなくなって、静まり返っている、田舎の学校、といった感じかな。
そういったわけで、ものすごく郷愁を感じさせる情景なんだけど。
そんな中、さらに歩いていくと、南北に伸びる外苑西通りと首都高目黒線の高架にぶつかる。
さすがにここらへんになると、商店などが並び始める。年季の入ったお店もあれば、今風なお店もある。様々だ。
首都高目黒線の高架に沿って、いったん、南に歩き、途中、北東へ伸びる道に入る。
すぐに、その道の南側に白金6丁目再開発の場所がある。
こういう、のどかな一帯にも、高速道路の高架が近くにある、ということで、高層住宅が建つのだろうか。
しかし、いくらなんでも、駅から遠すぎるような気もする。ここからなら、むしろ、恵比寿ガーデンプレイスの方が近いかな。
もっとも、交通不便な場所、ということもあるけど、それ以前に、一帯の、あまりに、のどか過ぎる風景を見ていると、高層住宅が建つ、というのは、無理な気もするなあ。
これでは、再開発地を目指していたら、辿り着いたのは、都心の辺境地だった、ということになってしまうかな。
いい加減、暑いので、戻ることにする。
(2008年7月記)

都営大江戸線勝どき駅(セルリアンホームズ勝どき)

2008-12-27 03:55:49 | Weblog
朝日新聞社のテラスから階段を降りて、築地市場の脇の通りに降り立つ。
階段の途中にネコがぐてっと寝ていた。
この場所は、ビルの陰になっているので、階段の段のところに、直接、横たわっていると、ひんやりしていて、気持ちいいのだろう。
道路を挟んで、向かい側には、築地市場もあるし。食事にもありつけるのかな。
地下に降りて、築地市場駅へ。再び、都営大江戸線に乗り込む。
勝どき駅で下車。
都営地下鉄で、隅田川の地下をくぐって、対岸に出たわけだが。
数年後には、環状2号線が、隅田川を越えて、南から伸び、汐留シオサイトに到るので、朝日新聞社あたりから勝どきには、橋を渡って、歩いていけることになるだろう。
そのような近未来の光景を思い浮かべながら、勝どき駅改札口から地上に出ると、清澄通りと晴海通りとの交差点がある。
実は、ここにも、数年後、ゆりかもめが延伸してくるのだ、と言いたいところだが、ちょっと無理かな。
そういえば、湾岸高速から高速晴海線、という首都高速道路が伸びてくる予定もあるらしいのだが、こちらは、ゆりかもめよりもさらに無理だろうな。
それに、開通したとしても、晴海から北へは、高速晴海線の高速道路は、地下を通ることになるはずだ。
もしそうなら、ちょっと興味深い気もする。なぜなら、開通予定の、勝どきのこの交差点には、すでに、地下に都営大江戸線が通っているし、同じく、開通予定の、隅田川には、勝鬨橋もある。そのような場所の地下に、どんな風に高速道路を通すのだろうか。
そのようないろいろな計画が目白押しの交差点から清澄通りへ入り、少し南西に歩いていく。
ゆりかもめや高速道路がどうなるかわからないが、とりあえず、現在は、交差点の北西側一帯は、巨大高層住宅の工事中となっている。やはり、変貌著しい場所ではあるな。
北へ曲り、そのまま北へと街中を歩いていく。
しばらくすると、セルリアンホームズ勝どきがある。
竣工は、失われた10年の終わり頃のことだ。
都心集積化により、このあたりが、大変貌を開始した頃だな。その大変貌は、今でも続いているけど。
ふと、見渡すと、まわりは、もう、夕方、という雰囲気。真夏のような一日も終わろうとしている。
そのおかげだろうか、暑熱も静まってきたようだし。あるいは、隅田川や東京湾から吹いてくる風が涼しさを運んでくるのかもしれない。
だが、夏は、これからが本番なのだ。
先ほどの巨大高層住宅の工事現場の脇を通りながら、勝どき駅に向かう。
勝どきの大変貌もこれからなのかもしれないな、と思いながら、帰路に着く。
(2008年7月記)

都営大江戸線築地市場駅(朝日新聞新館)

2008-12-26 06:11:30 | Weblog
蕨駅に戻り、再び、京浜東北線に乗り込む。
蕨駅を出発した列車は、川口を通り、やがて、荒川を鉄橋で越えて、都心へと入っていく。
それにしても、今日は、暑かったなあ。
今の時間、日がだんだん傾いてきたので、さしもの暑さも、少し、和らいできたようだけど。
例年であれば、梅雨の空模様なはずだが。
今日は、真夏の天気。しかも、梅雨の中休みなどではない。
梅雨の終わりを告げるような、本格的な暑さだった。
そのわりには、まだ、梅雨明けの発表は、ないようだが。
そんな真夏のような暑さの中、京浜東北線の列車は、都心へと、入っていく。
都心の中心は、まだまだ、暑さが残っているようだな。
浜松町駅で降り、地下に下って、大門駅へ。都営大江戸線に乗る。
築地市場駅で降りる。
外に出ると、目の前には朝日新聞社。
この駅は、築地市場よりも朝日新聞社の方がはるかに近い。
ということは、築地市場が移転した場合、駅名は、朝日新聞社前駅とでもなるのだろうか。実際、今でも、朝日新聞社前駅、といった感じだし。
でも、企業名が、駅名になることは、あまりないので、朝日新聞社前駅、というのは、実現することはないだろうな。
ところで、今回は、朝日新聞社の朝日新聞新館を訪れるために、ここまで、やってきたわけだが。
もっとも、以前、朝日新聞社本館を訪れたとき、朝日新聞新館は、本館の奥にあるようなので、どうやって、このビルに近付くのか、今のところ、わからない。
ちょっとまわりを歩いてみたが、やはり、近付けそうもないな。諦めそうになってしまった。
だが、ひょっとして、と思い、築地市場近くの通りに出て、南に歩いてみると、朝日新聞社の方へ、階段が伸びているではないか。
さっそく、階段を上がっていくと、はたして、本館と朝日新聞新館の間にあるテラスに出た。
オープンスペースになっていたわけか。
これで朝日新聞新館を間近に見ることができる。
ちなみに、竣工はバブルの終わり頃だ。
日本中がバブル景気の熱に浮かされていたので、朝日新聞もつい、高層ビルを建ててしまったわけかな。
たぶん、今日のような、真夏の暑さ、暑熱と同じような、すごい熱気だったのだろうなあ。
(2008年7月記)

京浜東北線蕨駅西口(蕨駅西口再開発)

2008-12-25 06:11:53 | Weblog
さいたま新都心駅で京浜東北線に乗る。
蕨駅で下車。西口に出る。
少し、西側に歩いてから、南へ曲り、そのまま、南へと進むと、京浜東北線の西側に蕨駅西口再開発の工事現場がある。
この場所には、かなり前から、更地が広がっていたので、何か建つのでは、と思っていたのだが。
ただ、このように工事が始まってみると、想像していたよりも、ずっと南側に建つみたいだ。たぶん、北側、駅の近くには、商業施設が併設されるのだろう。
そんな蕨駅西口なのだが、かなり前に一度だけ、西側を南北に伸びる17号線あたりから、この蕨駅西口まで歩いて来たことがある。
来たことがあるのだが、そもそも、どこから、17号線に辿り着いたのか、あるいは、どの道を通って、蕨駅まで来たのか、今となっては、すっかり、忘れてしまったな。
もっとも、蕨駅に到る商店街の雰囲気は、今でも、よく覚えているけど。
しっかりと歴史を刻んだ、古そうなお店が軒を連ねていて、本当に、どこかの地方の昔からある街並みのような、そんな雰囲気だった。
実際、蕨駅の西側から17号線、中山道にかけては、そうとうに歴史のある一帯であるらしいのだ。
面積が小さいのに、自治体として、独立しているのも、そういう理由からなのだろう。
だから、歴史が、かなり、浅い、川口を中心にして、合併を進め、政令指定都市を作ろうとしても、うまくいかない訳だな。(川口市は市としては、古いそうだが)
そういえば、蕨駅まで歩いた時、途中に、和楽備神社、という、大きくて、華やかな感じの神社があった、と記憶している。
和楽備、という文字は、蕨の元の文字、ということではなく、明治時代の改名によるらしい。
蕨市内の神社を統合したときに、そのような名前に変えた、ということだ。
そんな史実があるなら、ちょうどいい。合併してできる予定の政令指定都市の名前は、和楽備市が妥当だと思うのだが。(武南市とどっちがいいのかな)
蕨の街の持つ、深い歴史を住民が共有できるので、いいと思うんだけど。
やっぱり、だめだろうなあ。
(2008年7月記)

京浜東北線大宮駅東口(THE OMIYA TOWERS工事現場)

2008-12-24 05:02:01 | Weblog
大宮下町3丁目マンション計画工事現場のカモメ通りを挟んで、南西側には、THE OMIYA TOWERSの工事現場がある。
二棟の高層ビルが、東西に並ぶようにして建つらしい。
近くにできる、大宮下町3丁目マンション計画も、たしか、二棟の高層ビルからなる、ということだ。
とすると、これらの高層住宅は、近接しているので、一つのビル群、ということになるだろう。
これで、取り残されていた、古い街にも、再開発の波がやってきた、というわけだな。
もっとも、これ以上、再開発が広がっていくとも思えないけど。
ということで、大宮駅東口の再開発地も見たし、大宮駅へ戻ろうと思う。
だが、炎天下、歩き回ったので、暑くて暑くて、どうにも、戻る気がなくなってしまった。
そして、ひょっとしたら、このまま、南に歩いていけば、すぐに、京浜東北線のさいたま新都心駅に着くのでは、という考えが、つい思い浮かんでしまったのだ。
さっそく、カモメ通りを南へと歩き、途中、西に曲り、旧中山道に入って、再び、南へと歩いていく。
やがて、有名な氷川神社の参道の入口、一の鳥居を通過する。
大宮の「宮」は氷川神社のことなので、大宮もここまでなのかな、と思いながら進んでいくのだが。
しかし、歩けども歩けども、さいたま新都心駅は見ることさえできない。
旧中山道の東側に広大なショッピングセンターがあるあたりで、ようやく、駅らしき建物が見え始める。
このショッピングセンターの端まで行けば、どうやら駅に辿り着くらしい、と判ったのだが、このショッピングセンターがやたらと広大なのだ。
こんな風にして、ようやく、京浜東北線のさいたま新都心駅に到着する。
土地勘があって、炎天下でなければ、それほどでもない距離だったろうけど。
でも、そういえば、かつて、この場所は、大宮と与野の中間だったのだ。
ほんのちょっと前まで、さいたま新都心がまだなかった頃だが、大宮の街と与野の街が、こんなにも離れていたのかと、気付かされたような感じがする。
こんなにも隔絶していたからこそ、地方都市、だったのだろうか。
(2008年7月記)

京浜東北線大宮駅東口(大宮下町3丁目マンション計画)

2008-12-23 07:26:40 | Weblog
この暑い中、また歩いて、大宮駅まで行くのは、厳しいなあ、と思っていたのだが。
ひょっとしたら、この更地を、斜めに横切っていけば、少しは、近道になるのかな、と、ふと、思い付いた。
いったん北に行ってから、東に歩かなければ、ならないわけだから、近道になるのは、間違いない。
やってみると、はたして、うまくいった。
更地、といっても、荒野になっているわけではなく、駐車場みたいになっているのだ。
こんなとき、更地というのも便利だ。といっても、ただ、ようするに、何もないだけなんだけど。
そごうの裏側に辿り着き、東へと歩いていく。
大宮駅に着き、連絡通路を通って、今度は、東口に出る。
西口は、新興の再開発地、という感じだが、東側は、昔からの歴史ある商店街、という感じだ。
古い街並みなので、細い道が縦横に入り組んでいたりする。
土地勘がないので、かまわず歩いていくしかない。
まず、大通りを東に歩き、東西に伸びる旧中山道に入って、南に向かう。
少し、進んでから、細い道に入って、再び、東へ。
裏通り、裏町、という感じだ。まだ、地方都市だった頃の大宮の雰囲気が、残っているのかな。
南北に伸びるカモメ通り、という細い道に入って、また、南へと歩いていく。
しばらくすると、カモメ通りの東側に、大宮下町3丁目マンション計画の工事現場。
もとは、アミューズメント施設があったらしいが。
この工事現場の東側には、有名な氷川神社に伸びる参道がある。
さっきの古そうな街並み、というのは、江戸時代の中山道と氷川神社への参道とに挟まれた場所なのだ。道理で古いわけだな。
そして、このような、取り残されたような場所には、高層住宅が建ったりするのだ。
さっきの西口の更地にでも建てればよさそうなものだけど。
でも、やはり、こちらの方が賑やかで、居心地はよさそうな感じではある。
(2008年7月記)

埼京線大宮駅西口(大宮ファーストプレイスタワー)

2008-12-22 02:48:28 | Weblog
武蔵浦和駅に戻り、今度は埼京線に乗る。
バブルの頃に開通した埼京線も、今では、すっかり通勤路線として定着したようだ。
定着したのはいいが、そのために、埼玉が、自立した地方ではなくて、都心のための郊外になってしまったような気もするが。
北上を続けていた埼京線は、やがて、西よりに向きを変え、徐々にさいたま新都心に近付いていく。
この時、さいたま新都心の巨大な建築物群が、ぐんぐんと迫ってくるように見える。
いつもながら、圧倒されてしまう光景だな。
さいたま新都心を過ぎると、大宮駅の巨大な駅構内へ吸い込まれていく。
埼京線の大宮駅ホームは、新幹線だと思うのだが、そのホームの下になるので、大宮駅に着く、というより、入っていく、という感じなのだ。
改札を出て、まずは、西口に出る。
ペデストリアンデッキを歩いて、西へとまっすぐ伸びる幅広なメインストリートの南側へ降り立つ。
その大通りの南側には、大きなデパート、そごう。さらに、その向こうには、ビックカメラなどが並んでいる。
こんなふうに、大きな商業施設が、並んでいるのを見ると、とても大きな街だ、と思ってしまうのだが。
しかし、その南側、つまり、その商業施設の裏側にまわってみると、広々とした更地が広がっているばかりなのだ。
これでは、まるで、映画のセットの張りぼてみたいではないか。
本当は、この更地には、オフィスビルなどが建ち並び、大宮は、一大業務都市になるはずだったのかもしれない。
今となっては、もう、そうなることは、なさそうだが。
その更地に沿って、商業施設の裏側をどんどん西へと進んでいく。
しばらく歩いて、南へ曲ったところに、大宮ファーストプレイスタワーがある。(工事中はこちら
最近、竣工したばかりの高層住宅だが。なんとも、侘しい場所に建っているな。
もっとも、このような更地には、こんな風に、高層住宅が建つしかないのだろう。
とはいえ、これ以上、際限もなく、高層住宅を建てるわけにもいかないし。
そんな更地の上を、容赦なく、夏の太陽が照り付けていて、蜃気楼が立ち昇っているらしく、一帯の地表面近くは、ゆらゆらとして見えていた。
(2008年7月記)