retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

都営大江戸線西新宿五丁目駅(本町四丁目 和泉川 本町小学校登下校用橋跡)

2013-06-30 06:48:06 | Weblog
ここらへんまでは、山手通り拡幅の、余波で、整備されるものらしい。
あとは、住宅地が、広がっている。
二軒家橋、たぶん、家屋が、二軒あったので、そういう名前、なのかな。
さらに、西へと、歩いていく。
しばらくすると、弁天橋。
こちらも、最近、整備されたらしく、新しい。
橋の名前、弁天様、どこにあったのだろうか。
弁天様の、いるところには、泉が、あることが多いので、昔は、近くに、泉が、湧き出していたのかもしれない。
橋の欄干跡が、整備されているのは、ここまで。
次の、材木橋跡からは、もとのままの、古い欄干が、残るだけ。
路地ではなく、普通の、通り、本村橋跡。
再び、西へ西へと、進んで行くと、新橋跡。
こちらは、昭和の初め頃の、橋。
当時は、新設された橋、という、感じだったのかな。
次は、本町小学校登下校用橋跡、となる。
(2012年8月記)

都営大江戸線西新宿五丁目駅(本町四丁目 和泉川 二軒家橋跡)

2013-06-29 06:30:15 | Weblog
実は、山手通り、清水橋の、欄干は、最近まで、残っていたらしいのだが、今は、撤去されてしまったらしい。
おそらく、山手通りを、拡幅するためなのだろう。
さっそく、和泉川跡を、西へと、向かう。
今は、細い道路に、なっている川筋。
ちょっと前の、地図を見ると、緑道になっているのだが。
初めて、来た、場所なので、わからないけど、どうやら、緑道を、なくして、道路を、整備しているようだ。
これも、山手通りを、拡幅した、影響なのかな。
西へ西へと、歩いていくと、道路も、だんだんと、歩道のようになってくる。
しばらくすると、二軒家橋跡。
最近、きれいに、整備されたようだ。
(2012年8月記)

都営大江戸線西新宿五丁目駅(本町三丁目 和泉川 清水橋付近)

2013-06-28 04:58:17 | Weblog
山手通りを、北へ、歩いていくと、東西に伸びる、方南通りとの、交差点が、あるのだが、その、南側には、かつて、和泉川、という、小川が、流れていたらしい。
山手通り、その、和泉川を、越える、橋が、清水橋。
方南通りとの、交差点の、名前、清水橋交差点というのは、そこから、とられている。
和泉川は、その後、北へと、流路を、変え、都営大江戸線西新宿五丁目駅付近を、通り、さらに、北へ。
そのまま、流れ下っていき、そして、神田川に、合流していたようだ。
川筋は、高度成長期に、なくなり、今に、至っている。
橋の名前に、清水、とつけるくらいだから、当時は、清い、流れだったのかな。
昔のことは、わからないけど。
今回は、清水橋から、和泉川跡を、遡ることにする。
(2012年8月記)

都営大江戸線西新宿五丁目駅(パークタワー渋谷本町工事現場)

2013-06-27 05:07:29 | Weblog
西武新宿線中井駅で、大江戸線に乗り換える。
西新宿五丁目駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる、方南通り。
今日は、夏らしい、いい天気だ。
方南通りを、西へ、向かう。
しばらくすると、南北に伸びる、山手通りとの、交差点。
南に曲がり、そのまま、南へ。
ほどなくして、通りの、東側には、パークタワー渋谷本町の工事現場。
幅広の、交通量の多い、大通りに、面した、高層住宅。
あたりは、山の手、というほどではないが、ビルが、遮蔽物に、なっているのだろう。
それに、西新宿五丁目駅に、近いといえば、近いし。
かくして、都心部の、再開発は、続いていくわけか。
山手通りを、北へ。
来た道を、引き返す。
(2012年8月記)

総武線水道橋駅(飯田橋三丁目 アイガーデンエアの歩道)

2013-06-26 05:07:52 | Weblog
南へと、歩いていくと、西側には、高層ビル街。
新しい、街並みが、広がる。
もとは、貨物駅が、あったのだが。
バブル崩壊後、廃止。跡地は、再開発。
そして、今のような、整備された、きれいな、街並みになった。
ビル街なのだが、それなりに、緑も、多く、配置されている。
並木道、歩くのは、気持ちいい。
もっとも、だからといって、住めるわけでもないし、関わりは、まったくないので、たまに、こうして、歩くだけ。
これなら、テーマパークと、さして、変わらないな。
とはいえ、都心部は、どんどん、こういう、街並みが、増えていっている。
その分、肩身が、狭くなっていくようだけど。
時代の流れなので、仕方ない。
アイガーデンエアの中、歩いていくと、南北に伸びる、目白通り。
東西線飯田橋駅近く。
もう、帰ることにする。
(2012年8月記)

総武線水道橋駅(飯田橋三丁目 神田川と日本橋川の分流)

2013-06-25 03:08:33 | Weblog
小石川橋の、東側で、日本橋川が、南へと、分流していく。
このあたり、江戸時代より前は、平川、という川が、流れていたらしい。
当時の、流路は、南へ流れ、そのまま、日比谷入江に、流れ込んでいたようだ。
江戸時代になり、日比谷入江を、埋め立てる段、川筋を、東へ、曲げ、今の、日本橋川になる。
さらに、今度は、今の、分流地点から、東へ、まっすぐ、川筋を、伸ばし、神田川と、なったらしい。
その時、今の、分流地点から、南側、日本橋川は、埋め立てられたようだ。
とすると、日本橋川、どこから、流れていたのだろう。
わからないが、とりあえず、流れは、残ったようだ。
時が経ち、明治時代、しばらくして、今度は、神田川南側の、流路、復活している。
理由はわからないが。
時代の流れ、ということかな。
小石川橋を、渡り、さらに、南へ。
(2012年8月記)

総武線水道橋駅(後楽一丁目 小石川橋)

2013-06-24 03:58:14 | Weblog
南へと、歩いていくと、神田川の手前、東西に伸びる、外堀通り。
西に曲がり、そのまま、外堀通りを、西へ。
しばらくして、再び、南へ。
神田川に、架かる、小石川橋がある。
橋は、もともと、江戸時代から、架かっていたらしい。
明治時代、新しくなり、昭和の初め頃、さらに、もっと、丈夫な、作りになっている。
その、昭和にできた橋が、最近になって、再び、架けかわった。
工事中は、新しく、橋が、架かったのかと、思ってしまっていたが、ずっと、以前から、架かっていたわけか。
少しずつ、古いものが、新しいものに、置き換わっていく。
この橋も、ずっと、先、将来は、再び、新しい、橋に、なるのだろうな。
(2012年8月記)

総武線水道橋駅(本郷一丁目 金刀比羅神社)

2013-06-23 07:21:43 | Weblog
坂を、下っていくと、南北に伸びる、幅広の、白山通りに、出る。
白山通りを、北へ。
すぐに、通りの東側に、金刀比羅神社。
金刀比羅神社、といえば、讃岐、高松。
実は、この場所、高松藩の、下屋敷があった場所。
おそらく、そういうわけで、高松から、連れてきたのだろう。
ただ、最初は、今の、飯田橋にあった、高松藩上屋敷に、あったらしい。
明治時代になって、こちらに、移っている。
その後、すぐに、近く、北側で、文京山の手が、住宅地として、開発され、存在感が、増したのかな。
そういうものかどうか、わからないけど。
白山通りに戻り、今度は、南へ。
水道橋へ、向かう。
(2012年8月記)

中央線御茶ノ水駅(本郷一丁目 元町公園)

2013-06-22 07:05:37 | Weblog
給水場屋上の、庭園、というのも、文京山の手らしい、配慮なのかな。
西へ歩き、突き当りを、南へ曲がり、そのまま、南へ。
すぐに、元町公園。
完成したのは、昭和の初め頃。
なんでも、北側にある、元町小学校と、セットで、作られたらしい。
当時としては、贅を尽くした、最新の、設備だったのだろう。
神田川への、傾斜地を利用した、凝った作り。
もっとも、今回、時間がないので、傾斜地の部分は、見ることは、出来なかったけど。
また、今度、来たとき、もっと、詳しく、見てみよう。
北側の、今は、廃校になっているが、元町小学校の、建物も、歴史的には、価値あるものらしい。
元町公園から、北側へ。
突き当りを、西に、曲がり、そのまま、西、急な、坂を、下っていく。
(2012年8月記)

中央線御茶ノ水駅(本郷二丁目 給水場公苑)

2013-06-21 03:48:33 | Weblog
順天堂大学の、工事現場を、後にして、さらに、西へ。
しばらくすると、本郷給水所の、建物。
明治時代に、作られたらしい。
階段が、あるので、ちょっと、建物の、屋上に、上ってみる。
屋上は、緑の庭園。
建物の、上とは、信じられない。
まるで、公園が先にあって、その、地下に、給水所を、作った感じ。
ここまで、凝らなくても、と思ってしまうほどだ。
庭園の名前は、給水場公苑。
高度成長を、達成した後、安定期に、完成している。
世の中に、余裕が、できて、このような、庭園を、造ってしまったのだろうか。
階段を下り、再び、地上に降り立ち、西へ、向かう。
(2012年8月記)