retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

千代田線根津駅(向丘二丁目 本郷通り)

2016-07-31 05:18:14 | Weblog
西へ西へと歩いていくと、しばらくして、南北に伸びる本郷通り。
本郷通りを、南へ向かう。
本郷通り、江戸時代の、日光御成街道、ということらしい。
この先、東側、東京大学、となるのだが、そのあたりで、中山道が、分岐している。
正確には、中山道から、日光御成街道が、分岐しているのだが。
そのまま、南へ南へと、歩く。
(2013年8月記)

千代田線根津駅(向丘二丁目 根津裏門坂通り)

2016-07-30 05:23:14 | Weblog
根津神社の北側に出る。
北側には、東西に伸びる、根津裏門坂通り。
通りを、西へ。
そういえば、根津神社の旧地、千駄木駅の西側、団子坂、北側であるらしい。
今は、本郷図書館が建っている。
江戸名所図会を見ると、それは、本当だと思える。
さらに、最初の創建の地は、ここから、西側だったらしい。
あり得なくもないが、もう、わからないだろう。
根津裏門坂通り、西へと、進む。
(2013年8月記)

千代田線根津駅(根津神社 池と乙女稲荷神社)

2016-07-29 03:57:18 | Weblog
楼門を抜け、社殿の西側。
池の斜面には、乙女稲荷神社。
江戸名所図会にも、社殿西側、いくつか、稲荷神社が、載っている。
そのなかの一つ、ということか。
池に、迫り出すような、感じ。
日本庭園としては、美しい景観だ。
そういえば、根津神社の旧地、元根津、というのは、どこにあるのだろう。
機会があれば、訪れてみたいものだ。
(2013年8月記)

千代田線根津駅(根津一丁目 根津神社)

2016-07-27 04:55:32 | Weblog
細い道の北側は、根津神社。
創建は、いつか、わからない。
ただ、相当古いらしいのは、確かだ。
鎌倉時代の前、平安時代、といったところか。
創建の地は、この場所ではない。
この場所に、移ってきたのは、江戸時代。
創建の地は、団子坂の北側、ということらしい。
今の、千駄木駅西側、丘の上。
正確な場所は、よくわからない。
現地に行ってみれば、わかるかもしれないが。
(2013年8月記)

千代田線根津駅(根津一丁目 細い路地)

2016-07-26 04:53:43 | Weblog
東西に伸びる、言問通りを渡り、さらに、北へ。
再び、細い道を、進んでいく。
山の手住宅地には、幅広の道は、ないわけで、まさに、その通り、ということか。
都心中心部、麻布、青山、麹町、といった、山の手とは、雰囲気が違うが、それでも、山の手なのだろう。
それはそれとして、今後、新しく、道路が、開通したり、再開発があったり、ということは、考えられない。
ずっとずっと、このまま、時を重ねていくはずだ。
細い道、北へ北へと歩き、途中、西へ。
そのまま、西へ、進む。
(2013年8月記)

千代田線根津駅(池之端二丁目 休昌院)

2016-07-24 05:36:54 | Weblog
細い道、北へ歩くと、通りの東側には、休昌院。
創建は、江戸時代になって、しばらくしてから。
創建の地は、本郷丸山、今の、東京大学西側あたり。
創建したものの、すぐに、江戸の町、拡張のため、この地に、移ってきている。
寛永寺西側、不忍池北西側、寺町を、形成したのだろう。
このあたり、寺社は、多い。
さらに、北へ。
(2013年8月記)

千代田線根津駅(池之端二丁目 忠綱寺)

2016-07-23 06:27:11 | Weblog
途中、西へ。
細い道、路地に入っていく。
しばらくすると、忠綱寺。
創建は、江戸時代の初め頃。
今の、水道場駅近くだろうか。
ほどなくして、この地に、移転してきている。
寛永寺の西側、不忍池北西側、寺町の一画、ということかな。
南北に伸びる、細い道を、北へ、向かう。
(2013年8月記)

千代田線根津駅(池之端二丁目 不忍通り)

2016-07-22 04:45:28 | Weblog
不忍通り、不忍池の西側を、通るので、その名前を、冠したのだろう。
不忍通りは、そのまま、北に向かうが、カーブを描き、向きを、西へと、変えていく。
曲がり続け、やがて、南向きへ。
早稲田あたりまで。
いつの間にか、環状4号線になっている。
逆に言えば、環状4号線の一部であり、このあたりの、不忍通りは、環状4号線から、分岐した、通り、ということだ。
不忍通り、北へ北へと歩く。
(2013年8月記)