retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線渋谷駅(道玄坂一丁目 渋谷東急プラザ)

2016-10-31 03:57:32 | Weblog
もう正月休み、年末。
早いものだ。
高田馬場駅から山手線。
渋谷駅で下車。
ずいぶんと久しぶり。
さっそく、西口駅前広場へ。
スクランブル交差点がある方ではなく、銀座線の、南側。
駅前広場の西側には、渋谷東急プラザ。
渋谷東急プラザの中、紀伊国屋書店に、何度、行ったことだろうか。
時間潰しなんだけど、今でも、鮮明に、覚えている。
完成したのは、高度成長期の頃。
(2013年12月記)

南北線本駒込駅(本駒込六丁目 本郷通り)

2016-10-30 05:10:55 | Weblog
再び、本郷通り。
北へ向かう。
しばらくすると、通りの、西側は、有名な、六義園。
ただ、もう、暗くなっていて、写真が撮れない。
断念するしかない。
とはいえ、日本庭園なぞ、興味はないし。
ということで、そのまま、北へ。
いつの間にか、日没が、早くなっているのだ。
年の瀬も、近い。
山手線、駒込駅へ。
山手線で帰る。
(2013年11月記)

南北線本駒込駅(本駒込五丁目 富士神社)

2016-10-29 05:18:15 | Weblog
富士神社、もともとは、加賀藩下屋敷に、あったらしい。
加賀藩下屋敷、いまは、ここから、北側、六義園のある場所。
屋敷内に、しばらくあったのか、屋敷造営のため、移転させられたのか、わからない。
とりあえず、江戸時代初め頃、この地に、移転してきている。
移転した場所、というのが、古墳のあった場所。
神社のある場所、古墳がある場合が、多いのだが、とすると、移転先としては、かなり、適切だったと思われる。
あるいは、祭祀の場が、なにか、残っていたのかもしれない。
富士神社を後にして、西へ向かう。
(2013年11月記)

南北線本駒込駅(本駒込三丁目 蔵のある民家)

2016-10-27 03:56:44 | Weblog
すぐに、蔵が目に入る。
これが、駒込名主の屋敷跡かと思ってしまった。
違ったようだが、こちらも、古そうだ。
明治時代初め頃の地図を見ると、道が、今のまま。
もっとも、江戸時代の蔵が、そのまま、残っているとも思えないが。
街並みは、古いのだろう。
再び、北へと、歩いていく。
(2013年11月記)

南北線本駒込駅(本駒込三丁目 駒込名主屋敷跡入口)

2016-10-26 03:59:01 | Weblog
北へ歩いていくと、東側、駒込名主屋敷跡、というのがあるらしい。
結局、どこにあるのか、わからなかったので、素通りしてしまう。
なんでも、江戸時代の、名主の屋敷が、現存している、ということだ。
歴史的テーマパーク、なのだろう。
実際、どこにあるのかというと、東側といっても、もっと、奥まったところにある。
さらに、北へ向かう。
(2013年11月記)

南北線本駒込駅(本駒込三丁目 天祖神社)

2016-10-25 04:07:01 | Weblog
東へ東へ歩いていくと、突き当たり、天祖神社。
創建は、わからない。
西側、ちょっと、離れるが、鎌倉街道が、通っているので、鎌倉時代だろうか。
おそらく、鎌倉時代、開拓が始まった頃だろう。
ただ、もともと、太古から、生活があり、祭祀の場、だったのかもしれない。
もう、昔のことなので、まったく、わからない。
北へ曲がり、そのまま、北へ。
(2013年11月記)

南北線本駒込駅(本駒込三丁目 文京、駒込の住宅地)

2016-10-24 04:00:34 | Weblog
本郷通り、北へ歩き、途中、東へ。
住宅地に中に、入っていく。
都心といえば、都心だが、住宅地なのだ。
郊外ではない。
明治時代から大正時代、都心だけだった頃、郊外は、なかったので、そういうのは、普通の住宅地として、あり得たのだろうな。
今、住宅地は、郊外。
たとえば、麻布の住宅地と、同じような意味で、特殊なんだろう。
そんな住宅地、東へ、歩いていく。
(2013年11月記)

南北線本駒込駅(本駒込二丁目 長源寺)

2016-10-23 05:36:38 | Weblog
北側には、長源寺。
創建は、江戸時代になって、しばらくしてから。
創建の地は、千駄木。
程なくして、この地に、移転してきている。
教元寺のように、日本橋近くにあったわけでもないが、おそらく、とりあえずは、寺町の形成、ということで、移転してきたのだろう。
本郷通り、さらに、北へ向かう。
(2013年11月記)