retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

銀座線虎ノ門駅(西新橋スクエア工事現場)

2014-09-30 04:41:45 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
九段下駅で、半蔵門線に、乗り換える。
永田町駅で下車。赤坂見附駅で銀座線へ。
虎ノ門駅で降りる。
久しぶりに来ると、遠さを、感じてしまうな。
地上に出ると、東西に伸びる、外堀通り。
外堀通りを、東へ向かう。
南北に伸びる、日比谷通りとの、交差点。
交差点の、北西側には、西新橋スクエアの工事現場。
都心部の、再開発が、南側に、拡大してきたようだ。
来た道を、引き返し、再び、虎ノ門駅へ戻る。
(2013年1月記)

南北線麻布十番駅(東麻布三丁目 麻布十番交差点)

2014-09-29 05:36:43 | Weblog
麻布十番商店街の南通りを、東へ進む。
途中、通りの、真ん中に、パティオ十番、という、小さな広場。
広場も、そうだが、商店街も、どこかの、テーマパークみたいで、ずいぶんと、しゃれた感じだ。
そういえば、最初に、この場所に来たのは、たしか、六本木ヒルズの工事のとき。
工事現場の、南側に沿って、東へと、歩いていたら、この、商店街だったのだ。
当時から、外国の、街並みのような、感じでは、あったな。
でも、もう少し、普通の、商店街のようでも、あった気もするけど。
などと、昔のことを、思い出しながら、歩いていくと、麻布十番の交差点。
南北線、都営大江戸線の、麻布十番駅がある。
当時は、もう、南北線が、開業していたのかな。
もう、忘れてしまった。
月日が経つのは、早いものだ。
南北線で、帰ることにする。
今度、来るときは、どうなっているのだろう。
(2013年1月記)

南北線麻布十番駅(麻布十番二丁目 麻布十番商店街 南通り)

2014-09-28 08:00:40 | Weblog
総門、といっても、今はないが、を出て、北へ。
そのまま、北へ北へと、歩いていく。
おそらく、総門だとすれば、そこまでが、善福寺の、境内だが、総門でなくなったとすれば、中門が、事実上の、総門、ということになるのかも。
寺域が、小さくなったのかな。
江戸時代の地図を見ると、総門より東側、町名が、善福寺となっていて、さらに、その東側、武家屋敷、そして、南から北に流れる、古川、となっている。
とすると、あるいは、善福寺の寺域は、古川まで、あったのかもしれない。
そうなっていれば、柳の井戸から、湧き出た、細流は、そのまま、古川に、流れ込んでいたはずなので、それなりに、意味を、持ったはずだ。
などと、考えているうちに、東西に、伸びる、麻布十番商店街南通りに、辿り着く。
(2013年1月記)

南北線麻布十番駅(元麻布一丁目 柳の井戸)

2014-09-27 08:16:00 | Weblog
東へ向かうと、すぐ、通りの、北側、柳の井戸、という湧水、がある。
いつからあるのか、わからない。
江戸名所図会には、載っているので、少なくとも、江戸時代には、あったのだろう。
それ以前は、どうなのだろうか。
柳の井戸の、北側には、鎌倉時代、善福寺に付属する寺院として、最初の、金蔵寺、が建てられている。
そのような、位置関係から、みると、鎌倉時代から、柳の井戸は、あったと、思えるし、また、それ以前から、あったとも、思える。
つまり、もともと、善福寺境内に、柳の井戸があって、その、すぐ、北側に、金蔵寺、建てられたのに違いない。
さらに、考えると、善福寺の、中門と、総門を結ぶ、参道脇に、あるわけで、とすると、善福寺が、建つ前から、あったのかもしれない。
天然の、湧水なら、当然、かもしれないけど。
柳の井戸を後にし、東へ。
(2013年1月記)

南北線麻布十番駅(元麻布一丁目 真福寺)

2014-09-26 05:36:42 | Weblog
東隣、すぐに、通りの北側、真福寺。
創建は、江戸時代になって、直後のこと。
創建の地は、今の、六本木交差点の、南側あたりだろうか。
しばらくして、江戸の町の、拡大とともに、この地に、移転している。
ということで、善福寺境内、総門から、中門までの間の、参道、南側と、北側には、それぞれ、三つの、寺院が、並ぶように、なったらしい。
当時の、建物は、残っていないのだが、位置は、江戸名所図会の、まま、なのかも。
そのような、感じがする。
再び、東へと、向かう。
(2013年1月記)

南北線麻布十番駅(元麻布一丁目 善正寺)

2014-09-25 05:37:18 | Weblog
東へ、歩くと、すぐに、通りの、北側には、善正寺。
創建は、江戸時代の、直前、くらいか。
江戸時代の、画期、というところだろう。
こちらも、江戸名所図会には、寺院として、記載はない。
善福寺の、絵を見て、中門、階段を、降りたところ、北側の、ちょっと、奥まっているところにある、家並みが、善正寺、だろうと思う。
実際、どうなのかは、わからないけど。
善福寺参道となっている通りを、さらに、東へ、歩く。
(2013年1月記)

南北線麻布十番駅(元麻布一丁目 善福寺)

2014-09-24 04:47:41 | Weblog
西側は、すぐに、善福寺に、中門、となる。
石段を、上り、中門を、潜れば、善福寺の、境内だが、時間がないので、やめた。
創建は、かなり、古いらしい。
古すぎて、いったい、いつなのか、わからない。
いちおう、浅草寺が、もっとも、古い、ということらしいので、その次ぐらい、だろうか。
調布市、深大寺と、同じぐらいかな。
もう、昔なので、今となっては、わからない。
麻布、という地名も、古そうなので、善福寺も、古いのには、違いないと思えるけど。
その後、鎌倉時代に、付属する、寺院が、建てられ始めることから、なにか、画期が、あったと思われる。
また、江戸時代にも、同じように、付属する、寺院が、建てられているので、やはり、画期が、あったのかもしれない。
いくつもの、時代を、潜り抜けてきた、古い、寺院、ということだろう。
なにか、昔の、遺跡でも、見つかれば、いいのだが。
東へ。来た道を、引き返す。
(2013年1月記)

南北線麻布十番駅(元麻布一丁目 善通寺)

2014-09-23 07:07:22 | Weblog
通りの、南側には、すぐに、善通寺。
善光寺の、西隣だ。
創建は、江戸時代の、初め頃。
江戸時代の、画期、ということだろう。
こちらは、江戸時代の創建、新しいので、はっきりしている。
善福寺境内には、このように、鎌倉時代の寺院と、江戸時代の寺院、があるらしい。
もっとも、位置的に、どのような、関係か、わからない。
本堂から、近い順に、建てられ、つまり、新しい、寺院は、もっとも、遠い場所のように、思えるのだが、実際は、異なる。
新しい、善通寺は、善福寺中門の、すぐ、近くだ。
それほど、考えていないのかもしれないけど。
さらに、西へ、進む。
(2013年1月記)

南北線麻布十番駅(元麻布一丁目 金蔵寺)

2014-09-22 04:39:04 | Weblog
善光寺の、通りを挟んで、北側には、金蔵寺。
創建は、おそらく、鎌倉時代、であろうか。
よくわからない。
もう一つ。おそらく、善福寺に、連なる、寺院では、最初であろうと、思われる。
二番目、三番目が、どの寺院だろうか。
向かいの、善光寺、だろうか。
時代が、離れているように、思えるので、違うかもしれない。
さらに、もう一つ。一番目の、寺院が、なぜ、この場所なのだろう。
柳の井戸が、もっとも、近いから、かもしれない。
今となっては、もう、わからない。
再び、西へ、歩く。
(2013年1月記)

南北線麻布十番駅(元麻布一丁目 善光寺)

2014-09-21 08:06:56 | Weblog
通り、というより、参道、なのかな、通りの南側には、善光寺。
創建は、おそらく、鎌倉時代の、終わり頃、と思われる。
ただ、江戸時代の地図や、江戸名所図会には、特に、記載はない。
江戸名所図会で、確認できるのは、柳の井、という湧水。
通りを挟んで、善光寺の、向かい側に、あるはずなのだが。
いちおう、家並みは、描かれているので、その、家並みが、善光寺、なのだろう。
おそらく、参道を入って、すぐ、南側に、光善寺、そして、その、西隣に、善光寺、という風に、なっていたのかも。
さらに、西へ、進んでいく。
(2013年1月記)