retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線目黒駅(ドレッセ目黒インプレスタワー)

2009-04-30 06:11:25 | Weblog
大崎駅で山手線に乗る。
目黒駅で下車。
西側に出て、行人坂を下っていく。
やはり、体調がよくないのかも。妙に足が重い。
坂を下りきると、目黒川。太鼓橋を渡る。
ちょっと、西側に歩いたら、完全に道に迷ってしまった。
方向感覚は、いい方なので、道に迷う、なんて、まずないんだけど。
住宅地の中を彷徨した挙句、幅広な通りに出る。
こんなところに、こんな広い道、あったかな。
とにかく、その道を進んでみる。知っている通りに出れば、なんとか、場所の推測ができるだろう。
ただ、気になるのは、日没が近い、ということなのだが。だんだん、気持ちに余裕がなくなってきた。
歩いていくと、はたして、山手通りに行き当たる。
予想よりも、かなり、西側に来てしまったわけだ。このまま、歩いていけば、五反田か大崎だな。だけど、これでは、もとの場所に戻ってしまうではないか。
すぐに、東側へ。とにかく、目黒川沿いに戻らなければ。
そういえば、山手通りだったかな。意外と古そうなお店が並んでいたような気がした。
山手通りは、北の方から、どんどん、拡幅されていっているので、そのうち、それらの古い街並みも、消滅してしまうのかな。
そんなことを考えながら、彷徨っているので、新しい街並みと、消え行く古い街並みが、頭の中で、ぐるぐると交錯してくる。
ようやく、目黒川沿いへ辿り着き、川沿いに南へ歩く。
すぐに、東急目黒線の高架。高架をくぐったところに、妙に細い橋が架かっていた。
さっきの消え行く、古い街並みを思わせる橋だ。
そう気付くと、ぎょっとしてしまった。
さんざん歩き回った末に、最初と同じ場所に出てしまい、抜け出せない迷路にいることを、悟ったような、そんな感じだったからだ。
とにかく、その橋で、目黒川を渡る。
東急目黒線に沿って、上り坂になっている細い道が伸びているのだが、その道を歩いていく。
ちょっと、開けたようなところに出ると、ドレッセ目黒インプレスタワーがある。
竣工は、失われた10年の後、集積化の時代。
山手線からも、よく見える、高層住宅だ。
やっと辿り着いたわけだが、まわりには、誰もいない。寂寥感が漂うばかり。
この寂寥感、少し前に、大崎駅の高層ビル群を通ってきた時に感じた、寂寥感と、まったく、同じではないか。
またしても、同じ場所に戻ってしまった。そういう感じだ。
抜け出せない迷路。果てしもない彷徨。
なんか、本格的に体調がよくないのかな。
早く帰ろう。
(2008年11月記)

山手線大崎駅(タワーコート北品川)

2009-04-29 07:29:29 | Weblog
東雲駅で、りんかい線に乗り込む。
さっき、走ったために、疲れてしまった。
いや、あの程度、走っただけで、疲れるわけないな。
疲れが、蓄積している、そんな感じだ。
りんかい線は、このまま、乗っていれば、山手線に入るので、とても便利なのだが、相変わらず、がらがら。
気兼ねなく、シートに座れる。
シートで、ちょっと、ゆっくり、休んだ方がいい。
りんかい線は、臨海副都心へ。
国際展示場駅、東京テレポート駅、と通っていくたびに、電車の車内は、賑やかになってくる。臨海副都心が、ゴーストタウンにならなくて、本当に、よかった。
列車は、臨海副都心を離れ、大井町駅を過ぎ、大崎駅へ。
大崎駅周辺は、今も、高層ビルの建設が続いている。
その高層ビルを見るために、この駅に、何度、降り立ったことだろうか。
駅の西側に出て、線路に沿って、南へと歩く。
しばらくして、陸橋で、線路の東側へ。誰も知らない、抜け道のような道路へ降り立つ。第一三共の敷地の北側を東西に伸びている細い道なのだが。
東へと歩く。誰もいないので寂しい。さっきの、臨海副都心での賑やかさが、懐かしいばかりだ。
疲れが、また、出てきて、体が重いような感じる。
目黒川を渡ると、その先には、山手通り。
山手通りに入り、東海道線をくぐり、さらに、東へと進む。
かなり、歩いたところ、山手通りの南側には、タワーコート北品川がある。(工事中はこちら
最寄り駅としては、大崎駅よりも、京浜急行の新馬場駅の方が、はるかに、近い。
そちらの方から、来た方が、寂しい感じはしなかったかもしれないな。
どうも、歩き続けたためか、疲れきってしまった。すぐに、戻ることにする。
来た道を西へ西へと歩いていく。
大崎に近付くにつれ、寒々しい、寂寥感に包まれていくような気がする。
誰もいない通路を、重い足取りで、進んでいく。
陸橋を越え、ようやく、大崎駅の西側へ。
高層ビルだらけになった大崎駅周辺。そして、今でも、その建設は続いている。
ただ、そのたびに、どんどん、寂しい街になっていくような気がする。
(2008年11月記)

りんかい線東雲駅(東雲2丁目計画)

2009-04-28 06:11:19 | Weblog
南に歩き、辰巳桜橋の袂へ。
今度は、西に進む。東雲キャナルコートの南側を通っていく。
南北に伸びる晴海通りへ。
この晴海通りに沿って、東雲キャナルコートの西側にも、南北に高層住宅が建ち並ぶらしいのだが、いつになることやら。
晴海通りを南に歩いていく。
東雲キャナルコートの高層住宅群を過ぎると、倉庫街が広がる。
高層住宅が建ち並ぶ中にいると、つい、錯覚してしまうが、一帯の、本来の姿は、今、目の前に広がっている、荒涼とした、倉庫街なのだ。
江東区の埋立地なのだから、そういうことになるだろうな。
さらに、南へ進むと、りんかい線東雲駅の近く、というところ、晴海通りの西側に東雲2丁目計画。
こうして見ると、東雲キャナルコートの高層住宅群が、着々と、南側にも拡大し、東雲駅に達しそうな勢いを感じてしまう。
あるいは、西側の、有明に建っている、高層住宅群が、東側に拡大し、東雲キャナルコートの高層住宅群と合体するかに、見えてしまう。
でも、本当にそんなことがありえるのだろうか。
まわりの、昔から、変わらない、荒涼とした、光景を見ていると、どうしても、疑問に思ってしまうな。
たしかに、倉庫街は、もう、いらなくなるだろう。そして、その跡地には、いつか、やっぱり、高層住宅が建っていくのかもしれない。
けれど、倉庫街、の次は、高層住宅、というのは、あまりにも、安直過ぎる。
実話かどうか、わからないけど、昔、ある国の国民が貧窮に喘ぎ、パンにも困っているとき、能天気な女王様が、「パンがなければ、ケーキを食べればいいのに」と、仰ったそうだ。
そんな逸話と似ているような感じだ。
倉庫街は、実体に基づいて、その場所に、あったのだろうけど、高層住宅が、同じだけの実体を、そもそも、持っているものなのだろうか。
こんなことは、いつか、行き詰ってしまうに違いない。
倉庫街がなくなって、そして、もう、何もかも、なくなってしまった。そうならなければ、いいけど。
東雲駅に向かって歩く。
東西に伸びる湾岸道路を越えれば、東雲駅、となる。
ここの横断歩道、何回か、通っているが、必ず、道路の中央部分で、信号が、赤になってしまうのだ。
だから、青になったら、すぐに、ダッシュ。すると、後ろにいた、女性も、同じように、走ってくるではないか。
考えることは、同じなんだな。
赤になる前に、湾岸道路の反対側に、辿り着く。
ふと、振り返ると、遠くに、東雲2丁目計画の更地。
あの高層住宅の計画は、赤信号になるまでに、間に合うのだろうか。
それに、そもそも、なんで、歩道橋がないんだろう。
そんな風に考えると、なんとなく、まわりの荒涼とした風景の、理由が、わかったような気がした。
(2008年11月記)

有楽町線辰巳駅(BEACON Tower Residence)

2009-04-27 06:10:10 | Weblog
高田馬場駅から東西線。飯田橋駅から有楽町線に乗り換える。
辰巳駅で下車。駅北側に出て、辰巳桜橋で、辰巳運河を渡る。
まだ、土地勘がなかったころは、駅の南側に出てしまい、三ツ目通りを北へ北へと歩いて、途中、西へ曲がって、都営辰巳団地を抜けていったな。かなり、遠回りだったけど。
でも、その時のことは、まだ、はっきり、覚えている。高度成長期の、レトロな団地風景が広がっていて、印象深かったのだろう。
辰巳桜橋を西へ歩いていく。
辰巳桜橋の向こうには、東雲の巨大な高層住宅が、林のように建ち並んでいて、壮観な眺めが広がる。
振り返って、辰巳運河の反対側を見ると、レトロな都営辰巳団地。本当に、対照的な光景だ。だけど、高度成長期の頃は、辰巳団地も、近未来的な集合住宅だったはずだが。
辰巳桜橋を渡りきり、北へ。
東雲キャナルコートの高層住宅群がある。
その高層住宅群の東側には、辰巳運河に沿って、高層住宅が、南北に連なっている。
南側から、アップルタワーキャナルファーストタワー、そして、最近できた、BEACON Tower Residenceだ。(工事中はこちら
壮観な眺めなんだけど、できあがってみると、あっけない感じだな。
ふと、運河を見て、気付いたのだが、もう少し、欲を言えば、運河の岸が、もっと、きれいだったら、いいのに、と思ってしまう。
遠くから眺めれば、たしかに、海辺、なんだけど、近くで見ると、海辺、という雰囲気じゃない。
実際、海ではなくて、運河なんだろうけど。
だからといって、汚いままでは、興醒めしてしまう。
そんなことは、関係ないといえば、関係ないのだが。
そういえば、まだ、東雲キャナルコートの高層住宅群は、完成していないのだった。
西側にも、同じように、高層住宅が、南北に建つ予定らしい。
とすると、また、こうして、辰巳駅に降り立ち、辰巳桜橋を渡ることになるのだな。
結局、いつになったら、完成するんだろうか。
もし、全体が完成して、もう来ることがなくなる、とわかれば、最後は、最初の時と同じコース、都営辰巳団地の中を抜けていこう。
なぜなら、東雲キャナルコートの、何十年か先の姿こそ、今の、都営辰巳団地の姿だからだ。
(2008年11月記)

山手線浜松町駅(ホテルインターコンチネンタル東京ベイ)

2009-04-26 07:40:06 | Weblog
晴海通りと清澄通りとの交差点に出ると、都営大江戸線の勝どき駅がある。
地下鉄の駅が近くにあると本当に便利だな。
まるで、どこでもドア、みたい。
だからこそ、勝どきの街には、再開発の波が押し寄せているんだろうけど。
そういえば、マンガの美味しんぼの主人公、山岡士郎は、この近くの月島に住んでいる、という設定だったはずだ。
そして、彼の勤務先の東西新聞、というのは、朝日新聞のことらしい。
とすると、通勤する時は、大江戸線に乗って、月島駅から2つ目の駅、築地市場駅で降りているわけかな。
なんとなく、あり得そうな感じがするけど。
勝どき駅で都営大江戸線に乗り込む。山岡士郎が座っていることを、想像すると、ちょっと、楽しい感じだ。
でも、今、乗っている都営大江戸線が開通する前は、どうしていたんだろうか。
有楽町線を使うしか、ないんだろうけど、そんな、通勤のシーンなんて、あったかなあ。思い出せない。
たぶん、月島駅から有楽町線に乗って、有楽町駅で、JR山手線へ。新橋駅まで行って、そこから、ぶらぶら、歩いていたのかな。
有楽町だと、グルメっぽい感じのお店がありそうだし。有楽町、有楽町線、月島駅、という連想は、自然な感じだし。
そんなことよりも、月島に住む前は、たしか、ビルの屋上みたいなところに一人で住んでいた。その場所の方が気になるな。今度、調べてみよう。
そんな空想をしているうちに、都営大江戸線は、大門駅へ。
大門駅で下車。地上に出ると、すぐに浜松町駅。事実上、浜松町駅みたいなものだ。
JR山手線の下をくぐって、東へ東へと歩いていく。
竹芝埠頭へ。
竹芝埠頭には、ニューピア竹芝のビル群が南北に連なっている。
そのビル群の南端にホテルインターコンチネンタル東京ベイ。
竣工は、バブルが崩壊した頃だ。
その頃は、バブル崩壊、といっても、まだ、未来は、崩壊していなかったような気がするけどな。
なぜなら、どこでもドア、みたいな、都営大江戸線が、開通予定だったから、ということも、あったかもしれない。
もっとも、開通して、便利になったのは、いいけど、世の中、すっかり、格差社会。生活は、苦しくなるばかりだ。
なんでだろうか。今は、都営大江戸線に、美味しんぼの山岡士郎が乗っている姿を、想像するぐらいかな。
そうだ、山岡士郎が、ビルの屋上に住んでいた場所を、探すんだったっけ。
なんだか、虚しくなってきたな。もう、帰ったほうが、よさそうだ。
(2008年11月記)

都営大江戸線勝どき駅(勝どき一丁目アパート1号棟)

2009-04-25 06:11:52 | Weblog
晴海通りを南東へと歩いていく。
銀座の東側には、築地の街が広がっているはずなのだが、今では、すっかり、小さいビルが建ち並び、その面影はない。
といっても、もともとは、築地料亭街だったはずなので、面影が残っているとすれば、歴史テーマパーク、ということになるのだろうか。
ひょっとしたら、寿司屋が多いのは、築地市場が近くになるから、というより、かつて、料亭街だった、という名残なのかもしれないけど。
南西に伸びる、新大橋通りを越えると、南側に、その築地市場が広がっている。
実際の築地市場は、もっと南側なのだが、晴海通りに沿った部分には、築地場外市場があって、一般的な築地市場のイメージは、そちらの方なのかもしれない。
いつも活気のある雰囲気のする、そんな築地市場の前を過ぎると、隅田川に架かる、勝鬨橋、となる。
その勝鬨橋を渡っているとき、大きなトラックが通るたびに、ガクンガクンと、震えるのは、この橋が、跳開橋だからだろうな。
かつて、隅田川を大きな船が通るとき、勝鬨橋は、中央部が割れて、上に持ち上がり、開いていたのだが、今でも、その構造は、残っているらしい。
このガクンガクンという震動から、この橋が開いていたときの、壮大な情景が、浮かぶとしたら、想像力が豊か過ぎるのかも。
橋を渡ると、勝どきの街、となる。
忘れられ、取り残された街並みは、今はもうすっかり姿を消してしまったけど。
北東側の、月島、もんじゃストリートは、残ったのに、こちらは、残らなかったようだな。
さらに、南東に歩く。
清澄通りとの交差点があり、その手前で、北東側に入ると、勝どき一丁目アパート1号棟がある。
竣工は、失われた10年が終わった後、集積化の時代の頃だ。
その頃から、勝どきには、高層住宅が建ち始めたのかな。
こんなふうにして、忘れられた場所は、そのまま、忘れられたままで、残ることは、ないものらしい。
そして、思い出だけになっていくのだ。
(2008年11月記)

日比谷線東銀座駅(東銀座東劇ビル)

2009-04-24 04:21:30 | Weblog
春日通りを西に歩き、茗荷谷駅に戻る。
再び、丸ノ内線に乗り込む。
丸ノ内線が、トンネルに入る前に、小日向プロジェクトの工事現場を見ようと思ったが、結局、崖下から建つのかどうか、わからなかった。
わかったところで、どうということでもないんだけど。
銀座駅で日比谷線に乗り換える。
次の東銀座駅で下車。
銀座駅からなら、わざわざ、地下鉄に乗るような距離でもなかったかな。
でも、特に銀座に用があるわけでもないし。歩きたいとも、思わないし。
それなら、銀座の街はずれ、東銀座駅で降りるのが、ちょうどいいのだ。
地上に出ると、南北に伸びる昭和通りと、東西に伸びる晴海通りとの、交差点。
たぶん、この昭和通りまでが、銀座、のような気がする。
なぜなら、昭和通りの東側には、高層ビルが、南北に、並んでいて、壁のようになっているからだ。
境界線になっているような感じだな。
晴海通りを南東に向かい、掘割になっている、首都高都心環状線を越えると、すぐに、通りの南側に東銀座東劇ビルがある。
竣工は、高度成長期が終わって、安定期に入る頃だ。
ところで、この高層ビルのビル名、「東劇」は、東京劇場、映画館のことなのだが、高層ビルが建つ前は、映画館だけだったようだ。
その当時は、高度成長期以前の、映画にとっては、黄金時代だったので、さぞ、この映画館も、賑わっていたことだろうな。
だが、高度成長を達成すると、生活に余裕ができて、娯楽は、映画だけではなくなる。だから、映画館も、高層ビルになったのだろう。
もっとも、豊かな時代になったということが、背景にあるので、高層ビルが建つ、ということに対しては、ネガティブな印象は、なかったと思う。
むしろ、ポジティブであり、さらに、未来志向でもあったはずだ。
今とは、正反対な気がするな。
でも、それは、仕方のないことなのだろう。
(2008年11月記)

丸ノ内線茗荷谷駅(小日向プロジェクト)

2009-04-23 06:10:09 | Weblog
小石川パークタワーの目の前にある、播磨坂桜並木の通り、実は、かつて、別の名前があったらしい。
環状3号線、というのが、その名前なのだが。
ということは、この道路、環状道路なので、予定としては、都心をぐるりと周回する道路の一部、ということになる。
実際、環状3号線は、西側は、外苑東通り、東側は、三つ目通り、北側は、言問通り、とかなりの部分は、すでに、開通している。
だが、文京山の手の、この一帯だけ、わずか、数100メートルの、この播磨坂桜並木通りしか、開通していないのだ。
それどころか、この道路の中央部分は、並木道が通り、小川まで流れていて、道路全体が、細長い公園のようになっている。
ということは、もはや、道路の両端を延長して、外苑東通り、及び、言問通りと接続、環状道路を完成させる、ということは、断念したのだろうな。
たぶん、もし、環状3号線を開通させるとすると、地下を通す、ということになるに違いない。そこまで、交通事情は、逼迫していないので、この先も、ずっと、このまま、だと思うけど。
それなら、いっそのこと、すぐ東側には、小石川植物園があるので、播磨坂桜並木通りを、小石川植物園とくっつけてしまえば、便利な気がするが。
春日通りから、桜並木を通っていくと、その先には、小石川植物園がある、というのも、いいかもしれない。
そんなことを考えながら、春日通りに戻り、少し、東に進むと、春日通りの南側に小日向プロジェクトがある。
春日通りの南側は、崖下になっていて、その崖の下の底の部分を、丸ノ内線が走っているのだが、その崖っぷちに、高層住宅が建つらしい。
この高層住宅、崖の下から建つのか、上に建つのか、通りから見た限りでは、ちょっと、わからないけど。
わかっているのは、こんな場所に建つ高層住宅でも、おそらく、この一帯では、最後の、高層住宅になるだろう、ということぐらいかな。
(2008年11月記)

丸ノ内線茗荷谷駅(小石川パークタワー)

2009-04-22 06:10:07 | Weblog
高田馬場駅から東西線。大手町駅で丸ノ内線のホームへ。
各地下鉄路線のホームが、別々なので、かなり歩かなくてはならない。
丸ノ内線に乗り込む。
茗荷谷駅で下車。
丸ノ内線は、地下鉄なのだが、ところどころで、地上に出ている部分がある。
茗荷谷駅は、その地上に出ている部分の一つなのだ。
だから、ホームに出ると、太陽の光が眩しい、ということは、予想していたのだが。
でも、けっこう、やっぱり、眩しい。
そういえば、今日は、秋晴れ、快晴なのだ。抜けるような青空。眩しいけど、本当に気持ちのよい日和だな。
改札を通って、春日通りに出る。
茗荷谷、という駅名から、谷地を連想してしまうが、実際、谷は、南側の方で、駅のある、春日通り一帯は、高台、文京山の手が広がっている。
春日通りを東の方へ、のんびりと歩いていく。
ぽかぽかと暖かい、まさに、小春日和の天気。山の手には、こういう、日和が、よく似合うものらしいな。
もっとも、こんな、のんびりしたところに住んでいたら、人生観、変わってしまうだろうな。そんな感じがする。
しばらく、歩いていくと、北へ幅広の通りが、伸びている。
播磨坂桜並木、という通り。
幅広な通りなのだが、中央部分が、並木のある遊歩道になっている。人工の小川も流れていて、細長い公園、といったところかな。
その播磨坂桜並木の通りに入り、北へ歩く。
しばらくすると、通りの東側に、小石川パークタワーがある。
竣工は、バブルの頃だ。
こんな山の手に高層住宅が建つ、なんて、今では、まったく、考えられない。
昔は、山の手だけでなく、全体的に、小春日和のような感じだったから、こういう場所にも、高層住宅が、建ったのかもしれないな。
ということは、全体的に、のんびりした時代など、もう来ない、ということだ。
(2008年11月記)

山手線浜松町駅(東京ガス本社ビル)

2009-04-21 13:57:16 | Weblog
愛宕通りを北へ北へと歩いていく。
途中、通りの西側だろうか。環状2号線新橋虎ノ門地区再開発予定地がある。
何年かすれば、ここには、巨大高層ビルが建つらしい。
さらに、東西に環状2号線も開通する予定だ。
そうなると、また、一帯の様相は、一変するだろうなあ。
どんなふうになるか、わからないけど。
単純に、丸の内、内幸町のような、オフィス街になるとは、思えないし。かといって、今のままの状態で、ポツンと、巨大な高層ビルが、建つだけ、ということも、考えにくいし。
その時になってみないと、本当にわからない。
さらに北へと進む。しばらくすると、交差点。西へ曲がり、そのまま西へ。
すぐに、銀座線虎ノ門駅がある。
虎ノ門駅で銀座線に乗り込み、新橋駅へ。山手線に乗り換える。
浜松町駅で下車。
浜松町駅に降り立ってから、ふと、気が付いたけど、愛宕からなら、浜松町まで、歩けないこともなかったかな。かなりな遠回りだったかも。急いでいるわけではないから、いいけど。
浜松町駅の改札を出て、構内を南へ歩く。駅東側への通路がある。その通路を進んで、階段を降りると、浜松町駅の東側に出られる。
初めて、浜松町の駅構内がわかった。以前は、いったん、駅を出て、西側を、駅に沿って、南に歩いたりしていたな。
駅の東側に広がる、旧芝離宮恩賜庭園の南側を東へ。
道路の南側には、東京ガス本社ビルがある。
竣工は、バブルの直前ぐらいだろうか。
その頃が、一番、いい時代だったな。つい、思い出してしまったけど。
あと何十年かしたら、すごいことになっているな、とわくわくしてものだ。こんなになるとは、思ってもみなかったな。
思い出に浸っていても、仕方がないので、もう帰ることにする。階段を登って、さっきの通路を進めば、もう、浜松町駅の改札なんだったったな。
ただ、駅構内がわかって、便利になったけど、残念ながら、たぶん、もう来ることもないだろう。
新しいビルが建つわけでもないし。
これでは、過ぎ去った時代が、二度と戻って来ないことと、同じような感じだな。
(2008年11月記)