retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

都営大江戸線森下駅(千歳二丁目 初音森神社)

2015-10-31 06:02:45 | Weblog
途中、西へ曲がり、そのまま、西へ、歩く。
しばらくすると、通りの南側には、初音森神社。
創建は、鎌倉時代の、終わり頃、らしい。
創建の地は、今の、東日本橋駅の北側。靖国通りのさらに北、神田川の南側。
すぐ、西側に、南北に伸びる、鎌倉街道が、通っていたので、おそらく、本当のことだろう。
旧地には、昭和の時代、初音森神社摂社、が建てられている。
江戸時代になり、しばらくして、江戸の町、拡大に、伴い、この地に、移転。
再び、北へと、歩く。
(2013年5月記)

都営大江戸線森下駅(千歳三丁目 六間掘跡の路地)

2015-10-30 04:20:04 | Weblog
六間堀跡、平行する道路の、中央に、細い路地。
路地を、北へ北へと、歩いてみる。
六間堀、南側、東西に伸びる、小名木川と、北側、堅川の間を、結んでいる運河。
小名木川の方は、江戸の町が、造成される早々に、海岸に、堤を、築き、作られたらしい。
堅川の方は、それから、しばらくして、小名木川を、補完する、ということで、内陸、開削して、作られたようだ。
六間堀は、それらの、東西に伸びる運河を、さらに、補完、連絡するため、作られたのだろう。
六間掘跡、北へ北へと、歩く。
(2013年5月記)

都営大江戸線森下駅(千歳三丁目 六間堀跡の公園)

2015-10-29 04:54:06 | Weblog
東西に伸びる通り、西へと、歩いていく。
清澄通りを、渡り、さらに、西へ。
しばらくすると、南北に伸びる、六間堀跡。
六間堀跡を、南へ向かう。
六間堀と、五間堀との、分岐点跡。
今は、小さな、公園があるばかりだ。
もはや、昔日の、面影はない。
六間堀跡も、たとえば、緑道になっているわけではなく、道路が、不自然なほど、近接した、間隔で、平行に、並んでいるだけだ。
六間堀と、五間堀との、分岐点跡から、北へと、向かう。
(2013年5月記)

都営大江戸線森下駅(立川一丁目 大正湯)

2015-10-28 04:23:20 | Weblog
東西に伸びる通りを、東へ。
すぐに、北側には、大正湯。
名前の通り、大正時代創業、ということなのか、わからない。
高度成長期より前から、あったらしいのだが。
さらに、その前のことまでは、辿れない。
高度成長期、もっとも、盛んだったのだろうけど。
実は、すでに、今回、もう、大正湯は、なくなっていた。
時代の流れ、ということだ。
東西に伸びる通り、西へ、向かう。
(2013年5月記)

都営大江戸線森下駅(立川一丁目 弥勒寺)

2015-10-27 04:42:47 | Weblog
通りを挟んで、北側には、弥勒寺。
創建は、江戸時代の、初め頃。
創建の地は、小石川、伝通院の近く。
ほどなくして、今の、馬喰町駅北西側に、移転。
さらに、江戸の町、拡大に伴い、今の地に、移っている。
江戸名所図会に、この地に、移った跡の、弥勒寺が、載っているが、五間堀が、北東から、北西へ、屈曲した部分の、北側に、位置していた様子が、よくわかって興味深い。
(2013年5月記)

都営大江戸線森下駅(立川一丁目 龍光院)

2015-10-26 04:19:01 | Weblog
北側、東西に伸びる通りを、西へ。
通りの南側には、龍光院。
もともとは、北側の、弥勒寺の、子院だったらしい。
弥勒寺の、境内にあったのだろう。
江戸名所図会を見ると、弥勒寺、五間堀の、北側にある。
龍光院は、五間堀跡の、北側。
とすると、龍光院の、場所まで、弥勒寺の、境内、だったのかも。
つまり、龍光院は、そのままの、位置に、あったのかもしれない。
(2013年5月記)

都営大江戸線森下駅(菊川一丁目 大久保稲荷神社)

2015-10-25 05:24:56 | Weblog
北へ、歩く。
すぐに、通りの、東側、大久保稲荷神社。
創建は、はっきりしないが、江戸時代、と思われる。
もともと、旗本大久保家屋敷内にあったからだ。
ちなみに、旗本大久保家屋敷は、五間堀が、北東方向から、南東へ、向きを変えた、角の、南側にあったらしい。
とすると、大久保稲荷神社も、五間堀の南側に、あったのだろう。
ただ、神社が、旗本大久保家と関係があったのか、もともと、五間堀沿いに、建っていたのか、わからない。
五間堀を開削したとき、屈曲した部分に、稲荷神社を、建てたのだろうか。
今となっては、もはや、まったく、わからない。
(2013年5月記)

都営大江戸線森下駅(森下二丁目 静かな並木道)

2015-10-24 05:41:43 | Weblog
北西へ、歩いていくと、道路は、南東方向へ。
かつての、五間堀が、この地点で、向きを、南東へ、変えていたから、道路も、そうなっているのだろう。
五間堀は、そのまま、南東へ、流れ、途中で、行き止まりになっていたらしい。
物資の、輸送、ということなので、そのような、流路になったのかな。
その後、明治時代になって、その先、小名木川まで、開削されたようだが。
そして、時代は流れ、昭和の初め頃、都市化、ということで、運河は、埋め立てられていく。
五間堀も、終戦後までには、埋め立てれたようだ。
跡地、今は、静かな、並木道が、通っているのみ。
(2013年5月記)

都営大江戸線森下駅(森下二丁目 五間堀公園)

2015-10-23 04:58:24 | Weblog
勝どき駅から、再び、都営大江戸線。
森下駅で下車。
地上に出ると、さっきとは、大違い、江東下町の街並み。
南北に伸びる、清澄通りを、北へ。
しばらくすると、北西に伸びる、緑道。
五間堀公園、となっている。
江戸時代に、開削された、五間掘の、跡地。
西側、南北に伸びていた、六間堀から、北西方向へと、分岐していたようだ。
五間堀公園を、北西へ、向かう。
(2013年5月記)

都営大江戸線勝どき駅(勝どき二丁目 晴海通り)

2015-10-22 04:34:20 | Weblog
交差点に戻り、晴海通りを、北へ。
再び、朝潮運河を、トリトンブリッジで、渡る。
勝どきへ。勝どき駅へ、戻るわけだが。
そういえば、晴海通りと、平行するように、南西側に、環状2号線が、伸びる予定になっている。
再開発も、そちらに、移っているようだ。
隅田川に、橋が、架かれば、そのまま、汐留、新橋まで、行ける。
そうなるのは、いつのことだろう。
まだ、先のことかな。
とりあえず、勝どき駅に、向かう。
(2013年5月記)