retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

つくばエクスプレス線浅草駅(浅草タワー)

2014-06-30 05:00:09 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
飯田橋駅で総武線に乗り換える。
秋葉原駅で、さらに、つくばエキスプレスへ。
浅草駅で下車。
銀座線、都営浅草線、東武伊勢崎線の浅草駅とは、かなり、離れているが、こちらの方が、本来の、浅草のような気がする。
地上に出ると、南北に伸びる、国際通り。
国際通りから西へ。街中に入り、そのまま、西へ西へと、歩いて行く。
しばらくすると、浅草タワー。
最近、完成した、高層住宅だ。(工事中はこちら
浅草、といっても、むしろ、かっぱ橋道具街通りに、近い。
雰囲気は、浅草、という感じではないけど。
もっとも、住所は、西浅草なのだし、実際、浅草は、歩いても、すぐなので、浅草、という名前を、冠しても、いいかな。
来た道を戻る。
(2012年12月記)

山手線代々木駅(千駄ヶ谷五丁目 サザンテラス)

2014-06-29 04:22:55 | Weblog
山手線に沿って、北へ、歩いていく。
やがて、小田急線の、踏切。
その手前、東側、階段を上っていくと、新宿駅西口南側の、ペデストリアンデッキに出る。
ここまで、近ければ、もう少し、南側に、伸ばして、代々木駅も、含めれば、と思うのだが。
新宿駅東口南側も、高島屋、紀伊国屋書店と、南に向かうと、もう、すぐに、代々木駅になる。
こうなると、代々木駅を、改築して、新宿駅と、合体した方が、便利な気がする。
駅としては、分離していても、駅舎としては、同一、という風にするのだ。
もっとも、招来は、そうなるのかもしれない。
代々木駅が、改良されないままなのは、そのためかも。
などと考えながら、新宿駅ペデストリアンデッキ、サザンテラスを、北へ北へと、向かう。
新宿駅から、帰ることにする。
(2012年12月記)

山手線代々木駅(代々木駅前繁華街)

2014-06-28 06:26:34 | Weblog
代々木駅西口。
代々木ゼミナールで有名だが、「傷だらけの天使たち」主人公の住んでいた場所でもある。
学生の暮らせそうな、下町的な雰囲気と、煌びやかな新宿に対する、吹き溜まり的な街、なのだろうか。
とすると、そのような街、低地、谷地、にあったりするのだが。
実際、代々木駅、住所は、千駄ヶ谷。谷地、なのだ。
駅の西側が、ぎりぎり、代々木、となっている。
実際は、千駄ヶ谷なのだが、西側、台地、住民の利用する、駅だから、代々木駅、になったのかな。
繁華街も、そのためかもしれない。
そんな、代々木駅西口駅前を、通り過ぎ、北へ向かう。
(2012年12月記)

山手線代々木駅(千駄ヶ谷四丁目 厩道踏切)

2014-06-27 06:08:51 | Weblog
代々木駅近くの繁華街、歩いていくと、踏切がある。
厩道踏切、という名前。
山手線や、中央線は、高架上を、通っているが、埼京線、湘南新宿ラインが、通っているので、やはり、開かずの踏切かな。
ところで、なぜ、「厩道」踏切、と呼ばれるのだろう。
神宮外苑と、明治神宮との間、今の、首都高新宿線の通っている部分、かつて、馬車道、という、並木道が、あったらしい。
高度成長期前の、ことだけど。
そのここと、関係があるのだろうか。
あるいは、明治神宮の南側、代々木公園は、明治時代から、代々木連兵場だった、ということだ。
そのことと、関係があるのだろう。
はっきりとは、わからない。
厩道踏切を渡り、代々木駅へ向かう。
(2012年12月記)

副都心線北参道駅(千駄ヶ谷四丁目 代々木商店街)

2014-06-26 06:09:19 | Weblog
千駄ヶ谷グリーンモールは、ひょっとして、鳩森神社の、門前町、みたいなものかな、と思いたいが、明治時代の、地図を見ると、そのような、感じはしない。
街並みは、少し離れて、北側、新宿にしかない。
江戸時代は、もう少し、鳩森神社周辺は、賑やかだったかもしれないけど。
西へ進み、南北に伸びる、明治通りと、東西に伸びる、通りとの、交差点を、越える。
すると、千駄ヶ谷グリーンモールの、延長した先、まだ、商店街。
こちらは、おそらく、代々木商店街、ということになるのかな。
商店街、というよりも、繁華街、なのだが。
繁華街の中、北西へと、歩いていく。
(2012年12月記)

副都心線北参道駅(首都高新宿線高架下 北参道交差点)

2014-06-25 06:08:06 | Weblog
通りは、千駄ヶ谷グリーンモール、という商店街。
おそらく、商店街が、できたのは、高度成長期の頃、だろう。
東側には、神宮外苑が、完成するし、東京オリンピックも、開催。
その後、徐々に、賑やかになっていったのかな。
そして、他の、地域と同じように、バブル崩壊以降、賑やかさは、失われていったに、違いない。
といっても、シャッター通りに、なってしまった、郊外よりも、はるかに、ましなんだろうけど。
そんな千駄ヶ谷グリーンモールを、さらに、西へ。
しばらくすると、明治通りと、東西に伸びる通りとの、交差点の東側に出る。
上空には、首都高新宿線の高架。
ここらへんも、高度成長期に、完成したのだろう。
(2012年12月記)

副都心線北参道駅(千駄ヶ谷四丁目 鶴の湯)

2014-06-24 05:10:33 | Weblog
有名な歌人、与謝野晶子が、住んでいたところ。
明治時代の、終わり頃のことだ。
都心に対する、郊外が、まだ、整備されていない時期。
あたりは、田園だったのだろう。
ちなみに、明治時代の地図を見ると、東西に伸びる、道路に、沿って、ぽつぽつと、家屋が、見られる。
あとは、はるか北側、甲州街道沿いに、新宿があるのみ。
長閑な感じだ。
そんな、昔日に、思いを、馳せながら、歩いていると、通りの北側に、銭湯、鶴の湯。
(2012年12月記)

副都心線北参道駅(千駄ヶ谷一丁目 東京新詩社跡)

2014-06-23 04:17:56 | Weblog
外苑西通り。東西に伸びる通りとの、交差点。
東西に伸びる通りは、仙寿院の、真下を、通っている。
その部分、トンネルになっているわけだが。
寺院があれば、もちろん、墓地もあり、その、トンネルは、墓地の下、にある。
いかにも、曰くがありそうだ。
もっとも、例えば、江戸の町、大きくなるたびに、寺院は、移転し、その敷地は、他へ、流用されている。また、明治時代になったときも、寺院の、敷地は、学校などの、公共の、施設へ、流用されたりしている。
つまり、もともと、あまり、墓地に対して、思い入れは、ないのかも。
などと、考えながら、外苑西通りを、北へ。
しばらくして、西へ曲がり、そのまま、西へ西へと、歩いて行く。
住宅地に中、かなり、進んだところ、北側には、東京新詩社の、跡がある。
(2012年12月記)

副都心線北参道駅(千駄ヶ谷二丁目 仙寿院)

2014-06-22 06:09:10 | Weblog
南へ歩いていくと、仙寿院。
創建は、江戸時代の初め頃。
赤坂、紀州藩中屋敷、現在の、赤坂御用地に、あったようだ。
しばらくして、この地に、移転している。
江戸名所図会には、新日暮里、ということで、紹介。
とても、風光明媚だったらしい。
挿絵によると、惣門の前に、南北の道。その脇を、小川が、流れている。
その、小川、渋谷川、なのだろう。
惣門を潜ると、上り坂、中門。
その先には、広い境内と、本堂。
さらに、その、西側が、新日暮里。
桜木が、多数、植わっていて、池も、あったようだ。
今となっては、まったく、想像も、できない。
仙寿院の東側、外苑西通りに出る。
(2012年12月記)

副都心線北参道駅(千駄ヶ谷一丁目 聖輪寺)

2014-06-21 06:51:06 | Weblog
細い道、北へ北へと、歩いていくと、聖輪寺がある。
創建は、わからない。
ただ、鎌倉街道が近くを、通っているので、少なくとも、鎌倉時代、とも思われる。
さらに、それ以前からかどうかは、わからない。
近くの、鳩森神社は、相当、古いので、ひょっとしたら、聖輪寺も、それなりに、古い可能性がある。
今となっては、もはや、わからないけど。
ちなみに、江戸名所図会には、千駄ヶ谷観音堂、という名前で、載っている。
昔は、もう少し、西側に、寺域が、広がっていたらしいが、江戸名所図会からは、どのように、広がっていたのか、判然としない。
聖輪寺を後にして、南へ。
来た道を、引き返す。
(2012年12月記)