retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

南北線溜池山王駅(赤坂 氷川町四番地の勝海舟邸跡)

2010-07-31 08:25:43 | Weblog
東へ歩き、途中、南へ。再び、坂を上る。
さっきの、氷川神社の南側の通りに戻る。
その通りを、東へ。しばらくして、北へ伸びる道に入る。
そのまま、北へ進むと、赤坂こども中高生プラザという施設。もとは、氷川小学校だったらしい。
その一画に、もう一つの、勝海舟邸跡を示す表示板。
こちらは、徳川幕府消滅、江戸城開城、という歴史的な大事件の事後処理で、江戸を、一時的に離れた後、再び、戻ってきてからの、住居だ。
旧体制側の要職にありながら、また、戻ってくる、というのは、妙に思えるし、江戸城開城にしても、一見すると、裏切り行為のようだが。
でも、そう感じさせないところが、勝海舟たる、所以なのだろう。
たとえば、江戸を離れていた間は、大勢の旧幕臣の生活保障のため、奔走していたわけで、新体制に、鞍替えしたわけでもないし、新しく権力の座に就いたわけでもない。
そのように見てくると、裏切りには、当たらないはずだ。
この地に、居を定めてから、勝海舟の記した、「氷川清話」を、読むと、そのことに関して、興味深いことが、述べられている。
すなわち、時勢の流れにとらわれ、権力に振り回されることの、愚かさ、についてのことだが。
幕末の頃、あれだけ、大騒ぎして、徳川幕府を、糾弾したのに、わずか30年で、元将軍の、徳川慶喜が、東京に居ようが、静岡に居ようが、世間は、もう、すっかり、頓着しなくなってしまっている。
同じような例として、幕末期、あれだけ、流行っていた、水戸藩藩主の徳川斉昭、たった30年で、すっかり、過去の者になっている。
かほどに、時代の流れとは、儚いものなのだ、ということ。
さらに、最後に、「氷川清話」は、こう言っている。
ただ、誠意正心をもって、現在に応ずるだけの事さ。
つまり、誠意正心、現在に応じた結果の積み重ねが、歴史、ということなのかな。
たしかに、それはそうなんだけど。
ただ、こんな風に、歴史の流れに、淡白だと、とても、大河ドラマの主役を、はれないのは、確かだな。
もっとも、大河ドラマに、ネタを提供するために、生活している者は、あまり、いないと思うけど。
自分も、「現在に応ずる」ために、帰った方が、よさそうだ。
東に向かって歩き、溜池山王駅で帰る。
(2009年10月記)

南北線溜池山王駅(赤坂 本氷川坂下の勝海舟邸跡)

2010-07-30 06:11:21 | Weblog
森の中のような、昼なお暗い、氷川神社の境内。
その中を、南へ歩く。
氷川神社の南側を、東西に伸びる道路に出る。
いったん、西に向かい、しばらくして、北へ。
氷川神社の西側を、北へ歩くことになる。東側は、氷川坂を、下ることになったのだが、こちらも、当然、下り坂なわけで、とすると、何坂になるのだろう。
すぐに、突き当たりになるので、特に、坂に、名前が付いているわけではないのかな。
坂を下り切り、東へ。飲食店があって、その前に、勝海舟邸跡を示す、表示板が掲げてある。
幕末の頃、勝海舟が、この場所で、暮らしていたということだ。
ちょうど、咸臨丸で、アメリカに渡ったり、江戸城開城について、西郷隆盛と会談したりした時期にあたる。
そのような勤務には、適した、ところだったのだろう。
たしか、坂本龍馬が、勝海舟を、訪れたのも、ここだ。
そういえば、今年の大河ドラマ、坂本龍馬の「龍馬伝」だったっけ。
見ていないので、この、勝海舟と坂本龍馬の出会いのシーン、どんなだったか、わからないな。
ちょっと前、大人気だった、大河ドラマ「篤姫」にも、勝海舟が、登場したはずだ。
こちらも、見ていないので、どうだったか、わからない。
こんな風に、大河ドラマの、主要キャラクターなら、主役で、登場してもいいのに。
と思ったら、かなり、昔、勝海舟が主役だったことがあったのだ。
この時は、自分は、学生だったので、見ていたはずだが、まったく、記憶にない。
一番、大河ドラマで、記憶に残っているのが、勝海舟の数年後の、「花神」。
ただ、残念ながら、「花神」の主役、大村益次郎と、勝海舟は、ちょっと、キャラクターが、かぶっているためか、このドラマには、登場していない。
ふと、思い出したけど、勝海舟か、「花神」か、どちらか、忘れたが、坂本龍馬が、ちらっと、登場したのだ。
それが、もの凄く、小汚い、妙な、変わり者、という描かれ方。
「龍馬伝」の坂本龍馬とは、まったく違う。
歴史の捉え方は、その、捉える時代によって、変わるものなのかも。
(2009年10月記)

南北線溜池山王駅(赤坂 氷川神社)

2010-07-29 04:48:35 | Weblog
氷川坂の中腹、西側には、氷川神社。
氷川神社の脇にある坂だから、氷川坂なんだが。
さっそく、境内に入ってみる。
鬱蒼とした緑、森閑とした佇まい。
太古の雰囲気をそのまま、今に伝えているかのよう。
と思ったら、この地に、移ってきたのは、意外と、新しい。
江戸時代のことだ。
もとの場所は、今の、赤坂四丁目。赤坂不動尊のあたりか、あるいは、その、もっと、西側か、わからない。
また、当時は、古呂故(ころこ)宮、といったらしいのだが、こちらも、同じく、まったく、わからない。
ひょっとしたら、最初は、胡録神社、小六神社、だったのかも。やっぱり、違うかな。
場所を、移ったからといって、氷川神社に、変わることは、ないはずだし、それに、まわりには、他にも、氷川神社は、あるからだ。
たぶん、最初は、古呂故氷川神社、とでも、いったのだろう。
とすると、はるか昔、青山通りの南側、赤坂の台地は、古呂故(ころこ)、だったわけだが、この不思議な地名、ますます、わからない。
しかも、今は、その地名の痕跡が、もう、完全になくなっている。
おそらく、江戸時代になる以前、すでに、古呂故(ころこ)は、一木(ひとつぎ)、になっていたに違いない。
想像するに、こういうことかだろうか。
すなわち、最初に、入植した者、あるいは、先住者がいて、その時は、古呂故(ころこ)だったのだが、平安時代末から鎌倉時代にかけて、関東平野の各所で、開拓が始まると、この地に、氷川神社が、移されてくる。それが、赤坂氷川神社の始まりとなる。
そして、いつしか、古呂故(ころこ)は、一木(おそらく、元は、人継)(ひとつぎ)になったのだ。
もっとも、本当は、どうだか、わからない。
すべては、過去のこと、遠く過ぎ去った、昔の事なのだ。
(2009年10月記)

南北線溜池山王駅(赤坂 氷川坂)

2010-07-28 03:28:31 | Weblog
さくら坂を下り、再び、六本木通りへ。
通りを南西へ歩く。
アークヒルズあたりに、地下道があり、六本木通りの北側に出られるからだ。
六本木通りから、さらに、北へ。住宅地の中、細い路地を進む。
路地は、上り坂となっていて、南部坂と、呼ばれている。
もう、ここまで来ると、いままでの、喧騒が、想像できないほどに、静か。
しばらくして、十字路を、南西に曲がり、そのまま、南西へ。
すぐに、今度は、北への道。下り坂。氷川坂となっている。
坂の向こうには、赤坂のビルなどが見え、この場所が、都心にあることを、感じさせられるが、それ以外は、どこぞの、郊外のようだ。
緑も多く、閑静な佇まい。
山の手になっているので、当然かな。
さらに、近くには、氷川神社の広い境内などもあるし。
そういえば、赤坂から六本木通りへ、あるいは、その反対に、歩くとき、大通りではなく、そのまま、そういった、住宅地の中を通ってくると、不思議な感じがしてしまう。
都心の著名な繁華街の間に、なんで、こんな、静かな場所が、ということだが。
ただ、バブル期より前は、アークヒルズの周辺だって、こんなものだったと思う。
あの頃、地方の変貌は、凄かったが、むしろ、都心部は、ほって置かれたのだ。
今は、逆で、地方は、ほって置おかれ、都心は、もの凄い勢いで、変貌している。
その中にあって、まだ、ここは、静か。
おそらく、アークヒルズの方は、谷地だし、そばを、首都高の高架が、上を通る、大通りが、走っているから、住環境がよくなく、再開発されやすいのだろう。
こちらは、山の手だから、変化はないわけか。
そんな、静かな氷川坂を、ゆっくりと、下りていく。
(2009年10月記)

南北線溜池山王駅(赤坂 サイオン桜坂)

2010-07-27 03:45:47 | Weblog
さくら坂を上っていく。
名前の由来についてだが、坂を下ったところ、六本木通りに、桜の木が、植わっていたかららしい。今は、もう、その桜の木は、ないけど。
たぶん、桜もないのに、さくら坂、というのは、ちょっと、寂しい、そこで、坂の中腹に、桜が、植えられたのだろう。
経緯については、よくわからないな。
ライトアップは、やはり、バブルの頃だろうか。あるいは、バブルが、崩壊した頃だろうか。
こちらも、よくわからない。
ひょっとしたら、アークヒルズが、バブルの頃に、完成しているので、その時期、ライトアップが、始まったのかも。
ただ、バブル期は、今のように、都心部で、巨大な、ビルが、ぼこぼこ、建つような感じではなく、アークヒルズの、周囲も、いたって、静かだったと、記憶している。
その頃、さくら坂に、行っていないので、なんとも、言えないが。
ものすごい勢いで、都心部に、高層ビルが建ち始め、街並みが、変わったのは、バブルが崩壊して以降のこと。
とすると、やはり、さくら坂のライトアップは、その頃かな。あり得そうな気がする。
そんなことを、考えながら、さくら坂を上りきる。
すると、そこには、サイオン桜坂。最近、竣工した、高層住宅だ。(工事中はこちら
さくら坂に、桜並木が整備され、ライトアップされて、美しい景観になり、そして、高層住宅が建つ、ということか。
バブルが崩壊して以降の、都心集中化の齎した、一風景、そんな感じだな。
どうでもいいことだけど。
(2009年10月記)

南北線溜池山王駅(赤坂 さくら坂)

2010-07-26 04:45:26 | Weblog
高田馬場駅から東西線。飯田橋駅で、南北線に乗り換える。
溜池山王駅で下車。
長い長い地下道を、南へ南へと、歩いていく。
途中で、地上への階段が、幾つかあるが、そんな枝道は、気にせずに、ひたすら、南へと進む。
やっと、突き当たり、地上に出ると、六本木通りの南側だ。
地上は、六本木通りもそうなのだが、交通量の多い通りばかりで、横断歩道を渡らなければならず、移動するのは、意外と、面倒になる。
そんなときは、こうした、地下道が、便利なのだ。
もっとも、地上に出たとき、そこに、目的地があればの話だが。
こんな風に、便利なのだが、ただ、ここまで、延々と、地下道を、掘り進めたのなら、もう少し、六本木通り沿いに、進めば、アークヒルズがあるのに、と思ってしまう。
そうしなかったのは、南北線の次の駅、六本木一丁目駅から、アークヒルズまで、すでに、地下道が、伸びていて、その地下道と、繋がってしまうからかもしれない。
繋がったからといって、わざわざ、溜池山王駅から、地下道を、通って、歩いてくる、ということはないんだろうけど。
ただ、南北線の駅間の移動を、地下鉄の利用以外で、便利にしよう、ということは、なるべく、避けたいところだろうな。
地上に出て、六本木通りに沿い、少し、南西方向へ歩いていく。
しばらくすると、南側には、さくら坂がある。
いかにも、由緒のありそうな、名前だが、実は、それほど、古くはない。
ということで、訪れるまでは、高をくくっていたのだが。
この坂を、初めて、訪れのは、春の季節。たしか、その年は、いつまでも、寒さが、居座っていたと記憶している。
寒い、夜中だっただろうか、六本木、虎ノ門あたりの、台地から、溜池山王に向けて、歩いていて、適当に、坂道を、下っていたのだ。
すると、坂道の一画、闇夜の中に、ライトアップされた、桜並木。
異様なほど、美しい光景だったな。
もちろん、桜並木をライトアップしているから、さくら坂になったわけではないのだが、でも、それでいいんじゃないかな、と思うぐらい美しかったな。
(2009年10月記)

つくばエクスプレスつくば駅(つくば つくば駅近くの中央通り)

2010-07-25 07:19:28 | Weblog
H-IIロケットも見たし、今度こそは、もう、本当に、帰ることにする。
池の岸に沿って、南へ。
園内の芝地を、突っ切り、公園の南側を東西に伸びる、中央通りに出る。
陸橋を渡った先は、もう、つくばエクスプレスのつくば駅、ということになる。
このように見てくると、緑の公園、商業施設、集合住宅、オフィス街が、駅を、中心にして、コンパクトにまとまり、本当に、効率のよい、快適な、人工空間を、作り出していると、実感してしまうな。
もし、宇宙空間や、他天体に、ある程度、広大な、人工的居住空間を、作るとすれば、やはり、たぶん、こんな感じになるに、違いない。
とすると、つくばエキスプレスは、さながら、宇宙空間を飛び交う、星間移動のための、移送機関、というわけか。
かつて、描いていた、SFのような世界、なんとなく、実現しているではないか。
でも、ちょっと、違う。
たしかに、そうだとしても、やはり、ちょっとどころか、全然、違うような気がする。
SFのような世界は、世界であって、つくばエクスプレスのつくば駅は、それに比べれば、テーマパークのような、限られた空間でしかないからだ。
少なくとも、自分にとっては、まったく、関係のない、異空間なわけだし。
贅沢なほど、広々とした、つくば駅ホームから、列車に乗り込み、さらに、考える。
なるほど、そういうわけなら、SFの未来が、実現しないのは、すでに、部分的に、それが、実現され、享受されているから、なのかもしれない。
つまり、未来が、実現されているかどうか、ということと、それが、社会全体に、行き渡るかどうか、ということとは、別問題なのだ。
もっとも、そんな風に、未来が実現したとしても、その先に、また、新しい未来があるわけだし。
結局、永遠に、未来には、辿り着けない。未来には、終わりはない。
だから、未来など実現しなくとも、それでいいのかもしれないな。
秋葉原には、夕方の4時には、着いてしまう。
改札を出て、いつもの、雑踏の中へ。
ただ、ほっとした気分、というわけにはいかなかった。
終わりのない未来から、抜け出したとして、でも、そこには、未来のない、重苦しい、現実が、待ち受けているだけだからだ。
(2009年10月記)

つくばエキスプレスつくば駅(つくばエキスポセンターにあるH-IIロケット)

2010-07-24 06:58:56 | Weblog
居づらくなった、というわりには、さらに、北へと、歩を進める。
池の北側にある、つくばエキスポセンターに興味を惹かれたのだ。
もっと正確に言うと、つくばエキスポセンターは、どうでもよくて、その手前にある、巨大なロケットに、心惹かれたのだ。
H-IIロケット、というらしい。
ロケットに関して、特に、詳しいわけではなので、この、H-IIロケットが、どうして、展示されているのか、あるいは、宇宙開発において、どんな役割を果たしたのか、まったくわからないけど。
ただ、つくば、といえば、自分にとっては、つくば科学万博。
この催し、行ってないけど、科学技術の発展によって、SFのような世界が、本当に、実現するんじゃないかと、確信させてくれたものだ。
宇宙開発も、その中に、当然、入っていた。
だから、その頃の、宇宙の夢を、思い出して、思わず、H-IIロケットに、惹き付けられてしまったのだ。
もっとも、SFのような世界、例えば、宇宙空間に、いくつもの、巨大宇宙ステーションが浮いている、といったのようなことは、いまだに、まったく、実現しそうもない。
高度成長期頃の勢いだと、現代、つまり、21世紀の初めには、もう、とっくに、巨大宇宙ステーションの一つや二つ、実現しているはずなんだけど。
あの、未来への勢い、いったい、どこへいってしまったのだろう。
そんなことを考えていて、ふと、気付いたのだが、そういえば、巨大宇宙ステーション、あるいは、スペースコロニーの、人工的な空間、というのは、つくばの、新興都市を思わせるな。
つまり、もし、スペースコロニーというのが、あれば、まさに、今、立っているような、きれいな公園、そして、駅近くの、集合住宅や、商業スペース、のような街並みであるに違いない。
そんな気がするのだ。
(2009年10月記)

つくばエクスプレスつくば駅(つくば 中央公園の池)

2010-07-23 04:52:59 | Weblog
平地にある、多摩ニュータウン、というところだな。
どこまでも、続く、平たい地面。
その上に、派手なショッピングセンターやら、真新しいオフィスビルやらが、駅近くに、固まっている。
北側には、これもまた、よくある、典型的な、緑の公園。
秋晴れの空のもと、本当に、居心地よさそうな公園だ。
実際、家族連れも、多く、園内の芝地の上、憩っている。
広大な、緑の絨緞。そこに、効果的に配された、深い木々の群。
そんな公園に立ち入り、誘われるように、北へと歩いていく。
しばらくすると、広い池。
平地に池、というと、沼地や、湿地帯なのだが、そういう感じはしない。
そもそも、人工的な池なので、当然なのだが。
この、美しい景観を作り出している、池を眺めていたら、ふと、では、最初に、この場所には、何があったのかな、という思いが、湧き上がってきた。
何もないところに、つくばの街が作られたわけで、それ以前、たぶん、ここには、天然の森林でもあったに違いない。
ということは、そのような、森を、破壊し、消滅させ、均して、街を築き上げ、さらに、その後、わざわざ、緑の公園を作ったわけだ。
ひょっとしたら、もとの、自然を、できるだけ、残して、公園に、設えたのかもしれないけど。経緯は、よくわからない。
もし、そうだとしても、この、快適な空間は、天然自然、天与のものでは、よもや、あるまい。
そう気付くと、居心地のよいはずの、公園、急に、居づらいものになってしまった。
公共の場ではあっても、なにがしかの、代償を、付き付けられるような気がして。
もっとも、どうせ、長居するつもりは、毛頭、ないので、どうでも、いいことだが。
時間もないことだし。貧乏、暇なしなわけだし。
先を、急ごう。
(2009年10月記)

つくばエクスプレスつくば駅(つくば駅周辺)

2010-07-22 06:11:53 | Weblog
ほどなくして、列車が、やってくる。
さっそく、乗車。
みどりのの街とも、これで、お別れだ。
中心のない、のっぺりした、印象の薄い街だったな。
たぶん、こういうところは、歴史がないから、特徴もないし、そもそも、街の中心もないのだろう。
歴史といっても、つくばエクスプレスが、開通して、初めて、その歴史が、始まったわけだから、当然だけど。
ただ、駅前は、まだ、再開発中みたいだから、それが、完成すれば、いちおう、駅が、街の中心、ということになるはずだ。
今よりは、少しは、賑やかになるに違いない。
でも、どうせ、駅近くには、どこかで、見たことあるような、ショッピングセンターが、開業し、駅前広場のまわりや、メインストリートの両脇には、これもまた、どこかで見たことあるような、チェーン店が、軒を連ねることになるんだろうな。
郊外は、どこも同じ。それでいいのかもしれないが。
そんなことを考えているうちに、つくばエクスプレスは、なおいっそう、北へ北へと、疾走していく。
車窓の風景も、いつしか、森林が多くなり、都心から、離れていっていることを、いやがうえにも、実感させてくれる。
都心でも郊外でもない、どこか、遠くへ向かっているのであろうか。
そう思った瞬間、ふいに、列車は、地下トンネルへ。
そして、しばらくして、なにやら、仰々しいまでに、大きなホーム。そこへ、ゆっくりと、吸い込まれていく。
終点、つくば駅だ。
改札を、抜け、階段を上がって、地上へ出る。
なんと、眼前には、もう、とっくに、遠ざかったと思っていた、郊外の風景。
以前、来たことがあるので、特に、驚かないけど。
どこも、同じだが、それでいいのかもしれない。
(2009年10月記)