retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

南北線六本木一丁目駅(六本木一丁目南地区再開発工事現場)

2011-04-30 07:21:35 | Weblog
公園の外に出ると、北東に伸びる、道路に出る。
この道路、丘陵地の尾根道になっているようだ。
丘陵地自体が、北側の谷地と南側、神谷町の谷地に挟まれ、道路と同じ方向、北東に迫り出しているからだ。
そういえば、これら、北側、南側の谷地、バブル期以降、高層ビルが、次々と、建っていったので、その工事現場見るため、何度も、この丘陵地を越えたな。
たとえば、神谷町に行って、次に、六本木に出るためには、この、丘陵地を、上って、降りなければならない。
峠越え、というほどでもないが。
愛宕山みたいに、トンネルがあれば、いいんだけど、そういうわけにはいかないし。
などと、昔のことを思い出しながら、尾根道を、南西へ。
すぐに、道路の北側に、六本木一丁目南地区再開発の工事現場。
いよいよ、谷地ばかりではなく、丘の上にも、高層ビルが建つことになる。
といっても、例外的ではないかと思うが。
あるいは、この場所、斜面、といえば、斜面には、違いない。
ともあれ、こうして、この界隈に、また、高層ビルが一棟、建つわけだ。
(2010年8月記)

南北線六本木一丁目駅(六本木一丁目 エスカレーターで辿り着いた丘の上)

2011-04-29 07:09:51 | Weblog
エスカレーターで、崖の上、頂上へ。
そこには、賑やかな商店街、行きかう多くのクルマ、そんな街があった。
と、言いたいところだが、実は、何もない。
青々とした緑と、まっすぐ伸びる、歩道。
きれいに整備された、公園然とした風景が広がるばかり。
何度も、ここには、来ているので、もう、驚くことはないが。
最初に来たときは、いったい、ここは、どういう場所なんだと、思ったものだ。
そもそも、このような、静かな公園に、地下鉄から直通するような、通路を設置するなんて、とても、考えられない。
おそらく、崖下の高層ビルに通路が、まず、直結するはずだったのだが、それでは、なにか、物足らないので、崖上にも、エスカレーターを、伸ばしてしまったのだろう。
あるいは、ひょっとしたら、平日は、賑やかなのかもしれない。
休日しか、来たことはないので、わからないけど。
といっても、実際、公園以外、なにもないので、賑やかかどうかなんて、平日、来てみるまでもないかな。
静かな、公園、緑の木陰の下、南東方向へと歩いていく。
(2010年8月記)

南北線六本木一丁目駅(六本木一丁目駅から上に伸びるエスカレーター)

2011-04-28 06:06:18 | Weblog
高田馬場駅から東西線。飯田橋駅で南北線に乗り換える。
六本木一丁目駅で下車。
それにしても、夏も終わろうとしているのに、なぜか、いっそう、暑い。
季節的には、残暑、なんだろうけど。
改札を抜け、歩いていくと、目の前には、果てまで続く、エスカレーター。
なんか、興味深い光景だ。
ただ、震度の深い地下ホームなら、延々と長いエスカレーター、特に、珍しくもない。
京葉線の東京駅ホーム、あるいは、永田町駅なども、ものすごく、長いエスカレーターだ。
でも、それは、深い地下からのエスカレーター。
こちらは、いちおう、地上に出ても、まだ、上へ上へと、続いている。
つまり、駅が谷地の底にあり、普通なら、その、谷地の底で、エスカレーターは、終わるはずなのに、このエスカレーターは、谷地のすぐ脇にある、崖上、その頂上まで、続いているのだ。
有り体に言えば、そばの、高層ビル内の、エスカレーターを利用すれば、いいだけなのだど、もう一つ、設置してしまった、ということなのだろう。
便利、というより、贅沢、というわけかな。
(2010年8月記)

中央線中野駅(中野四丁目開発計画区域5工事現場)

2011-04-27 06:06:53 | Weblog
東へ進み、途中、北へ。
しばらくすると、西側一帯に、中野四丁目開発計画区域5の工事現場。
といっても、実際は、敷地が、広すぎて、その中の、どこだか、わからない。
工事たけなわなので、たぶん、ここらへんだろうとは思う。
駅にもっとも近いし、中央線の線路も近い。
高層ビルが建てば、遮蔽物になるのだろう。
ただ、高層ビルが建ったとして、その他の、広大な敷地は、どうなるのかな。
たぶん、学校や公園に、なるらしい。
次、高層ビルが、完成した頃、来れば、わかるはずだ。
もっとも、わかったとしても、特に、用は、ないんだけど。
ところで、この一帯は、江戸時代の一時期、生類憐みの令によって、設置された、中野犬屋敷だったわけだが。
生類憐みの令が解かれた後、犬屋敷は、どうなってしまったのだろう。
あるいは、その中で、飼われていた、たくさんの犬たちは、どこにいったのだろう。
犬屋敷は、なくなり、犬たちは、近在の、農家に、引き取られていったそうだ。
あまりに、多くの、犬が、引き取られたので、それ以来、家で犬を飼う習慣が、根付いたらしい。
なんて、本当かな。
そうなっていればいいな、ということかもしれない。
実際は、わからない。
広大な敷地の方は、桃園になった、ということだ。
さぞ、風光明媚な場所だったのだろう。
歴史と共に、様々に姿を変えていったこの場所、次、来るときは、どんな風に、変わっているのかな。
そのときを楽しみにして、とりあえずは、ひさしぶりに、中野ブロードウェイにでも、寄ってから、帰ろう。
(2010年8月記)

中央線中野駅(中野四丁目 中央線沿いの路地)

2011-04-26 05:02:59 | Weblog
さらに、南へ歩くと、中央線の高架。
中央線に沿って、東へと、向かう。
いちおう、住宅地だが、すぐ、北側は、広大な警察学校の跡地。
線路と跡地に挟まれて、住宅地が、細く、伸びている。
そういえば、一帯は、江戸時代の一時期、有名な、生類憐みの令によって、設置された、中野犬屋敷が、あったらしい。
敷地としては、警察学校よりも、もう少し、広くて、中央線の、南側も、含まれていた、ということだ。
広大な敷地に、何万という数の犬が飼育されていて、さぞ、異様な光景だっただろう。
そういうわけで、一般に、生類憐みの令というと、バカ殿様のきまぐれで、庶民が、振り回され、大いに、迷惑した、という印象なのだが。
でも、そこには、なんとなく、滑稽なものを、感じてしまう。
別に、軍用犬を、育成していたわけではないし。
それに、いちおう、市井の庶民も、生類の中に入るんだろうし。
たとえば、犬屋敷の中、厳しい武士が、大勢いの、尻尾を振る、犬たちに、囲まれている光景を想像すると、むしろ、微笑ましい感じもする。
実際は、どうだったか、わからないけど。
さらに、東へ東へと、歩いていく。
(2010年8月記)

中央線中野駅(中野四丁目 信号機のある荒地)

2011-04-25 05:04:12 | Weblog
この広大な荒地、警察学校の跡地らしいのだが。
よく見ると、草木が繁茂している中に、アスファルトの道路や、信号機がある。
これは、そもそも、何だろう。
警察学校なので、教材として、設置されていたのか。
あるいは、敷地があまりに広いので、信号機が、設けられていたのか。
それとも、ちょっと、可能性は、低いが、再開発の工事を始めるらしいので、事前に、信号機を、新設したものなのか。
なんとなく、教材用に、あったんじゃないかな、と思える。
その割に、真新しい感じなので、ひょっとすると、新設されたのかも。
ちょっと、わからない。
もっとも、正解がわかったとして、どうということもないんだけど。
ところで、この場所には、戦前、警察学校が開設される前は、陸軍中野学校、というのが、あったらしい。
諜報機関、俗にいう、スパイ、を養成していた学校、ということだ。
ここが、今も、スパイ専門学校だったら、施設内に、信号機やアスファルトの道路が、唐突にあっても、これは、ターゲットを尾行する練習に、使っているのだな、と推測できるんだけど。
その陸軍中野学校は、昭和の初め頃、この地に、できたのだが、さらに、その前は、中野電信隊が駐屯していたらしい。
いろいろな、歴史の変遷が、あるものだ。
そして、今は、荒地。
再開発が、始まるまでの、しばしの静けさ、ということか。
(2010年8月記)

中央線中野駅(中野四丁目 警察学校跡地)

2011-04-24 07:12:51 | Weblog
早稲田通りを、西へ西へと、歩いていく。
まわりは、普通の、都心の住宅街。
だからだろうか、そこそこに混んでいるが、幹線道路ほどではない。
そういえば、この通り、昔、クルマで都心に入るとき、青梅街道の、裏道として、よく、通ったな。
たいてい、夜になってからが、多かったけど。
静かな感じがしたものだ。
ただ、幹線道路ではないので、信号が、かなり、多い。
そういうわけで、結局、青梅街道を通るより、早いのか、と言われると、ちょっと、微妙なところ。
たぶん、静かな夜道を、ゆっくり、走りたかったのかな。
かなり、歩いてきたところで、南へ。
住宅地の中、入っていく。
だんだん、中央線の線路が、近くなってきたためか、下町っぽくなってくるようだ。
おそらく、線路際は、住環境が、よくないので、下町になるのだろう。
しばらく、進んで行くと、突然、東側に、広大な、荒地。
草木が伸び、緑が溢れているが、荒地なので、公園ではない。
(2010年8月記)

中央線中野駅(新井二丁目 中野早稲田通り)

2011-04-23 07:35:57 | Weblog
西武新宿線で新井薬師前駅。
下車して、南北に伸びる哲学堂通りへ。
南西方向へと歩いていく。
相変わらず、下町商店街。
懐かしいけど、ちょっと、閑散としているな。
なんか、来るたび、そう思ってしまう。
もっとも、自分の住んでいるところなんか、スーパー以外、ほぼ、シャッター通り。
こちらの方が、まだ、はるかに、ましな方だ。
それにしても、今日は、暑い。
もう、晩夏だというのに。
じりじりと焼け付くようなアスファルトの上、歩いていく。
やがて、新井薬師前の、交差点。
新井薬師か。
やはり、こういう観光スポットがあると、強い。
季節ごとの、行事も、あるし。
客足が絶えない、というわけか。
ならば、駅から、新井薬師の門前街みたいにした方が、気分が、盛り上がるかもしれない。テーマパーク、というわけだ。
西へ、進んで行くと、南北に伸びる、中野通りへ出る。
ここらへんが、新井薬師圏内と中野圏内の、境界みたい。
もちろん、厳密な、区切りがあるわけじゃないけど。
中野通りを南へ南へと進む。
ほどなくして、東西に伸びる、早稲田通りとの交差点。
この、早稲田通りから、南側は、完全に、中野の街だ。
早稲田通りへ入り、西へと、歩く。
(2010年8月記)

日比谷線広尾駅(広尾駅周辺)

2011-04-22 05:03:18 | Weblog
そういえば、さっきの、有栖川宮記念公園、江戸時代は、盛岡南部藩の下屋敷だったらしい。
とすると、池は、当時の、庭園の池を、そのまま、残したのだろうか。
ちょっと、わからないが。
さらに、西へ歩いていくと、南北に伸びる、外苑西通りに出る。
本当に、外国みたいな雰囲気の街並みだな。
見た感じは、表参道を、思わせる。
だが、騒々しくないところは、違うけど。
たぶん、客層が、まわりの、閑静な住宅街だけ、だからだろう。
ところで、かつては、この近くに、笄川、という小川が、北から南へ、流れていたらしい。
そのころは、さぞ、長閑な、田園風景、だったはずだ。
もっとも、そういった雰囲気は、今でも、坂を上がった、山の手に残っているが。
外苑西通りには、広尾駅の入口がある。
広尾駅から日比谷線、恵比寿駅で、山手線に乗り換えるか。
早く、帰ろう。
こういう場所には、どう考えても、高層ビルは、建たないし。
長居は無用。
そういうわけで、早々に帰ることにする。
(2010年8月記)

日比谷線広尾駅(有栖川宮記念公園の池)

2011-04-21 04:59:01 | Weblog
さらに西へ。
北側の緑地も、さらに、西へ西へと、広がっていく。
港区麻布運動場の緑から、都立中央図書館の緑、そして、有栖川宮記念公園。
その緑に絆されながら、歩いていくと、道は、下り坂。
南部坂、というらしい。
下りきったところには、有栖川宮記念公園の池。
丘陵地あり、緑あり、さらには、池まであるのか。
なんか自分の生活とは、本当に、無縁な、場所だと感じてしまう。
とはいえ、せっかく来たので、池の畔へ。
とても落着いた、静かな公園だ。
ふと、地面を見たら、弱った、セミ。
足を、ばたばたさせながら、よたよたと、歩いている。
そういえば、今年は、暑いせいか、ことのほか、セミが多い。
なかには、こんな風な、セミもいるわけかな。
ただ、この暑さで、地面が、干からびていて、なかなか、うまく、歩けないようだ。
がんばれ、がんばれ、ということで、足の先で、そっと、押してみたりする。
木陰の柔らかい土のあるところまで、なんとか、辿り着ければと思ったのだ。
結局、面倒なので、拾って、柔らかい土のところに置いてやった。
もっとも、そうしたところで、弱ったセミが、どうにか、なるものでもないけど。
さあ、もう用はないので、引き上げるとするか。
さらに、西へと、歩いていく。
(2010年8月記)