retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

日比谷線広尾駅(広尾五丁目 祥雲寺)

2014-11-30 08:03:07 | Weblog
田町駅で山手線。
有楽町駅で下車。
駅東口に出て、南側へ向かうと、日比谷線日比谷駅がある。
日比谷駅で、日比谷線へ。
広尾駅で降りる。
地上に出ると、南北に、外苑西通り。
あいかわらず、山手、閑静な住宅地、という感じだ。
西へ伸びる通りを、西へ。
かつては、普通の商店街だったかもしれないが、いまは、おしゃれな通り。
西へ西へと、向かうと、しばらくして、祥雲寺。
江戸時代初め頃の創建。
創建の地は、今の霞ヶ関、福岡藩上屋敷。
しばらくして、麻布台、そして、この地に、移転している。
(2013年1月記)

山手線田町駅(芝浦二丁目 田町ハイレーン)

2014-11-29 08:21:00 | Weblog
南へ、歩いていくと、すぐに、東西に伸びる、大通り。
旧海岸通りは、その、大通りとなって、西へ、伸びている。
交差点の、北西側には、田町ハイレーン。
高度成長期の終わり頃、開業した、ボーリング場だ。
当時は、周囲、昭和の、街並みが、広がっていたのに、違いない。
時代は流れ、いつしか、まわりは、再開発、近未来になってしまった。
しかも、その変化、ここ最近、のこと。
そして、このボーリング場も、近々、なくなるらしい。
時代は、流れていく。
旧海岸通りを、西に向かい、途中、北西へ。
田町駅に向かう。
(2013年1月記)

山手線田町駅(芝浦二丁目 古い家屋を利用した店舗)

2014-11-28 05:38:38 | Weblog
通り沿いには、古い家屋。
おそらく、高度成長期の、建物だろう。
当時の建物、バブルの頃は、まだ、あちこちに、残っていたのだが。
バブルが崩壊した後の、都心再開発で、急速に、なくなっていく。
わずか、残った建物も、こうして、店舗に、再利用されるわけか。
運河と同じで、一種の、テーマパーク、なのだろう。
昭和の、取り残された、家屋。
さらに、南へ、向かう。
(2013年1月記)

山手線田町駅(インプレストタワー芝浦工事現場)

2014-11-27 05:40:57 | Weblog
南東に、歩くと、南北に伸びる、旧海岸通り。
通りの、東側には、インプレストタワー芝浦の工事現場がある。
再開発は、断続的だが、まだ、終わっていないようだ。
もっとも、ひところのように、巨大な、高層住宅が、幾棟も、建設されるような、再開発は、もう、ないかもしれないけど。
ただ、駅近くは、まだ再開発されていない。
郊外と違って、駅近くは、残されるものなのかな。
旧海岸通りを、南へと、歩いていく。
(2013年1月記)

山手線田町駅(芝浦二丁目 古い家屋)

2014-11-26 05:38:32 | Weblog
新芝運河は、ときに、十字に、交差し、まるで、水郷の景観。
あたりが、京浜工場地帯だった頃、物資を、搬入したのだろうか。
高度成長を達成し、工場がいらなくなり、その跡地が、ウォーターフロントの、再開発地へ。
跡地になったから、再利用した、というわけかな。
とすると、あえて、そうしなくとも、よかったのかもしれない。
だから、こうして、新芝運河、残ったのかも。
運河の岸辺には、今も、当時の家屋が、そのままに、残っているし。
新芝運河を渡り、さらに、南へ、向かう。
(2013年1月記)

山手線田町駅(芝浦一丁目 新芝運河)

2014-11-25 04:37:37 | Weblog
通りを挟んで、南側には、新芝運河。
あちこち、再開発、姿を、変えていくのだが、そこだけは、昔のまま。
高度成長時代の頃と、変わらないようだ。
埋め立てようと、思えば、それほど、難しくはないのだろうけど。
いつの間にか、残ってしまったのかもしれない。
ひょっとしたら、テーマパークとして、活用するのかな。
船で、運河を、移動できれば、面白い。
南へと、歩いていく。
(2013年1月記)

山手線田町駅(芝浦一丁目 東京ガス技術研究所跡地)

2014-11-24 07:44:07 | Weblog
高田馬場駅で山手線。
田町駅で下車。
田町駅、久しぶりだ。
かつて、田町駅周辺では、再開発が、多くあったので、頻繁に、通ったものだが。
今は、一段落、といったところかな。
ただ、一段落、というのは、もう、終わるらしい。
といっても、かつてのような、再開発の、集中は、今後、ないと思うけど。
田町駅、南口へ。
そのまま、南へと歩き、しばらくして、北東へ。
ほどなくして、東京モノレール高架の、北東側、広大な、敷地がある。
かつて、東京ガス技術研究所が、あったらしい。
再開発は、まだ、続くようだ。
(2013年1月記)

京浜急行線大森海岸駅(京浜急行大森海岸駅駅舎)

2014-11-23 06:56:18 | Weblog
第一京浜を、南へ南へと、歩いていく。
しばらくすると、通りの、西側に、京浜急行大森海岸駅。
開業したのは、意外と、古い。
明治時代の終わり頃。
当初は、ここらへんから、西に、カーブして、大森駅に、接続していたらしい。
しばらくして、品川まで、延伸し、大森駅までの区間は、支線として、しばらく、残っていたらしい。
ちなみに、高架に、なったのは、高度成長期の終わり頃。
こちらは、古いのか、新しいのか、どうなのかな。
大森海岸駅で、帰ることにする。
もう少し、のんびると、界隈を、歩きたいものだ。
そんなことは、ないかもしれないけど。
品川駅で、山手線に、乗り換える。
高田馬場駅へ。
(2013年1月記)

京浜急行線大森海岸駅(首都高羽田線 鈴ケ森入口高架)

2014-11-22 07:08:14 | Weblog
そのまま、池に沿って、南へ南へと、歩いていく。
公園の、南端まで、達したが、外へ出れないと、わかった。
あるいは、他に、方法があるかもしれないけど。
仕方がないので、来た道を、引き返す。
かなり、戻ったところで、西へ。
やっと、しながわ区民公園の、外へ、出ることができた。
そのまま、西へ、向かうと、南北に伸びる、第一京浜。
そして、首都高羽田線から、分岐して、伸びてきた、鈴ケ森入口の、高架。
完成したのは、高度成長期、と思われる。
とすると、当時、まだ、勝島運河、あったわけで、橋梁で、越えたはずだ。
痕跡は、残っているのだろうか。
(2013年1月記)

京浜急行線大森海岸駅(勝島三丁目 しながわ区民公園の池)

2014-11-21 04:33:45 | Weblog
トンネルを、抜けると、大きな池。
まさに、公園に、あるような、池だ。
実は、この公園、さきほど、渡ってきた、勝島運河の、埋め立てられた部分。
とすると、大きな池は、勝島運河の、痕跡、と言えなくもない。
実際、埋め残したわけではないけど。
埋め立てられたのは、バブル期の直前。
ウォーターフロントの再開発。
といっても、もう、ずいぶんと、時代が、経った。
今は、再開発の、新しい公園、という感じはしない。
(2013年1月記)