retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線上野駅(上野駅付近御徒町駅前通り商店街)

2010-01-31 07:12:17 | Weblog
秋葉原の街を後にして、北へ北へと、歩き続ける。
再び、まわりが、賑やかな感じになってきた。
今度は、御徒町駅だ。
繁華で、歩いているだけでも、楽しくなる、商店街。
ただ、東京の西側に住んでいると、ここらへんには、本当に、馴染みがないなあ、と思ってしまう。
例えば、御徒町駅の東側を北に歩きながら、これが、アメ横か、なかなか、活気があって、いい感じだ、と思いつつ、上野駅まで、来てしまったけど。実は、アメ横は、御徒町駅の西側だったのだ。
ひょっとしたら、今までも、御徒町駅の東側しか、通った記憶がない。
ということは、ずっと、こちら側が、アメ横かと、勘違いしていたかも。
どおりで、お菓子を、積み上げながら、巧みな口上で、売りさばく、有名な店頭販売を見かけないな、と思っていたのだ。
そういえば、「にきにきにきにき二木の菓子」の二木の菓子店も、アメ横にあるはずだったっけ。
今度、あらためて、アメ横も、歩いてみよう。
もっとも、アメ横、というと、商店街の域を越えて、観光地、テーマパークになっているような気もする。
あまり、観光地然としたところには、興味は、ないので、それで、あえて、御徒町駅の東側を歩いていたのかな。
どうだったか、忘れてしまったけど、いつか、とりあえずは、アメ横には、行ってみよう。
ところで、東北縦貫線工事についてなのだが。
御徒町駅付近は、どうなるのだろう。
もともと、御徒町駅の東側には、留置線の線路が敷かれていたので、そこを、東北縦貫線は、利用するらしい。
だとすると、御徒町駅付近は、特に、変化はないわけだ。
ただ、東北縦貫線は、上野駅、東京駅が、直通になるので、そちらに、乗客が移ると、御徒町駅で、途中下車することは、なくなる、ということになる。
そうなると、アメ横は、ますます、観光地化し、他の商店街は、消滅していくのかもしれない。
(2009年8月記)

山手線秋葉原駅(秋葉原駅付近東北縦貫線工事現場)

2010-01-30 06:10:23 | Weblog
山手線、京浜東北線の高架に沿って、さらに、北へ。
東西に伸びる靖国通りを渡ると、程なくして、神田川の流れがある。
鉄道の高架に沿うようにして、川を越える、歩道橋。
神田ふれあい橋、という名前だ。
完成したのは、バブルの頃らしいが、こんな橋があるとは、気付かなかったな。
神田川の北岸。すぐに、賑やかな、秋葉原の駅前に出る。
秋葉原の街中に入ってしまうと、神田ふれあい橋の存在は、すっかり、意識の中から、消えてしまった。
便利なようだが、秋葉原にしか、用がなければ、まず、利用することはないだろうな。
この橋に、気付かなくとも、当然か。
秋葉原の東側を、南北に伸びる、新しい通りに入り、北へ北へと、歩く。
一帯は、最近、もっとも、変貌した、場所だ。
といっても、変貌した後、ほとんど、秋葉原に来ていないので、どのように変わったのか、よくわからないけど。
こうして、歩いてみたかぎり、すぐ、気付くとすれば、ずいぶんと、明るい街になった、ということぐらいか。
明るくなったのは、いいとしても、その代わりに、奥深さがなくなってしまったような気がする。本当は、どうだか、わからなが。
そんな秋葉原の街を、北へ。
高層ビルが建つ一帯を過ぎると、東西に伸びる、蔵前橋通りに行き当たる。
ここまでが、秋葉原、ということかも。
蔵前通りの北側には、鉄道高架の断面がある。
かつての貨物線の高架の残骸であろうか。ここから南側へと、高架が伸びていたんだろうな。今は、撤去されていて、もう、なくなっている。
消滅した場所は、さっき、歩いてきた、明るい街並みに、変貌してしまったわけだが。
そして、残っている、この高架は、たしか、東北縦貫線になるらしい。
もし、そうなら、ずいぶん効率のいい、有効利用だな。
もっとも、効率よく、東京、という中心部に、集中させているだけなのかもしれないけど。
(2009年8月記)

山手線神田駅(神田駅付近東北縦貫線工事現場)

2010-01-29 06:08:26 | Weblog
神田駅の東側を、北へ北へと、歩いていく。
JRの高架下にも、いろいろな飲食店があるが、ほとんどは、閉まったまま。
今日が、休日、ということもあるかな。
そんな、ちょっと、閑散とした、神田駅を通過していく。
やがて、神田駅の北側、中央通りと、もう一本の通りが、斜めに交差する場所へ。
そこで、中央線は、西へと、離れていく。一方、山手線、京浜東北線、新幹線の高架は、北へ北へと、伸びている。
それらの高架に沿うように、北へ進んでいく。
ふと、高架と高架の狭間を見てみると、何か、工事中。
たぶん、東北縦貫線を建設しているのだろう。
ひさしぶりの、鉄道新線だ。
昨今は、経済成長が、当たり前ではなくなったので、鉄道の、派手な新路線、というのも、めっきり、なくなってしまったな。
東北縦貫線も、いちおう、新線なのだろうが、複々線化と同じ、線増、のような気もする。
ひところの、新路線に比べれば、とても、地味な新線だ。
開通しても、山手線、京浜東北線の乗客が、移ってくるだけ。それはそれで、とても、画期的なことなんだろうけど。
あと、駅は、上野駅と東京駅だけになりそうなので、山手線、京浜東北線に対する、急行、という意味合いもあるようだ。
とても、便利になるだろう。
ただ、乗客が増えるわけではない。
もっとも、どこか、何もないところに、新しい鉄道を敷設し、ニュータウンを作る、なんて、もう、あり得ないだろう。
だから、むしろ、単に、乗客を、増やそう、なんて、試みない方が、いいに違いない。
東北縦貫線のような、地味な、新線は、今の世の中、正解なのだ。
(2009年8月記)

山手線神田駅(東口南側見た神田駅)

2010-01-28 03:37:59 | Weblog
常盤小学校の前の通りは、江戸通り、という名前らしい。
雰囲気的には、さもありなん、というところだ。
江戸時代と、どう関係しているのか、わからないけど。
その江戸通りから、北へ伸びる、細い道路に入り、そのまま、北へ。
だんだん、街並みが、繁華な感じになってくる。
さらに、歩いていくと、神田駅の南側に、ひょっこりと、出てしまう。
相変わらず賑やか、と書きたいところだが、まだ、昼間なので、神田駅周辺の繁華街は、とても静か。
まるで、街全体が、眠っているような気がする。
日が落ちて、お店に、明かりが灯る頃に、目が覚めるのであろう。
こんな街、どこかにあったような。
そう、サラリーマンの憩いの場所、新橋駅周辺だ。
南の新橋、北の神田、というわけか。
新宿や錦糸町、あるいは、渋谷、池袋にも、繁華街があるけど、雰囲気がちょっと違う。たぶん、これらの街は、郊外との境目に位置するからだろう。
もっとも、郊外と接していれば、新橋や神田と、どう、違うか、よくわからないけど。
ただ、サラリーマンの憩いの街として、共通点がある、新橋と神田、相違点もある。
神田は、江戸時代の城下町、日本橋も近く、歴史がある感じがする。
だからだろうか、猥雑さが、ないのだ。猥雑さがなくとも、やっていける繁華街だから、だろうが。
逆に、新橋には、猥雑さが、少しはあるな。
だが、郊外との境界の街、新宿、錦糸町、渋谷、池袋に比べれば、微々たるものかもしれない。
ここまで、考えてきたら、ふと、思い付いた。
ひょっとすると、このような、郊外と接している繁華街の特徴は、この、猥雑さなのかもしれない、と。
でも、なぜ、猥雑さがあるのか、わからない。後で、また、考えてみよう。
ということで、まだ、眠っている街、神田を、歩いていく。
起こさないように、静かに、歩を進めながら。
(2009年8月記)

山手線東京駅(常盤小学校)

2010-01-27 04:12:14 | Weblog
JRの線路に沿って、北へ。東西に伸びる永代通りとの交差点。
永代通りに入り、東へ向かう。JRの高架をくぐって、東側へ。
再び、JRの線路に沿って、北へ北へと進む。
日本橋川を新常盤橋で渡ると、通りは、北東方向へ、向きを変える。
道なりに、北東へ向かうと、すぐに、通りの西側に、常盤小学校の校舎。
たぶん、東京駅に、一番近い、小学校だと思う。
有楽町駅の近くにも、小学校があったはずだが、そちらよりも、近いかな。
創立は、明治時代初。
相当に古いけど、小学校は、日本全国、いっせいに、多くの小学校が、開校しているので、どこが古くて、どこが、歴史が浅い、というものでもなさそうだ。
ただ、建物の方は、本当に古くて、関東大震災以降のものらしい。
実際、歴史的な建造物として、東京都の認定を受けている。
まさに、歴史的なテーマパークだな。
このような小学校、どんな子供らが、通っているんだろう。
まわりは、もう、オフィス街、という感じではないけど、かといって、郊外の住宅なわけでもない。
それとも、昨今は、都心回帰、ということで、マンションが、あちこちに、建っていて、そういうところから、通って来るのだろうか。
ちょっと、わからないな。
そういえば、こういう、噂を聞いたことがある。
すなわち、常盤小学校のような、都心の、歴史のある小学校には、学区外からの、越境入学児童が多い、というような。
本当なのだろうか。
もし、本当だとすれば、明治の頃、この小学校が、文明開化の希望の下、開校したときの、趣旨と、違っている気もする。
ちょっと、興醒めな感じだな。
建物を眺める分には、その、歴史の重さに、感じ入ってしまうんだけど。
(2009年8月記)

山手線東京駅(東京駅付近中央線高架)

2010-01-26 05:37:31 | Weblog
通りを南へ。
しばらくすると、東京駅の西側に広がる、駅前広場に出る。
駅前広場を横切り、いったん、東京駅前へ。
線路に沿って、北へと歩いていく。
線路の方を見ると、中央線の高架。
中央線だけ、一段高い、高架なのだが。しかも、東京駅を出ると、すぐに、地平に降りてしまう。
なぜ、このような高架があるのか、ちょっと、不思議な感じだが。
この高架ができたのは、たしか、バブルが崩壊した頃だな。
なんのために、高架にしたかというと、中央線のホームを上にし、もとの中央線ホームに、隣の路線が、順次、ずれてきて、空いたスペースに、長野新幹線のホームを作ったんだっけ。
それなりに、必然性があるわけだが、もう、昔のことなので、忘れてしまった。
そういえば、長野新幹線、会社の旅行で、一回だけ、乗ったなあ。
軽井沢に用があるわけではないので、もう、乗ることは、まず、ないだろうけど。
ひょっとしたら、最後に新幹線に乗ったのは、この時だったかも。
子供の頃は、よく、新幹線に、乗ったものだが。
当時は、高度成長期、安定期、そういった時代だった。あるいは、バブルの頃でも、乗ろうと思えば、乗れたな。
でも、今は、ちょっと、考えられない。どうして、こうなったのだろう。
そこまで、考えたとき、なぜ、中央線の高架が不思議に思えたか、わかった。
つまり、中央線の高架は、新幹線の新しいホームを増設するために、作られたわけだ。
ただ、新幹線とは、無縁なら、中央線の高架についての、必然性に、思いが及ばなくとも、不思議ではない。
今は、中央線のホームが、いっそう、高いところになってしまったので、エスカレータを上るのに、時間がかかって、面倒なだけだな。
普通のエスカレータに比べて、ちょっと、スピードが、早いような気がするけど、たぶん、それは、気のせいだろう。
(2009年8月記)

東西線大手町駅(丸の内1-4計画)

2010-01-25 03:58:54 | Weblog
さらに、東へと、歩いていく。
途中、南北に伸びる日比谷通りとの交差点。
日比谷通りを越えて、進んでいくと、古いビルが並ぶ。
こちらは、さっき、訪れた、高層ビル群へ移転してきた、事業主の、もといたビルだ。
今度は、空家になった、こちらを、再開発して、また、新たに高層ビル群を建てるらしい。
しばらくすると、南北に伸びる交差点。南へ曲がって、そのまま、南へ南へと歩く。
東西に伸びる永代通りとの交差点。
この交差点の北西側では、大規模に、建物の撤去作業が行われている。
せっかく、建っている、オフィスビル群も、今となっては、いらないわけか。
この中には、かなり高い、高層ビルも含まれている。もったいない話だな。
老朽化しているなら、ともかく、まだ十分、使えそうな気がするんだけど。
その、撤去作業中の敷地の、永代通りを挟んで、南側では、丸の内1-4計画の工事現場。
またしても、高層ビルを建てているわけである。
東京駅周辺は、このように、そこらじゅうで、高層ビルを建設しているようだ。
高度成長期の西新宿高層ビル街や、バブルの頃の幕張、あるいは、ちょっと前の、汐留シオサイトを思い起こさせる勢い。
ただ、かつての、それらの、再開発と、ちょっと、違う点もある。
西新宿高層ビル街、幕張、汐留シオサイト、いずれも、何もない場所に、高層ビルが建っていったわけだが。
今、丸の内、大手町で起こっている、再開発は、既存のビル街を撤去して、そこに、新たな、巨大ビルを建てているのだ。
基本的には、高度成長期頃、あるいは、もっと、それ以前の、歴史的建造物を、建て替えているんだろうけど。
歴史的建造物、といわれるぐらい古ければ、一部を保存して、建て替えるのも、やむを得ないかもしれない。そうなれば、レトロテーマパーク、ということにはなるだろう。
でも、建て替えは、かなり、新しいそうなビルも、含まれている。
ということは、つまり、再開発は、もう、拡大しないで、既存のビル街で行いわけだ。
昨今の、丸の内、大手町の再開発、一見すると、街が、拡大しているように見えるけど、実は、コンパクトシティへの流れに、準じている気もする。
(2009年8月記)

東西線竹橋駅(経団連会館ビル)

2010-01-24 07:02:38 | Weblog
高田馬場駅から東西線。竹橋駅で下車。
地上に出ると、季節は夏なのに、相変わらず、夏っぽくない天気。
そんなに暑くなくて、歩き回るには、楽だが、ちょっと、気が抜けてしまうな。
内堀通りを南に進む。
すぐに、消防庁本部の建物があり、そこから、東に伸びる道路に入る。
消防庁本部の東側には、最近、巨大ビル群が、出現した。
その巨大ビル群、3棟の高層ビルから成る。
西側から、日本経済新聞社東京本社ビル、JAビル、経団連会館ビル(工事中はこちら)、ということだ。
道路を歩きながら、見上げる、それらの巨大高層ビル、本当に壮観な眺めだな。
東京駅から、けっこう、離れているのに、と思ってしまうけど。
近郊や、地方では、こんな風に、街が拡大するよりも、縮小している。
ここは、唯一、例外的に、拡大を続けているのだ。
最寄り駅も、一番、西側の日本経済新聞社東京本社ビルだと、東西線竹橋駅だろう。
経団連会館ビルでは、千代田線大手町駅かな。
もっとも、大手町駅、ターミナル駅になっているわけではなくて、各地下鉄路線ごとに、ばらばらに、ホームが設置されている。
だから、例えば、東西線の大手町駅のように、東京駅に、比較的、近い場合もあるが、かなり、遠い場合もある。千代田線の場合、東京駅から最も、離れているな。
逆に言えば東京駅、丸の内の範囲が、実質的に、ここまで、広がっている、ということでもある。
ただ、地下道や、商業施設などが、その、広がりに、追いついていないのかも。
せめて、東京駅から、大手町駅、竹橋駅と、地下道が伸びれば、便利なのだが。
とすると、ひょっとしたら、将来的には、今、歩いている道路の地下に、地下道ができて、竹橋駅と、大手町駅が、結ばれるのかな。
先のことは、わからないけど。
(2009年8月記)

小田急線相模大野駅(相模大野駅西側再開発地)

2010-01-23 06:49:33 | Weblog
相模大野北口商店街から、南西側へ。
そのまま、駅の南西側まで歩いていく。
実は、相模大野駅の旧市街、といっていいのかどうか、わからないけど、昔の商店街は、駅の南西側にあるようなのだ。
たぶん、今の伊勢丹のある場所は、ちょっと前まで、米軍の施設があったわけだし、東側には、交通量の多い幹線道路、16号線があるし。
だから、昔の商店街があるとすると、南西側しかない。
実際、相模大野駅に来るたびに、古そうな飲食店などが、ちょっと、気になっていたのだが。
なんとなく、昭和の、取り残された一帯が、あるな、という風に。
ということで、今回、行ってみることにする。
到着すると、一面、更地が広がっているばかり。
しかも、ちょうど、まだ、残っている建物の取り壊し作業の真っ最中。
駅に近いので、再開発される、というわけか。
そんなことだろうとは、思っていたんだけど。
豊かな時代なら、街は、外へ外へと、拡大し、こうした場所は、そのまま、ひっそりと、残ったりする。
ただ、豊かでなければ、冷酷に、存在意義を、問い質され、その結果は、容赦のないものにならざるを得ない。
時代の流れなので、仕方がないな。
でも、本当にそうなのだろうか。
豊かでない、ということが、理由になるのだろうか。
豊かでないのに、豊かさを、維持しようとするから、不自然なことになるんじゃないのかな。
といっても、別の道があるのかどうか、わからない。
そういう、割切れない、気分のまま、相模大野駅に戻る。
すぐに、小田急線の新宿行きの電車が来たので、乗り込んだ。
途中、向ヶ丘遊園駅にでも、降りて、昔あった、モノレールの跡を見ようかと、思っていたのだが。
そのつもりでいたのに、列車は、向ヶ丘遊園駅を、通過してしていく。
切符は、新宿駅で精算すればいいとしても。
昔のモノレールの遺構を見て、豊かだった過去の雰囲気に、浸ろうとしていた、その気分は、どうなってしまうのか。
早いスピードで過ぎ去っていく、車窓の風景の中、そんな気分は、細切れになって、どこかへ、飛び去っていくようだ。
はるかに、遠ざかっていく、向ヶ丘遊園駅を見やりながら、やっぱり、仕方がないな、と思うしかない。
(2009年7月記)

小田急線相模大野駅(相模大野北口商店街)

2010-01-22 03:55:41 | Weblog
北へ歩き、相模大野駅に戻る。
今度は、北口へ。
閑散とした南口とは違って、北口は、商業地だ。賑わっているかどうかは別として。
ペデストリアンデッキも設置され、エスカレーターを下れば、すぐに、相模大野北口商店街入口。
この商店街、コリドー通り、ともいうらしい。
外観は、大きな宮殿の回廊のようで、豪奢な感じだ。
その先には、デパートの伊勢丹がある。
つまり、相模大野北口商店街は、伊勢丹への回廊なわけか。
もっとも、何度か、こうして、相模大野に来ているが、ついぞ、伊勢丹まで、足を伸ばしたことはない。
妙に駅から距離があって、行く気が萎えてしまうのだ。
このように、商店街とデパートが接合しているパターン、ひょっとしたら、中野駅前のサンモール商店街と中野ブロードウェイに似ているかも。
中野の場合は、高度成長期、相模大野の場合は、バブルの頃だな。
いずれも、未来が目の前に開かれていた、安穏な時代、というのが共通点だ。
今の時代とは、まったく違う。
デパートと商店街が接合するなんて、そもそも、考えられないし。
どっちかが生き残るか、結局、ショッピングセンターができて、どちらも、なくなってしまうか。
相模大野みたいに、両方、くっついて、拡大する、なんて、あり得ないことだ。
過ぎ去った、豊かな時代を、懐かしく思うには、いいのだけど。そうなると、もう、レトロ、なのかも。
ただ、こうして、相模大野北口商店街の中を歩き、バブルの頃の雰囲気に浸ったとしても、やはり、そのまま、伊勢丹まで、歩いていくことはないだろう。
そんな気分は、湧き上がってこない。当たり前か。
(2009年7月記)