retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

日暮里舎人ライナー熊野前駅(東尾久五丁目 熊野前商店街)

2016-06-30 04:41:53 | Weblog
東西に伸びる通りを西に向かうと、すぐに、南に伸びる、熊野前商店街。
北側は、熊野渡し商店街なので、かつては、隅田川の渡し場への、道だったのかも。
明治時代の地図を見ると、一帯は、上尾久村、となっている。
北には、隅田川、あとは、周囲に広がる、田園。
開拓されたのは、江戸時代なのかな。
渡し場は、もっと、前から、あるのかもしれない。
商店街ができて、賑やかになったのは、高度成長期、だろうか。
再び、西へと、向かう。
(2013年8月記)

日暮里舎人ライナー熊野前駅(東尾久五丁目 熊野前交差点)

2016-06-29 03:29:41 | Weblog
南北に伸びる尾久橋通りと、東西に伸びる通りとの、交差点。
尾久橋通りには、陸橋もあり、立体交差になっている。
交通量も多く、交通の要衝、といったところか。
そういえば、北側、すぐに、隅田川、そして、荒川、となる。
隅田川と荒川の間に、高層住宅があって、以前、訪れたこと、あったな。
当時は、バスで来たのだ。
それよりも前、荒川を渡って、さらに、北の方へも、足を伸ばした。
足立区郊外。懐かしい。
今は、どうなっているのだろう。
変わらないだろうけど。
もう、訪れることもないだろうなあ。
(2013年8月記)

日暮里舎人ライナー熊野前駅(熊野前駅駅舎)

2016-06-28 04:38:52 | Weblog
上野駅から山手線。
日暮里駅で下車。
そういえば、さっきの高層ビル建設現場、裏手の方、下町の飲食店、という感じだったのだが。一掃されてしまったようだ。
日暮里駅も、変わったなあ。
高層住宅が、建ち並んでいるし。
日暮里舎人ライナーへ。
昔は、バスしかなかったのだ。バスでも、それほど、時間は、かからなかったような気もするけど。
熊野前駅で下車。
橋上駅から、地上へ降り立つ。
(2013年8月記)

山手線上野駅(上野駅東口ペデストリアンデッキ)

2016-06-27 04:37:44 | Weblog
昭和通りを北へ。
再び、上野駅東口駅前広場に戻る。
駅前広場の、上空には、ペデストリアンデッキ。
ペデストリアンデッキに上がると、西口の、台地と、同じ高さになる。
ペデストリアンデッキにより、台地の上、山の手と、低地、下町という、構図が、なくなるわけだ。
いや、なくなるのは、下町だけか。
下町がなくなれば、下町を、拠り所にする者の、居場所がなくなる。
そうなれば、山の手に、引き摺り上げて、この場に、相応しいかどうか、厳しく、責め立てられるばかり。
わかりました、下町に、帰りますよ、と言っても、その、下町は、もう、ないのだ。
(2013年8月記)

山手線上野駅(上野イーストタワー工事現場)

2016-06-26 05:18:20 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
茅場町駅で日比谷線に乗り換える。
上野駅で下車。
地上に出ると、JR上野駅東口駅前広場。
あいかわらず、賑わっている。
南北に伸びる、昭和通りを、南へ。
しばらくすると、通りの、東側には、上野イーストタワーの工事現場。
上野駅周辺の、都心再開発、ということで、建設工事が、絶えない。
(2013年8月記)

丸ノ内線東高円寺駅(堀ノ内二丁目 環状7号線)

2016-06-25 06:09:07 | Weblog
レトロな商店街を、南へ南へと、向かう。
商店街、尽きたあたりで、東へ曲がり、そのまま、東へ。
再び、交通量の多い、環状7号線。
今の時代に、戻ったような感覚。
だが、環状7号線も、高度成長期の開通したのだ。
近くのバス停で、バスに乗る。
甲州街道を越えたところで下車。
西へ向かうと、京王線代田橋駅。
京王線で、帰ることにする。
(2013年8月記)

丸ノ内線東高円寺駅(堀ノ内三丁目 妙法寺門前通り商店会)

2016-06-24 03:20:38 | Weblog
妙法寺山門から南側一帯は、妙法寺門前通り商店会。
南へと、歩いていく。
昭和の忘れ去られた街並み、商店街。
ノスタルジー。
高度成長期、安定期、バブル期、ずっと、変わらなかったのだろう。
都心に近い、住宅地なので、店が、なくなることはない。
とはいえ、山の手住宅地、というわけではないので、新しい店が、開店していく、ということもない。
だから、ゆっくり、ゆっくりと、朽ちていくのかな。
(2013年8月記)

丸ノ内線東高円寺駅(堀ノ内三丁目 妙法寺商店街)

2016-06-23 04:52:55 | Weblog
山門を出て、境内の外へ。
門前町が、広がる。
西側には、妙法寺商店街。
おそらく、かつては、東西に伸びる通りがあり、その通りの、北側に、妙法寺、通り沿いに、門前町、となっていたのだろう。
今は、店も、まばらだ。
盛んだったのは、バブル期までだろうか。
いずれは、他の多くの、商店街と同じように、消滅し、住宅地に、なっていくことだろう。
(2013年8月記)

丸ノ内線東高円寺駅(堀ノ内三丁目 妙法寺 祖師堂)

2016-06-22 04:30:18 | Weblog
仁王門から入ると、すぐに、祖師堂。
その奥に、本堂がある。
江戸名所図会を見ても、同じ。
昔と、変わらないのだ。
変わったとすれば、門前町だろうか。
明治時代初め頃の地図を見ると、門前町は、東へ伸びている。
今は、南側。
郊外化され、住宅地が広がり、商店街が、南へ、伸びた、ということかもしれない。
(2013年8月記)

丸ノ内線東高円寺駅(堀ノ内三丁目 妙法寺 仁王門)

2016-06-21 04:32:24 | Weblog
こちらは、クルマから入るときの、入口らしい。
境内を、南へ。
南側にある、山門、仁王門から、再び、入る。
ずいぶんと、大きな寺院。
創建は、江戸時代の初め頃らしい。
大正時代、寺院が、集まり、寺町になっていくが、妙法寺の、寺勢によるところなのかも。
山門の南側には、商店が並び、賑やか。
今に到るも、寺勢、盛んなようだ。
(2013年8月記)